#12 白竜の魔王対英傑【12-11】








 ふとネバロは肩越しに地平の先を。

だが次の瞬間、衝撃。

何も捉えることはできずに。

彼女の身体は置換した『歯牙の魔物スタブ・クラスタ』とそこから連なる黒骨ごと空中へ。

浮いた次の瞬間には大地へと叩きつけ。

あり得ないほどの質量が、異形へと変質しているとはいえ少女の輪郭の名残を残すその身体を踏みつける。

そのまま踏み抜く。


 轟音ごうおんとともに大地が蜘蛛くもの巣状にひび割れ。

そこから大地がまくれ上がり、大きな家ほどもある瓦礫がれきがいくつも宙に。

ネバロはその中心から下層の大地へと叩き落とされ。


 ────否、ネバロは刹那せつなの間に連なる黒骨を押し固め。

黒い呪詛じゅそたたえる真っ黒な足場から天仰ぎ。


「あは!」


 たのしげにんで跳躍の構え。


 足場に張り付くように身を低く。

 肩から背に這わすように、人の身の丈の数倍ある巨剣を構えて。

畢竟の黒屍ヒッキョウノクロカバネを握る黒骨の細い指がその強張りでミシミシときしんだ。


 余計な黒骨を瞬く間に瓦解させてぎ落とし。

ほつれた糸が再び1紡ぎの糸に戻るように。

魔力によって生じる肉の糸が筋繊維としてより集まった。

華奢きゃしゃな少女の輪郭の内に秘めた強大な膂力りょりょくを、さらに滑らかな白い肌で覆い隠す。


 剣をかつぐ右腕と背だけを異形のままに。

その身体は少女のものへ。

いで落下の勢いで頭上へと尾を引いた銀の長髪が、再びひるがえる。


 黒骨の足場を蹴ってネバロは砲弾のように空へ。

同時に身をよじり、全力で黒骨の剣を振り抜く。


 姿は見えなくともネバロへと踏み下ろした足の位置はまだ変わっていない。

変わるほどのいとまはなかった。

ゆえに、その凶擊は見えざる巨兵を捉えるはずで。


「────『魔宮の統治者ユビキタス・レガリア』」


 だがネバロの剣は空を切った。

彼女の目の前の景色が波打ち、歪んだ景色は無数の魔物の影を浮き上がらせていて。

その偽装の裂け目からはマス目状に切り分けられた魔宮のブロックがスライド。

その先から1つの人影がおどる。


 ネバロは振り切った刃の勢いのままに空中で縦に旋回。

回転と同時に縮こまらせた体をいで大きく伸ばし、両手で畢竟の黒屍ヒッキョウノクロカバネの柄を握って向かい来る人影へと巨剣を振り下ろす。


 いでカン、と乾いた音。


 ネバロの振るった凶刃は、男の長剣に受け止められて静止した。

琥珀色の瞳と赤く燃える瞳の視線が交差。


「慢心か、剣に魔力を込める時間がなかったか。いずれにせよ」


 ────それでは不足ですよ、と。


 一拍の間を空けて。

ネバロの剣に強い圧。

男は長剣を振り抜き、ネバロを大地の底へと今度こそ叩き落とす。


「まだ! まだだよ!」


 ネバロは畢竟の黒屍ヒッキョウノクロカバネに魔力を充填。

同時に空中で再び足場を形成して地上へと戻ろうと。

だが彼女の頭上に広がる偽りの大地とその瓦礫がれきがマス目状に切り分けらた。

ブロックがスライドを繰り返し、濁流となってネバロに押し寄せる。


「っ……!」


 ネバロは黒骨を展開してダンジョンの激流を払いけようとするが、圧倒的な物量に押し負けた。

それは彼女の身動きを封じ、深い地の底へと押し流して。

同時に穿うがたれた大地の大穴が塞がれる。


「…………何が起こったの?」


 アーシュが言った。

大地を踏み抜いた時の余波からディアス達を守った見えざる手のひらの上で、彼らはネバロが地の底へと消えるのを見ていて。

舞い上がった瓦礫がれき粉塵ふんじんとでその過程はほとんど確認できていないが、切り分けられた魔宮とその動きを見てディアスはすぐに1人の男に思い当たる。


「お久しぶりです」


 ディアス達は声のする方へと顔を上げた。


「最後にお会いしたのはいつのことか。複合魔宮の攻略か。いやいや書庫の魔人討伐の際。永久魔宮から人の身に戻れたこと、私も嬉しく思います」


 穏和な笑みを浮かべて緑の勇者ギルベルトが言った。

その身体からは彼が自身に憑依ひょういさせた魔物『魔宮の統治者ユビキタス・レガリア』の異形の影が伸びている。


 ギルベルトは空中に浮かんでいるようにも見えて。

だがその足は確かに見えないそれを踏み締めて立っていた。

彼の握る宝珠剣もその切っ先を虚空に打ち付けると、甲高い音を響かせる。


「本当はゆっくりとお話したいところですが、もう時間もあまりない。『始まりの迷宮ディザイン・ヴェルト』」を補強していた魔王の魔宮はことごとく消失し、かの魔宮は星の胎動に耐えられずに今も引き裂けています。せかいの新生と人類の終焉しゅうえんが目前に迫っているのです」


 ギルベルトは手を差し出した。

その手はアムドゥスへと向けられている。


「原初の魔物の一欠片──アムドゥス。彼をこちらへ。彼を使って『世界の設計図ディザイン・ヴェルト』を再起動し、私は人類の救済を行う」


「私からも。────僕からもお願いだよ、みんな」


 ギルベルトの背後からスカーレットが姿を現した。

2つの声音こわねを使い分けて。

だがその顔は泣き崩れてしまいそうなスカーレットの面持ちのまま。

最愛の弟との日々を取り戻したい彼女は唇を震わせ、懇願こんがんするように両手を握り合わせる。

涙で濡れた青の瞳からは、まばたきする度に涙がこぼれて頬を伝った。


「スカーレットねぇちゃん……」


 スカーレットの姿にアーシュはいたたまれなくなって。

思わずアーシュの瞳もうるみ、小さく鼻をすする。


「…………」


 ギルベルトはディアス達の返答を待った。

猶予はない。

だがそれでも強奪という手段ではなく、双方の納得の上で先へ進めたらと願う。


「全……人類を、魔人に堕とす……? ふざ、ける、な」


 ディルクが言った。

すでに呼吸は今にも途切れそう。

心臓の拍動はまばらになりつつ、その五感は聴覚を最後に残してほぼ消失している。


 そのディルクの身体をリーシェが優しく抱き抱えていた。

彼女はギルベルトには視線を向けず、ディルクの顔をガラスのような瞳と慈しむような表情かおで見下ろしている。


「残念ですがあなた達にできる選択の結果は1つです。私は人類の救済を必ず成し遂げる。世界の終焉しゅうえんから。何より誰もが奪い合い傷つけ合う今のあり方から解放し、人も魔人もその全てを幸せにする。選べるのはその過程だけ。あなた達がイエスと言うか、言わないか。ノーという選択肢は初めからない」


「魔人に……なんかなって、誰が、幸せ……になるかよ」


 吐き捨てるようにディルクが言った。


「魔人への強い忌避きひと嫌悪を覚えるのも仕方がないでしょう。ですが彼らも人です。望まずして生まれながらに人喰いというごうを背負った、人なのです。互いに殺し喰い合うように定められた────ですがそれも人類の存続を願ってこそ」


 ギルベルトは1度目を伏せた。

いで1歩前へ踏み出し、再びディアス達に熱い眼差しを向ける。


「人々の理想は! 願いは! それぞれの幸せはその数だけある! 1つの世界を共有していては相容れない願いが互いを喰い合う! 限られたリソースを奪い合う! ゆえに! 人は自身の幸福を実現する己だけの世界を持つ。それだけが私の導いた万人の幸福の実現する手段なのです!」


 ギルベルトの声とともに景色が揺らいだ。

姿を覆い隠していた偽装が正体を現し、景色へと溶け込んでいたそれはその巨大なシルエットを浮かび上がらせる。


 その巨体を覆い隠していたのは数えきれないほどの魔物の群れだった。

せわしなく這い回る魔物は周囲の景色に擬態する性質を持ち、その希少な皮は加工されて冒険者の装備に使われることも。

過去にフェリシアがその姿を隠していたマントの材料もこの魔物である。


 魔物の群れはいで落下を始めた。

すでに構築を終え、魔王という脅威も排除してソレが姿を隠す必要がなくなったのだ。

同時にディアス達に選択の余地がないことを理解させる意味もある。


 ディアス達の足元からも魔物が姿を消し、残されたのは魔宮で作られた巨大な手のひら。

それをたどって視線を上へと向けると、空すれすれにまで伸びる圧倒的な巨躯が見えた。


 知るものとはまるで比較にならない。

だが魔宮で形作られたソレをディアスは知っていた。

過去には自身を含む3勇者の連合作戦で討伐した超高難易度対象。

その時にたいじ峙したものが山ほどもある巨体だったが、これはさらにその数倍はあって。


気付けば周囲には新たに魔物。

その背にはSランク以上の冒険者と魔人が武器を携えていた。

戦力差は明白。

だがそれ以上に警戒すべきはやはり1つ。

今知覚できる最大の脅威を前にディアスは呟く。


「『魔毒の巨兵シュベルト・ズィーゲル』……!」

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