第16話 終焉
ラリッツ・アパートの書斎。
サミュエルとロバートはいつもの様にレモネードを手にソファーに座っていた。
あのとき―アイラー・グリフィスとピル・オトが風とともに消えた瞬間、たしかに町の人はいたが誰も気にも留めていなかった。いつも通りの生活を行い、人は行き交っていった。
エミリーをエレノアともども送り届けた。―今日はエレノアはエミリーの家に泊まるのだと言い、二人を置いて帰ってきたのだ―。
「アイラーは本気でオリバー・ジャクソンの恋人がエミリーだと思っていたんだね。驚いたよ」
ロバートがそう言ってレモネードを飲む。飲んでいるコップの向こうでこちらを見ているサミュエルに首を傾げる。
「なんだい?」とロバート。
「一体、なぜロバートに化けているんです? タニクラ ナル? 返答によっては許しませんよ」
ロバート? が驚いたような顔をしたがくすくす笑い、
「いつから気付いていた?」と言った。
「はっきりと解ったのは、エレノアが突飛ばされたのに犯人を追いかけた時ですよ。ロバートならエレノアの介抱に行くでしょうからね。まぁ、我々が追いかけようとしたのを見て、あなたの図体のでかい友達がエレノアのほうに向かったので、僕も犯人を追いかけたが、」
「ふむ……そこまでは気付かなかった?」と楽しげに聞く、
「いや、薄々はおかしいと思っていましたよ」
「本当に?」
「ええ。ロバートが来ているのにエレノアが毎日来ないこと。ライト君やホッパー警部もあなたに何かしらの違和感を感じたこと。ジェームズもマルガリタも不審に思っていること。そのほかにもいろいろと、」
ロバート? は背もたれに寄りかかり納得すると、ふっと笑い、瞬間なにも施さなくても少女の顔になった。サミュエルはやはり、というか、ますます腹立たしそうな顔をした。
「ロバートはどこです?」
「安心したまえ、彼は彼の田舎でいい領主をしているさ。彼は、一切出てきてはいないよ」
と言った少女、タニクラ ナルをサミュエルがにらみつける。
「怖いねぇ。ほんと、怖いわぁ」
「質の悪い変装ですよ。なぜあなたのままでいないのですか?」
「なぜ? それはあたしだからだよ」
タニクラ ナルはそう言ってレモネードを飲む。
「あの鏡は私が長年ずっと追っている妖魔の一つだった。だけども、どのタイミングか、どんな感知方法か知らないが、あたしが近づくと必ず姿を消しやがった。あたしじゃあいつを捕まえられない。だから、いろんな国にいるあたしが見込んだ連中にどうにかさせようと思ったわけだよ。ちょうど、宋国にあるらしいと情報が入ったんで、
「それなら言ってくれたら、」
「言えば、少なくてもどこかに、ロバートの姿をしたタニクラ ナルという意識で接するだろう? それじゃぁ、逃げちまうんだよ。現に、二度逃げたからね」
サミュエルは気に入らないが納得する。
「だが、そこまでして捜していたものなのですか? それほど危ない印象はなかったけれど?」
「今回はたまたま独占欲が強い人だからそれほど大きくはなかったんだよ。とはいえ、人は死んでしまったじゃないか。だが、あれのせいで戦争なんてものが起こってごらんよ。刑事責任。なんて小さい裁判じゃぁ裁けない正義が生まれる。そんなこと望まないだろう? だが、あの鏡にはそれを起こしちまう力があったんだ」
「おとぎ話では、青年が自分を見てほしいために作ったんですよね? 欲望の塊だというならば、好きな相手に振り向いて欲しいというものが発端で、人を殺したいや、戦争になどへは移行しない気がしますが?」
「そうさ。鏡の中に自分が入り込めば、彼女が鏡を見ている間はずっと自分を見ていることになる。と考えてね。
だが、あいにくと、鏡は彼女の手には渡らなかった」
「渡らなかったんですか?」
「ああ。渡ってない。だから欲望がねじ曲がっちまったのさ。彼女に見つめてもらいたいのに彼女にすら届かない。命を懸けて作ったのに。恨めしい、彼女も、全ても、失明して作った彫刻の鏡だ。そもそも彫刻家ならば失明しても作れたかもしれない。だが、彼は、彫刻家でもなんでもない、ただの農夫だ。不格好な鏡が、公爵夫人の手に渡るはずがないだろう?」
「公爵夫人?」
「ああ、もともとは娼婦さ。だが、公爵に見初められ、公爵家へ入った。すごい女なんだよ。強欲で男を取り込む力はすごかった。だがその分恨みを買い、ある時、従順な農家の奥方を殺人鬼へと変えてしまった。最後はむごたらしい死にざまだったねぇ。
そん時も、あまりいい気分のしない物の痕跡をたどって向かったが、鏡はすでに無くなっていた。
あの鏡は強欲な人間が保有することで禍々しい力を発する。だから、無欲だったり、あまり欲の強くないものが持っても力を発揮しない。だから、数年、数十年と姿を消してしまうことだってよくあった。
最初のころは、あの鏡も人間を呼び寄せる力は弱く、持ち主次第では大人しい鏡だったが、最近では、人の怨念なんかが溜まりに溜まったんだろうね。鏡が人を呼び寄せ始めた。
あの鏡を持ったものの周りで不幸が起これば起こるほどあの鏡に力が宿る。そうなってから痕跡をたどって動くからいつも間に合わないんだ。
あの鏡が最終的に何を望んでいるかなど分からない。鏡なので、しゃべれないからね。だが、人が不幸になったり、殺戮が行われたりすると、嬉々として美しくなる。
最初は木彫りの手鏡というには粗末な、丸太に鏡をはっつけたようなものが、今ではこれほど芸術的彫刻が施された手鏡になっている。
この美しさから人々はこれを購入しようとした。美しい鏡と裏腹に、しっかりと闇のうわさもあるこの鏡を手に入れようとする連中は多くて、君の知り合いのピル・オトなどがいい例だよ。
奴は、女王を殺そうと鏡を欲しがっていた。だが、用心深い性格の男は、ありとあらゆる欲を試してみた。最初は、まぁ、容姿がよくなればいいとか、金が欲しいとかの程度だっただろう。
欲望が満たされると、次は、他者に対しての影響を試してみたくなる。
以前奴を振った女を振り向かせたり、馬鹿にしたものに
力を試すだけで自分の体力がなくなっていることに気づくのが遅かった。あの状態で王位継承権を引き継げるとは思えない。それでも、奴は、王位継承権を狙っていたようだがね」
タニクラ ナルはそう言って新しく注いだレモネードを口に含む。
「おいしい、こっちははちみつ入りだね。マルガリタの料理上手を見ると、うちに連れて帰りたくなるよ」
タニクラ ナルがサミュエルに首を傾ける。
「ロバートなら、おいしいというかもしれないが、美味い。と言いそうだと思ってね」とサミュエル。
「……なるほど、そうだな。勉強不足だった。まぁ、急遽成り済まそうと思ったからね。だって、ロバートは今忙しそうだったんだよ、村のほうで何やら厄介ごとがあったようでね。あの状態で村から出すのは悪いなぁと思ってね」
「お心遣い恐縮です」
「思ってないくせにぃ」と笑う。
「でもよかったよ。早めに片付いたからね。他に質問はあるかい?」
「今後も、そうやってロバートに成りすましてやって来ることがあるんですか?」
「そうだなぁ。楽しかったが、いろいろ不備もあったよ。特にジェームズなんかは、君に危害を加えないと解るまでは警戒がひどかった。マルガリタはいまだにあまり干渉しないしね。でも楽しかったから、またやってもいいが、君のその顔を見ると怖いので、今は、無いと思う」
「今は?」
「いろいろと探しているものはまだいくつもある。その中には今回のように逃げる奴もいる。だからその時はね。解らないけども」
サミュエルが不満そうな顔をする。
「もう質問はない? 無ければ聞いていいかい? ロバートだと見抜いたその他いろいろのことを。今後の参考にしたい、」
サミュエルは少し考え、
「うまく言葉に言い表せませんが、あなたはずっといたずらだと言っていた」
「あぁ、その方が君が動くからね。ロバートが否定的であればあるほど気分が乗ってくる? 違うかい?」
「……そうですね。確かに。でも、本当のロバートは、いたずらだと思ったら、いたずらかもしれないね? と疑問を投げかけるだけです。ずっと、非協力的だったから、いや、思考をまとめようとすればするたびに、あなたはいたずらだと邪魔をした。ロバートでは考えられないような行為だ。
あなたが途中から事件が面白くなってきた。と言った時でも、やはりいたずらか、それとも偶然か。というニュアンスだった。だが、どれもロバートっぽくなかったんですよ。
彼は、僕が危ない時でも協力してくれたが、あなたはしてくれなかった。まるで僕は孤軍奮闘しているような感傷的になり、思考が進まなかった。
あの時、もしロバートがいたら。とロバートではないと解った今なら思うけど、あの時は、ただ一人で考えていたことで疲れも出ていたのだと思う」
「確かに、今回の君の頭はなかなか動かなかった。だが、安心したまえよ、あたしの頭はそれ以上に動かないから。
君が不調だったのはあたしのせいもあるだろうね」
「さっき、各国に自分の後継者を置いたと言いましたが、宋国では、僕ですか?」
サミュエの言葉にタニクラ ナルは微笑み。
「そうだね、だが、大都会宗国でも、あたしの波長に合うのは、数名いるが、君ほど頭がよく、順応してくれる人はいなかった」
「……ではまた、妖魔が出てくると?」
「さぁね。そこまでは解らないよ。だが、あたしから逃げる厄介な奴や、どうしてもあたしじゃなきゃダメな場合を除けば、君と、ロバートで大丈夫だと思うよ」
サミュエルは迷惑そうなため息をこぼした。
「そう言うな、君は、いつだって、わりと楽しそうだよ」
そういうとタニクラ ナルは立ち上がる。サミュエルも立ち上がろうとするその額に手を翳し、
「お疲れさま」
とつぶやくと、サミュエルは正体なさげに崩れ落ち、そのまま眠った。
タニクラ ナルは夏の夜へと出た。そこには下僕である
「ご苦労様でした」
「楽しかったよ。なかなかサミュエルの観察眼は鋭かったね」
加寧が差し出している銀の箱に鏡を片付けながら、馬車に乗り込む。加寧は御者台に乗り、馬車を動かした。
それは、まだ暑さの残る、8月の夜のことだった。
魔法の鏡~一大陸七国物語 宋国物語4 松浦 由香 @yuka_matuura
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