#13 最強の勇者と、魔王覚醒【13-1】

 選択の余地はなかった。


 ディルクは今際いまわ

リーシェは得物を失い。

アーシュは結晶の剣の光を使いきり。

エミリアはハルバードを構えて周囲に視線を走らせるが今も血を流して顔面は蒼白。

彼女の魔宮によって顕現けんげんする自責の象徴たる少女も、もはや召喚できず。

ディアスだけは大きな消耗もなく、さらに過去に書庫の魔宮でギルベルトの配下と対峙たいじした際には数の圧倒的な不利を覆して互角の勝負を。

だが今は『魔毒の巨兵シュヴェルト・ズィーゲル』が相手に控え。

何より先の戦闘での結果は永久魔宮化。

それによって多くの人々が犠牲になったことをかえりみると。


 ────そして何より。

圧倒的な戦力差を前にディアス達が傷つき、敗れることをソレは望まなかった。


 ギルベルト達を見上げるディアス達の視界を、黒い影が横切った。

バサバサと羽ばたき、伸ばされたギルベルトの手の先に降り立つ。


「ケケケケ、お前さんがたとはここでお別れだなぁ」


 肩越しに振り向いたアムドゥスが言った。


「契約更新だぁ。みじけぇ間になるだろうが、よろしく頼むぜぇ? 勇者サマ」


「待て、アムドゥス」 


「聞けねぇ頼みだな、ブラザー」


 アムドゥスは自身の契約対象をディアスの魔結晶アニマからギルベルトの握る宝珠剣の柄にはめ込まれた魔結晶アニマへと対象を移して。


「お前さんはもう用済みだぁ。ネバロんとこに戻るまでが条件だったが、再契約する前にネバロは下の世界に叩き落とされちまった。そもそも戦力的にもネバロがまさってるかももう分からねぇ。なら俺様はこの勇者サマにつく。至極当然で真っ当な判断よ、ケケケケケ!」


 頭に被った獣のような頭蓋の奥で3つの瞳を意地悪く細めた。

翼の先で口許くちもとを隠し、わざとらしく笑う。


「アムドゥス!」


 エミリアがアムドゥスを呼んだ。


「ケケケ、あばよ嬢ちゃん。せいぜい勇者サマの思い描く理想リソーの世界で幸せになりなぁ」


 嘲笑あざわらうような笑みを浮かべたままアムドゥスが言った。


「皮肉じゃないよね。でも、だったら」


「ああん? 皮肉だぜ? 魔人堕ちの小娘──利用してた魔人堕ちの戦力的補助がどうなろうと俺様の知ったこっちゃねぇ」


 そう言ってアムドゥスはプイと顔を背ける。


「アムドゥス、行かないで!」


 寂しそうな声でアーシュが叫んだ。


「ケケ、人間が俺様の名前を気安く呼ぶんじゃねぇよ。しょせんお前はブラザーや嬢ちゃんのために用意した非常しょ────」


 アムドゥスは途中で言葉を止めて。

半眼でアーシュを横目見て、まだ彼が泣いてないのを確認すると小さく息をついた。


「ケケ」


 いで肩をすくめる。


「ケケ、とっとと行こうぜぇ? 勇者サマ。俺様がいりゃこいつらは要らねぇだろぉ?」


「よろしいのですか」


 ギルベルトがディアス達とアムドゥスを交互に見ていた。


「ああ」


 それにアムドゥスがうなずく。


「……それでは我々は急を要するのでこれで」


 ギルベルトはディアス達に会釈えしゃく


「それと居るのでしょう、クレト」


 いでギルベルトが名前を呼んだ。

するとエミリアの陰に潜んでいたスライム形態のクレトが身体をびくりと震わせる。


「それなりに長い付き合いになります。あなたのこれまでの悪事は看過できませんし、私の理想を阻む大きな障害の1つでもありましたが。それでもあなたを私の夢見た世界の一員として迎え入れられなかったこと、とても残念に思います」


「イヒヒ、迎え入れられない? 迎え入れないの間違いじゃないの」


 少年の姿をかたどって。

クレトはエミリアの陰から顔を覗かせるとギルベルトに言った。


「あなたは魔人クレトの精神のコピーだがその身はスライム。私が救えるのは人と魔人だけですので」


「ギルベルト様、もう」


 ギルベルトの後方に立つ恰幅かっぷくの良い冒険者が声をかける。


「ええ。ですが最後に」


 ギルベルトはディルクに視線を向けた。

宝珠剣の柄をディルクに向ける。


「『世界の設計図ディザイン・ヴェルト』の再起動まで彼の状態を保存します。冒険者として尽力してきた彼をこのまま死なせはしません」


「…………」


 ディルクは何も答えなかった。

すでに彼に意識はなく、心臓もその鼓動を止めていて。

その状態は死に等しく。

だがギルベルトからすればまだそれは死ではない。

まだそこに命と魂が宿っている。


「いりません」


 リーシェが言った。


「ディルクはそれを望まない。ディルクは魔人に堕ちることを絶対に受け入れない」


「このまま死なせるのですか」


「彼にどんな形でも生きて欲しいと思うのは正しいでしょう。少なくとも間違ってない。でもその選択は彼の尊厳を踏みにじることになる。存命と尊厳。私は後者がより正しいものと判断します」


 訴えるような声音こわね

だがその瞳の奥に見える感情の機微が乏しいことをギルベルトは捉えて。


「私の救済によって貴女のその欠落も埋まる。きっとその選択が貴女の最良ではなくなる。……ですが」


 ギルベルトは金縁の片眼鏡モノクルの位置を直して。


「貴方が望むならその世界に彼はいる。貴女が傷つくことも後悔することもない」


 ギルベルトは宝珠剣を下げて。


「いいでしょう。その選択と彼の尊厳に敬意を」


 そう言ってギルベルトは恰幅かっぷくのいい冒険者と目配せ。

次いでギルベルトがうなずくと魔毒の巨兵シュヴェルト・ズィーゲルが動きだした。

巨大な手のひらからディアス達を下ろし、天をく魔宮の巨人が地響きと共に彼方かなたへと去っていく。


「…………クレト」


 魔毒の巨兵シュヴェルト・ズィーゲルを見送って。

エミリアがクレトに声をかけた。


「イヒヒ、分かってるよ。お前の言いそうなことは予測できる。ちゃんとボクの分裂体を間接の継ぎ目に残してきた。場所は分かるよ。まぁ、あの巨体だから探そうと思えばすぐ見つかりそうな気もするけどねぇ」


 クレトはエミリアに答えると、顔をしかめて肩越しに背後を。

その視線の先にはディルクの亡骸を前にわんわん泣いているアーシュの姿。


 手を組んだ形で横たえられたディルクのかたわらにはディアスとリーシェがたたずんでいる。


 エミリアはクレトの視線を追ってアーシュを。

いでディルクを見た。

アーシュやディアスと違って彼女にディルクへの思い入れはない。

もちろん死をいたむ気持ちはエミリアにもある。

だがそれ以上に彼女が覚えるのは空腹と。

何より自身への激しい嫌悪。


「エミリア」


 今度はクレトがエミリアに声をかけた。

心配そうな眼差しを向けるクレトを見て。


「けけ」


 エミリアは作り笑いでこたえる。


「────失礼」


 今後の方針も定まらずに立ち尽くすディアス達に声をかけて。

その来訪者はひび割れた大地の陰から現れた。

ぴょんぴょんと危なっかしく亀裂を飛び越えてディアス達の前へ。


 目深まぶかに被ったフードの下からは長い白髪。

フードで隠しているのにその陰からは隠しきれない赤の光が漏れ出していた。

ボロボロの出で立ちでディアス達の前に現れた少女は魔毒の巨兵シュヴェルト・ズィーゲルの消えた方向を指差して。


「あれを追わなくていいのか」


 白髪の少女はそうたずねて首をかしげる。


「……誰?」


 アーシュが呟いた。

同時にディアスとエミリア、クレトが臨戦態勢をとる。


「待つといい。怪しい者ではない。どこからどう見ても普通の女の子さ」


「それだけ瞳を赤く光らせてか?」


 ディアスに言われると、少女はフードの裾を両手で目一杯下に引き下げて。


「私はどこから見ても普通の女の子さ」


 そう言いきる。


「名前は、そうだな……うーん」


 少女はフードを引っ張ったまま体を右へ左へと揺らす。


「うん、私の名前はリュナだ。よろしく頼む」


 リュナ? とアーシュ以外がその名前に疑問を浮かべた。


「リュナウ」


 ディアスが呟いた。


「いいや、いやいや。私はリュナだ」


「リュナウ・シルロだろ、お前」


 クレトが言った。


 リュナウ・シルロ──【白竜の魔王】だと指摘されて。


「ふむ」


 その少女は顎に手を添えた。

口をへの字に曲げて納得いかないといった様子を見せる。


「なぜそう思った」


「けけけ、名前がまんまだもんね」


 エミリアが言った。

軽い口調とは裏腹に召喚したハルバードを握るその手には力がこもる。


「なるほど。ではハク。私はハクだ。指摘は今後に活かそう。だが今はそんなことはどうでもいい」


 そう言って長い白髪の少女──ハクは顔を上げた。

フードの下から煌々こうこうと燃える赤い眼でディアス達をめつけて。


「あの巨大人型魔宮をお前達は追うのだろう。それに私も連れていけ。私はただの女の子だからな。助力を期待して欲しくはないが、邪魔もしないさ」

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