第5話  懇 願

 薬捨て場が近づいてきたのか鼻にツンとくる臭いが漂ってきた。


 ヒュイはしかめっ面で口と鼻を厚い布で押さえ、立ち止まった。


 そしてセイナに向き直ると、空いてる方の手で行くべき方向をツンツン指差した。

 

 それに頷いたセイナが駆け足でその先へ消えていく。

 

 薬捨て場は、うっすらと霧がかかってるような状態で、破損したモニターやデスク、ラックなどが散乱しており、またそれらに混じって研究用の機材らしき巨大な金属の箱が何個か転がっていた。

 

 それらを見たセイナの脳裏に、宇宙ステーションの研究室や、十三人會の顔ぶれが浮かび上がった。

 それに驚いたセイナが慌てて頭を左右に振る。

 

 ジャリジャリと注射やフラスコなどのなれの果てであろう、破片を踏みしだきながらセイナはウィルの名を大声で呼びながら進んでいった。

 

 書類保管庫やロッカーが積み重なって乱立する、ちょっとした迷路のような場所を窮屈に体を横にして通り過ぎた先に、黒と緑色の苔がべったりこびりついた壁が正面に現れた。

 

 セイナは壁を見上げた。

 壁には横に伸びた太いパイプが半分埋め込まれた部分あり、その部分の苔に引っ掻いたような縦線が何本も入っている。

 

 不思議に思うセイナのフード内から「落下物注意」と音声がした。

 それに慌てたセイナが尻餅をつく。

 そんなセイナの前に、壊れたモニターがどすん、と落ちてきた。

 

 声にならない悲鳴をセイナが上げる。

 

「ん? あんた記憶喪失の譲ちゃんか」


 顔をあげると右手の書類保管庫の上に、すっぽりマスクを被ったウィーが立っていた。


「悪い悪い、オレ以外ここに来る奴初めて見たんでな。驚いて思わずやってしまった」


 カラカラと笑うウィーにセイナが声を荒らげた。


「当たるとこでしたよ!? ってそれどころじゃないんです。ノアが大変なんです! 早く、早く一緒に!」




      ■ ■ ■ ■ ■ ■


「それじゃ、お大事にな」


 ノアに処置を施し、容態が落ち着いたのを確認したウィーは帰っていった。


 寝息をたてて眠るノアを見ながらヒュイは安堵と疲労が混じった溜息を深く吐き出し、ひとり言のように喋りだした。


「ご覧の通り、ゴミ溜めの空気にゴミ溜めの食い物、水ときたら滅多に降らない雨頼り、ここじゃ弱い人間からくたばっていくしかねぇんだよ」


 ヒュイはカラッポの木箱をずらし、壁をくり抜いた場所から琥珀色の液体が入ったビンを取り出し、コルクを抜いてひと口あおった。


「ほれ」


 ニヤリとしたヒュイが、ビンをセイナに手渡した。

 瓶の口に恐る恐る鼻を近づけたセイナが全力で顔をそむける。


「ふん、お嬢様さまだねぇ」

「お、お嬢様じゃないです!」

 

 むすっとなったセイナが瓶を口に付けると、覚悟を決めたように一口飲みこんだ。


「ぶはっ!!」


 口に流し込んだものを勢いよく吐き出す。


「ななな、なんですかこれ?」


 鼻を垂らして咽ぶセイナを見て、ヒュイは心底愉快そうに腹を抱えて笑った。


「ウィスキーさ! ははは、貴重なんだぜ、ここじゃ!」

「凄い飲み物ですねぇ……うえっく」


 赤ら顔で口を押さえ、セイナはビンを見つめた。


「ところであんた、記憶は戻ったのかい?」

「そ、そそそれが私、研究所に居たみたいなんです。こーんな襟を立てた服着た人達と一緒に。ひゃははは!」


 吐き出した一口目すでにクラクラ状態のセイナが両手で襟の形を作って笑い出した。


「そ~いえばですね~、いっつも私の勝負で負けちゃうヤツいるんですよ~。ひっく、え~っと……エ、エミ、エミ~? 何だっけ? ひっく、そいつですね~、私に気があるんですよ~」

「へぉ、まあ、あんたカワイイっちゃカワイイからね。で、どんな男の子なんだい」


 酔っ払い顔のセイナが手を左右にぶんぶん振った。


「女の子ですよ~、研究所には女の子しかいないんですから~」


 それにヒュイも酔いが醒める。


「ちょっとあんた……もしかして……」

「ヒュイさ~ん、私、エミ何とかよりヒュイさんみたいなタイプがいいです~」


 セイナが熱っぽい目でヒュイに顔を近づける。


「ちょ……セイナ……やめっ!」


 その顔を手の平で押し返すと、もう片方の手でセイナの脇腹を突いた。


「きゃん!?」


 ビクンと頭を仰け反らせたセイナから酔いが僅かに抜けた。


「ったく! あたしにはカートがいるんだからな」

「すみません~」

「で、どんな研究してたんだい?」

「研究……なーんの研究だっけぇ? そそそ、そう! 人類の幸せの為のけんちゅう……それ! すんごい頑張ってやってた! そう、もう逃げ出したい位やってた……げほげほっ!」


 あぐらをかいたセイナが両手を地面に着け咳き込んだ。


「おっちょこちょいの研究員なのかい? ははは、何の研究でここに来たのか知らないがそりゃ災難だったね。安心しな、あと三日すりゃ政府の管理員が見回りに来る、そんとき連れてってもらいな」


 セイナから受け取ったビンをひと口飲んだヒュイが小さく俯いた。


「ウィルを呼ばなきゃ危なかった。ありがとうよセイナ」

「人類の幸せの為なら何でもやりますです」


 酔った眼でニンマリ笑うセイナ。


 それに口の端を持ち上げたヒュイが肩肘をついてごろりと横になる。

 それにセイナも向かい合うよう横になった。


「こ、ここは、どの位の人達が居るのですか?」

「あー? 150……200人位かねぇ」


 ヒュイが面倒臭そうに言ったが、セイナはそれにお構いなく尋ねてくる。


「どうして~、ここに来たんですか?」


 ヒュイはバカらしい、といった風に鼻で笑うとボソボソ喋り始めた。


「ここは上の世界から追われたり、追い出されたりした奴らが来るのさ。苦しんでる患者を救ってくれと家族に頼まれ安楽死させたウィーや、自分の子供を虐待死させた夫を刺し殺したあたしとかね。廃棄パイプに身を投げ、その先には別な世界があるって噂を信じてね。はっ!」


 ウィスキーのビンをあおり、ヒュイは搾り出すように息を吐き出した。


 


「でもね、ノアは違うんだ。この子は……捨てられたんだろうね。半年前パイプから落ちてきたのさ。ここの連中はあたしに押し付けた、女はこんなときに便利だ、ってやつさ。最初は嫌だった、死んだあの子を思い出すからね」


 そう言いながらヒュイは寝息を立ているノアに目をやった。


「でもダメなんだ。こそこそと擦り寄ってきていつの間にかさも当たり前のようになっちまう。本当に愛情ってやつは厄介だよ。今じゃあたしの生きがいになっちまった、はっ! 人殺しの生きがいにされちゃ迷惑だろうがね、この子も」


 ヒュイの手元からビンをさっと取り上げ、グイっとそれをあおるセイナ。


「ヒュイさんがノアを育てたんじゃないですか! 愛情を持つのはごく当たり前で素晴らしいことだと思いますよ」


 赤ら顔で語気を高めるセイナをきょとんと見つめたヒュイが大声で笑い出した。

 

「あんた面白いねぇ。あたしの言うこと大真面目に受け止めてさ! 教授の冗談も真面目に聞いてたんじゃないかい?」


 ひとしきり笑い終わったヒュイがセイナに顔を向けた。


「なあ、ノアを……ノアを地上に連れて行ってくれないか? あんたは犯罪者とは違うだろうから政府の見回り連中に頼めば一緒に連れていけると思うんだ。だから……」


 それはこの世の終わりを描いた映画で自分の子供を抱えた母親が脱出船に叫ぶのと同じ眼差しだった。


「……はっ、何言ってんだろうな。すまない、今の忘れてくれ」

 

 醒めた目になったヒュイがそう言うと、セイナに背を向け腕枕で横になってしまった。


 そんなヒュイに声をかけようと迷ったセイナだったが、結局そのまま寝入ってしまった。



つづく

 

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