付記:あの場所へ

 大きな爆発が二回起こり、兵衛は端屋敷はやしきに向かって走り去った。


 その後ろ姿が見えなくなってから、藤花はふうっとため息をつく。爆発は見せかけだ。兵衛の注意が端屋敷に向くようにと、重丸に頼んでおいた。


 藤花の処分は決定事項で免れることはできない。

 しかし、それを兵衛に知られる訳にはいかなかった。三百年前、兵衛は自分を連れて逃げた。その結果、どうなったか。もう自分一人だけの幽閉では済まない。

 同じてつを踏むわけにはいかない。今度は伊万里もいるのだ。


 問題は、兵衛をどうやって自分から離すかだった。一人では無理だと考え、六洞りくどう夫婦に協力を頼んだ。彼らなら冷静に対処してくれると思った。


 かくして、思惑通り兵衛は端屋敷に向かい、自分は一人となった。今こそ、出立の時である。藤花は、一緒に残された六洞りくどうの若鬼に声をかけた。


「北山の御化筋おばけすじへ向かいやれ」

「北山の筋ですか? しかし、ここで待つと──」


 若鬼が戸惑いがちに答えた。何も知らされていないらしい。おそらく、この者に責任を負わせないための重丸の配慮だ。


「おまえは重丸から何と聞いている?」

「は。藤花様の命に従い、御化筋おばけすじの入口まで随行せよと」

「その後、おまえはどうする?」

「そのまま次の任命地である西の領境りょうざかいへと向うよう言われております。この件については、他言無用、報告の必要もないと」


 なるほど、口を閉ざさせるため、僻地へきちおもむく者を起用したのか。藤花は安心した。


「ならば、やはり北山へ。兵衛とは人の国で落ち合える。私の命じゃ。車を出しやれ」


 多少の嘘を織りまぜて有無を言わせない口調で言うと、藤花は網代車に乗り込んだ。ほどなく車は動き出した。


「あの、藤花様……」


 しばらくして遠慮がちな若鬼の声がした。


「北山の御化筋おばけすじへ向かってどうなさるのでしょうか?」

「人の国に山藤が見事に咲く場所がある。そこへ行きたい」

「しかし、本筋は古くて使えないと先ほど猿師が……。それに、今は藤の季節ではありません」

「脇筋が使えるのであれば良い。花がなくとも、藤の実がなっていれば十分じゃ」

「花でなくてよろしいのですか。味気のうございます」

「味気なくなど」


 藤花は笑った。


「実をつけてこその花。そのために花は咲き誇るのじゃ。味気なくなどあろうはずもない」


 藤花を乗せて車は進む。彼女は目を閉じて、山肌一面に咲き乱れる山藤の光景を思い出した。


 あの場所へ。初めて兵衛と愛し合ったあの場所へ。


 人の国で私が知っているのは、あそこだけだ。

 兵衛は怒っているだろうか。いや、もしかしたら、泣いているかもしれない。それだけが少し心残りだった。


「兵衛、さらばじゃ」


 厳しい冬に耐え忍んだ木々たちが、その枝に新芽をつけ始めている。山々を照らす陽は穏やかであるが、風はまだ冷たく冬の名残をとどめていた。


 藤花は月詞つきことを口ずさむ。独特の抑揚と旋律に、祈りの言葉を乗せる。大切なあの子が元気に育つように、大切なあの者が悲しまないように。


 言の葉が光の玉となって空を漂い、ぱちんと弾けた。



付記:あの場所へ

(2022.1.9 「産声~藤の花恋~」より)

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