鬼の里(3)

 知らぬ相手に「誰だ」だの「角がない」だのと、少しぶしつけ過ぎたかなと藤花は思った。

 しかし、思ったことはすぐに口に出してしまう性質たちである。

 案の定、目の前の男は不機嫌そうに視線を落とし押し黙った。


(あ、怒ってしまった)


 藤花は内心舌打ちをした。

 ぶしつけなのは確かにまずかった。兄や姉にも、興味本位でずけずけと相手の詮索をしないようにと言われている。

 深芳のいつもの「やり直しなされ」という言葉が頭に浮かんだ。

 藤花はやり直すことにした。


「すまぬ、ぶしつけ過ぎた。見たことがない顔ゆえ気になった」


 謝罪の言葉を添えて、下手に出てみる。

 男の顔が少し和らいだ。

 しかし、そこまでである。固く結ばれた口は、開く気配さえない。


(なんと頑固な)


 こちらは譲ってやったというのに、歩み寄ろうともしてくれないなんて。

 それで藤花もこれ以上は言うことがなくなり、かと言って、このまま立ち去る気にもなれず、黙って彼を見つめ続けた。

 すると、藤花に根負けしたのか、ようやく真一文字に結んだ口元が開いた。


「私は猿にございます」


「猿!」


 なるほど、どうりで角がないはずだ。

 藤花は彼の顔をまじまじと見た。


「猿は名前ではない。名は?」

「……申し上げるほどのものではございません」

「私には名乗れぬと申すか」


 藤花がむっと顔をしかめる。

 しかし彼は、彼女以上の仏頂面を藤花に返し、そっぽを向いた。

 その態度から「早くどこかへ行ってしまえ」と暗に言われていることが分かる。

 藤花は意地になって彼の片膝の上にどかりと座った。


「名乗るまで動かぬ」


 膝の上に座り込まれ、さすがの猿の男も目を白黒させた。

 そして、周囲を気にしながら短く「降りろ」と呟いた。


「ふむ。私に降りろとは、また尊大な物言いじゃ」

「……かようなはしたない姿を誰かに見られでもしたら、あなたに傷が付きましょう」


 あくまでも表面上はうやうやしいその態度が鼻につく。

 完全にこちらを馬鹿にしている。

 いよいよ藤花も意地になった。


「名を聞くまで絶対に降りぬ。名乗れば済む話ぞ」


 大きなため息がひとつ。ややして、男は呆れた口調で答えた。


百日紅さるすべり兵衛ひょうえにございます」

「兵衛、良い名じゃ」


 藤花が満足げに笑った。兵衛が落ち着き払った声で「さあ」と藤花を促す。


「名乗りましたゆえ、お立ちください」

「まだ私が名乗っておらぬ」


 すかさず藤花は言い返した。兵衛が「はい?」と困惑した顔をする。

 これは、名をすぐに教えてくれなかったお返しだ。

 藤花は迷惑極まりないという顔をする彼の膝の上で、さらにもったいぶって首を傾げた。


「知りたいか?」


「私には必要ありません」


 半ば苛立ちさえこもる調子で間髪入れず返ってくる。


「では、私を呼ぶ時はどうするのじゃ?」

「姫とお呼びすれば、それで十分かと」

「姫が何人もいたらどうする?」

「その時は、お呼びしません」


 これでもかというほど素っ気ない。藤花は頬をぷうっと膨らませた。


「おまえが怒っておるのは十分に分かった。でも、そこまで冷たくせずともよいではないか」


 すると、兵衛がほんのわずか、ふっと笑った。

 藤花はそれを見逃さなかった。


「兵衛、今笑ったな」

「……早う、降りてください」


 しかし兵衛はすぐに口をへの字に結び直し、業を煮やした様子で立ち上がった。


「きゃっ!」


 藤花は彼の膝から滑り落ち無様に地面に転がった。

 そんな藤花を兵衛は涼しい顔で見下ろした。


「お立ちください」

「おまえが急に立ち上がるから──!」

「あなたがさっさと降りないからです」


 兵衛が藤花の両脇を抱えひょいっと持ち上げる。

 その思った以上に大きな手に藤花はどきりとする。

 彼は藤花を立たせると、もうこれでおしまいだと言わんばかりにそっぽを向いた。


「……」


 なんと、立たせてくれた。

 つっけんどんだが、わざわざ立たせてくれるなど、意外に優しい。

 決して見目麗しい美丈夫というわけではなかった。しかし、その精悍な横顔は不思議と藤花を惹きつけた。


 そんな藤花を兵衛はどこまでも迷惑そうに顔をしかめて見返した。


「さあ、行ってください」

「藤花じゃ。おまえは、ここで何をしておる?」


 兵衛のお願いを全く無視して、彼女は名乗ると同時に彼に尋ねた。


あるじを待っております」

あるじ……」

「人の国は伏見谷ふしみだにの狐にございます」

「伏見谷──、九尾様か。来ておられるのか」


 九尾とは、その名を世に轟かせている人の国に住む大妖狐である。父とは旧知の仲だ。

 そういうことなら、こんなところに猿がいるのも納得がいく。


「九尾様は弟子などおらぬとおっしゃっておった。兵衛、いついかように九尾様にお仕えするようになったのじゃ」

「……よく喋る奴よ。いい加減にしろ」


 怒気をはらみ、兵衛が唸るように言った。


「おまえになど関係ない。話す義理もない」


 ピシャリと言われ、鳶色の目で睨まれる。藤花はびくっと顔を強張らせ、言葉を飲み込んだ。明らかに詮索し過ぎた。

 しまった、と思ったところでもう遅い。

 この男は、鬼のことなどなんとも思っていない。むしろ、嫌悪さえ感じているのではないか。

 初めて向けられた敵意にも似た感情に藤花は戸惑った。


 その時、頭上で声がした。


「二人で何をしておる?」


 ふと声がした方に目を向けると、渡殿わたどのに二人の殿方が立っていた。

 一人は白い小袖に藍の肩衣袴かたぎぬはかまの姿で、兄・清影を老けさせた容貌の鬼、もう一人は亜麻色の長い髪をさらりと揺らし、華やかで大柄の陣羽織が良く似合う今様の人間風情な男である。

 藤花の父・影親と、大妖狐・九尾その人だ。


「父上、九尾様、」


 藤花が慌てて頭を下げる。

 兵衛もさっと膝をつき、その場に控え直す。影親は、穏やかな笑みを浮かべながら藤花に話しかけた。


「このようなところで何をしておる。裸足で庭に出ておるのか」

「この者と話をしておりました」


 藤花が悪びれる様子もなく答えると、影親は呆れたように肩をすくめた。彼の隣で九尾が亜麻色の前髪の間から薄墨色の目を覗かせた。


「姫、何か無礼があったか?」

「ありまくりです」


 即座に藤花が答える。九尾がなんとも言えない顔をして苦笑した。


「そいつは儂の弟子みたいなもんだ。許してもらいたい」

「九尾様は弟子をお取りにならないと聞いております」

「弟子みたいなもんだが、弟子ではない。こやつは特別なのよ」


 九尾の言葉に、じっと控える兵衛の顔がほんのわずかほころぶ。藤花は内心むっとした。

 私がどんなに話しかけてもにこりともしないというのに!


「九尾様、この者は猿だと聞きました」

「ふむ、確かにそうだが?」

「ならば、山に詳しいでしょう?」


 藤花の真意が読めず、九尾が怪訝な顔をしながら頷き返す。藤花は満足そうに笑った。


「今度、九尾様がこちらに遊びに来た際、この者を借りてもよろしいか。山を案内してもらいたい」


 すると、九尾が答える前に兵衛が「は?」と顔をしかめた。


「なぜ儂が──、いや、この猿が姫のりなど」

「守りではない。案内と護衛じゃ」

「それを守りというのだ」


 刹那、九尾がかっかっかと声を上げて笑った。


「いいではないか。兵衛、付き合ってやれ」

「お屋形様!」


 顔を引きつらせ、兵衛が悲鳴のような声を上げる。

 あの彫刻が慌てておる。

 藤花はしてやったりとばかりに、にんまり笑った。



 

 御座所おわすところからの帰り道、兵衛は憮然とした顔で九尾に従い歩いていた。その様子をちらりと横目で窺いながら九尾が兵衛に話しかける。


「藤花姫と何かあったか?」

「何もございません。猿が物珍しかったのでございましょう」

「ふふ、そうか」


 九尾がおかしそうに笑う。兵衛は怪訝な顔をした。


「何か?」

「いやなに、おまえが面前であからさまに嫌な顔をするのを初めて見たと思ってな」

「そうですか?」

「そうだとも」

 

九尾が再び我慢できずに笑い声を漏らした。


「姫には感謝せねば。良いものを見せてもらった」


 それで兵衛はいよいよ苦虫を噛み潰したような顔をすることになった。

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