幽閉(3)
兵衛の地下牢での毎日は、苦痛と屈辱の日々だった。
手と足には鉄の
代わる代わるやってくる牢番は、最初の頃こそ暴力を振るってきたが、
その内、裸でいる方が楽になり、しかし衣服を完全に脱ぐこともできず、はだけて汚れた衣服は、手首や足首の辺りでもたもたになったまま、
昼なのか夜なのか、自分が起きているのか眠っているのかも分からない。
腹に蟲がつこうが、泥水をどれだけすすろうが、あやかしであるがゆえに簡単には死なない。いっそ、狂ってしまった方がましではと思う状況で、それでも彼は藤花のことを思い、耐え続けた。
誰も様子を見に来なくなってから、どれほどかの時が経った頃、ようやく腹の傷が癒え始めた。そして、投げ捨てられる食べ物の味が分かるようになり、次第に食べた分だけ体に力がつくようになった。
さらに時が過ぎた。
ある日、兵衛は鎖を断ち切った。結界術の応用だ。
誰も様子を見に来ないというのは、兵衛にとっては好都合だった。
足が少し自由になったところで、体を折り曲げ髪の毛を抜く。そしてそれを一匹のネズミに
足が自由になったので、このまま逃げることも可能ではあった。しかし、藤花がどこでどうなっているかが分からない。それに、自分が逃げ出したことで、藤花に不利益なことが起こるかもしれない。落ち着いて考えた末、兵衛は重丸に連絡を取ることにした。彼ならきっと動いてくれると信じた。
その一方で、あらためて、鬼たちの大雑把さを知る。
それに加え、霊力の高い鬼は生命力も強く、
そのまま何日か過ぎ、多少体が動かせるようになったので、兵衛は地下牢で弱くなった足腰を鍛え始めた。
最初は立ち上がるのにもフラフラだった足が、数日もすると力が入るようになった。そこでさらに筋力を付ける。途中から面倒になって、手の枷も外した。
いつでも逃げられる状態で、ひたすら体を鍛えながら重丸からの連絡を待つ。
待って、待って──。もう一匹式神を放そうか、それとも本当に逃げ出してしまおうかと兵衛が悩み始めた頃、いつも食事を投げ入れるだけの牢番が降りてきた。
「うへえ、ひどい臭いだ」
鼻を裾で覆い、顔をしかめた二つ鬼が現れた。
そして、兵衛の姿を見てさらに顔をしかめた。彼は、全裸の状態で、土色に薄汚れ、鳶色の目だけをギラギラと光らせていた。
「よく生きているな、それで。──おっ、おまえっ、いつの間に
まるで汚物を見るような目つきだった牢番が、自由になっている兵衛に気づき、顔を青くさせた。しかし、すぐに気を取り直し、顎で入り口を指す。
「ま、まあいい。どうせこれで、ご赦免だ。出ろ」
知らないうちに囚人が自由になっていたという自身の失態は、なかったことにすると決めたらしい。
牢番はふんと鼻をならして、兵衛について来いと促しながら、さっさと階段を上り始めた。
久しぶりに地上へ上る感覚は、妙なものだった。ふわふわと足に力が入らないのに、まだ
曲がりくねった階段を上がりきり、突然、目も眩むような光に包まれる。思わずよろけたところへ、牢番の容赦ない蹴りが入り、兵衛はみっともなく全裸のまま地面に転がった。
「さあ、人の国へ帰れ。二度と阿の国に来るな」
唾を吐きかけながら牢番が言った。
ここでこいつの着ている物と腰の刀を奪おうかとも思ったが、それはそれで面倒事になりそうなのでやめた。
兵衛は、うろうろと立ち上がると、宛もなく歩き始めた。
どこかの山の中らしく、辺りは木々しかない。しばらく適当に歩けば、どこか知った場所に出るだろうか。そう思いながら歩いていると、ややして、目の前に大柄の二つ鬼が現れた。
「ひどいなりだ」
呆れるような、それでいて嬉しそうな声。式神のネズミを右手に乗せ、左手に包みを持った
「儂について来い。近くに温泉がある」
そう言って、重丸が
「待て、重丸」
思わず兵衛が呼び止めると、重丸は振り返って厳しい視線を兵衛に向けた。
「まずは身なりを整えろ。そのような獣の姿では、まともな考えも出てくるまいよ」
そして彼は、再びすたすたと歩き出した。兵衛は黙ってついて行くしかなかった。
しばらく歩くと、河原のある川に出た。拳ほどの石がごろごろと転がっているその一角に、石で囲った水溜まりがあった。いや、湯溜まりと言った方が正しいか。
「
「すまんな」
遠慮なくざぶんっと湯溜まりに入る。暖かいお湯が体を包み生き返った心地がした。
「どれだけの日が経った?」
「
「そうか」
お湯で顔をばしゃばしゃと洗いながら兵衛は言った。重丸が傍らにどかりと腰を下ろす。そして彼は、体中の汚れをごしごしと流し始めた兵衛の様子を見ながら、意外そうな顔をした。
「もっと衰弱しておるかと思ったが、案外弱っておらんな。臭いは酷いが」
「ぬかせ。途中から
「おまえというやつは──。呆れた男よ」
重丸が笑い混じりに嘆息する。そして、包みをぽんと差し出した。
「?」
「まさか、まっ裸で歩き回るわけにもいかんだろう。衣服だ」
「助かる」
「だが、刀は渡せん」
「別にいらん」
兵衛が鼻で笑った。
「必要なら他から奪えばいいだけだ。おまえら鬼は、本当におめでたい。刀を持たせなければ、それで儂に危険がないと思っている」
耳が痛くなる指摘に重丸が「そのとおりだ」と肩をすくめた。
「どうやって呪詛までかけられた
「だとしたら、最下級の悪人に訂正した方がいい。呪詛にしても、結界術にしてもお粗末なものだ」
容赦ない兵衛の言い方に重丸はいよいよ肩をすくめた。そして互いに顔を見合わせ、どちらからともなく笑いだした。
あえて重要な話をしていない。兵衛はそう感じていた。
重丸が本当に伝えたいこと、そして兵衛自身が本当に聞きたいことは、こんなことではない。それでも話さないのは、今がその時ではないからだ。
藤花のことを思うと、気持ちが
重丸から渡された衣服は、真新しい灰茶の小袖と藍の袴だった。決して豪奢な物ではないが質のいいそれは、こちらに対する心遣いを感じられた。
ひげを
「うむ。いつものおまえらしくなった」
「重丸、本当に助かった」
「儂ではない」
すかさず重丸が言った。
「それを用意されたのは、別の御方だ。おまえに話があると、こちらに来ている」
重丸が森の奥に向かって「整いましてございます」と声をかけた。
木々の間から、黒髪を高く結い上げ、頭に二つの角を
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