4)猿と蕾
猿と蕾(1)
久しぶりに会った藤花は、相も変わらず賑やかだ。愛らしい笑顔を九尾と兵衛に振りまきながら開口一番、
「九尾様、私も兵衛と一緒に山へ参ります!」
と宣言した。
「いやいや、藤花姫」
九尾が思わず苦笑する。しかし当の本人はいたって真剣である。
「兵衛一人に山を巡らせるなど、可哀想です」
「姫が一緒では目立つではないか」
「兵衛のように粗末な格好をすればよいでしょう?」
「粗末な格好をしたところで、その愛らしさは隠しきれん」
「なに、私はそこそこらしいゆえ、大丈夫」
よく分からないが藤花が自信満々に胸を張る。困ったなと九尾が頬を掻きながら兵衛を見た。
「どうする、兵衛?」
「どうもこうも、」
兵衛が呆れ口調でため息をつく。そして引っ込んでいろとばかりに藤花を見返した。
「あなたに可哀想などと言われるほど落ちぶれてはおりません」
「しかし──」
「邪魔で迷惑だと言っておるのです」
業を煮やした兵衛がぴしゃりと言った。藤花がぐっと言葉に詰まり押し黙る。
そして彼女は頬を膨らませると、口を尖らし、ぷいっとそっぽを向いた。気に入らない時に彼女が見せる仕草である。
ただ、そのつぶらな瞳が今にも泣き出しそうで、兵衛は(少し言い過ぎた)と後悔した。そして、その様子を見かねた九尾が「それでは、」と口を挟んだ。
「兵衛に報告させるというのはどうだろう?」
「は?」
「それは良い!」
顔をしかめる兵衛と満面の笑みを浮かべる藤花と、両極端な顔が二つ並んだ。
兵衛が「何を言っておいでか」と無言で主を睨むと、「頼む」と九尾に目で返されて、彼はしぶしぶ頷いた。
(また一つ、余計な仕事が……)
我が主は、女に甘い。老若かまわず、貴賤問わず。そしてそのしわ寄せがこちらに来る。
兵衛の気持ちも知らず、藤花は勝ち誇ったように兵衛に向き直った。
「では兵衛、毎日私に報告せよ」
「毎日?」
「当然じゃ」
「……それでは、式神にて報告いたします」
すかさず兵衛が答えると、藤花が「え?」と顔をしかめた。
「来てくれぬのか?」
「私も暇ではございません」
兵衛が素っ気なく鼻を鳴らす。藤花が再びむうっと頬を膨らませ、口を尖らし、ぷいっとそっぽを向く。しかしこれ以上はこちらも譲る気はない。
そもそも、藤花が鬼伯の姫君であるというのに気安いのだ。
兵衛の知っている
相手は阿の国北の領を統べる一族で、こちらはただの雑多なあやかしに過ぎないのだから。
しかし、藤花にはそれが当てはまらない。なんと自由な姫君かと思う反面、こちらから線を引かないと、すとんと懐に入って来られそうで落ち着かない。
兵衛は拗ねる横顔に向かって最後にもう一度念を押した。
「毎日、式神にて報告いたします」
そして、この場はこれにて一件落着となった。
それから兵衛は、連日のように北の領の山をめぐっていた。月夜の里の北東から西に向かって広がる連峰は険しく広い。中には緩やかな丘陵地もあるが、そのほとんどが急こう配の険しい山である。
兵衛の仕事は、まずは
そしてもう一つ、これは直接関係ないのだが、新しい
できるだけ月夜の里にも伏見谷にも近く、安定した道を見つけること。安定した道であれば、道に介入して新しい道筋を作ることもある程度はできる。しかし、言うのは簡単だが、そんな都合の良い御化筋がいくつもあるわけではない。
何より、この連峰を一人で内密に回るというのは思っている以上に大変だった。目立ってはいけないので、大きな式神を飛ばすなど派手な動きはできない。兵衛は時に猿の姿になって地道に山の探索を続けた。
藤花への報告は、約束通りきっちり毎日行った。式神のカラスに
文と言っても長々しいものではない。「危なくはないか」「大変ではないか」に始まり、「寒くはないか」「寂しくないか」とこちらを気遣う言葉が毎日届く。ある日、「腹は減っておらぬか」という文と一緒に不格好な握り飯をカラスが持ち帰って来た時には、兵衛は思わず吹き出した。
自分もこんなつまらない報告ではなく、何か気の利いたこと一つでも
ただ、握り飯が届いた時だけ「美味かった」と送り返した。すると、次の日もその次の日も大量の握り飯が届く事態になり、「あんなにも迷惑だ」と返したら、今度は握り飯がぴたりと止まった。
傷つけたかもしれないと、少し胸が痛くなった。どうにも上手く対応できない自分と、それでいて、いつの間にか藤花の文を楽しみにしている自分がいた。
今日は、藤花と訪れた
帰る道すがら河童が住む下流の沢に寄ると、川面から河童が嬉しそうに顔を出した。そして彼は、蛙のように川から岸辺へ飛び出てくると、兵衛の前にひれ伏した。
「お付き様、あんがとです」
河童は兵衛のことを藤花の
「儂は姫の付役ではない。ただの猿で、儂の主は九尾様だ」
「猿! 九尾様!」
河童が悲鳴のような声を上げる。そして、さらに頭を地面にこすりつけた。
「九尾様のお弟子様!」
「いちいち驚くな。あと、立ってくれ」
どうも、誰かにひれ伏されるのは性に合わない。自分は、こんな風に頭を下げられる者ではない。兵衛はおどおどする河童をなんとか無理やり立たせた。
「あれからどうだ?」
「
言って河童は、ぺこぺこと頭を下げた。そして突然、「あっ」と声を上げたかと思うと、いきなり川の中へぽちゃんと戻ってしまった。
何事かと待つことしばし、河童が何かを持って岸に戻ってきた。
「これ、おめも食べるです」
言いながら河童は水芭蕉の葉の包みを差し出した。開けると、そこにから透明のぷるぷるとした団子が現れた。
「水団子か」
「あい」
河童がにへっと笑った。一つ摘まんで口に放り入れると、団子がとろりと溶けて口の中に水草の爽やかな香りが広がった。
なるほど、美味い。
「これは、藤花様が好きそうだ」
すると、河童がつるりとした目をきらきらと輝かせた。
「この団子で、嫁御になってもえるでか」
口の中の団子を思わず吹き出しそうになる。それをなんとか止めて、兵衛は厳しい目で河童を睨んだ。
「まだ嫁などと言うておるのか」
「鬼姫様はうらにも優しい」
「だからと言って、嫁にはならぬ」
ぴしゃりと言うと、河童はひどく悲しそうな顔をした。そして、恨めしそうに兵衛を見る。しかし兵衛は、厳しい目を緩めず河童に言った。
「ゆくゆく藤花様は、しかるべき御方の元へ
河童がしゅんと小さくなる。
やれやれと呆れる一方、同時に、その言葉に自分自身もひどく動揺していることに気づく。にわかに気持ちがざわざわとし、兵衛は例えようもない居心地の悪さを感じた。
「まあ、そういうことだから諦めろ」
河童に向かって発した言葉は、まるで自分に対する戒めの言葉のようだ。
儂は、何を。
兵衛は自身の気持ちを誤魔化すように立ち上がった。すると、河童がもう一つ水芭蕉の葉の包みを差し出した。
「鬼姫様にもあげるです」
「藤花様にか?」
「あい!」
河童がさっきまでの落ち込みはどこへやら、にへっと屈託なく笑う。普通なら「このような物、姫は口にしない」と断るところだが、
「分かった。今夜、届けよう」
河童にそう答えると河童が嬉しそうに笑った。そして、なぜだか自分の気持ちも
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