第6話 西道謡(さいどうよう)

二度目となる節刀下賜の日は、朝から雲一つない良く晴れた日であった。

この頃八省院と呼ばれるようになった朝堂に列席した貴顕たちは遣唐使一行が現れると僅かにどよめいた。僅かにどよめく、というのは妙な表現だが、そうとしか言いようのない、押し殺したような空気が漂っている。

一行の中に三舶の判官丹墀文雄の姿はない。

先だっての節刀の時の華やかな雰囲気は消え、現れた一行の衣装はどれも地味なものであった。一行が揃いどよめきが消え、朝堂が静まり返ると、昨年と同じように清原夏野が口宣くぜんを読んだ。帝は御簾の内に在る。夏野が口宣を読み終えると最初に大使の常嗣が前へ進んだ。

 二人の間の段取りでは常嗣が節刀を受け取る前に、

「確かに御受取申しますが・・・その前に。副使、これへ」

と篁を呼ぶ手筈になっていた。そして篁が遣唐使船を変える旨の奏上をその場でする。常ならぬことだが、それしかないというのが二人の了解事項であった。その代わり責めは篁一人で負う。それが常嗣の出した条件で、篁は躊躇うことなく呑んだ。

だが・・・常嗣は声を発することもなくうやうやしく刀を受け取った。唖然としている篁を夏野が目で前へ進むように促した。一瞬、篁は構わず願いを言うべきか激しく迷った。しかし正使・副使が割れると嘗ての小野石根の時のように予想外の飛び火をして他人の不幸を招きかねぬ。

 再び夏野が目で促した。

どうしたのだ、と不審げな色がその目に浮かんでいる。ふと目を遠くに移せば常嗣は足早に既に朝堂を出ようとしている。急いで前に出、節刀を受け取ると篁は常嗣を追った。それに気づいた常嗣が更に足を速めた。朝堂に列していた人々は呆気にとられてその様子を眺めている。その中で一人、にやりと笑ったものがある。

「受取りおったか」

良房は心の中で呟いた。

「大使殿。いかがされた。約束と違うではないか」

常嗣に追いついて正面に回り込むと、面と向かって篁は強く詰った。青い顔をしたまま常嗣は黙って脇をすり抜け、逃げようとした。だがその胸倉を篁が掴むと、よろけて膝をついた。

「なぜ?なぜ何も言わずに受け取られた?」

と詰問した篁に

「許せ。止められたのだ」

常嗣ががっくりと面を伏せ、力なく呟いた。

「どなたかから?」

「権中納言さまに・・・」

 思わず篁は天を仰いだ。その眼に真っ青な空が映った。心はその深淵な青の底に真っ逆さまに落ち込んでいくように思えた。まさかこの男が・・・。一番相談してはならない男に話をしていたとは。あれほど良房を目の敵にしていた男がまさかその当人に言い寄るとは・・・。

「権中納言様は今や内裏を仕切っておられるのだ。そなたも気づいておろう?あのお方はさようなことをすれば、儂は・・・儂もそなたともども刑に処されるであろうと仰った。尋常な目付きではござらなかった。あれは・・・本気だ」

常嗣もやはり良房の権力が以前とは格段に大きくなっていると感じ取ったのだ。それで念のためにと相談を持ち掛けたのだろう。しかし、避けるべきは良房の妨害であった。だからこそ、この場で直に帝にと考えておったのに・・・。

篁は掴んでいた常嗣の胸元を握っていた拳から力を抜いた。迂闊であった。この男が良房に抱いていた反感を重く見すぎていたのだ。篁が嘆息している姿を見遣ると、常嗣はそそくさと立ち上がり、足早に立ち去った。

その四日後、常嗣は篁を避けるように鴻臚館こうろかんを出、大宰府へと向った。篁は一人鴻臚館で留まり続けたが、五日後、数少ない従者を携えて大宰府へと向かったのである。


「どうなされたのです?大使殿といい、副使殿といい・・・」

高名は相も変らぬのんびりとした口調で篁に尋ねた。高名は判官ではあったが、京に同行していなかった。その顔は黒く日焼けし、体も以前とは見違えるように引き締まっている。

「ずいぶんと鍛錬しておられるようですな」

篁がはぐらかすように応じると、高名はにやりと笑い、

「弐舶は傷みが少なくございましたからな。で、それを使って水手たちを訓練しておりましたら、冬だと言うのに斯様かように・・・まるで漁師のようだと笑われます」

そう言うと浅黒く焼けた顔を撫で、

「四舶の者共についても志願する者には訓練していたので・・・教える方が水手たちよりも日焼けしてしまいました」

と些か自慢げに言った。

「そうですか」

「しかし少々困りものですな。大使殿と副使殿が一向にお話をされないと言うのは」

逃げ隠れしているのはあちらの方だ、と篁は憮然とした。大宰府に到着後、仕方なしに気乗りしないままあいさつに出向いた篁に腹がけたと言って会おうとしなかったのは常嗣の方である。癪に触って放っておいたら常嗣は引き籠ったまま殆ど外にも出てこない。太宰権帥に任じられた常嗣の配下に入った広敏も困って長岑に相談しているようである。

「京で行き違いがござってな」

「こちらに参られるのにご一緒でないとは・・・。いささかのっぴきならない話のようでございますな」

「うむ」

篁の思わず漏らした嘆息に、長岑が仕方なさそうに頭を振った。

「暫くの間はわたくしが取り持つ事と致しましょう。何とか副使殿も折れて下され」

わかった、と篁は頷いた。この男には惟良春道と似た駘蕩とした趣がある。大使ともそこそこうまく付き合っておる。・・・そう言えば惟良はどうしているであろうか。夏野は春道の事を良く覚えていて篁の頼みに応じて伊勢介に任じてくれたが、あいつはうまくやっているだろうか。

篁はほぞを固めていた。臍が固まったからこそ大宰府に来たのだ。今ひとたび、あの舶で唐へ向かってみよう。節刀を受け取った以上唐に向わぬわけにはいかない。運を天に任せるしかあるまい。

「では、今のままもう一度唐に渡ると言っていると申し上げてくれ。そうすれば大使殿の頑なな態度も解けるやもしれぬ」

「今のまま?」

長岑は首を傾げた。

「それは・・・どういう事ですかな?」

篁は小さく首を振ると長岑を見据えた。それ以上聞くな、と無言でその眼が語っている。万が一、自分たちが乗る舶を大使・副使が変えようとした、などと漏れれば大変なことになる。

「まあ、宜しいでしょう」

眩しいものでも見たように高名は篁から目を背けた。


修理を終えた舶は博多津にたたずんでいた。常嗣は漸く事務的な事柄について篁と話を交わすようにはなったが、出立に関する相談をすることもなく、正面から目を合わせることも避けて一人きりで鴻臚館の一室に留まっていた。四月に常嗣の乗る第壱舶、太平良に従五位下が授けられたにも拘わらず殊更に祝う事もなかった。

その代わりと言っては何だが、篁達が訓練を続けることに文句を言うこともなくなった。

だが、篁にもう一つの気掛りが産まれた。

大弐の広敏が病に倒れたのである。出立して、再び遭難でもしたら誰が采配を取ってくれるのだろうか。そんな太宰府の状況も考慮してか、京からもすぐに発てという圧力はかかって来なかった。篁が広敏を見舞うたび、その体が衰弱して行くのは明らかであった。秋七月にもなると鎮西ちんぜいは時おり激しい嵐に見舞われる。出立があまり遅くなるのも好ましくない。それならば広敏の代りを立てればよいものだが、なかなか広敏に替わる人材もいないようであった。

広敏は五月の末、ついに帰らぬ人となった。大宰府では常嗣が指揮を執って葬儀を執り行った。篁も参列して広敏を見送った。

「どうなりますかな。大使殿は西へ向かう信風しんぷうが吹かぬからと申されるが・・・この儘では年を越してしまうかもしれませんぞ」

弔いの場で隣に立った高名は篁に囁いた。

「それはなかろう」

野辺に立つ一本の煙を見遣りながら篁は答えた。

「しかし、大弐がおらぬままでは進発は難しい。京次第だな」

ところが、その京では奇怪な事が立て続けに起こっていた。六月には内裏に同時に六つの虹が現れた。それが瑞祥ずいしょうなのか怪事とみなすべきなのか意見が割れているうちに内裏に今度は物の怪が現れた。

前帝の治世が地震に悩まされたというならこの帝の治世は怪事と盗賊に悩まされる。物の怪も盗賊も内裏とて容赦はしなかった。人心はざわつき太宰大弐の人事は遅れた。それを奇貨として出立を伸ばし伸ばししていた常嗣であったが、遂に宮中から叱正と共に大宰府人事の文が七月の初旬に届き、副使と録事以上の者が大使に呼ばれた。

「太宰大弐が決まった。従四位上讃岐守、南淵朝臣永河みなみぶちのあそんながかわ殿だ」

この期に及んでも常嗣は篁と目を合わそうとしない。

「共に遣唐使はすぐさま出立せよとの仰せが届いておる」

ほーっという溜息が漏れた。何となく間延びしてしまった唐に行くと言う大事だいじはもはや、どこかうつつのものではないような雰囲気が一行に漂いはじめていたのである。

「南淵殿は讃岐から直接参られる。その日を待って出航する」

もう一度そこここから溜息が漏れたが、その反応に不意に顔を真っ赤に染めぎょろりと睥睨した常嗣を見て慌てたように皆、喊声をあげた。


新しい大弐が到着したその夜に帆を上げた一行を、夜が明ける間もなく再び嵐が襲った。その勢いは前回の嵐に増して激しく、舶は水の峰に昇ったかと思うと谷底に突き落とされた。そのたびに重心を失い横ざまに転覆してしまうのではないかという恐怖が突き上げる。

「他船の火信は見えたか」

篁の声に長岑が首を振る。自舶の火を消さずにいるのでも精一杯という様子であった。二刻ほど舶を東に流し続けた風は今は逆に吹きはじめている。もう少し踏ん張れば風は止む筈だ。そうなれば助かる。たぶん持ちこたえることができるであろう、と篁は推し量った。

しかし他の舶は?

この嵐では舵が折れ、帆はずたずたになり、下手をすれば前回の三舶と同じように破船しているかもしれぬ。

なかなか篁に会おうとしなかった常嗣は、出立の前日漸く篁と向き合って、話し合いを申し入れてきた。さすがに一同の手前、大使と副使が喧嘩別れをしたままで出立するのは具合が悪かったようだ。

その時、篁は言葉少なく、

「今回はこのまま参りましょう。ですが、今回万一の事があれば・・・」

「言うな。理がその方にあるのは分かっておる」

常嗣はその時、存外素直に頷いた。

 常嗣も一度は篁と同意をしている位だから舶をそのままに唐へ赴くことの危険を承知していた。しかし・・・だからこそ常嗣は自分と話そうとしなかったのだ。話せばいよいよ抜き差しならぬ状況に自分が置かれてしまう。前門の虎、後門の狼、行かざるを得ないと覚悟を決めていても篁と話せば己がぐらつく、そう考えたに違いない。その常嗣は今、荒れる海の上で何を思っているだろうか。

それとも、もはや・・・。


揺れは次第に収まりつつあった。訓練の行き届いた水手たちはなんとか嵐を乗り切ったらしい。そう思った時、船の左手から

「島が見えたぞ」

という叫び声が上がった。

島影から察するにそれは値賀島であった。眩しい朝焼けの中、さっきまでの嵐が嘘のように空は晴上がっていたが風はまだ強く波は荒かった。やがて風が雲を運び去ると島の向こうにはくっきりと山が見え始めた。見慣れた阿蘇の山々である。

助かったのだ。水手たちが船底に溜まった水を急いで掻い出している。その横で判官の高名と知乗船事の伴有仁が話し合っていた。篁が近寄ると二人は話を止め、礼をした。

「どうだ、様子は」

有仁は歯切れよく答えた。

「判官殿にもお知らせした所ですが、大過ございませぬ」

「それは良かった。日ごろの訓練の賜物だの」

言葉短く褒めた篁に有仁は頬を染めた。しかし、

「他の舶は大丈夫かな」

高名の言葉に、有仁は眉を曇らせた。

「さあ、嵐が始まってすぐ壱舶を見失いました。四舶は暫く見えておりましたがいつの間にか後方へと。さきほどから探しておりますが見当たりませぬ」

「無事であればよいが」

篁の声を掻き消すように、最後の強い風に乗った飛沫が舞った。


新しく大弐となった南淵朝臣永河の最初の仕事は遭難船の探索であった。先ず値賀島から小舟に乗って陸へ上陸した者が弐舶の無事を知らせて来た。遭難者もいないと聞いて永河はほっとした。一日おいて壱岐から遣唐使船二隻が漂着したとの報せがあった。一隻はほぼ無傷だが一隻は舵が壊れ浸水しており、漂着と言うより座礁に近いとの事である。すぐ後に損害が大きいのは壱舶であると伝えられた。取り敢えず応急の修理をしてから波の静かな時を選んで曳いて来いと指示をすると永河はさっそくこの出来事を知らせるための奏上をしたため始めた。新任であっても地方官を長く務め、経験豊富な永河の仕事は素早い。

「さて、また遭難とは。よほどに運がないの・・・。いや考えようによってはまだ遠く離れぬうちに嵐にあった方が良かったのか、の?」

首を捻りながらそうひとりごつと、すぐに部下を呼び奏上を京に向け馬で運ぶように言いつけ、永河は遣唐使の一行を迎えるように準備を始めたのであった。

壱舶の損壊はかなり手ひどいものであった。訓練を怠った事への代償である。太宰府に戻った常嗣は打ちのめされていた。

「ともかくも」

篁は俯いたままの常嗣に諭すように言った。

「京に戻りましたらお約束の通り帝へ。節刀をお返しする時に」

弱弱しく頷いた常嗣であったが京からの指示はつれないものだった。遣唐使はそのまま留まり舶の修理を終えたらすぐに出航する様に、というのである。それを読んで常嗣と篁は顔を見合わせた。

「もはや、帝にお会いするすべもない。我々は見放されたのだ」

と肩を落とした常嗣に

「まだ方法がございます」

篁は答えた。

直奏じきそう申し上げましょう」

「直奏と申しても京に上る事さえ許されておらぬではないか」

「書面ででございます」

「書面での直奏など聞いたこともない。単なる奏上とどこが違うのだ」

「帝あてに直接届けさせるのです。できる限り、他の者の目に触れぬように・・・やる価値はございます」

篁の強い眼差しに常嗣は渋々頷いた。さっそく篁が草案を練り常嗣に見せ、常嗣は署名した。翌日篁は誤りがあったとしてもう一度常嗣の署名を求めた。本来前の奏文を最終の署名者の前で破り捨てるのが慣わしであるが常嗣はそこまで気が回らなかった。正式な物はいつもの通り京へと発送し残りの一通を篁は自らの手元に残した。新羅船による派遣を検討して欲しいと言う旨の書かれた文章は正式の物と同一である。

「さて、これは・・・」

篁は穴の開くほど読み返して一人考えていた。果たして送った奏上文は帝の許に届くであろうか?それとも・・・どこかで握りつぶされてしまうであろうか?


 篁の懸念は当たった。京から送られた文は直奏に触れる事無く豊前守石川朝臣橋継ぶぜんのかみいしかわあそんはしつぐを修理舶長官に任じるという事のみが記されていた。それは直奏に対する回答ではなく、明らかに直奏があったことを知った上で無視するように書かれた文であった。だが・・・、帝がそのような事をされるはずがない。

その上、それと共に嵯峨太上帝の皇子の一人である源朝臣鎮みなもとのあそんしずめ神護寺じんごじに入り剃髪入道したという話が伝えられた。それを聞いて一瞬、篁の脳裏に、手紙を握りつぶしたのは嵯峨太上帝ではないかという疑念が芽生えた。だが、あのお方ならこのような迂遠なことはすまい・・・。

「我々の願いを御聞き遂げ下さらなかったのだ・・・それどころか太上帝は皇子を入道させてまで入唐を叶えよと仰っておられる」

常嗣は肩を落としたが、それを横目に、さて次の手は、と考えていた篁の許へ更に悪い知らせが届いた。清原真人夏野の死である。

義父の三守は仏教に深く関わっている。東寺長者が唐の青龍寺せいりゅうじに宛てた書状の中にも壇主として三守の名前がある。更に自分の義父と言う事で動きにくいこともあろう。仏教界では遣唐使を取りやめるなどという選択肢はない。そんな訳で篁は義父の三守より夏野を頼りに考えていたのだが、その要が失われた。

 船の再修理は冬を越えて着々と進んで行った。第壱舶の損壊は思ったよりも激しく、高名は一行を編成し直して弐舶・四舶の二隻で行くのではどうでしょう、と提案したが常嗣はこれ以上、宸襟しんきんを悩ますのは畏れ多いとその場で却下した。翌春の末、漸く修理が終わると直ちに京から大宰府に勅が下り、管内の香椎宮かしいのみやを初めとする神社仏閣に経を読む者を配することになった。次いで遣唐使が出立した日から帰朝の日まで五畿内七道で海龍王経かいりゅうおうきょうを読ませるという勅が出された。遣唐使の無事を願っての事のように思えるが、当の遣唐使にとっては早く出立せよと迫られているようなものである。

それでも躊躇っている常嗣にしびれを切らしたのか四月末に従四位下右近衛中将藤原朝臣助を勘発使かんぱつしに任命し出立の遅れについて調査するという勅が出された。それを聞いて常嗣の神経は尋常でなくなった。

「もはや猶予はならぬ。唐に行きつけねば。例え己が死のうとも・・・日本に還っては来れぬとも」

呻くようにそう言って倒れこんだ明くる日、常嗣は思いも掛けぬ事を篁に囁いたのである。

「舶を・・・舶を替えてくれ」

言われた時、一瞬篁には何の事か分からなかった。まさか自分で名付け、従五位下まで授けられた舶を常嗣が手放すとは思いも寄らなかったのである。そうだと悟った時、篁は一瞬、われを忘れるほどに血が頭に昇った。それは舶を替えてくれと言うだけではない。舶に付属する水手共々自分によこせと言う事なのである。何も言わずに立ち上がった篁を常嗣は縋るような眼で追った。

大宰府に到着した勘発使の助は憐れむような眼で間をおいて座っている大使と副使を交互に見やった。

「さようなものが届いているとは聞いておりませぬ」

奏上について尋ねられるた助はきっぱりと答えた。

「しかし・・・」

常嗣は眼を彷徨わせた。

「そもそも帝に直奏するとは人を通さず奏上すること。文であれば必ず人の手を通ります」

「ではその文の在りどころは」

「さて、京に届いたとすればさしずめ蔵人頭が差配したのであろうが」

「今、蔵人頭といえば安倍安仁あべのやすひと殿」

「その通りですが、あの方は奏をぬすむような真似は致されますまい。帝にお渡しなさらないまでもそういう文があったことはお伝えされましょう」

「では・・・」

「話が本当ならばその前に紛失したのでしょうな」

助はあっさりと答えた。

「ならばもう一度・・・」

そう言った常嗣を呆れたような顔で助は見た。

「正気ですか?私が何のためにここに来たのか分かっておられるのか。すぐにでも出発せよと言うのが帝の御意向」

「だが・・・」

「この期に及んでさような事を言い立てれば逃げ口上だとしか思われませぬぞ。現にわたくしとて・・・お二人を信じてないというわけではないが」

そう言うと助は目の前の二人の顔を交互に見遣った。その眼には微かな困惑が交っていたものの、勘発使としての職責を全うする意志は固いようであった。

「さようでございましょうな」

篁は溜息をついた。助の到着した日には五月半ばより帰朝の日まで海龍王経の講説こうせつと大般若経の転読を命ずる詔が五畿内・七道に命じられている。五月半ば迄には出立せよと言う無言の圧力である。それでも六月に入っても尚、遣唐使は出立しなかった。

 助は途方に暮れていた。

突如、常嗣が壱舶を弐舶と取り換える事について公の許しを貰いたいと言いだしたのである。助には公認など渡す意思は毛頭ない。そもそも節刀を渡した以上、それは大使の意思一つで決められる事である。取り替えたければ自らの意思で勝手に取り替えればよい。とは言え叙位まで受けた舶を二度も座礁させた挙句に見捨て、危難を無事に乗り切った弐舶を奪おうというのだから常嗣の魂胆は見え透いている。水手たちの技量、判官、知乗船事の統率力いずれを取っても弐舶の方がかなり上なのであろう。

「小野殿が気の毒であるな」

と助は思った。さりとて遣唐使の渙発かんぱつが自分の仕事である。このままずるずると引き延ばしては今度は自分の身が危うくなりかねぬ。

「副使殿に折れてもらうしかあるまい」

というのが助の偽ざる気持ちであった。その日、助は篁一人を呼び出した。入って来た篁を

「小野殿、お掛け下され」

丁寧に招くと、助は常嗣が舶の取り換えについて公の許しを求めている事、助はそのようなものを渡すつもりがないことを縷縷るる説明した。

「もっともでございますな」

篁はあっさりと答えた。

「それでな、貴公には気の毒だが舶を替えてやってはくれまいか。その方が承知と言う事なら厄介事が片付く」

「結構でございます」

おお、と助は喜びの声を上げた。しかし、

「ですが・・・」

と、前置きして篁の放った言葉に喜んだ助の表情が固まった。

「なんと、唐に行かぬと申されるか」

助の上ずった声に篁は静かに頷いた。ここまで来て石根の時のように新たに副使を任じる暇はあるまい、と篁は考えている。

「しかしそれでは謀反と取られかねまい」

そう呟いた助を、篁は顔を上げじっと見据えた。助はその鋭い眼光に思わず視線を外した。この男は本気だ。

「ならば仕方ないが・・・お覚悟はおありになるのですな」

 頷いた篁から再び視線を逸らすと助は視線を宙に彷徨わせた。篁が唐に行かぬという事実を告げねばならぬ厄介と、舶を取り換える事で逃げ道を失う常嗣が出立せざるを得ないだろうという読みを天秤にかけていたのである。


高名と知乗船事伴有仁は篁から、これより弐舶が筆頭舶となり常嗣が乗ると聞かされ眉を顰めた。だが、それに続けて篁が日本に残ると言いだした時には、暫く言葉を失った。

「しかし、それでは」

高名は言い淀んだ。勅を拒んだとなれば死罪に値する。嵯峨の御代よりこちら罪一等減じるのが普通だから死罪にならぬとかもしれぬ。だがそれにしても官位は剥奪され、遠流おんるとなる事は逃れられまい。

「罪を得るのは覚悟の上だ」

「わたくしもお供致します」

決然と有仁が言った。若い有仁は、常々訓練も怠った上に舶を二度も壊した大使などと共に出航するなど御免だ、という気持ちを隠そうとしなかった。

「行くも地獄、行かぬも地獄ですな」

高名はいつの間にか普段の調子に戻り、鬚を扱くとのんびりと言った。

「私は参る事としましょう。わたしが行かぬと決めても屁の突っ張りにもなりませぬからな。それにせっかく昇進が叶ったのに捨てるのは惜しい」

ぬけぬけと言った高名に

「それが良かろう。そうであれば私も安心だ」

と篁は答えた。

「大使様一人では心もとないですからな」

高名は主である常嗣を切り捨てるようにそう評すと

「しかし、いよいよ私も命が危うい。大使様と道連れの地獄行きはぞっとしません。と言ってこちらに残っても危ない。吹けば飛ぶような身分ですからな」

と続けた。だが、水手に呼ばれて有仁が出て行くと高名は改めて篁を見た。

「どうやら他にも訳があるようですな」

篁は微笑んだが口を閉ざしたままである。高名は苦笑すると、

「まあ、宜しいです」

と言った。

「長岑どの」

篁は一言だけ言った。

「万一流されたとしたら、新羅には近づかない方が良かろう。そうでなければ死ぬしかないとなれば別ですがな」

「心に留めておきましょう。私の祖も百済の出ですから・・・あの者たちは信用しておりませぬ」

うむ、と頷くと篁は言葉を選ぶように続けた。

「行かぬと決めた以上口を出すのも僭越だが・・・舶を替えるだけだと水手の技量があからさまに違うが大丈夫ですか」

「分かっております。少し編成をいじってみましょう。今の壱舶にも訓練を受けた者が居ります。その分、壱舶、いや今は弐舶か・・・その出立が遅れるのは仕方ないでしょうが」

実務家の表情に戻った長岑に向かってうむ、と意を得たとばかりに篁は頷いたのだった。

慌ただしく準備を整え、今や筆頭舶となった旧弐舶と四舶の二隻が発ったのはその月の戊申つちのえさるの日でである。


「西日に向かい漕ぎ出る舶は葬送の行列のようだ。行く手には破船した舶に乗っていた人々の水漬く屍がゆらゆらと漂っているのが見える。行く舶の乗員もまた同じ憂き目に遭うを危ぶむ。希った請願は聞きいられず旅立ちを強いられた人々は俯いている。そもそも彼らは何のために唐に旅立つのか。彼方にある唐は既に衰微夥しく学ぶべきものは尠ない。だが京の人々は自らは享楽し、我々に勘発を行うばかりだ」


 そう歌をうたった篁もこの時点ではまだ自由であった。水平線の彼方に消えて行かんとする舶を眺めている篁の横に助が立ち、

「これからどうなさる」

と篁に尋ねた。

「勅があるまでこちらにいるしかありますまい」

視線をひたと水平線に据えたまま、篁は答えた。

「うむ。貴公については病にて出立できぬと上奏しておいた」

以前、遣唐大使佐伯今毛人は病気を理由に唐に渡る事を拒んだ。それで咎められなかった事を思い、助は敢えてそう上奏をしたのだった。

「ありがとうございます。ですが・・・」

「そう申していた、とだけ記しておいたのだ。後は思うようになさるがよい」

 篁と共に日本に留まった者が伴有仁以外に三名いた。決して多くはない数のように思えるが反逆と捉え兼ねられない行動を篁と共にした者がいたのである。

助は翌日、京への帰路に着いた。


その少し前に篁の言いつけで京に帰り着いた一人の男が愛宕の、とある古い邸の門を叩いている。篁からの書状を持ってきたと聞くとひっそりとした邸の門は僅かに開きすぐに閉まった。


筆頭舶・四舶が出立した後二十日ほど遅れて残っていたもう一つの舶が出立したがそれは当初常嗣が乗っていた太平良と呼ばれた舶であった。高名の計らいで何人かの水手長が新たな壱舶から移り暫時の訓練を行った。纏めて出航するより危険が分散されるだろうと言う理屈で助もそれを了承していた。

それから五か月の間、篁は大宰府に留まることになる。

京に戻った藤原朝臣助はすぐに権中納言良房に呼ばれた。甥にあたるが権勢並びのない北家の長者である良房に、助は頭が上がらない。

「ご苦労であったの。副使は発たなかったいうのはまことか」

「はい」

助は大宰府で見聞きしたことをそのまま良房に伝えた。そして船を新羅船にするという上奏を大使・副使がしたにも関わらずその奏が失われたようだという話をした、だがそれを聞き終えた良房は眉を顰めると、

「左様な事がある筈がなかろう」

と吐き棄てるように言った。

「大使・副使二人ともが申しておりましたので一応、お耳に・・・」

「出立が遅れた事への言い訳であろう。それに発って行った以上さような言い訳めいた話を帝のお耳に入れては決意して出航なされた大使の恥である。大使の恥はわれら藤原の恥」

確かにそうであった。言いたいことがあれば常嗣が戻って来てから自ら言えば良い話であるし、残った篁が主張すれば良い話である。

「それにしても・・・副使はまことに病であったのか」

そう尋ねてきた良房の目は疑いに満ちている。

「そのように見受けました」

答えてから助は常嗣が己の舶を篁の舶と取り換えた事を説明した。篁の心証が良くなるよう慮って話を持ち出したのだが、良房はそれを一蹴に付した。

「それは大使の一存。副使以下の者は大使の命に従えばいいのだ」

それはその通りだと思いつつも、良房がひどく篁に冷たいと助は感じた。確かに命に従って唐へと旅立ったものと居直るかのようにこの地へ留まった者と扱いが変わるのは仕方なかろう。しかし篁の心情はある程度理解できる。命に係わることを、それまで準備を怠ってきたものがいくら位が上だとは言え、突然ひっくり返すのではやりきれなかろう。

そう思ったが、それ以上の口出しを控えるだけの分別を助は保った。

「まあ、良い。明日太政官の合議にそなたも出て説明なさるがよかろう。但し不用の事は申されるな」

そう言って助を帰すと良房は塗籠の中に入り、独り坐した。 燭の油は切れ、灯りは消えかかっていたが構わずに放ったまま目を瞑る。

篁が出航しなかったのは思いもよらぬことだった。仲麻呂のように唐に留め置かれるか、或いは船と共に沈むか、新羅の海賊に捕えられ殺されるか、どれでも良かったのだが、そのどれでもない結末になるとは。しかし、帝の勅に従わないと言うのは大罪である。これであの者の命運も尽きるに違いあるまい。とにかく、あの目障りな者が眼の前から消えてしまえば良いのだ。そう思いつつふと良房はなぜ自分はこれほどまで篁を憎んでいるのだろう、と首を傾げた。

 そうだ・・・。まだ自分が少年だった頃に亡き空海殿が発した一言、「あの方は格別であられる」という一言に、いまだに自分は拘っているのだ。そう思いつくと良房は自分の執念深さを訝しくそして愛おしく思った。大宰府からの上奏を握りつぶしたのは良房自身である。蔵人頭よりも帝に近く地方の国司たちを除目を通して配下に置いた良房には訳もないことであった。それに帝はどんなことがあろうと自分を手放しはしまい。あの事が叶うまでは・・・。

 火の落ちた塗籠の中でぴちゃりと舌舐めずりをする音がした。


「これをしたのが篁と申すか」

読み終えた嵯峨帝の顔は怒りでどす黒く染まっていた。文を持つ手がびくびくと細かく震えている。西道謡さいどうようと題のつけられた篁の手になる詩は大宰府にいる手先から入手して、良房の手で太上帝のもとに届けられたのであった。遣唐使船が出立してから三月の後の事である。

「ええい、唐に行かぬばかりか斯様かように帝を誹謗ひぼうするとは何事じゃ。憎きやつ。許せぬ」

直ちに良房に命じ、太政官を集め論奏するように命じたが、それは本来嵯峨帝自身が戒めた太上天皇による政治への介入ですらある。しかし怒り心頭に発している嵯峨帝にはその事に気付く余裕がなかった。帝も良房も咎めることはなく、直ちに参議以上の者たちが呼び集められた。

良房はあたりを見回した。右大臣の三守は発言せぬであろう。義理の息子が惹き起こした思いがけぬ暴挙に、老人は針のむしろに座しているかのように縮こまっている。中納言の愛発や吉野は篁を京に呼び事情を聞こうと主張するかもしれない。嵯峨帝の子である大納言源朝臣常だいなごんみなもとのときわ、太上皇太后の血縁である中納言橘氏公ちゅうなごんたちばなのうじきみは太上帝に従うであろう。そもそも氏公などに考えなど湧くはずもない。

 そんな中、右大弁和気真綱うだいべんわけのまつなは律令に照らせば絞刑こうけいに相当するが、例に従い罪一等を減じ遠流が相当と論じた。中納言藤原朝臣愛発は篁を京に召喚してその言を聞くべきでないかと主張し、幾人かが頷いた。良房は論議が続く中、不意に右大弁和気真綱に問うた。

ならいに従い罪一等を減じると申されたが、例とはいかなることかな。帝の勅に背いた者を例と言って罪を減ずるとあればそれは悪しき例ではないのですか」

一瞬辺りは鎮まりかえった。思いも掛けなかった良房の指摘に狼狽えている真綱に替わって左中弁の藤原當道ふじわらのまさみち

「先々帝の御代から死罪は適用しないと定まっております」

と答えた。

「だが、それでは律令が守れぬ。死罪はないと甘く見て企みを構える者も出て来よう。国のたがが緩むとなればそれは却って悪しき例ではないのかと尋ねているのです」

辺りはざわめいた。良房は篁を死罪にしようとしているのか、と皆懼れたのである。それは本能的な死刑への忌避であり、祟りを怖れるものであり、浸透しつつあった仏教の教えに適ったものでもあった。

「良房のいう事も道理である」

その時、押し黙ったままでいた左大臣緒継が重い口を開いた。

「であるが、罪一等減ずると言うのは帝のお決め事になられた事。それを覆す事が出来るのはまた帝のみ。権中納言殿は先の帝の申された事を臣の身で覆そうとなさっておられるのか」

その一言に良房は押し黙った。

「篁の罪は西道謡という詩で帝と遣唐使を謗ったことにある。それは弁解なるまい。前太上帝にも今上帝にも示しがつかぬ。そのまま大宰府から遠流させるという事で良いとわしは思う」

緒継の言葉に皆頷いた。良房とて死罪が適用されると考えていた訳ではない。ともすれば易きに流れようとするとする議論に棹をさそうとしただけである。どうしても避けねばならぬのは篁が京に戻って余計なことをしゃべるのを防ぐことであった。もしそうならざるを得ねば・・・良房は別の謀りごとを心の内に秘めていた。

それにしても・・・面前で帝の決めたことを覆そうとしているのか、と緒継に質された時は一瞬冷や汗が出た。狸爺め、と心の中で緒継を面罵したが、京に戻すことなく遠流と決まった事にほっとしてもいた。

もっとも、と良房は幽かに笑う。面倒をぎりぎりで躱すことに快感があるのだ。それが政の面白さ、それを楽しめないものに政に携わる資格はない。

その年、冬十二月になって漸く篁に関する勅が発せられた。そこには「律条を適用すれば絞刑だが、死一等を減じ隠岐国へ配流せよ」とある。

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