第3話 廃棄街

「セイナ」


 女性の優しい声が自分を呼んでいる。


「セイナ」


 今度は男性の優しい声。


 女性と男性の顔が自分を覗きこんでいる。


 天井の照明による逆光で顔は良く見えないが、自分の両親なのであろう。


「皆さんは人類のより良い未来を作り出す為、ここにいるのです」


 議長が会議室の中央でそう言っている。


 何度誇りに思い、何度不安で押しつぶされそうにさせた言葉。


 回りにはまだ幼い、だが見慣れた十二人の面々が座っていた。


 そう、物心ついたときからいた、自分以外の人間。


 私はその中でも、自他共に認める高い研究能力の持ち主だ。


 一部の者が陰で自分のことをとやかく言っているのは知っていた。


 どれだけ私が研究に力を注いでいるかも知らず、妬んでいる者など鼻で笑うしかない。


 そう、あの“宇宙”を見たことも無い連中など、哀れみの目で見ていればいいのだ。


 議長はそんな私をよく褒めてくれた。


 だが私は、自分の両親に抱きしめられ、褒めて貰いたかった。


 その両親はどこにいるのだろうか?


 そういえば去年、自身の誕生会で満面の笑みを浮かべるナタリーを見て、十三人會きっての皮肉屋サブリナが、自分の隣の席でボソリと言ったのを思い出す。


「試験管ベイビーの誕生会……か」


 それは直視したくない自分の不安を突く言葉だった。

 

 ちょうどガラクタが山積みされた押入れの戸をそっと覗き込むのに似ており、運悪く振動を与えればホコリまみれのガラクタに飲み込まれるようなものだった。


 慌てて私は押入れの戸を両手で閉めた。


 自分が試験管の中から誕生したなど考えるのも恐ろしい。


 でも、もしあの記憶、逆光で見えない両親の顔がもし、作られたものなら?


 私はいったい……いったい……




 セイナは汗まみれで起き上がった。


 体の上には薄汚れた毛布がかかっている。

 その毛布から発する異臭に顔をしかめ、セイナはゆっくりと立ち上がった。

 

 そこは大人4人が横になれば一杯になるような小屋の中だった。

 

 壁に大きな色あせた海のポスター、小さな棚の上にはガラクタみたいなコップに工具、生活用品。

 

 セイナはフードを外そうと引っ張ったが、半透明の部分が顔に当たり外れない。


 困ったセイナはあちこち触りながら外れる部分を探したが見つからなかった。


「あ~、もう外れてよ!」


 フードを引っ張りながらそう言うと、あっけなくフードは顔から外れた。

 だがその勢いでバランスを崩したセイナは軽く悲鳴をあげて尻餅をついてしまった。


「あ、起きた」


 その声にセイナが顔を向けると引き戸が開いており、少女が立っていた。


「どっかおかしいとこない? あんなデッカイの頭にくらってさ」


 尻餅をついたセイナの前に、しゃがみ込んだ少女の人指し指が、80インチはあるヒビの入ったモニターを指した。


「ほぉー、ベッピンさんだね、どれ診てみよう。ほらどけ、ノア」


 少女を押しのけ現れたのは、片方の頬に変わった紋様の刺青がある小柄な女性だった。

 イナの横に座り込んだ女性が右手のカバンを床に置くとセイナの頭部の診察を始めた。

 

「いたたた……」


 頭頂部を指で押され、セイナは声を出した。


「ちーっと打撲でうっ血してるね。ふん、まあこんなのツバつけてれば治る」


 女性は両手をセイナの頭から放した。


「オレはウィー、医者をやってる。ヤブ医者とここの連中にゃあ言われてるがな。で、あんたが倒れたのを助けたのがそこのノアだ」

「あ、私は……セイナ。助けてくれてありがとうノア」


 笑顔でそう言うセイナに、ノアは照れながら右手を振った。


「しかし見たところ身なりもまともな普通の譲ちゃんに見えるが、何でここに?」


 穏やかな語り口だが、猜疑心の色が浮かぶ目でウィーが尋ねた。


「えーっと……」


 そんなウィーをよそにセイナは目を上に向け思案する。


「何でだっけ……あれ? ところでここはどこですか?」


 逆に尋ねてきたので、ウィーは眉をしかめ閉口してしまった。


「ウィー」


 ノアが心配そうにウィーを見る。


「頭に衝撃を受け、一時的に記憶が無くなったのかもしれないな」


 やれやれ、と首を振る。


「そうだ! 私、人間を幸せにする為に何かをやってたんだ!」


 セイナが嬉々とした声を上げ二人を見る。


 ノアとウィーが顔を近づけつぶやく。


「ねえウィー、人間を幸せにする何かってなに?」

「知らないよ、胡散くさい布教でもしてたのかもしれないね」


 セイナは人差し指を額にあて、目を閉じると唸った。


「う~ん、でもそれがわかんないんですよね~」

「まあいずれ思い出すだろ。ところで譲ちゃん、ここがどこか教えてやろうか。ここは世界のゴミ溜めさ。世の中のゴミがどんどん垂れ流しで来る、ついでにゴミみてぇな人間もどんどん垂れ流しで来るって場所さ」

 

 ウィーが両手を広げ、呆れてものも言えん、といった風に顔を傾げた。


「いわゆる廃棄街ってやつさ」


 三人が声の方へ向く。


 入り口に、背の高い女性が腕組みをして立っていた。


「あ、ヒュイ」


 ノアが立ち上がり、ヒュイに駆け寄る。

 そのノアの頭を撫でながら、ヒュイがセイナを一瞥した。


「こいつは?」

「記憶喪失だって」

 

 眉間に皺を寄せたヒューが、ウィーに目をやった。


「自分が誰か、何故ここにいるかもわからないようだ」


  ノアの言葉を補うようにウィーが言うと、ヒュイは無言でセイナの前に歩み寄りじろじろと眺め回した。

 

「あ、あの……」


 ヒュイが発する視線の圧力にセイナは苦笑いを浮かべ、後ずさった。


「ふん、記憶喪失ねぇ。いいとこの娘さんが男に捨てられたショックで廃棄パイプに身を投げてここに来たってとこか。はっ、そんなんじゃここの連中にあっという間にヤラれちまうね。少しくらいならここに置いてやるよ」


 そう言ったヒュイが木箱からリンゴのようなものを取り出すとセイナに放り投げた。


「あわわ」


 受け損なったセイナの頭にリンゴらしきものが当たる。

 それにノアはくすくす笑い、ヒュイは無表情のまま鼻を鳴らした。


「これは何ですか?」

 

 セイナが尋ねるとヒュイはぶっきら棒にこう返した。


「ナルっていう果物さ、よく箱ごと降ってくるんだよ」

 

 そう言ってナルをかじり、片手で短いブロンドヘアをかき上げると慣れた仕草でタネを吐き出した。

 それにならい、セイナもナルをかじった。

 

「あ、この味、どっかで食べたことがあるような味ですね」


 むしゃむしゃと食べ、一粒一粒タネを吐き出すセイナにヒュイは鼻を鳴らした。


「ふん、気に入ったならもっと食っていいよ。あと二日もすりゃ完全に腐っちまうんだ」



    

      ■ ■ ■ ■ ■ ■




 げっそりやつれたセイナがトイレのある裏口から戻ってきた。


 横になったセイナに気遣って毛布を被せるノア。

 横目でそれを見るヒュイがせせら笑った。


「あれで中毒おこすなんてどこのお嬢様だったんだい?」

「ねえ、ウィーを呼んだほうがいいかな?」


 ノアがそう言ったとき、セイナのコートから「体温異常値、薬剤投与」と音声が流れた。

 そしてセイナの体が一瞬震え、苦しげな息遣いが穏やかになっていった。

 

 そのまま寝息を立て始めたセイナからそろりと離れたノアがヒュイに身を寄せた。


 そんなノアの頭を撫でながらヒュイは不穏な目でセイナを見つめた。



 つづく

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