第7話 浅葱(あさぎ)の衣

千酌ちくみ駅家うまやに到着した、と外で声がした。輿の中でうつらうつらとしていた篁はその声ではっと目を覚ますと、閉じていたむしろを少し開いた。冬の日本海が日の光を受け白く輝いている。晩年篁を苦しめた足の病はこの頃既に身を苛み始めており、篁は杖をついて張輿はりごしから降りた。

「いつもなら雪が降っていてもおかしくない時期ですが、ここ暫くはずいぶんと穏やかでございます」

篁に付き添っていた因幡いなばさかんが、よろめいた篁に手を差し出しながらそう言った。輿からまろびでるようにして降りるとそのまま路傍に腰を下ろした篁の目に、渡り遅れた雁の飛ぶ姿が映った。

「三声雁後垂郷涙 一葉舟中載病身」

ふと呟いた篁に、憐れむような視線を送ると目は鄭重に口を利いた。

「小野殿はたいそう詩才がおありですと伺っております。それがしは全く不調法でございますが・・・。今の詩はどのような情景をお詠みになられたのでございましょうか?」

「これは白居易殿という中国の詩人を真似たものだ。すまんな」

答えながら篁は夏野の別荘で後太上帝とお会いした時のことに思いを馳せた。白居易と逢う事は叶わなかったが、今の流浪の身は、逢うことよりも遥かにその人と気持ちが寄り添っている気がした。白居易もまた罪を得て江州司馬へと左遷された人である。

渡口郵船風定出とこうのいうせんはかざさだまっていづ 波頭謫処日晴看はとうのたくしょはひはれてみゆ

 で始まる謫行吟たくしょにいくをぎんず

 わたのはら八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣り船 

という古今集の歌もこの時のものである。

篁に同情している様子の温和な目に、墨と紙を乞うてこの歌を詠み出した時は特に誰が告げるべき「人」かを考えた訳ではなかったが、さて誰に告げよと自分は思っているのだ?と歌を記した墨を眼でなぞりながら篁は波の彼方に目を遣った。

妻でも子でもないような気がする。やがて思い浮かんだ顔は業子内親王であった。あの方にはもう三年も逢ってない。もはや自分の事など忘れてしまっているやもしれぬ。

だが・・・今の自分の心境を伝えるべき相手としてはあのお方こそ最も相応しく思われる。

穏やかな波に揺られ篁は隠岐へ渡って行った。唐に向かった時に牙を剥いた海と同じとはとても思えなかった。


それから暫く経ったある晴れた日の京の夕刻である。西院で寛いでおわした後太上帝のもとに一通の書状が届けられた。

「どなたからか?」

と尋ねた淳和帝は

「高津内親王様からにございます」

と聞いて怪訝な顔をした。淳和帝も高津内親王に関わる経緯いきさつは一応、聞き知っている。以前、兄の妃であった人ではあるがここ何十年と逢った事もなく噂も聞いていない。

何の用であろう。えにしの薄い人からの文であるからこそ興味は募った。すぐに文とそれに添えてあった書状をひもとくと読み始めた淳和帝の顔は、読み進めるに従い次第に深い憂いを帯びて行った。暫く考え込むと淳和帝は側のものを呼んだ。

「明日、嵯峨院に参る」

そうせざるを得まい。思いもよらぬ人からの文に今ひとたび目を遣ると淳和帝は深々と溜息をついた。

「なに、高津内親王からの?」

翌朝早く、嵯峨帝の怪訝そうな顔を見て淳和帝は内心微笑んだ。この方が驚く顔はそう何度も見れる物ではない。それだけがこの憂鬱な文に伴うただ一つの愉しみであった。

「遣唐大使・副使からの帝への上奏文の写しが添えてございます。僭越ながら先に読ませていただきました」

上奏文には、遣唐使船が航海に耐えきれるかどうかの疑いと新羅船への変更、それによって水手の数も減らすことができかつ万一事故が起こった場合でも修理の負担が軽くなる事、一行の安全度が高くなる事に加え万一どれかの船が遭難しても唐に行き着く確率が高くなる事などが理路整然とつづられていた。

読み終えた嵯峨帝の表情は昨日の自分の表情とさして変わらぬのであろう、と淳和帝は思った。困惑、疑念、憐憫が混じりあったような顔である。

「しかし・・・かような上奏が届いたとは聞いておらぬぞ」

「こちらへ参る前にさりげなく蔵人頭に尋ねてみましたが、そのような上奏はなかったと申しておりました」

「これが上奏の正、そのものではないのか」

「篁は敢えて書き損じを一通作ったうえで、同じ物を正式に出したと申しておりますぞ」

「だが・・・なぜそのような・・・。なぜ処分が決まった今になって」

言い差しつつも嵯峨帝は篁は万一の事を考えてこのような手段を取ったのだと悟っている。親子は似たことを考えるものだ。儂が帝の件に関して書状を預けたのと同じことをしおる。

だが・・・今、それが届いたのは処分は処分として甘んじて受けるという慎みの現れであろう。これを篁が持ち出して己の主張を声高に言い出せば宮中は大混乱に陥る。犯人捜しの過程で何が起こるか分からない。

「何者かがこの上奏を無かったものにしたと言うか」

誰にともなく問いかけた声には微かな怒りが混じっていた。

「さて、そこまでは。しかし聞けば四月の勅に対する遣唐使の表奏が欠けておるとか。その時は答える術がないのだろうとされていたのですが」

ふむ、と嵯峨帝は鼻を鳴らした。

「分かった。この件はわしが帝と話そう。しかし遣唐使を忌避きひし処置を待っている者がまだ数人おる。篁と異なる処置をすることはできまい。奏の真偽についても確信がない」

その 声は落ち着きを取り戻していた。

「その通りでございますな」

二人の太上帝は互いを見合って頷いた。何かの手違いが有ったとしても篁の処分を軽々けいけいに正すことはできない。それは帝の処置を過ちだったと認めることに繋がる。正すとしてもゆっくりと時間をかけねばならぬ。

「それにしても篁は高津内親王様へなぜ篁は?お二人にはどのような繋がりが・・・」

話は終わったと一息ついて淳和帝が昨日来疑問に思っていたことを口にすると、嵯峨帝は押し黙ったまま弟を見詰めた。いや・・・睨んできた。

「これは余計な事を・・・」

頭を下げた淳和帝に向かって嵯峨帝は目を閉じると、

「弟よ、それは聞かぬ事にしていただけぬか」

と囁くように告げたのであった。


 思ひきやひなの別れにおとろへて海人の縄たきいざりせむとは

「隠岐の国に流されてはべりける時によめる」と古今集にある歌に混じる諧謔かいぎゃくは日がな海を眺め、時おり漁師に交って縄を引く篁の真の心情であった。漁師たちに煙たがれつつも病んだ足を庇いながら縄を引き、中で跳ねている魚を眺めるのは結構楽しい。万一この地でこのまま朽ち果てても致し方あるまい。言うべきことは言ったのだと思う事にして、時折隠岐守たちから持ち込まれる相談に乗りながら篁は暮らしていた。

何より陸奥と違ってここは温暖で結構だ、年齢による衰えを感じている篁はそう思っている。寒さは堪えるだろう、万が一有仁のように佐渡にでも流されていたら、さぞかし冬は辛かったに違いあるまい。とはいえ、

床嫌短脚蛬声閙ゆかにはきらふたんきゃくにしてきりぎりすのいそがはしきことを 壁厭空心鼠孔穿かべにはいとふくうしんにしてねずみのあなのうがたるることを

寝床は脚が短くコオロギの声がうるさい、壁はすかすかで鼠の穴があるのが疎ましい

と文句も言っている。尤も京の邸宅に比べれば掘立小屋のようなこの家でも漁師に言わせれば、

「御殿のごと、邸に住んでいらっしゃる」

ということになる。隠岐は温暖で気候の良い所だが暮らしは楽ではない。米の取れ高は少なく、船で本土へ渡って干した魚と交換して糊口ここうを凌いでいる。こんな自分はそこへ来て、罪を得ているどころかのほほんと暮らしている様に漁師の眼に映るのだろうと苦笑している。

 その日、篁は国司の館を訪れ碁を打っていた。隠岐権守坂本長虫おきのごんのかみさかもとのながむしはなかなか碁が強い。時おり篁を館に迎えては聞き知った都の消息を教えてくれる。遣唐使を忌避した知乗船事伴有仁や暦請益生刀岐直雄貞れきしょうやくしょうときのあたいおさだらが佐渡に流されたと言うのも長虫から聞かされた。

「ところで、ご存じか知りませぬが京では奇怪な事が起きたと言う事でございますぞ」

長虫は自分の打った会心の一手に篁が呻吟しているのをみると、手を休めそう言った。表情には穏やかな微笑が浮かんでいる。

「何でございますかな」

碁盤から目を離さずに篁は応えた。

「四十丈もある赤光が紫宸殿の上に進んで来たとの事でございます」

ほう、と呟いて篁は目を上げた。隠岐守が囁くように

「政を諫める天の声だとも・・・」

と言うと篁は黙ったまま再び碁盤に目を落とした。頻繁にあった地震が鎮まりつつある代わりに天がざわめいているというのが京で噂になっているとは聞いている。この隠岐でもたびたびほうき星が空を駆けて行くのが見える。地で起こる災いが霊の恨みなら天で起こる災いは天からの叱正であると帝を謗る声も上がっているらしい。

 だが篁は何も言わなかった。長虫は篁に対して慇懃いんぎんである。国司と言っても隠岐を望む者は少なく、長虫は地の者であり守ではなくあくまで権守でもある。京の手がここまで伸びているかと考えるとそうではないような気がする。だが、かと言って信頼しきる事は出来ない。篁が治世を批判するような事を言えばそれが都の誰かの耳に入らぬとは限らぬ。篁が碁石をぱちりと音を立てて置くと、今度は先ほどまでにやにやと碁盤を見つめていた長虫が長考に沈んでいった。


肥前に到着した新羅船から遣唐録事大神宗雄けんとうろくじおおみはのむねおの牒状が大宰府に届いたのはその年八月の事である。遣唐使が生きて帰ったと知って俄かに大宰府は色めきだった。永河は京に上奏するとともに筑紫・肥前・壱岐・対馬など夜、篝火をたくことを命じた。唐に渡ったうち二隻は到着した時にぼろぼろになって水底に朽ち、残った一舶と唐で購入した九隻の新羅船に分乗して帰国の途に就いたという詳細な経緯を京が知ったのは大神貞雄が大宰府に到着した後である。間もなく、新羅船の残り八隻の内七隻が肥前松浦郡生属島ひぜんのくにまつうらのこほりいけづきしまに帰着したとの報告があり内裏は沸き立った。

「良き報せだ」

帝は顔を綻ばせていた。

「さようにございますな」

良房は頬を無理に緩ませた。だが・・・よりによって新羅船で還って来るとは、と内心は常嗣を罵倒したい気持ちである。

 常嗣は海路、長岑高名、菅原善主ら判官と船を連ねて戻るよう命じられた。時は収穫の秋で農民の負担にならせぬように海路を取るべきと主張したのは良房である。常嗣は船を分け、自分が先頭に戻って来るだろう。あの常嗣の事だ、その方がより自分が目立つと考えるに違いない。

「常嗣に尋ねてみたいの」

帝がぼそりと呟いたのは上奏の事である。あの翌日帝を訪ねた嵯峨帝は、上奏の事を知らせると共にその事を口外なさるなと念を押した。届いておらねば無くなった事でとがが生まれ、届いていたなら上奏を無慈悲に無視した咎が生まれかねない。その咎はどこで生まれたのか分からぬが場合によっては帝にも及びかねぬ。そう念を押されたものの帝は皇太子であったころから何でも相談をしてきた良房にはその事を伝えた。

話を聞いた良房は一瞬色を失った。奏が二通あるとは思っていなかったのだ。言葉だけならいくらでも言いくるめられるが現物があるとなると面倒になる。

「もしさような上奏があったとしても船を替えるなどと言う事は許されませぬ。新羅船など使っては国威に関わりましょう」

揺れかかった心を抑え、良房は平然とした口調で言った。

「それはそうだが・・・」

帝は憂いを帯びた口調で答えたのだった。

「なれど参舶の百三十人を失い、未だ弐舶の百三十人が帰り着いておらぬ。少しでも命を救えることが叶ったのであれば・・・」

常嗣が京に入ったと聞くなり良房はその邸を密かに訪れた。

「新羅船を使いたいと言う表奏を出したと言うのはまことか?」

居丈高に尋ねてきた良房を常嗣は怖じた。言われたことを守らず上奏したことを咎められたのだと思ったのである。

「内裏にはそのような物は届かなかったが、篁は送ったと言っておる。その写しが西院に届いておる。大使はご存じの事か?」

「いえ・・・」

難波津で盛大に迎えられた時の常嗣の昂揚感は一気に凋んだ。

「だが写しなどがあって良いはずもない。写しがあったとしたらそれは大使の咎。奏が二通があるなどということは有り得ぬ」

常嗣は言葉がなかった。篁が隠岐へ配流された事は聞き知っていた。その時新羅船の話は出なかったらしい。篁が呑みこんだのかそれとも京が聞き流したか、いずれにしろそのことが問題になってはいまいと思っていた。ましてあの時、書き直したものが残っているとは想像だにしていなかった。

「その事を知っているのは他にいるのか?」

 いえ、と首を激しく振る常嗣を暫く良房は目を細めて見詰めていた。

 殺されるか?常嗣は日本海の荒波に呑みこまれそうになった時と種類の異なる恐怖に竦んでいた。だが良房は急に優しい口調になって語りかけてきた。

「大使殿、貴公が御認めにならねばよいのだ。せっかく唐から辛い思いをして帰っていらしたのだ。新羅船など使わずに唐まで行き着いたのですからな。臆して唐に渡ろうともしなかった副使などよりあなたの方を帝は遥かに信頼なさるであろう」

「・・・」

 常嗣は黙ったまま頭を下げた。

節刀の返還、大唐国勅書の奏上、昇殿して帝との歓談と続く行事の中で昇殿して二人きりの時に奏の事を帝に尋ねられたが、常嗣は這いつくばったまま答えなかった。帝が重ねて問われる事はなかった。昇任は従三位に留まったが常嗣が不満を口にする事もなかった。

宮中では別請益生として唐に赴いた伴須賀雄とものすがおと延暦の遣唐使で碁師の伴雄堅魚とものおかつおの囲碁、故大宰府大弐藤原広敏の弟貞敏による琵琶の披露など遣唐使の帰着に伴う行事で沸き返り、それが終わると建礼門の前で唐から渡った文物を商う宮市みやいちが開かれた。


冬晴れの建礼門には人々が蝟集いしゅうしていた。雑踏があちらこちらにでき、うっかり連れてこられた子供が親を求めて泣きじゃくる声もそこここで聞こえる。集まった人々が声高に唐物を求めているのを眺めながら長岑高名はぼんやりと歩いていた。帰国後すぐに従五位上に叙された高名はその日、伊勢権介に任じられた。その時分には帰路、大使が主張した新羅近海を通る経路の決定を覆し、直に日本へ渡る事を主張したのが高名と善主であったことが船員たちから漏れ、常嗣は多少面目を失い、高名らへの覚えは高まっていた。

「さて、小野殿はいかが暮らしておられるやら」

気懸りは未だ戻って来ていない弐舶と篁の事である。唐には留学僧や不法滞在のまま残っている請学僧がいるが彼らは心配あるまい、と高名は考えている。

 唐に到着したばかりの折、疲労や病気で録事や何人もの頑強な水手が命を落とした際も僧侶たちは元気そのものだった。

それどころか大使以下が唐の役所から下賜を賜られれば布施は僧が受け取るべきもので官人が受け取るのはおかしいと文句を言ってきた。先方の都合で陸に上げずに船に留まらせれば、扱いが粗雑と不満を口にする僧たちも少なからずいた。僧たちを優遇していた大使も手を焼いていたくらいで、あの意気盛んな者たちがそうやすやすと死ぬはずもない。

 だが小野殿はそうもいくまい。罪を得て遠島に流されても京に帰る事を許される者は殆どいない。例え戻れても復官できる見込みはまずなかろう。高名は私物の中に篁への土産をそっと忍ばせて帰ってきた。唐物の椀と白氏文集である。とりわけ国外へも持ち出しが禁じられている後者は購うのは難しかった。

その時、ふと天幕の下に篁に買ってきた椀と同じような物が売られているのに目が行って高名は足を止めたが、付けられた銀一貫という法外な値に、思わず天を仰いだ。


「御意のままに」

良房が些かも動じず答えたのを見て帝は胸を撫で下ろした。嵯峨帝から遣唐使が帰着したのを機に篁を京に戻してはどうかと問われ、良房にその事を伝え様子を見よ、と示唆されたのである。

宮中で上奏を握り潰したものがいるならそれは良房以外になかろうと父太上帝は考えておられるのだ、と帝は悟った。しかし、自分は今良房を失う訳にはいかぬ。もし良房が篁の帰京を否定したら父太上帝の良房への疑いは深まるであろう。もしかしたら排除に動くやもしれぬ。そうなれば自分が盾になって・・・守り切ることができるであろうか?

「ですがまだ弐舶の消息がございませぬ。その前に入京させるのはいかがなものでございましょう」

良房の言葉をもっともだ、と帝は思った。弐舶は本来篁が指揮すべきはずだった船である。

「それはそうだの。では暫し因幡に留め置こう」

承和七年二月、都に弐舶の消息が届くと共に、篁を帰還させよという勅が下った。

常嗣は懼れた。篁が帰って来るかもしれない。常嗣には裏切ったつもりはないが篁がどう思っているかは分からない。良房はああ言っていたが、篁が本当のことを言えば耳を貸すものも出て来よう。

そもそも勅を違えた篁がなぜ戻されるのか?帝の措置に常嗣の心は乱れている。なぜそれを止めようとしない?良房の態度にも常嗣の疑いは増すばかりである。遣唐使を成功させたという名誉を得たにもかかわらず、出航前に比べ常嗣は自信を失っていた。

そう言えば、篁は夜は冥官として閻魔に仕えているという話を耳にした事がある。以前なら馬鹿な、と笑い飛ばしただろうが、今はそうとも思いきれない。もし、死にでもしたら・・・自分はその男に裁かれるのであろうか?そんなことを考え不安に苛まれていた或る日突然、心の臓に激しい痛みを覚え常嗣は倒れた。唐での苦労が病魔を招いたのかもしれない。病は一撃で男を薙ぎ倒した。

 四月戊辰、従三位参議左大弁藤原常嗣薨。行年わずか四十五。


同じ頃、ごく目立たぬ任官がなされた。従五位下橘朝臣逸勢じゅうごいげたちばなのあそんはやなりの但馬権守への授任である。逸勢は延暦の遣唐使節に空海・最澄と共に唐に渡ったが、帰国後全く恵まれなかった。逸勢にとって嵯峨帝の皇后橘嘉智子は従兄弟である。しかし逸勢の父親、入居の母が式家の祖、正三位参議藤原宇合しょうさんいさんぎふじわらのうまかいの娘であるのに比し、嘉智子の父清友は粟田あわた一族の生まれであり、所生の違いを鼻にかけていた逸勢を嘉智子は子供の頃から嫌っていた。

 しかし嘉智子が入内しやがて建立した寺の名を取って壇林皇后だんりんこうごうと呼ばれるようになると今度は同族なのに自分を引きたてようとしないと、逸勢が嘉智子を憎むという、とかく折り合わない仲であった。但馬権守も位からすれば十分な役職であるがそもそも位が低すぎると逸勢は思っている。嘉智子の兄、橘氏公のような無能な男が公卿にまで取り立てられ自分が軽んじられていると逸勢が周囲に漏らしているという噂は嘉智子の耳にも入った。橘嘉智子がそれを聞き、更に自分を憎んだ事に逸勢は気付いていなかった。


淳和帝は病の床で嫌な夢を見た。恒貞親王が暗い牢に幽閉され自分の名を呼びつつ毒を呷る夢である。汗をびっしょりかいて目が覚めた。もし自分が生きているうちに即位があるならば吉野に後見を任せ安心して死ぬこともできるかも知れないと思った時期もあったが、どうやら難しいようだ。あとは兄が書いた帝宛ての文に頼るしかあるまい。恒貞親王を枕元に呼ぶと後太上帝は自分の死後の事を言いつけた。葬儀は簡略にせよ、自分の魂が祟らぬように骨は砕いて山に捨てよ。恒貞親王はいちいち神妙に頷いた。だが傍に付き添っていた吉野は骨を砕いて山の中に捨てる事は決してなりませぬ、と涙を流して拒んだ。

「さようか・・・では兄上と話してお前たちが決めよ」

疲れた口調でそう言うと淳和帝は半身を床に横たえた。もし恒貞親王が弑されるような事があれば例え骨が粉砕されても・・・いやされてこそ自分は帝に祟るつもりだと病床の淳和帝は思っている。兄上もお許しなさるだろう、と思った。

そんな父の病状を憂えて恒貞親王が見舞いにやってきた。従って来た者たちを下げさせ二人きりになると、

「わしが心残りの事はお前の事だけだ」

呟いた父に向かって恒貞親王は

「わたくしの事は大丈夫でございます。御身のお体の事だけを考えてくださいませ」

と答えた。

「大丈夫?」

恒貞親王は横目で自分の顔を覗くようにした父に近寄った。

「万が一疑われるような事がございましても準備は怠りなくしております」

「そうか・・・」

「はい、小野殿と春澄殿が詳細に。小野殿が唐にわたる前にでございます」

なるほど、篁と善縄がの・・・と呟くと淳和帝は天井を見上げた。その顔は少し和らいでいた。

「篁はまだ京に入っておらぬか」

「はい、まだ」

「うむ・・・」

嘆声を一つ吐くと、淳和帝は

「眠くなった」

一言いうと目を閉じた。その事があって二日後、淳和帝は薨去した。骨は望みどおりに砕かれ大原野のみねに散じられた。

 その頃、篁は未だに因幡に留まっていた。淳和帝の容体が悪いと言う話は因幡にも聞こえていた。遠島が解かれたのは淳和帝が動いてくれたのであろう、せめてお会いして礼を述べる事は出来ぬだろうかと篁は考えていたがそんな或る日、どかどかと邸の表で足音がして赤い顔をした国司の遣いが入ってきた。

「後太上帝が薨じられたそうでございます。直ちにお越しくださいと守が申しております」

そうか、と呻くと篁はゆらりと立ち上がった。


「三守の容体はどうだ」

侍者に尋ねた嵯峨帝自身の健康もこの頃、果々はかばかしくない。

「あまり宜しくないようでございます」

三守は風をこじらして暫く出仕していない。

齢を取ったのだ、と嵯峨帝は呟いた。弟が逝き三守が病に倒れ、自分もさほど長くはあるまい。さて、この国はどうなるのであろう・・・。思っても詮方せんかたない事だがどうもこの所、妙に心がざわつく。

「篁を戻さねばならぬな。三守の逝く前に」

そう言うと太上帝は内裏に行くぞ、と痛む腰を上げた。

篁が京に戻ったのは夏の盛りであった。隠岐では夏でも海風が涼しかったのに久しぶりに帰った京は記憶より一段と暑かった。無位無官となって戻ってきた夫を袖子は哀しげな眼で見たが、出て行った時と同じように陰日向なく労わった。子供たちはだいぶ大きくなっていた。母に言われたのであろう、騒ぐこともなく帰ってきた父を迎えた。邸は三守が費えを出し以前の通り清らかに保たれていた。

とはいえさすがに篁は居心地が悪かった。帝に逆らう度胸はあるが家の事を考えてみれば何と愚かな事をしたのだ、と思う。そんな気持ちを押し殺して篁は三守の邸を訪れた。三守は病床にあったにも関わらず、床を這い出るようにして篁を迎えた。

「良く戻ったの」

咳の混じった声は細く、震えていた。

「嵯峨帝のお蔭だ。よくよくお礼を申し上げるがよい」

「ですが、私は・・・」

無位無官の者が嵯峨院に行っても、もはや通してもくれぬだろう。

「明日にもお召しがあろうよ。お召しがあれば何も心配ない」

「太上帝から・・・?」

そうだ、と頷くと噛んで含めるように、

「太上帝はお主を許されよう。今度こそは背くな。わしの孫たちの事も考えるのじゃ」

と篁を諭した。死に際の言葉に篁は頷くしかなかった。それを見て穏和な顔になると三守は目を瞑った。その長い睫が揺れている。

翌日、三守が言った通り嵯峨院からの使いが来、篁は妻が用意した浅葱あさぎの衣を着て嵯峨院に向かった。浅葱は無位の印である。前に畏まっている篁を見て嵯峨帝は不機嫌そうな声を出した。

「高そうな浅葱だの」

篁は黙ったまま頭を下げ続けた。

「いつまでそれを着る積りで誂えたのじゃ。五年か、十年か。痴れ者が」

叱りつけると、面をあげよと和らいだ声を出した。

「淳和帝がの・・・お前の事を心配しておった。ご自分が任命なされた東宮学士が隠岐くんだりでうろうろしておってはさぞかし聞こえが悪かったであろう。その恥を抱えたままお亡くなりになられた。なんという不忠かの」

相も変わらずの悪態だな、と思いつつ篁は面を上げた。物には他に言いようというものがあるであろうに、、、だが、顔を上げて見た太上帝の顔色は冴えず、表情も沈鬱であった。

「それより三守じゃ。ずいぶんと面目を失っておったぞ。宮中でもだが、延暦寺・金剛峰寺からもお前の事で色々言われたようだ。お蔭ですっかり参っておる。わしの大切な陪臣を何と心得ておる」

「申し訳ございませぬ」

「とにもかくにも控えよ。明日は宮中から呼び出しがある。帝の前でも今のように大人しゅうしておれ。帝は帝で思う所があられる。遣唐使の話はするな。帝にも触れるなと言っておいた」

「承知いたしました」

「母御も亡くなられたと聞いたが」

「隠岐に参りました直後に。義理の母でございますが」

そうじゃったの、と太上帝は頷いた。だが母の訃報を聞いた篁が隠岐で三日三晩食を絶ち法華経を唱えた事までは知らない。

「これ以上不孝をするな」

はいと答えた篁によし、と頷くと太上帝は犬を追い払うように手を振った。篁が退出すると、太上帝はさてと腕を組んだ。

「わしも歳じゃからの・・・」

ふと漏らした気弱げな呟きに、太った夏蝿の羽音が混じった。

翌日宮中へ参内し、太上帝と約束した通り大人しく京への帰還を許された事に謝意を表すと、暫く三守の邸で義父の世話をし続けた篁だったがそれから一月も経たぬうちに三守は世を去った。引きも切らぬ喪の列が邸を取り囲んだ。穢れを嫌い参列者は皆、立ったまま去っていくしきたりなので、応対する側も立ち続けている。その列の末に篁の姿があった。体のひときわ大きい篁の藤衣姿は参列者の肝を冷すような迫力があり、黙ったまま頭を下げ続けている姿はやはり地獄の冥官に相応しいと暫くの間、京中の噂になった。


 諒闇りょうあんのため年の初めの朝賀は執り行われなかった。三守の席が空いた事で右大臣には源常が任じられ玉突きのようにして良房は中納言に昇っている。

前年、篁の入京と時を同じくして大隅国に到着したの准判官の良岑長松よしみねのながまつら弐舶の者たちを合せ、前年九月に唐から帰った者全員に昇叙が行われて以降遣唐使の話は次第に口端に昇る事が無くなり、新たな年は静かに始まった。

とはいえ日本から送った遣唐使の波は大陸側から撥ねかえるようにして、前年の末の新羅の張宝高ちょうほこうの大宰府への到着、当年の渤海使の入来と津や浦は賑やかであった。また対馬国司から海上交通で人命・貨物の輸送に新羅船を使いたいとの上申があるなど遣唐使の余波は別の形をとって表れていた。

 篁は痛めた足を治すために暫く自身の邸に籠っていたが、この年の春、二月の末にひっそりと大原野に出かけた。大原野神社を詣でたが、篁の心はその奥の嶺山に眠る淳和帝にあった。お会いしてお礼を申し上げる事もできずに終わってしまった、と思うと心が痛んだ。

水のおもにしずく花の色さやかにも君が御影の思ほゆるかな

やしろの傍らにある池の岸でそう詠むと嶺山に向かって半刻の間篁は静かに手を合わせ続けた。そのまま双ヶ丘に足を伸ばし清原夏野の墓を詣でた後、再び邸に籠っていた篁の許に嵯峨院から使いが届いたのは四月中頃であった。

「三品高津内親王が俄かに病を発して未明に薨去した。お前にも縁浅くないので知らせて置く」

達筆な書状を前に篁は目を瞑った。内親王の許へと足を向けようかと考えた事も何度もあったが母のように叱られるに違いない、と躊躇う気持ちがそれを阻んでいた。

葬儀は、太上帝の指示のもとで厳粛に執り行われた。喪事を監督したのは美志真王みしまおう坂上大宿祢清野さかのうえおおすくねきよのら事情を知る僅かの者たちで業良親王は病と称して籠ったままであった。篁が邸に向かったのは葬儀の十日後である。高津内親王との関わり合いを問われるのは煩わしかったし、先方も同じに違いない。人目を忍んで夕暮れ時に着いた時、邸は初めに訪れた時のようにひっそりと佇んでいた。篁を認め、見知った者が黙って篁を通した。

「篁様」

懐かしい声が聞こえた。ふと目を上げると業良親王と業子内親王が仄暗い廊に静かに座っていた。

「お久しゅうございます」

一通りの弔意を述べると篁は藤衣に身を窶した二人の姿を改めて見詰めた。

「最期のご様子を・・・お聞かせ願いたくて」

篁が絞り出すような声で言うと、親王と内親王は目を見合わせた。

「小野様でございましたら大丈夫でございましょう。お上がりなさってください」

妹内親王から聞いて地獄を訪れたものであればもはや穢れを気にする必要もなかろうと思ったか、親王は篁を内へ誘った。親王がぽつりぽつりと母の最期の様子を篁に語り篁は遣唐使の経緯と大宰府や隠岐での暮らしの事を語った。その間業子内親王は篁を見守っていた。

「母は・・・」

業子内親王は互いに話が尽きかけた頃合いにふと静かに言った。

「篁さまが遣唐使を忌避なさったと聞いてもあのお方はその事でお仕事をなすっているのですよ、と申されておりました。罪を得て隠岐に流されたと聞いても同じように・・・何かと戦っておられるのですと」

篁ははっと業子内親王の貌を差し覗いた。

「あの方は律令を守るお方、そのような方が何の理由もなく帝のお言いつけに背くわけはなかろうと・・・。母は篁さまに頼られたことがたいそう嬉しかったようでございました」

ぽとり、と静寂の中で板敷に音が響いた。続けてもう一度、ぽとり。それが自分の流した涙の音と知っても篁には堪えることが出来なかった。


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