叶わぬ恋(4)
千紫の話は、あの謀反の夜のことから始まった。
まずは、
それから、御前会で歌競いに出ていた娘たちの虐殺や、殺した者の
深芳は思わず千紫に詰め寄り、そのか細い肩を抱いた。
「おまえは何も悪くない」
「見ていることしかできぬ私は同罪じゃ」
「思い詰めるな」
言って深芳は千紫の肩を何度も撫でる。
千紫は、自分よりずっと真面目で情に厚く、そして
その能力の高さゆえに、今の難事を乗り越えているだけに過ぎない。決して彼女が傷ついていない訳ではない。
そして最後は千紫と成旺の関係に思いがいく。
傷つき弱った心に、
「……それで、父上様や兄上様は?」
「それぞれ里の外れにある座敷牢に。旺知がまだぴりぴりしていて、側近の者以外近づけぬ。私の息のかかった者を関わらせたいが、今はまだ時期を伺っているところじゃ。藤花は東の端にある屋敷に移した。屋敷から出ることは許されぬが、初音も一緒ゆえ、こちらは心配ない」
「そうか、」
ひとまず全員が生きていることに安堵する。しかし、まだまだ予断を許さない状況であることは間違いない。
千紫が申し訳なさそうに頭を下げた。
「満足のいく処遇ではないだろうが許してほしい」
「……千紫はもう十分やっておる」
深芳が彼女をぎゅっと抱き締めると、千紫がことりと頭を預けてきた。その様子から、彼女がこの十日間どれだけ気を張り詰めていたかが分かる。
ひとしきり抱き締めた後、深芳はそろりと体を離した。
「千紫、私はいいから成旺殿に甘えてきやれ」
悔しいが、慰め役を成旺に譲る。あの男が今、彼女の支えとなっていることに違いはなく、そこは認めざるを得ない。
すると、千紫が物言いたげな目を深芳に向けた。
「どうした?」
「……おまえが
千紫が不満げに呟く。
深芳がまだ成旺を認めていないことを気にしているようだ。しかし、こちらも譲る気はなく、さらに言うなら、成旺の件で千紫と話し合う気はもうない。
深芳は苦笑した。
「先日は言い過ぎた。あまりにおまえの負担が大き過ぎるゆえ、この屋敷で傍観している成旺殿に怒りが向いた」
「成旺様はなしゆえ表に立って動く立場にない。だから、私が動くしかない」
千紫が言い訳めいた口調になる。
深芳は優しく頷き返した。そして、茶化すように目を細める。
「おまえは話をしないと気にするが、ならば、私と成旺殿が毎日を共にして仲睦まじくしていれば、それでいいのかえ?」
「そ、それは──、駄目じゃ」
すかさず千紫が反応した。その慌てる様子が、普段の凛とした千紫の姿からはほど遠く可愛いらしい。深芳は「ふふふ」と笑った。
「ならば、これで良い。無視をしているわけではない。あちらもこちらも話す必要がないから話さないだけじゃ」
そして深芳は、「さあ、行って」と千紫を促した。千紫が深芳に追い立てられる形で立ち上がった。
「深芳は一緒に来ぬか?」
「二人の邪魔はしとうない」
見たくないと言った方が本当は正しいのだが。
千紫は少し残念そうな表情を見せた。しかしすぐ、それを笑顔に変えた。もう、心は成旺へと向かっているようだった。
「帰りにまた寄る」
「分かった。──千紫、」
深芳が千紫を呼び止める。千紫が振り返り、「なんぞ?」と首を傾げた。深芳は、そんな彼女に笑いかけた。
「おまえは私を自分のものだと言ったが──。千紫、おまえも私のものじゃ」
そう言うと、千紫は「何を突然」と戸惑いながらも、はにかんだ笑みを深芳に返した。そして彼女は
書院では、いつものとおり
「成旺様、」
千紫が部屋に入って声をかけると、成旺の穏やかな笑みが彼女を出迎えた。千紫はいそいそと成旺の隣に座った。すると、成旺がそのまま彼女を抱き上げて膝の上に乗せた。
「疲れておらぬか?」
「大丈夫です。先ほど深芳にも心配されました」
千紫の体から普段と違う香りが微かにする。
爽やかで甘い沈丁花に似た匂い、これは深芳の匂いだ。成旺はその匂いを断つように彼女の首筋に唇を添わせた。
「本当に油断も隙もないな」
初めて会った時は、里一と謳われる美しい容貌に息も飲んだが、あれはまさに沈丁花のような女だ。甘い香りと可憐な花弁に誘われて口にすると、その猛毒にやられてしまう。
「何がです?」
「千の友人のことだ。彼女は私から千を奪うつもりかな?」
冗談混じりに成旺が言うと、千紫が苦笑した。
「奪うも何も、争い合う対象ではないでしょう? それとも、まさか深芳に焼きもちですか?」
「……ああ、本当に。そうかもしれないな」
成旺がいつになく性急に千紫を求め出す。ふと、彼の頭の中に「せいぜい千紫を可愛がれ」という深芳の言葉がよぎった。
言われなくても、と成旺は思う。誰かに干渉されことなど、一度だってないのだから。
千紫が旺知の妻であり、夜な夜なその役目を果たしていると分かっていても腹は立たない。しかし、千紫が付けてきた深芳の匂いにはなぜだか腹が立った。
「今日は手加減なしだ」
こんな風に感情を相手にぶつけること自体、成旺にとっては珍しい。彼は戸惑う千紫を押し倒し、そのまま深く口づけた。
言葉通り、今日の
最初は、遠慮がちに声を抑えていた千紫も、途中から何も考えられなくなり、気がつくと感じるままに乱れる自分がいた。
ひとしきり成旺に愛された後、しばしの間その余韻に浸る。油断をすると、成旺の腕の中で意識を手放しそうになる。自分が思っている以上に体は疲れているようだった。
「今日はこのまま少しここで休んでいけばいい」
脱いだ着物を布団代わりに手繰り寄せて成旺が千紫にかけた。
まどろみ始めた千紫は、悔しそうに口をへの字に曲げる。せっかくの二人の時間を昼寝に使うなんてもったいない。
「起きるまで抱き締めていてあげるから。目が覚めたら、
「……御座所では新たな洞家が決まり、一つ鬼は全て洞家を召し上げられました。旺知に
「千、いいから寝なさい」
往生際悪く話し続ける千紫の言葉を途中で遮り、彼女の髪を成旺が優しくなでる。
だってもったいないのだもの、と思いながらもその大きな手に千紫は心が落ち着く。交わりの後の気だるさもあって、彼女はすうっと眠りに落ちた。
旧体制から洞家を引き継いだのは
月夜を動かしたくば、まずは奥から──。
そう言われるほど千紫の存在が大きくなっていくのは、もう少し先の話である。
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