第15話 許せないから
その日は、夏らしくないどんよりとした曇り空で、湿度が高く、蒸し暑いくせに、妙に寒気がするような朝を迎えた。
10時にエミリー宅へ行くと、エミリーはひどく顔色が悪そうだった。エミリーから話を聞いていたエレノアはすでに居て、付き添いを買ってでてくれた。
11時に間に合うように歩いて近所の教会へ行く。すでに近所の住人や、オリビアの知人などが集まってきていた。
二人の叔母という人とも、エミリーの友人として簡素にあいさつをした。
エミリーは体調不良だからと、親族席にエレノアも付き添いで座る。
式は厳粛に、厳かに執り行われた。
「式は無事に終わったね。あとは会食だが、気を抜けないね」
というロバートに、サミュエルは首を振り、
「この前も言ったが、妖魔というのは、十字架なのか、銀なのかが苦手なんだよ。教会は十字架のおひざ元だよ、危ないのは、あの柵を出たところだよ」
とサミュエルが向いたほうを見れば、遠目にピル・オトの姿を見つけた。
「あいつ、捕まえようか?」
「なんの権利があってだい?」
「なんのって、」
「彼は自分の鏡を取り返したいだけなんだ。エミリーを狙っているわけはないよ。ただ、なぜ彼がエミリーに鏡を渡したいのかは不明だがね」
ロバートは不服そうに唸った。
11時半になってサンドイッチなどが食べられる会食が、教会の隣の集会場で行われ、談笑などをして12時半には終了した。
「いいお式だったわ」とか「オリビアは天に召されたわ」などと言って近所の人が帰っていく。
最後に、神父に礼を行ってエミリーは帰る。
サミュエルとロバート、エレノアが頷きあい、緊張が走る。
「柵を超えたらどうなるか解らないよ」とロバート
「どうなるかって、どうなるというのですの?」エミリアが小声で聞く。
「アイラー・グリフィスの願いはエミリーの死だ。そう願って近づいてくるだろう。鏡を翳してくるか、単純にナイフを持ってくるか。その時、ピル・オトも鏡を奪いに出てくるだろう。そうすると三つ巴になる。そうならないように、エミリーを回避させなければいけない。
エレノアはエミリーに寄り添っていてくれたまえ、ロバートは少し前を、僕は少し後ろを歩く。皆、鏡を見ないようにするんだ。いいね?」
サミュエルの言葉にうなずき合った。
緊張からか、咽喉の奥が急に乾いてきた。足取りが激しく重い。エミリーと手を握り合っているエレノアは、エミリーの手の汗を感じていたし、小刻みに震えているのも分かった。エレノアは息を整え、気丈にエミリーの肩を抱きしめ、支えた。
柵まではそれほどない敷地なのだから、あっという間に柵に近づいたが、それを越す勇気が持てなかった。だからと言って、このままここに留まることもできず、エミリーは覚悟を決めて一歩を出す。
「なんで、お前は生きてるんだー」
ものすごい声とともにアイラーが走りながら叫んでいる。
アイラーはあの時よりもさらに老けたように感じる。赤茶けてしまった髪はばさばさでみっともなく広がっていたし、顔には深くしわができ、肌の色は土気色をしていた。指などは針金のように細く骨ばっていた。
「私の、私のオリバーをよくも殺したね。お前を殺すために鏡を送ったのに。なんで、なんで彼が、彼が鏡を見るんだ。お前が、そうしろと言ったんだろう。解ってるんだ、お前がこの鏡の能力を知っていることを。だが、もう、許さない。これで終わりだ、エミリー・スミス! 死んでしまえ」
アイラーが鏡をエミリーに向ける。
サミュエルがエミリーとエレノアを後ろから抱きしめるように頭を押さえつける。
翳した鏡の前にロバートが入り込む。
「無意味」
ロバートの冷たく、小さい声が、やけにあたりに響いた。それは、その場に絶対零度にも似た氷の槍を降らせたような冷気を伴い、辺り一面に生存するものすべてを凍てつかせるようなものだった。
直後、アイラーは絶叫を上げ鏡を手放す。そして顔を抑えながらくるくると崩れ落ちのたうち回り、最後には灰となって骨もろとも風に乗って消えた。
ピル・オトがよろよろと近づいてくる前に、ロバートが鏡を踏みつける。鏡面側が鈍い音を立てて割れた。そしてロバートの足元から黒い靄が立ち上った。
ピル・オトも絶叫を上げ膝から崩れ落ちると、風にそのすべてが吹かれて消えていった。
「ロバート、」
ロバートがサミュエルたちを振り返る。
そのゾッとするような別人の顔をサミュエルは忘れないだろう。
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