山遊び(5)

 悪臭と不浄の気が徐々に近づいて来る。

 これだけでも気分を悪くするには十分だった。しかし、その全貌が見え始めると、あまりの惨状に藤花は目を見張った。


 そこは崖に囲まれたすり鉢状になったところで、岩の隙間から流れ出る水が最も低い平らな場所に溜まって池のようになり、そこから川となって下流へと流れ出していた。

 その水が溜まった小さな池のほとりに、雑蟲ぞうこと呼ばれる雑多なあやかしの死骸が山と積まれていた。


 最初は、自分の目の中に入ってきたものが何なのか、藤花は理解できなかった。目を凝らして良く見ると、それが何かが分かり、血の気が引いた。

 手の平ほどの小さなむしから六尺はありそうな大きなものまで、さまざまな蟲が無惨な姿をさらしていた。

 手足を引きちぎられているもの、体を切断されているもの、中にはすり潰されたものまである。大量の蟲たちの体液が池に注がれ、それが不浄の流れとなって川に溶け込んでいた。


「これは──」


 耐えがたいほどの悪臭が鼻を突き、藤花は思わず袖先で鼻を覆った。それでも腹から込み上げてくる吐き気を止められず、彼女は「うっ」とえずいた。


「藤花様」


 兵衛がさっと彼女の頭を自分の胸に押し当てる。

 そして、もう見なくていいとばかりに彼女をぎゅっと抱き締めた。兵衛に包まれ、ほんの少し気持ちが落ち着く。


「離れましょう」

 すぐさま兵衛が言った。


「状況は大体分かりました。長居は無用です」

「駄目じゃ」


 もぞっと顔を上げ、蒼白な面持ちで藤花が言った。


「蟲と言えど、あのような無惨な姿を放ってはおけぬ。弔ってやらねば。せめて燃やしてやろう」

「それはいけません、藤花様」


 兵衛が諫め口調で言いながら首を左右に振る。


「ここを燃やせば、我らが来たことが知れてしまいます。お気持ちは分かりますが、ここは一旦戻りましょう。奴らはここで何かをしているようだ。それを含めて、山守やまのかみに対処させた方がいい」

「このまま引けと?」

「そうです。それが得策かと」


 そして兵衛は、そばで「生臭い! 悪童わんらの奴らめ!」とぶつぶつ唸っている河童に声をかけた。


「河童、おまえの訴えはよく分かった。それより、姫が気分を悪くなされた。この山には一面に花が咲いている場所があったが、ここから近いか?」


 河童がはっと唸るのを止め、心配そうに藤花を眺める。そして、ぱたぱたと足をばたつかせ、岩場の向こうを指差した。


「風の通る広い野原があるです。花も咲いていて、綺麗なところ」

「そう、そこだ。案内してくれるか」

「水場がないから、案内だけなら」

「それでいい」


 河童がぱたぱたとさらに上流へと登り始める。兵衛は腕の中で放心している藤花を気遣いつつ河童に続いた。

 



 淀みの池から川に沿ってごつごつとした険しい岩場を登りきり、そこから森の中を進む。ようやく山道のようなものを見つけ、道に沿ってさらに登る。

 ややして森が開け、広々とした野原に出た。山肌が緩やかな稜線を描き、みずみずしい若草が一面に生えたそこは、名もなき小花が可憐に咲き乱れている。爽やかな風が吹き抜け、藤花たちを優しく出迎えた。


 兵衛が適当な場所に藤花を降ろすと、彼女はその場にへたり込んだ。河童が藤花の様子を気にしつつも、頭の皿をなでる。


「ここは水がない。うらは帰るです」


 藤花は頑張って青い顔を上げて河童に笑顔を返した。


「河童、すまぬ。迷惑をかけた。川は必ずなんとかするゆえ、もう少し我慢してくれるか」

「あい」


 愛想よくにへっと笑い、河童が何度も頭を下げる。そして彼は足取りも軽く沢へと帰っていった。

 河童の姿が見えなくなって、藤花は大きく息をつく。


「およそ、命ある者の所業とは思えぬ」


 一人呟くように言いながら固く目を閉じる。大地の恩恵を受けてこその命。その大地を穢すような真似をするなど、自らの命を冒とくしていることと同じだ。


「ただの悪戯いたずらではありますまい」


 兵衛が藤花の隣に座る。


むくろの数も多すぎるし、中には共喰いのようなものもあった。蠱毒こどくかもしれません」


 蠱毒とは、毒草と雑蟲ぞうこを合わせて作る呪いの毒のことだ。人はもとより、霊力の高いあやかしにも効く代物である。しかし、調合にはそれなりの知識が必要で、誰でも作れるものではない。ましてや、


「蠱毒? あの知恵のない悪童わんらが?」


 信じられないと藤花が呟く。悪童わんらごときが十人集まろうが、百人集まろうが作れるとは思えない。兵衛も難しい顔をした。


「さあ、分かりません。調べる必要があるでしょう。帰って鬼伯にご相談を」


 そして彼は腰にぶら下げた竹筒を藤花に差し出した。


「この話はここまでです。ひとまず水をお飲みください」

「……ありがとう」


 酷いものを見て、喉がひりひりと焼けるように渇いていた。

 遠慮なく受け取り、ごくごくと喉を鳴らす。ひんやりした水が体にしみわたり、淀んでいた気持ちがすっと洗い流される。さらにもう一飲み。唇から零れる水を手の甲でぬぐったところで、彼女は兵衛の視線に気づいた。兵衛が満足げに笑った。


「安心しました。姫とは思えないほどのいい飲みっぷりで」


 率直な言葉と安堵の笑みから彼が心配してくれていることが分かる。しかし、「いい飲みっぷり」と言われ、藤花は褒められた気がしない。むしろ馬鹿にされた気分だ。


「もう、いらぬっ」


 藤花は竹筒を突き返した。恥ずかしい気持ちでいっぱいになって、彼からぷいっと顔をそむける。おかげで喉は潤ったが、まだ体はなんとなく気だるい。

 本当ならこのままごろんと横になりたいところだが、今は兵衛がいるので我慢する。


 すると、


「横になられては?」


 兵衛がこちらの気持ちを見透かしたように言った。藤花はどぎまぎしながら答えた。


「と、殿方の前で横になるほど行儀知らずではない」

「しかし、まだ顔が青い。座っているのも疲れるでしょう」


 その通りだ。

 とは言え、やはり男の前で無防備に横になるのは躊躇ためらわれる。それで藤花が迷っていると、兵衛が困った顔をした。


「姫、申し訳ありませんが……」

「なんじゃ?」

「私にも好みというものがありまして」

「そっ、それぐらい、分かっておるっ」


 この男はどこまでも失礼を極めるつもりだ。

 藤花は頬をぷうっと膨らませると、そのままごろんと横になり彼に背を向けた。

 もう知らん。口もききたくない。


 ぎゅっと目を閉じて、今日あった面倒ごとのあれもこれも全部彼のせいにしてしまおうなどと考える。

 しばらくの沈黙。しかしややして、藤花はおずおずと口を開いた。


「……兵衛、おまえの好みとはいかなるものか?」


 思わず気になり彼に尋ねると、さすがの兵衛も声を上げて笑った。藤花が顔を真っ赤にしながら体を捻り兵衛を睨む。


「兵衛!!」

「私の好みは、」


 兵衛が笑いまじりに答える。


「男の前でごろんと横になどならぬ女でございます」

「!」


 それでもう藤花は怒り心頭となって、再び彼に背を向けたのだった。

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