幽閉(3)

 兵衛の地下牢での毎日は、苦痛と屈辱の日々だった。

 手と足には鉄のかせを付けられたままで、傷の手当てなどされるわけもなく、そのうち脇腹に蟲がついた。


 代わる代わるやってくる牢番は、最初の頃こそ暴力を振るってきたが、一月ひとつきもすると様子を見に来ることもなくなった。地面に放り投げられた食べ物を犬のように食い、泥水をすすっては何度も腹をくだした。


 その内、裸でいる方が楽になり、しかし衣服を完全に脱ぐこともできず、はだけて汚れた衣服は、手首や足首の辺りでもたもたになったまま、襤褸ぼろ切れのようになっていた。


 昼なのか夜なのか、自分が起きているのか眠っているのかも分からない。

 腹に蟲がつこうが、泥水をどれだけすすろうが、あやかしであるがゆえに簡単には死なない。いっそ、狂ってしまった方がましではと思う状況で、それでも彼は藤花のことを思い、耐え続けた。


 誰も様子を見に来なくなってから、どれほどかの時が経った頃、ようやく腹の傷が癒え始めた。そして、投げ捨てられる食べ物の味が分かるようになり、次第に食べた分だけ体に力がつくようになった。

 

 さらに時が過ぎた。

 かせを付けながらでも体を上手く動かせるようになって、頭がはっきりとしてきた。兵衛は、かせくさりについた呪詛じゅそをあらためて確認した。どうにもできないほどの強力な呪詛ではないことが分かった。


 ある日、兵衛は鎖を断ち切った。結界術の応用だ。


 誰も様子を見に来ないというのは、兵衛にとっては好都合だった。

 足が少し自由になったところで、体を折り曲げ髪の毛を抜く。そしてそれを一匹のネズミに変化へんげさせ、牢の外へと放った。目指すは重丸の元だ。


 足が自由になったので、このまま逃げることも可能ではあった。しかし、藤花がどこでどうなっているかが分からない。それに、自分が逃げ出したことで、藤花に不利益なことが起こるかもしれない。落ち着いて考えた末、兵衛は重丸に連絡を取ることにした。彼ならきっと動いてくれると信じた。


 その一方で、あらためて、鬼たちの大雑把さを知る。

 呪詛じゅそも結界術も、もともと人間があやかしに対抗するために編み出した技だ。あやかしは、それを模倣しているに過ぎないので、阿の国の技術が劣るのは仕方がない。

 それに加え、霊力の高い鬼は生命力も強く、月夜つくよの里は久しく平和で外敵の危機にさらされていない。その油断が、技術をさらに遅らせていると、兵衛は思った。


 そのまま何日か過ぎ、多少体が動かせるようになったので、兵衛は地下牢で弱くなった足腰を鍛え始めた。

 最初は立ち上がるのにもフラフラだった足が、数日もすると力が入るようになった。そこでさらに筋力を付ける。途中から面倒になって、手の枷も外した。


 いつでも逃げられる状態で、ひたすら体を鍛えながら重丸からの連絡を待つ。


 待って、待って──。もう一匹式神を放そうか、それとも本当に逃げ出してしまおうかと兵衛が悩み始めた頃、いつも食事を投げ入れるだけの牢番が降りてきた。


「うへえ、ひどい臭いだ」


 鼻を裾で覆い、顔をしかめた二つ鬼が現れた。

 そして、兵衛の姿を見てさらに顔をしかめた。彼は、全裸の状態で、土色に薄汚れ、鳶色の目だけをギラギラと光らせていた。


「よく生きているな、それで。──おっ、おまえっ、いつの間にかせを外したんだ?! 鎖まで切りやがって──!!」


 まるで汚物を見るような目つきだった牢番が、自由になっている兵衛に気づき、顔を青くさせた。しかし、すぐに気を取り直し、顎で入り口を指す。


「ま、まあいい。どうせこれで、ご赦免だ。出ろ」


 知らないうちに囚人が自由になっていたという自身の失態は、なかったことにすると決めたらしい。

 牢番はふんと鼻をならして、兵衛について来いと促しながら、さっさと階段を上り始めた。

 久しぶりに地上へ上る感覚は、妙なものだった。ふわふわと足に力が入らないのに、まだかせがついているように重たい。


 曲がりくねった階段を上がりきり、突然、目も眩むような光に包まれる。思わずよろけたところへ、牢番の容赦ない蹴りが入り、兵衛はみっともなく全裸のまま地面に転がった。


「さあ、人の国へ帰れ。二度と阿の国に来るな」


 唾を吐きかけながら牢番が言った。

 ここでこいつの着ている物と腰の刀を奪おうかとも思ったが、それはそれで面倒事になりそうなのでやめた。


 兵衛は、うろうろと立ち上がると、宛もなく歩き始めた。

 どこかの山の中らしく、辺りは木々しかない。しばらく適当に歩けば、どこか知った場所に出るだろうか。そう思いながら歩いていると、ややして、目の前に大柄の二つ鬼が現れた。


「ひどいだ」


 呆れるような、それでいて嬉しそうな声。式神のネズミを右手に乗せ、左手に包みを持った六洞りくどう重丸が、ぎょろりとした目に涙を浮かべながら立っていた。


「儂について来い。近くに温泉がある」


 そう言って、重丸がきびすを返して歩き始める。


「待て、重丸」


 思わず兵衛が呼び止めると、重丸は振り返って厳しい視線を兵衛に向けた。


「まずは身なりを整えろ。そのような獣の姿では、まともな考えも出てくるまいよ」


 そして彼は、再びすたすたと歩き出した。兵衛は黙ってついて行くしかなかった。


 しばらく歩くと、河原のある川に出た。拳ほどの石がごろごろと転がっているその一角に、石で囲った水溜まりがあった。いや、と言った方が正しいか。


六洞りくどう衆専有の場所だ。山の熱い霊水が地から沸き上がり、川の水と混ざってちょうどいい湯加減となっておる。傷も癒えるし、穢れも流れる」

「すまんな」


 遠慮なくざぶんっと湯溜まりに入る。暖かいお湯が体を包み生き返った心地がした。


「どれだけの日が経った?」

三月みつきほど。おかげで、暖かくなった」

「そうか」


 お湯で顔をばしゃばしゃと洗いながら兵衛は言った。重丸が傍らにどかりと腰を下ろす。そして彼は、体中の汚れをごしごしと流し始めた兵衛の様子を見ながら、意外そうな顔をした。


「もっと衰弱しておるかと思ったが、案外弱っておらんな。臭いは酷いが」

「ぬかせ。途中からかせを外して体を鍛えていた。逃げようかとも思ったが、藤花様に迷惑がかかると思ってやめた」

「おまえというやつは──。呆れた男よ」


 重丸が笑い混じりに嘆息する。そして、包みをぽんと差し出した。


「?」

「まさか、まっ裸で歩き回るわけにもいかんだろう。衣服だ」

「助かる」

「だが、刀は渡せん」

「別にいらん」


 兵衛が鼻で笑った。


「必要なら他から奪えばいいだけだ。おまえら鬼は、本当におめでたい。刀を持たせなければ、それで儂に危険がないと思っている」


 耳が痛くなる指摘に重丸が「そのとおりだ」と肩をすくめた。


「どうやって呪詛までかけられたかせを外した。一応、最上級の悪人の扱いだぞ」

「だとしたら、に訂正した方がいい。呪詛にしても、結界術にしてもお粗末なものだ」


 容赦ない兵衛の言い方に重丸はいよいよ肩をすくめた。そして互いに顔を見合わせ、どちらからともなく笑いだした。

 あえて重要な話をしていない。兵衛はそう感じていた。

 重丸が本当に伝えたいこと、そして兵衛自身が本当に聞きたいことは、こんなことではない。それでも話さないのは、今がその時ではないからだ。


 藤花のことを思うと、気持ちがはやる。兵衛は、逸る気持ちを抑えつつ体を急いで洗い上げた。


 重丸から渡された衣服は、真新しい灰茶の小袖と藍の袴だった。決して豪奢な物ではないが質のいいそれは、こちらに対する心遣いを感じられた。


 ひげをり、髪を結び、小袖に腕を通し、少しずつ身なりが整っていく。最後に兵衛が袴紐をきゅっと結んだところで、じっと黙って見ていた重丸が立ち上がった。


「うむ。いつものおまえらしくなった」

「重丸、本当に助かった」

「儂ではない」


 すかさず重丸が言った。


「それを用意されたのは、別の御方だ。おまえに話があると、こちらに来ている」


 重丸が森の奥に向かって「整いましてございます」と声をかけた。


 木々の間から、黒髪を高く結い上げ、頭に二つの角をいただく鬼姫、千紫が姿を現した。

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