持たぬ者、持てる者(4)

 兵衛が北の領の山を探索することを九尾が快諾したのには訳があった。

 一つは、近頃の九尾は月夜の里を度々訪れており、兵衛がこちらで動くことに支障がないこと。一つは、これを機に月夜の里と兵衛自身との繋がりを作っておきたいと九尾自身が考えていたこと。特に二つめの理由は大きかった。


 今までは阿の国に来ても、兵衛は里中で自由に待たせていた。この御座所おわすところに供として連れてきたのはつい最近になってからだ。本人は鬼と関わり合うことを渋っているが、彼の今後のためにもと九尾は無理やり従えさせた。


 そして藤花と兵衛が山遊びに行った日から数日後、再び月夜の里を訪れた九尾と兵衛は、奥院へ向かう途中で鬼武者と出くわした。


「おや、これは九尾様」


 頭に二本の角を戴き、月夜の鬼特有の深紫の瞳を意味ありげに細め、その男は笑った。濃紺の羅紗地らしゃじと裏地には金糸の刺繍を施した陣羽織を羽織り、黒髪を頭の高い所で無造作に結んでいる。そして腰には見事な装飾を施した太刀をいていた。


「ここ最近、いやに月夜へいらっしゃいますな。どういう風の吹き回しですか」

山守やまのかみ、鬼伯にいろいろと教えてもらいたいことがあってな」


 九尾がさらりと笑い返す。一方、兵衛は「山守やまのかみ」という言葉に内心驚きながらも、さっと膝をついてその場に控えた。


(こやつが、九洞くど旺知あきとも──)


 なるほど、二つ鬼でありながら山守やまのかみに抜擢されただけあって、その態度は自信に満ち溢れている。ただし、九尾に対する物言いはお世辞にも好意的とは思えない。

 兵衛は気取られぬようちらりと上目遣いで二つ鬼の様子を窺った。


 九尾がくだけた口調で彼に話しかけた。


九洞くど殿は、相変わらず派手だな。儂といい勝負よ」

「いえいえ、九尾様には敵いません。持っている刀一つとっても、私とは格が違う」


 おどけた様子で頭を下げつつ、旺知は九尾の腰に差した黒に近い朱塗りの鞘に納まった打刀うちがたなを見る。その品定めするがごとくの眼差しに、兵衛は少なからず不快感を覚える。


 九尾の刀は、ただの刀ではない。「ほむら」と呼ばれる彼にしか振るえない妖刀だ。自らの意思を持ち、振るう者の魂をかてとし、その刃はあやかしを食らう。

 下手な者がむやみに振るえば、その対価に身を焦がす。ここ月夜の鬼たちにも九尾の持つ妖刀は有名なものであった。一方、旺知の太刀は装飾こそ見事だが無駄に長大で、飾太刀かざたちではないかと兵衛は思うほどだ。


「ところで九尾様、」


 ふと旺知あきともが思い出したように呟いた。


「山での悪童わんらの悪行を伯にお伝えいただいたとのこと。この旺知の不徳の致すところ。誠にかたじけない」

「いや、たまたま気づいただけのこと」

「たまたま……。にしては、なかなか行くことはない山の奥ではありますがな。あのような場所で何をしていたのです?」


 今回の件は、あくまでも九尾が見つけてきたという話になっている。

 藤花を巻き込まず、そして兵衛の存在を隠すために影親と九尾の間でそう申し合わせをした。とは言え、なぜ見つけたのだという不自然さはどうしても残る。

 山守やまのかみの質問は、まさにその不自然さを指摘したものだ。


「山には旧知のあやかしがそこかしこにおるのでな」

「九尾様ともあろう御方が、山に住まう下等な者どもと知人とは」

「儂も狐、山こそ儂の故郷よ」


 鼻で笑う旺知に九尾が穏やかではあるがぴしゃりと言い返す。旺知は「それは失礼を」と形だけの謝罪をとった。


 当然ながら旺知は脇で控える従者になど目もくれない。鬼はあやかしの頂点であると自認する者たちにありがちな態度である。おそらく彼らにとって、鬼以外のあやかしなど雑多なむし雑蟲ぞうことさして変わりないのだ。


 そして彼は九尾と適当に言葉を二つ、三つ交わすと、「ではまた」と不遜な笑みを残し行ってしまった。


 ため息まじりに九尾がその後姿を見送る。そして山守やまのかみの姿が見えなくなった時、九尾は兵衛に声をかけた。


「兵衛、見たな?」

「はい」


 脇でじっと控えていた兵衛が小さく頷く。九尾は誰もいなくなった廊下の向こうをじっと見つめたまま、兵衛に質問を投げた。


「今のが山守やまのかみ九洞くど旺知あきとも。おまえ、どう見る?」

「……野心溢れる御方かと。あと、」

「あと?」

「まあ、分かりやすい」


 兵衛がどこか馬鹿にしたように付け加えると、九尾はかっかっかと笑った。


「相変わらず歯にきぬを着せぬ奴よ。一応、洞家どうけだぞ」

「聞かれたから答えたまでです」


 素っ気なく兵衛は言い返した。相手が鬼だろうが洞家だろうがこちらの知ったことではない。それが兵衛の本音だった。

 

 洞家とは、月夜のまつりごとの中枢を担う一族のことで、大昔、鬼たちが洞で生活していたことが呼ばれの始まりと言われている。次洞じとうを筆頭に九洞くどまで全部で八家あり、影親の前の代までは洞家はすべて一つ鬼だったと聞く。


 人と違い、姓などというものが存在せず、家というものにあまり固執しないあやかしにとって洞家は特別だ。

 洞家は必ずしも世襲制ではなく、実力のある一族に対し鬼伯によって与奪が行われる。そして現在、旺知は洞家末席の「九洞くど」を与えられ、名乗っているというわけだ。


 洞家は他のあやかしと違い姓と家に固執する。正確に言うと、今まで何も持たなかったあやかしが与えられることで、それに固執し始める。持つと惜しくなるのは、人の国でも阿の国でも変わらない常だ。


 何も持っていなかった兵衛には、その気持ちが痛いほど分かる。

 だってそうではないか。何一つ持ってはいなかったのだから。


「さあ、影親かげちかの元へ行くか」


 九尾がのんびりと言って、大きく伸びをする。兵衛は憧憬にも似た眼差しで主を見つめ、「はい」と小さく頷き返した。九尾に拾われ二十数年、地位や立場の違いこそあれ、兵衛は持たざる者から持てる者になった。


 だからこそ、同じように持てる者になった旺知あきともの気持ちが分かる。あれは、一皮むいた自分の姿だ。

 

 そして思う。自分はこれ以上持ってはいけないと。

 何かに固執しないように、欲深くならないように。自分が固執するのは、九尾と彼の住む伏見谷だけで十分だ。


 その時、


「九尾様!」


 屈託のない愛らしい声が響いた。ふと顔を上げると、満面の笑みをたたえた藤花がこちらを見ていた。


「いらせられませ」


 艶のある乳白の小袖に萌黄色の唐織の打掛を羽織り、美しく豊かな黒髪をゆったりと後ろで結んでいる。頭上に一本の角を戴いた鬼姫は、その宝玉のような深紫の瞳を人懐っこく細めた。


 そして、その可憐で華やかな容姿とは裏腹に、みっともないほど大きな足音を踏み鳴らしこちらにやって来る。


 最初から何もかも持っている者は、欲しがらないのだろうか。ふと兵衛は思う。


 河童の求婚に耳を傾け、こちらの不躾な態度にも本気で頬を膨らませてへそを曲げる。月詞つきことをまるで童歌のように口ずさみ、の饅頭を美味いと言って頬張る。


 その鬼姫の快活な足音は、このきらびやかな奥院にあって何物にも縛られず固執しない力強さをまとっていた。


「こちらに来ているのなら教えてくださりませ」

「藤花姫、ご機嫌麗しく。儂らも今しがた来たところだ」

「本当に? どうせまたこっそり帰るつもりだったのではありませんか?」


 のんびりと答える九尾に藤花が疑わしげな眼差しを返す。そして彼女は、次に兵衛に目を向けた。


「兵衛、久しぶりじゃ」

「は……」


 内心、うるさいのが来たと思いながら兵衛は軽く頭を下げる。しかし、その顔がわずかに綻んでいることに、九尾もはじめ当の本人でさえ気づいてはいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る