星空への逃避行

柳 荘樹

ユウカ

 「なぁ、どこまで歩くんだよ」

 「山頂まで」

 山頂。

 その単語を聞いた途端に乳酸の溜まりまくった僕の両足は更に重くなった。

 「嘘だろ」

 「本当」

 幼なじみの優香ゆうかは端的に言うと深緑色の雑草を掻き分けて僕の三歩先を歩く。

 「理不尽すぎる」

 僕はそんな不満をたらたらと漏らす。

 「だったら帰ってもらって結構よ」

 ぐ、と言葉に詰まる。

 僕が暗所恐怖症だと言うことを知って優香はわざとそんなことを言うのだ。

 「……何でもないです……」

 泣く泣くと歩みを進める。

 ちなみに僕は登山部でも無ければ昆虫採集に来た虫少年なんかでも無かった。

 じゃあ、何でこんな蒸し暑い夜の山中を歩いてるのかと言えば、事の発端は二時間程前に遡る。



〜〜〜二時間前〜〜〜


 明日から始まる中学生活最後の夏休みに胸を高鳴らせながら、本屋で買ってきた月刊誌を自室のベッドの上で読んでいた金曜日の午後6時半。

 二階の自室の窓ガラスに何か小石の様なモノがぶつけられた。

 ページをめくる手を止めて窓辺へ耳を済ませる。


 コン、コン、コン。

 

 聞き間違いかと思いたかった。

 けれどその音は確かに偶然なんかでは無くて、僕を誘うかの様に鳴っていた。

 「……なんだよ。」

 僕は窓ガラスを開け、下へと顔を覗かせた。

 同時に生暖かい風が僕の頬を撫でてちょっとだけ気持ちが悪かった。

 「やぁ、やっと気づいたか」

 事の主は幼なじみの優香だった。

 「今から、流星を見に行こう」

 「流星って。あのテレビでやってた流星?」

 うん。と彼女は縦にうなづいた。

 

 この1週間。テレビや新聞等でひっきりなしに取り上げられている『オリエント』とか名乗ってる流星群が近々、地球に近づくらしい。

 そして地球とその『オリエント』が急接近する日が今日の様だ。それを見に行こうと彼女は言うのだ。

 「嫌だね」

 「何でよ」

 食い気味に優香は聞きかえす。

 「暑いし、暗いし、疲れたし」

 おまけに今日はコンタクトを外してメガネ姿だ。メガネの時の自分の顔はどうも好きになれない。

 「いいじゃない」

 「嫌だ」

 「行くって言うまでここから動かないから」

 彼女はそう言うと僕の家の玄関前で体育座りをした。

 「っ!分かった、分かったよ!」

 僕は部屋着からジャージに着替えると家族にバレない様にそっと玄関を開けた。

 「初めからそうすれば良いのよ」

 優香は不機嫌そうな声色で僕を出迎えた。

 彼女も僕と同様に半袖のジャージ姿だった。そして、少しばかり湿った髪からはシトラス系シャンプーのいい匂いが僕の鼻をくすぐった。

 「さてと、さっさと行くわよ。タイムリミットまであと、三時間なんだから」

 

 そうして、話は冒頭に戻るのだが、何やら優香の様子がおかしい。

 序盤こそ迷い無く、その白く細長い足を進めていたのだが今はピタリと止まっている。

 「なぁ優香、つかぬことを聞くが、道分かってるんだよな?」

 優香の後ろ姿に問いかける。

 すると優香はゆっくりと振り返り、普段よりも白くなった顔を見せるとこう言った。

 「迷っちゃった☆」

 テヘッ。と自分の頭をこづく仕草を取った。

 「……はぁ、嘘だろ、勘弁してくれ」

 僕はそこはかとなく深いため息を溢してその場にしゃがみ込む。

 「ま、まぁ何とかなるわよ!」

 そう言って再び歩みを進めたのだが見る景色全てが二度、三度繰り返されてる様に思えた。

 「なぁ、この道さっきも……」

 「うるさいなぁ!分かってるわよ!」

 優香は理不尽に激昂を飛ばした。

 けれど僕はこんな、理不尽の具現化みたいな優香のことが好きだった。

 自分勝手で横暴で他人を振り回している。こんなプロットを聞いたら良いところなんて一つも無いと思う彼女のことが大好きだったのだ。


 本当、何で好きになったんだろう。


 なんてありきたりな少女漫画のセリフを頭に浮かべていると灰色の雲が僕らの上空に押し寄せた。

 見る見るうちに空を覆い尽くすと、大量の水滴が垂れてきた。

 雨だ。

 しかもゲリラ豪雨。


 余談だが、人間という生物は猫よりも濡れるのを嫌う生き物らしい。その習性がうまく働いたのか丁度人が入れるくらいの岩間を見つけた。

 その岩間に僕らは慌てて入り込んだ。

 濡れた服が肌にへばりついた不快感が僕にまとわりつく。けれどそんなモノ僕は気にならなかった。

 「ねぇ、狭いんだけど!?」

 場所は人が丁度二人入れるくらいの隙間だ。

 彼女と体が触れるのは当然だろう。彼女の体温と息遣いが伝わってくる。

 僕は必死に冷静さを保とうとしたが、それとは裏腹に心臓は高く強く跳ねた。

 もしかしたら優香に伝わってるかもしれない。

 「悪い」

 素っ気ない態度を取って平然を装う。

 「まぁ、良いわ。謝るのは私の方なんだし」

 優香は「ごめん」と塩らしい声で小さく漏らした。

 

 それから、何分、いや何十分だったのだろうか。

 雨は一向に止む気配すら見せずに、雨粒を地面に強く打ち付けていた。

 もしかしたらこのまま夜を明かすのでは無いかと不安が心の中で増殖した。

 

 「ねぇ……。」と、雨音を縫うかのように優香は僕に話しかけた。

 か細い彼女の声が冷たい岩の中の空気を伝ってこだまする。

 「何だよ」と、聞き返す。

 「夢の話しない?お互いのさ」

 彼女は白い歯を出してニッコリと笑った。

 笑顔にドキりとした。優香は滅多に見せないからだ。

 「嫌だよ」

 「いいじゃない。まず私からね」

 そう言って彼女は自分の夢とやらを語り出した。

 「無事に家族の元へ帰ること!」

 「それ願望じゃね?夢ってもっと、こう……漠然としたものじゃないか?」

 すると彼女はむぅと膨れた。

 「どっちも同じ様なもんでしょ!じゃああんたの夢は何だって言うのよ!」

 僕は三度、黙った。

 夢か、無いことには無い。けれど気になる異性の前で堂々と公言するのは何だが気がひける。

 「特に無い」

 「えぇ!つまんない!」

 そんな雑談を交えていると先程まで弱まる気配すら見せなかった雨がピタリと止んだ。

 まるで指揮棒を止められた吹奏楽団の様に。 

 「お!止んだね!」

 僕らは岩間から出ると再び山頂へと歩き始めた。


 「多分ここじゃ無い?」

 再度歩き始めてから数十分。僕らはある場所で足を止めた。

 そこは周りには雑木林が立ち並んで居たものの、僕たち二人が立っている半径5メートルぐらいはそれらが生えていなかった。

 多分ここが山頂だろう。

 その証拠に星空が一段と近く見えた気がした。

 いや、実際空の高さなんて気の持ち様なのかもしれないけれど。

 「着いたのは良いけど、時間は?」

 僕は左手の手首をトントン、と二回叩いて時間を確認する様に優香に促した。

 「大丈夫。9時前だよ」

 それから僕らは『オリエント』が来るまでの数分、近くにあった岩に腰をかけて待った。

 「疲れた」

 「大丈夫、私も疲れてる」

 優香は僕に同情した様な口調で返事をした。

 そこで、僕は念頭にあった疑問をぶつけることにした。

 「家族に会いたいってどう言う事だ?」

 この質問だ。

 僕の脳内にはクエスチョンマークが大量発生していた。

 言葉の意味を理解しようと目を瞑り考える。

 けれど対して良くも無い、僕の頭では考えるだけ無駄だ。

 「ごめん、さっぱり意味が分からない」

 僕はそう言って右隣に座っていた彼女に目をやった。

 すると彼女は空を見上げたまま黙っていた。

 綺麗な横顔だ。吸い込まれそうになる。

 途端、僕は自分の心臓が早く高鳴ってるいるのが分かった。同時に頬と耳が熱くなり、溶け出しそうだった。

 「ん?ごめん何?」

 優香は星空に夢中な様で僕の質問に対しては適当に答えている様だった。

 「あ、いや、だから家族に会いたいってどう言うことかなって」

 「……」

 彼女は僕の声なんか聞こえてないかの様に黙って左手首に付けている腕時計に視線を落とした。

 そして、「うん、3分前だ」と言って何やら星空に向かい手を挙げた。

 すると優香は「じゃあね」と言った。

 「は?何言って……」

 僕は彼女に何が起こってるか分からなかった。


 とりあえず、次に彼女が話したのは僕の知らない言語だった。

 それは琉球弁とか津軽弁とか訛りの類の言語でもなければ、中国語とかスペイン語とか他国の言語でも無い言葉。

 「○*○%#.#$^×!!」

 僕がどうやっても発音できない様な声だったのは覚えている。

 その言葉を話した直後、優香の身体は蛍の光の様にゆっくりと星空へと舞い上がる。

 「私、『オリエント』なんだよね」

 光に溶けていく最中で優香は口を開いた。

 不幸中の幸い。次はちゃんと日本語だった。

 「ちょっと待ってくれ!何が何だが分からないんだが!?」

 僕は彼女の左腕を掴もうとするけれど通り抜けてしまう。

 もう僕には優香に触ることすらできなかったのだ。

 そんな絶望感が僕を覆い尽くした。

 すると、透き通る声で優香は漏らした。

 「私、流れ星なの」

 「家族に会いたいって……そう言うことかよ」

 全て繋がった気がした。

 「うん。だから誰にもバレない様にこの山中に来たの」

 彼女は消えゆく掌を星空へと差し出した。

 「じゃあ、家族はどうするんだよ!お前の親父やお袋、クラスの奴らだって……!」

 「大丈夫。みんな記憶から消える」

 彼女は何の情もないかの様な口調で話す。

 流星群が地球に最接近するまであと1分足らずだ。

 「じゃあどうして!俺を連れてきた!誰にもバレ無いようにするんだろ?だったら何で……。」

 僕は目頭が熱くなる。

 きっと今、酷い形相で彼女に話しかけているのだろう。

 「あんたのこと、結構好きだった。それだけよ」

 優香は微笑んだ気がした。

 いや、それはもう優香とは言えない様な光だった。

 その時、僕らの上に流星群が流れ始めた。

 美しい無数の光を放ちながら弧を描くように流れて行く。

 その景色を僕は言葉にする事が出来なかった。

 僕が濃紺の星空を見上げ終わり、ふと目を横にやると優香は居なくなってた。その場に彼女の腕時計だけが残っていた。

 俺は思い切り泣いた。泣いて泣いて。その場に膝から崩れ落ちた。

 そして立ち上がって、大きな声で叫んだ。


 僕の夢を。


 数十年後、僕は天文学者になり、ある惑星を発見した。

 それは無数の流れ星が衝突し、固まって出来た星だ。


 名前はもう決めてある。

 

 その名前は


 『ユウカ』

 

 

 

 

 

 

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星空への逃避行 柳 荘樹 @sojumaru

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