幽閉(2)

「なぜ、旺知あきともは兄を隠しているのです?」


 藤花は怪訝な顔を千紫に返した。千紫が、まるで日々の雑談をするような口調で答える。


成旺しげあき様はなし者じゃ。ゆえに、小さい頃より周囲から隠されて、お育ちになった。旺知あきともが九洞家を賜ってからは、今の別邸に住んでおられる。深芳には、成旺しげあき様の身の回りの世話をさせるという名目で別邸に住んでもらえばいいかと思っての。なし者の成旺しげあき様が正妻をお取りになることはないゆえ、事実上、深芳は侍女を兼ねた側妻そばめのような立場になる」

「あの……」


 その男は大丈夫なのか? そう口にしようとして、しかし、千紫の対応に不平を言うようで藤花は口ごもった。千紫がそんな藤花の心の内を見透かすような笑みを浮かべる。


成旺しげあき様は思慮深く才知に溢れ、旺知あきともと似ても似つかぬ優しい御方、なんの心配もない。今まで私がしていたことを少し手伝ってもらうまでよ」

「……そう、でございますか」


 旺知の兄、しかも、なし者という存在に驚きながらも、深芳が牢に入っていないと知って藤花はほんの少しほっとする。

 一方で、成旺しげあきのことを語る千紫の表情がとても柔らかで藤花は不思議な気分になった。


 兄・清影に見せていた少女のような顔に似ている。いや、あの頃よりも──。


「どうした? まだ心配か?」

「いえ。千紫様、ありがとうございます」


 藤花は慌てて頭を下げた。心の奥の引っかかりは、すぐに横へと押しやった。今はその話ではないからだ。


「それでは、初音は無事でしょうか」

「うむ。此度、あの娘の協力がなければ、おまえたちを連れ戻すことはできなかった。おまえが側に置いていただけある。状況の判断も早く、人を見る目もある」


 千紫が感心しきった様子で言った。藤花は自分が褒めらたような気持ちになりながらも、さらに尋ねた。


「しかし、奥院にはもうおらぬのでしょう?」

「彼女はとある屋敷に行ってもらっている。おまえたちが連れていた、あの白い犬の世話も頼んだ。賢い犬じゃ。あれは、犬か?」

「狛犬という人の国の霊獣だそうです。阿丸と言います」

「なるほど、私も欲しいの」


 思わず二人で笑い合い、それからしばしの沈黙。

 ややして、千紫が含みのある目を彼女に向けた。


「一番聞きたいことを、まだ聞いていないであろう?」


 その見透かしたような視線に藤花は戸惑いがちに目を伏せる。いつ切り出そうかと逡巡しゅんじゅんし、なかなか口に出せないでいた。


 すると、千紫が傍らから袱紗ふくさに包まれたものを藤花に差し出した。中から硝子がらす細工の藤のかんざしが出てきた。


「おまえの着物の袖から出てきた。大切な物ではないのか」


 震える手でそれを受け取りぎゅっと握り締める。兵衛を思う気持ちで胸がいっぱいになり、それが止めようもなく溢れだす。


 彼女はすがるような目で千紫を見つめ、最も聞きたいことを口にした。


「兵衛は、どうなりましたか? 毒矢を受け、腹に深い傷を負っております」


 人の国の猿が自分と同じ扱いを受けるとは到底思えない。それに自分を助けるために、彼はどれだけの命を斬って捨てたか。


 しかし、それでも重丸と共に御座所おわすところに戻ってきたのは、この件に千紫が関わっていると知ったからだ。彼女なら、きっとなんとかしてくれると、藤花はほんのわずかな希望を胸に持っていた。


「千紫様、無事なのでございましょう?」


 すると、千紫がため息まじりに目を伏せた。


「……あの猿は、もう少し思慮深いと思っていた」


 やや怒りのこもった口調で千紫が答える。


「藤花を連れ出し、人の国へ逃れてなんとするつもりだったのか。下手をすれば、月夜の里と伏見谷との戦にもなりかねぬ」

「兵衛は、私を助けたい一心だったのでございます」

「えらくあやつを庇うの。それは、盟約を交わした九尾様とゆかりのある者だからかえ?」


 藤花は思わず俯いた。そんな藤花の様子を見ながら、千紫が再びため息をついた。


百日紅さるすべり兵衛は、とある地下牢に囚われている。まだ私を睨む気力はあったようだが」

「兵衛とお会いになったので? 何か話は?」


 藤花が千紫に詰め寄ると、彼女は小さく肩をすくめた。


「話すも何も、今にも死にそうな状態であったから、こちらの言いたいことを一方的に言ってきた」

「それは、なんと?」

「藤花の話を聞きたくば、まずは生きてここから出て来いと」

「そんな……」

「あやつは殺しすぎた。旺知あきともには殺して伏見谷の怒りを買うより、生かして恩を売った方がいいと言ってはいるが、手厚く介抱するわけにはいかぬ」


 藤花は絶望的な様子で目をさ迷わせ、千紫から顔をそむけた。膝にかかった布団の裾をぎゅっと握る。彼は今、どんな惨めな気持ちで地下牢に閉じ込められているだろうか。ぬくぬくと布団で寝ていた自分が情けなかった。


「藤花、」


 千紫があらたまった口調で呼びかける。そして、藤花の手を取り、彼女は穏やかではあるが力強い目で藤花を見た。


「ようく聞くのじゃ。あの男を生かしたくば、おまえは月夜の里から出てはならぬ。おまえが持つものを盾に、おまえとあの男を守れると、私はそう踏んで賭けに出た。しかし、今のままでは、私の空言そらごとにすぎなくなる。だから、教えておくれ。おまえが九尾様と交わしたまことの盟約を。ただの、輿こし入れ話ではないはずじゃ」


 千紫の射抜くような目に藤花は圧倒される。この方はずっと戦っておられると、彼女はそう思った。


「……何から話せば良いでしょうか」


 思わずそう問えば、千紫がふわりと笑った。


「おまえの思いつくままに。なに、深芳に聞かれて困る話であるなら、そこは黙っていよう」


 いつもの、姉と慕う千紫の笑顔がそこにあった。藤花の顔も自然とほころんだ。




 次の日、自室で朝餉あさげを食べ終えた藤花の元を、侍女の雪乃が訪れた。彼女の後ろには、翡翠の鋼輪を付けたいかつい鬼武者が二人立っている。六洞りくどう衆の鬼だった。

 藤花が「うむ」と頷いた。


「私はいつでも良い。持っていく物も何もないゆえ」


 雪乃がひざまずき、頭を軽く下げた。


「では藤花様、わたくしとともに」


 どんなに扱いが丁重であろうと、もう自分は囚われの身である。里東さとひがしの端にある小さな屋敷に移ることになると、昨日千紫から言われた。


 藤花はすっと立ち上がった。

 雪乃がするりと踵を返し歩き出す。その後に藤花が続き、六洞の鬼たちは少し離れて後方を歩く。

 途中、藤花は背後から雪乃に声をかけた。


「千紫様は?」


 雪乃が前を見たまま、歩くことも止めず、藤花に答えた。


「いつまでもあなた様に構っているほど千紫様は暇ではございません。こうして生きて朝を迎えられたことだけでもありがたいと思っていただきとうございます」

「そうではなく、」


 藤花がすかさず否定する。


「千紫様は無理をされておらぬかと聞いておるのじゃ。私の供など、適当な者で十分じゃ。それよりも、千紫様をお助け申し上げろ。あの方は、すぐに無理をなさるゆえ」

「……その、千紫様の命でございますれば」


 雪乃が歯がゆそうに呟いた。


「千紫様は、一つ鬼からは毒婦とののしられ、二つ鬼からは妖婦と揶揄やゆされ、それでもなお、今回の混乱を最小限にしようと画策されておいでです。奥院の姫君と関わり合いになどならなければ、ただの博学子の娘として平穏な生活ができたというのに。毒は千紫様ではない。奥院そのものじゃ」


 最後は独り言のように雪乃が吐き捨てる。藤花は申し訳なさと悔しさで唇を噛んだ。


「我が父の不徳の致すところじゃ。許せ」

「……あなた様に言ったところで詮なきこと。今のは浅慮な侍女の独り言にございます。お聞き流しくださいませ」


 おまえに言っても仕方がないといった口調で雪乃が言った。藤花は黙るしかなかった。


 そのまま藤花は奥院の庭の奥、彼女自身通ったこともない裏口に案内された。侍女や下働きの者が使う出入口だ。そこに粗末な網代あじろ車が用意されていた。


「申し訳ありませんが、ここからは六洞りくどうの者たちが屋敷まで案内します」

「うむ。それで十分じゃ。手間をかけさせた」

「では──」

「待て、」

「まだ何か?」

「千紫様に、ご自身のことを一番に考えるよう伝えておくれ」


 雪乃が複雑な顔で黙ったまま頭を下げた。

 藤花が車に乗り込む。背中で髪に挿された藤のかんざしがゆらりと揺れた。

 六洞の鬼武者に付き添われ、藤花を乗せた網代車がゆっくりと動き出した。

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