幽閉(4)

「おまえは──、博学子の娘!」


 千紫の姿を見た瞬間、兵衛が怒りを露わにした。重丸がさっと千紫の前に立ち、彼女を庇うように片手を広げる。


「兵衛、話を聞け」

「儂は、その女をまだ信用しておらぬ!」

「口を慎め、千紫様は今や奥の方様だ」

「奥の方?」


 兵衛が口の端を皮肉げな笑いで歪めた。


「それはそれは、よくぞ上りつめられた。さぞかし、気分が良いだろう」

「……おかげさまで」


 千紫が自嘲的な笑みを浮かべた。

 しかしすぐ、鋭く兵衛を見返すと、戦場で采配を振る軍師のような顔つきになった。


「申し訳ないが、ここでくだらぬ言い争いをしているほど暇ではない。私は約束どおり、藤花の話をしに来た。しかし、おまえが話す気になれぬと言うのであれば、一方的に言いたいことを伝えて去るだけじゃ」


 その有無を言わせぬ口調に、さすがの兵衛も言い返せずに押し黙る。

 千紫は間違っていない。感情的になって怒りを相手にぶつけている場合ではないのだ。兵衛は納得がいかないまま、それでも怒りを心の奥に押し込んだ。

 彼は千紫を真っ直ぐに見返した。


「何を聞かせてくれるのだ?」

「あの夜、何があったのか。この三月みつきほどで月夜つくよがどうなったのか。そして、藤花は今どこでどうしているのか」

「……おまえが何を考えているかもだ」


 兵衛が鋭く睨んで付け加えると、千紫は「そこまで聞いてくれるのか?」と笑った。


 千紫との話の間、重丸は少し離れたところで控え、周囲に目を光らせていた。

 兵衛と千紫は並んで川岸に立ち、話をすることとなった。


 千紫は、まず謀反の夜のことから話し始めた。

 あの夜、北山に重丸を向かわせたのも彼女の仕業だと分かった。

 この三月みつきの間で、一つ鬼はことごとく排除され、旺知あきともの側近が新しい洞家を名乗っていた。すでに御座所おわすところは、旺知あきとものものとなり、彼が伯座に着くことに異を唱えるものは誰もいない。しかし、宝刀月影は今だ見つからず、そのことに旺知は苛立っているとのことだった。


「そうした中、影親かげちか様がお亡くなりになられた」


 千紫が淡々と事実を述べていく。兵衛は、「なぜだ?」と口を挟んだ。


「あの方を殺せば、月影は見つからん。どうするつもりだ」

「毒を──、真実を述べるという毒を飲まされた。しかし、毒が失敗作だったらしく、影親様は全身から血を流して憤死された」

「見ていたのか?」

「お亡くなりになった後、旺知あきともに後始末をするよう呼ばれ、最期のお姿を拝見した。あのような死に方は……さぞ、無念であったと思う」


 ふと、この女は影親かげちかを恨んではいなかったのだろうかと、そんな疑問が頭をよぎる。しかし、兵衛はあえて口には出さず、別のことを彼女に尋ねた。


「真実を吐かせる毒など、人の国でも聞いたことがない」

「おそらくは、新種の蠱毒こどく旺知あきともが蟲使いに言って作らせたようだ。蠱毒には大量の蟲がいる。蠱毒作りは、蟲使いには持ってこいの仕事じゃ」


 そこまで聞いて、兵衛はかつて遠峰で見つけた大量の蟲の死骸を思い出た。


「あれは、そういうことか──」


 兵衛は誰に言うともなく呟いた。千紫がそんな彼の様子を一瞥しながら、さらに話を続けた。


「清影様は、里の外れにある座敷牢に囚われている。月詞つきことを二度と歌えぬようにと喉を掻き切られ、声を失った。かつての精彩もなく、もはや生きる屍だ。座敷牢には牢番が一人いるだけで、月に一度ほど、深芳がお世話に行っている。深芳は深芳で、ある屋敷で預かりの身じゃ。彼女は影親かげちか様の実子ではないゆえ、謀反の混乱直後ならともかく、今さら殺されることはないと思う」

「そうか、」


 兵衛は深く嘆息した。敗将の最期など、どこでも似たようなものだ。そして、その一族の末路も。どんなに理不尽であったとしても、それが現実であり、曲げようもない事実だ。


「里の様子は?」

「大きな混乱はない。頭がすげ替わっただけで、里はもとより北の領に住むあやかしたちは何も変わらぬ。今後、何かが変わったとして、それに嫌気が差したとしても、この北の領を去るだけのこと。なんのしがらみもなく、自由なものよ」


 千紫が羨ましそうに笑って答えた。その横顔から、彼女が本当に望んでいるものがほんの少し垣間見える。

 なるほど、これが藤花が姉のように慕い信頼する女かと、兵衛は感じた。

 聡明で芯が強い。だがしかし、彼女の不幸は二つ鬼ゆえに影親かげちかに認められず、疎んじられたことか。


 清影が千紫を妻に迎えていたら、と兵衛は思う。もしかしたら、謀反など起こらなかったかもしれない。そう考えると、彼女の才を認めることができなかった影親こそ、本当の不幸者ではないだろうかと思えた。


「……どう、するつもりだ」


 率直な言葉が口をついて出る。この女の魂胆を見極めなければという猜疑さいぎ心はいつの間にか消え、彼女が何を考えているのかとただ気になった。


 千紫が小さく笑う。


「どうもこうも、戦うしかあるまい。あらがうために」

「その細腕でどうやって?」

「なに、女には女の戦い方がある」


 言って彼女は、目を細めた。その表情から、彼女の思惑を読み取ることはできない。ただ、これからも彼女とは長く関わっていくような、そんな予感がした。


 そして、同じことを彼女も感じたのだろうか。いや、そもそも、これが目的だったのだろうか。

 千紫がひと呼吸置いてから、兵衛をまっすぐ見据えた。


「兵衛、私にくみせよ」


 こちらを探るように向けられた深紫の瞳と鳶色の鋭い瞳がかち合った。


月夜つくよのごたごたに首を突っ込む気はない」

「藤花は? まさか、また連れて逃げるつもりかえ?」


 皮肉げな笑みを千紫が口の端に浮かべた。


「藤花は深芳と違い、影親かげちか様の実子じゃ。どこかで子を生めば、それが火種となる。ゆえに、旺知あきともには、彼女を殺す理由はあっても生かす理由がない。しかし、九尾様と交わした盟約があれば、話は別じゃ」


 兵衛の片眉がぴくりと動いた。


「……藤花様は、今どこでどうなさっておいでか」

「東の里端さとはしにある屋敷に。藤花自身が伏見谷との盟約の要であることを含ませ、彼女がそこから出ないことを条件に、旺知あきともに命の保証だけは取り付けた」

「盟約のことは、どこまで知っている? 藤花様から聞いたのか?」

「藤花が預かった物が何かも含め、彼女の知っていること全て。ただし、旺知あきともに教えたのは、藤花自身がかの妖刀の封を解く鍵であるということだけじゃ。余計な情報をあやつに教えるつもりはない。要は、藤花を手元に置いておきたい理由となればそれで良く、正当な刀を持たぬ旺知あきともには、焔はいい餌じゃ。これで、藤花がを持つ限り、屋敷を出ることは許されぬが、殺されることもない」

「やはり、油断ならぬ女だ」


 兵衛が吐き捨てるように言った。


「藤花様が囚われの身である限り、伏見谷にとって姫は質のようなものになる。それを、ぬけぬけとだと? 儂に他の選択はあるのか?」

「なんとでも」


 悪びれる様子もなく千紫が笑う。


「悪いが、今は人の国と事を構えるつもりはない。北の領は、久しく平和だが、西や東の領と争いがなかったわけではない。旺知あきともの体制がまだ磐石ではない今、つけ入られる可能性もある。それは避けたい。それに──」


 一旦言葉を切り、彼女が鋭い目で兵衛を見る。


「私も、後先考えず藤花をさらったおまえのことを信用などしておらぬ」


 二人の間にぴりぴりとした空気が流れる。が、先に兵衛が折れた。

 彼は千紫から目をそらしつつ嘆息した。

 藤花を連れて逃げた結果は見ての通りであり、自分はこの女に負けたのだと今は認めざるをえない。それに、彼女が藤花を守ろうとしてくれていることも分かった。


「一つ、確認したい」

「なんなりと」

「藤花様は、拘束されたり閉じ込められたり、不自由な思いはされていないか」

「奥院と同じ生活というわけにはいかぬが、自由に暮らしておる。藤花が逃げることはないゆえ、監視もつけておらぬ」

「逃げないと、言い切るのだな」

「もちろん。藤花の意思の強さは、おまえも分かっていよう? 里のため、谷のため、そしておまえのために、藤花が逃げることはない」


 千紫がきっぱりと、しかし、寂しそうに言い切った。そして、思いを吹っ切るように、くるりと踵を返して重丸を見る。


「重丸、後は頼む」

「はっ、」


 重丸が頭を下げ、千紫は軽く頷く。そして、彼女は振り返ることなく行ってしまった。


 千紫の後ろ姿を見送り、彼女がいなくなってから、重丸がようやく兵衛に向き直った。


「兵衛、いろいろ納得がいかぬ気持ちも分かる。しかし、今の月夜つくよの里で信頼できるは、奥の方様だけだ」

「……分かっている。次からは口のきき方に気をつける」


 兵衛は彼女が去っていった方向を遠い目で眺めながら答えた。そして、感情だけで動いてしまった自身の浅はかさを悔いる。伏見谷では、きっと三月みつきも姿を見せない自分を案じ、大騒ぎになっているかもしれない。


 己もまた、守らなければならない。谷と、そこに住む大切な者たちを。


「では兵衛、そろそろ行くか」


 立ち尽くす兵衛に重丸が気を取り直した口調で声をかけた。兵衛が「どこへ?」と怪訝な顔を返す。すると、重丸が苦笑した。


「どこもなにも、藤花姫のいらっしゃる端屋敷はやしきへ。おまえが戻ってくるのを待っている」


 体の奥からなんとも言えない感情が込み上げてくるのが兵衛自身にも分かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る