第5話 波濤 船を裂く

難波津に寄せる波は、初夏の陽気の中、良風に揺蕩たゆたって穏やかであった。津には漁師だけでなく、近隣の農夫やら子供やらがそこここに集まって波の先にあるものを、目を瞠り、飽くこともなく見続けている。

四隻の巨大な舶が波に揺られているさまは壮観である。自ら指揮する第壱舶を大平良たいへいりょうと名づけ、悦に入っている常嗣を苦々しく思っていた篁も雄大な景色に久しぶりに詩心が湧きつつある。

大平良という名もまた詩から生まれた名であり、桓武帝が延暦の遣唐使派遣にあたって

 この酒は大にはあらず平良たいらかに帰り来ませといわいたる酒

と大使藤原葛野麻呂に賜べた歌に由来している。父が戴いた歌を大切に大使は船を名付けたのだろうと思いはするものの、船に名をつけるような俗悪さは篁の趣味ではない。

钄钄きらきらしゅうございますな」

声がした。後ろを振り向くと篁と共に第弐舶に同乗する長岑高名が微笑んでいた。

「遣唐使船は百済船を模しているといいますがそう言われると何となく懐かしゅう見えるものです。明日は右近衛中将様がやって来られ宴が開かれるそうですな。いよいよ解纜かいらんですね」

「さようですな」

せっかく湧き上がりかけた詩心を妨げられたこともあり、顔を僅かに顰めると篁は高名に向き直った。

「長岑殿。大使殿がお誘いになられたのに、なぜ第壱舶にお乗りにならなかったのです?」

「ははは。どうも副使様の船の方が面白そうに思えまして。なに、本気になれば大使殿は無理にでも私を乗せたでしょうからさほど気にされてはおりませぬのでしょう」

無邪気な笑い声が初夏の海と良く似合っている。

「無用に大使殿を怒らせなさるな」

高名が自分の言うことを聞かぬ、と昨夜散々愚痴を聞かされていた篁は苦笑いを浮かべこの妙な男を見た。どこか茫洋とした趣は百済の出である祖先の血なのだろうか。

「いや、どちらの船に乗れば学ぶことが多かろうかと考えた末に副使さまの舶にしたのです。いけませんでしたでしょうか」

真顔で問うてきた男に篁の苦笑は微笑に替わる。

「いけないというほどの事はないが・・・。ならば精々お学びなされ」

「はあ」

とぼけた返事にどうも力が抜ける。

「しかしまた今さらなぜ遣唐使なのですかな。唐はもはや斜陽でございますよ」

高名は大使が聞いたら顔をあかくして怒りそうな事を、篁に向けてはぬけぬけと言ってくる。

「国情といえば、麻縄のように乱れているとの事ですし危険もある。ま、もっとも」

高名は悪戯っぽそうな表情をして、篁を見た。

「おかげさまで私のような者でも正式な官位を得る機会に恵まれるのですから感謝せねばなりませぬが」

長岑は出発直前に外従五位下から従五位下に叙されている。外位から内位に移ったのがよほど嬉しかったようだ。今でいえばノンキャリアの官僚がキャリアになったようなものである。

「唐に行くのは無駄だと?」

「いえ、無駄とまでは言いませぬが・・・しかし」

高名は眉を寄せた。遣唐使の一員として選ばれた者の殆どはその栄誉とまだ見ぬ国に対する憧れで高揚している。しかし一方でなぜ遣唐使を派遣するのか、と内心疑問を抱いている者も少なからずいた。元来、朝貢の最大の目的は唐と言う強大な力の下に入る事である。海を隔てているため直接の脅威は感じないが、下手に逆らえば高句麗こうくり突厥とっけつのように滅ぼされてしまう事がないとも限らぬというのが昔の常識であった。しかし今の唐に、その力がない事は明白である。

 もう一つの目的は律令の導入である。国の制度が整っていなかった上代では隋、唐の律令制度を導入する事は重要な課題であった。しかし律令の導入は既に終えている。それどころか肝心の唐では今それが破綻しつつある。

 それらの目的の付随として文化・文物・仏教の受容がある。とはいえそれだけを目的に大々的な遣唐使を派遣するのが得策なのか、という疑問は篁の胸の内にもある。何しろ準備だけで二年もかかる大事業である。文化・文物を求めるだけなら、かほどに民を苦しめるような大仰な形に拘る事はあるまい。

「さような事は気軽に大使の前で口になされぬほうがよかろう。もう戻ることにしましょう」

篁の言葉に頷くと高名は篁に従って宿舎へと戻ったのであった。その二日後、京から派遣された右近衛中将藤原朝臣助うこんえのちゅうじょうふじわらのあそんふじわらのたすく右小弁藤原朝臣当道うしょうべんふじわらのあそんまさみちらが見送る中、四船はともづなを解いて出航した。


「たいへんな嵐でございます。篁様は大丈夫でございましょうか」

邸の屋根を叩く激しい雨の音におののきながら、里に戻っていた袖子は篁の身を案じて父に問うている。尋ねられた三守は唇を引き締め、

「内裏に参上する。追って様子を知らせよう」

と言うと邸を後にした。後の調べで、京で損壊を免れた家は稀といわれたほどの大嵐である。何度も車は風に押し返され、牛の嫌がる悲鳴があがるのが車の中の三守にも聞こえてくる。僅かな道のりの間に牛車は中までびしょびしょに濡れてしまっている。

 舶は今は大和田おほわだとまりあたりであろうか、うまくみなとに入っているだろうか、と三守は短い道中でも気もそぞろであった。びしょぬれになりながらも朱雀門すざくもん衛士えじは車を止めたが、三守の車であると認めると慌てふためいて門を開け宮中へと導いた。体を拭い着替えをし朝議の間に入ると驚いた事に暗がりの中、帝が一人端座たんざしていた。

「三守か。ご苦労」

僅かに眼を見開き三守の姿を認め、一言、そうとだけ言って帝は再び目を閉じた。


俄かに暗くなった空を不安そうに見上げていた第弐舶知乗船事の伴宿祢有仁とものすくねありひとは強い西風に混じった大粒の雨を一粒肌に受けると

「嵐が来るぞ、船を大和田へ」

と声を限りに叫んだ。その声が消えるか消えないうちに、叩きつけるような生温い雨が滝のように降り注ぎ出した。火信が一つ掻き消えたのを見、代りを燈すように水手長かこのおさに指示する。一舶の影が遠くで舵を右に切ったのを認め、後を振り向いて第参舶の位置を確かめた。後続の船に掲げられた火信もが大きく揺れている。水手たちが必死に水を掻き出しているいる横を有仁は副使の許へ駆け出した。足元が大きく揺れ、波の飛沫が体を襲うが、構わず叫び続けた。

 「面舵じゃ、面舵に切れ、風を横に受けるな」

嵐は翌日の未明まで続いた。四舶は共に大和田の泊で荒い波に揺れている。座礁せず湊へ行き着いたのが幸運としか言いようのない嵐だった。海岸線に近い航路を取っていたことが幸いしたのであろう。大きく揺れる船上から海の様子を眺めながら胸を撫で下ろしている篁の横に近づいて来たのは高名であった。顔色が青い。

「ひどい嵐でしたな。死ぬかと思いました」

げっそりとした様子でそう言った高名をちらりと見遣ると、

「外海で嵐に遭えばもっと揺れますぞ。大丈夫ですか」

と篁が尋ねた。

「大丈夫とは申すませぬが・・・。何とかなるでしょう」

要領を得ない答えをすると、

「しかし副使さまは海に御強いですな」

感服した様に高名は篁を見上げた。

「陸奥にいたころ、ときおり漁師の船に乗って外海に出ていたのです」

応えながら篁は第壱舶を見詰めているが、一向に船上に常嗣の姿が現れない。様子を確かめに小舟を出すにはまだ波が荒すぎる。

当の常嗣は船の中で震えていた。胃の中の物はすっかり吐きだして時おり酸っぱいものが喉を駆けあがるが嘔吐えづこうとしても涎のような粘液が口の端から零れ落ちるだけだった。

「常嗣様、嵐は収まりましたぞ」

知乗船事が船底に下りてきて報告したが常嗣は

「まだ船が斯様かように揺れておるではないか」

と柱に掴まったまま喘いだ。

「しかし、外は晴れ渡っております。風ももうすぐ止みましょう。他の長たちは皆、待っておられますぞ」

常嗣はよろよろと立ち上がった。互いの無事を確認するときはそれぞれの舶の上長が船上でする事になっている。覚束ない足取りで船上に上がると第弐舶の主である篁、第参舶の判官丹墀文雄、四舶判官菅原善主は既に船上にある。常嗣の姿を認めるとすべての舶から、おぅ、と喊声かんせいがあがった。波が収まると小舟を浮かべ大使、副使、判官、録事そして知乗船事が浜に上がり、第四舶に同乗していた造舶都匠の三嶋公嶋継が同行した。嶋継が小舟に乗って船を見回り大規模な修理を要するような故障がないことを確認した上で、失った艀や小規模な故障は大宰府で手配・修理しようと決めると一行は暫く湊に留まる事とした。

 京から遣唐使の安否を調べるために陸路向かった一団は増水の為、川を越えられずに虚しく引き上げた。翌日、左兵衛少志田辺吉備成が海路で大和田の泊に行き着いて、漸く船の無事が確認されると京から急ぎ山階、田原、柏原及び神功皇后の山陵に幣帛を奉った。併せて、宮中では万一遣唐使船が嵐に見舞われ新羅に流れ着いた場合に備え、新羅に遣いを送り一行の保護を頼むべきではないかという議論が奏された。その議を発したのは三守である。ひとつ前の延暦の遣唐使の際に漂流した船の保護を求めて新羅に使いを送った事にならった提案である。

「しかし大納言様」

反対を表明したのは良房だった。

「彼の時は漂流したことが明白でございました。しかし今回は何事もなく到着するやも知れませぬ。新羅に頭を下げるのは早すぎませぬか」

良房の意見に頷く者がいるのは、年来日本と新羅が微妙な関係にある為である。なろうことであれば新羅に恩義を受けたくないというのが皆の気持ちの底にある。

以前は唐と争い日本との関係を重視していた新羅であったが、唐の朝貢国になって以来、二国は天平勝宝遣唐使の際に席次を争うなど揉め事が絶えない。近年では新羅の武装集団が貿易の利を求め鎮西各地に到来したり、日本に移住したいと願い出た者が東国で反乱を起こしたりと、新羅はとかく頭の痛い隣人に変貌していた。その上、新羅に亡ぼされ日本に移住してきた百済人も宮廷には多く、彼らの新羅への反感は根深いものがある。

「しかし、いざ事が起こってからでは遅すぎるであろう」

大納言の言葉に頷いたのは中納言藤原愛発と参議右衛門督文屋秋津である。帝はその日、双方の論奏を聞いただけで結論は出さなかった。どちらの論にも頷くべき点があったからである。

 その頃、京の情勢は遣唐使のみが喫緊の課題とはいえない状況であった。遣唐使の出費を賄う税と、天候不順による飢饉のせいで京に食いつめた者たちが集まり徒党を組んで盗みを働く事件が起き始めた。新羅とは言え、使節を送るとなればそれなりの掛かりが必要である。その出費さえ惜しまねばならない、と考える者たちも多かった。次の太政官会議でも論争が続いたが、近頃めったに喋ることのない左大臣藤原緒継が突然、口を開いた。

「国の遣いを守れないというくらいなら派遣そのものを見直されませ」

 この一言で帝は新羅に使いを送る意見にくみした。使いに選ばれたのは武蔵国権大掾紀三津むさしのくにごんのだいじょうきのみつである。領国に半島渡りの民が住んでおり言葉が分かると日ごろ己を売るために豪語していた男だが、実際はせいぜい挨拶程度の言葉しかわからない。なぜこの男が選ばれたのか、謎である。

ともかく紀三津は牒状を持って大宰府に向かった。新羅国執事省に宛てられた牒状には遣唐使が漂着した場合に救助し送還して欲しいとの内容が記されている。以前はわざわざ遣新羅使のために船を建造して送っていたが、新羅との関係が悪化してからというもの、新羅から大宰府近辺に無断で到着した船を接収し使いまわす事にしていた。その修理に暫くかかるためその間、紀三津は大宰府に逗留することになった。


遣新羅使の出立の報をその日聞いた良房は、邸の暗い塗籠に籠るとで一人考え込んでいた。万一遣唐使が失敗して新羅に漂着するような事があれば、新羅は素直に送還して来るであろうか。

 あの老人が余計なことを言わねば・・・。呟くと良房は口許を歪めた。新羅も国の衰退に苦しみつつある。沿岸では海賊たちが跋扈ばっこしているらしい。そこに日本の貴顕がのこのこと哀れな姿で漂着したなら我が国にどのような難題を持ち込まれるか知れたものではない。わざわざ知らせる必要はない。下手をすれば新羅は海賊の方に与するかもしれないではないか。

「万が一惨めな姿を新羅に晒し、そのために譲歩を強いられるくらいなら・・・」

暗闇の中で良房の眼がふたり、と音を立てて閉じた。新羅と国交を断絶せねばならぬほどの事件が起きたほうがましかもしれぬ。


大宰府で破損の修理をしたのは主に第参舶と第四舶であった。嵐に際し泊に入るのが遅れたためである。その間、太宰大弐に昇任した広敏の勧めで大宰府に留め置かれている新羅の貿易商人のうち素性の良い者達と篁は通詞を交えて面会をした。彼らは遣唐使船を見ると、その威容に感嘆するどころか哀れむように首を振った。

「あの船で唐に渡れば十に三・四は海の藻屑と消えましょう。同じ材であっても大きなものであれば・・・」

商人の一人が懐からしゃくを取り出し右手と左手で撓めるとぼきりと音がして折れた。一緒に話を聞いていた高名が座からずり落ちるほどの大きな音だった。

「力がかかればこのように簡単に折れる。ですが・・・」

彼は折れた片方の笏を更にたわめた。高名は慌てて耳を塞いだ。だが今度は笏は折れない。

「木であまり大きな船を作ってはいけない。船足は落ちるし波に対する力も弱くなる。それにあの船は胴の寸が太すぎる。私たちの船を御覧なさい。ずっと船体が細い。船足が早く波にも強い」

そう言われても今さら船を造り直すわけにはいかない。篁と高名は目を見合わせた。

「どうしてもあの船を使うと言うなら余程訓練しなければならない。唐と日本の間の海では強い西からの嵐が吹く」

「風が吹いた時はどうすれば?」

舳先へさきを風の来る方角に向けるのです。横から風や波を受ければ操れぬ。船乗りなら誰でも知っていると思うが・・・」

商人は難しげな顔をした。

「近頃、あのような大きな船を操った者はいないでしょう。ひたすら教練をなさることですな」

篁と高名は知乗船事の伴有仁と語らってそれから西風の強い日に船を出し水手たちに訓練をさせた。不満を言うものも多かったが篁と高名は必ず同乗した。有仁が願ったのである。

「副使殿、判官殿が皆の命を想って一緒に訓練をすると言っておるのだ。不満は言うな」

と有仁が叱りつけると水手たちの不平は次第に収まっていった。四舶の判官菅原善主も修理が終わると倣って訓練を始めたが常嗣は

「万一、出航前に船が壊れでもしたらどうするのじゃ」

といい顔をしなかった。全ての修理が終わり出航が叶うようになったのは秋七月の初めである。志賀島しかのしまから有救島うくじまへ向かい水を得た後、風を待って唐へと渡る航路である。既に志賀島に舶は渡してあった。

出発の前日に太宰大弐広敏が主宰する宴が開かれ、大使、副使他宴席に招かれた者たちが志賀島から小舟で戻って来た。その末席に紀三津も招かれた。

「我らの為に万一のことを考えて、新羅へ勅使をお送りくだされる。まことに手厚い事よ」

常嗣は畏まって小さくなっている三津の杯に酒をなみなみと注いだ。

「さようなことはないと思うが、念のため新羅にはよしなに伝えて貰いたい。ところで・・・いつ御出立なさる?」

遣唐大使の問いに

「船の修理が整いましたので、すぐにでも」

三津は平伏して答えた。

「ご苦労ですな。どのような航路で」

篁が尋ねると

「壱岐から金海きめに渡り、そこから慶州けいしゅうまでは陸路でございます」

「なるほど」

「新羅船は足が速いということでございまして。出発は御方がたよりも遅れますが十分に間に合うと存じます」

三津の言葉に

「それは聞き捨てならんな」

常嗣が口を挟んだ。

「あのようなみすぼらしい船で果たして海を渡っていけるのか、我らよりよほど心許ないぞ。まあ、新羅くらいまでならなんとかなるかもしれんが」

「ごもっともでございます」

三津は平伏した。同じ「国の遣い」とはいえ、言い争うには身分が違いすぎる。

「私どもの方が漂流する事にもなりかねませぬ」

出発の朝は南東からの風が吹き、航海にうってつけの日和だった。志賀島で纜を解いた四隻の舶が水平線の上で小さくなっていくのを眺めながら広敏は無事を祈ると、遣唐使船進発の奏をしたた飛駅ひえきで京へと伝えたのであった。

遣唐使船のうち二隻が戻ってきたのはそれからわずか三日後である。その報を聞いた広敏は慌てて浜へと馬を飛ばした。

「二隻か・・・」

広敏の脳裏に最悪の事態が浮かんでいる。昨日、一昨日と大宰府の辺りの気候はさして悪くはなかったが、敢えて戻ってきたということは、海の上は相当時化しけっていたのだろう。残り二隻が遭難した事も十分考えられる。どの船が帰って来たのだろうか。浜に着くと配下の者に急いで尋ねた。遠くの海上で二隻が泊を目指しているのが見えた。

「小舟で様子を見に行ったものによると壱舶と四舶との事でございます」

舶の網代帆には大きく数字が書かれている。互いを確認するためであった。その数字が壱と四と確認ができたのだろう。部下の答えに広敏は考え込んだ。壱と参であればもう少し安心をしただろう。広敏は篁や善主が熱心に船の訓練をしているのを見ていた。弐と四の組み合わせであれば嵐があったとしても乗り切って唐へ向かっている事も十分考えられるのだが・・・。

「壱と四か・・・」

「さようにございます。いかが致しましょうか」

「ともかく、帰ってきた舶を収容して検分せよ。大使様他皆さまは丁寧にお迎えするのだ。見張りの手配もせねばならぬ」

馬を役所に戻すとすぐに再び奏上を書き上げ京に知らせた。併せて翌日、出立する予定であった遣新羅船の出発も取りやめ都からの指示を待つ事にした。遣唐使船の遭難の恐れが高まったのですぐにでも発たせるべきかもしれぬとも思ったが万一、遣新羅船まで遭難しては手が足りぬ。それに話を聞いた限りでは遭難した地点は新羅に流されるにはずいぶん南寄りである。

助けられた常嗣は度重なる難事に心身とも疲れ切っているようだった。

「有救島を出てからすぐであった」

西風が激しくなったとの報せがあってすぐ船が激しく揺れ出した。東寺の塔上から下を覗くよりも高い波であった、と呟いた常嗣に

「それで残りの二船は?」

と尋ねた広敏に

「わからぬ。あっという間にはぐれてしまったのだ」

と答えた。その日から肥前、筑前のありとあらゆる島、浜に松明たいまつが掲げられた。広敏が憂慮していた事態が現前で起こり始めている。筑前・肥前の正丁せいていから人を割かねばならぬ。ただでさえ農作業の忙しくなる秋だというのに。就任したばかりの大弐は大きなため息をついた。

京からの勅符ちょくふが届いたのは七月丁亥の日であった。一つは大使常嗣、四船判官善主に宛てた憂いと労いの勅符である。もう一通は大宰府に宛てたもので、遭難した遣唐使を安らかに過ごさせよ、舶の修繕を行う工人を京から送るという通知と、弐舶、参舶の捜索をせよという命令であった。工人たちは送られてくるが、その食費や滞在費はこちらで賄わねばなるまい。それに・・・広敏は直ちに部下の者に準備を命じた後、ひとり考え込んでいた。

これほどの日が経っている以上、弐舶・参舶は既に唐に到着しているかあるいは破船はせんしたかのどちらかに違いあるまい。もし破船しているならどこかの浜か島に流れ着いたという報せが届いても良い筈の頃合いだ。

助かっていればよいが・・・篁や高名、参船判官の丹墀文雄の顔を思い浮かべ憂い顔になっていた広敏の許に一人の配下の者が駆け込んできた。

「弐舶が漂着したそうでございます」

「何?どこへだ」

広敏は跳ね上がるように立ち上がった。

「松浦の別島わけしまとのことでございます」

無事戻って来たか、と広敏は思わず胸に手をやった。

「それで・・参舶の消息はないのか?」

「それが・・・。もちろん最初にただしたとのことでございますが、参舶が最初に視界から消えたそうにございます。その後は一度も見なかったと」

「うむ、そうか」

参舶は絶望かもしれぬ、と考え広敏は腕を組んだ。

弐舶の帰還を知らせた奏上に対する勅符が篁の許に届いたのはそれから十日後の事だった。読み終えると黙ってそれを広敏に渡した篁の顔は陽に焼け表情は以前より厳しい。勅符に目を通すと広敏は呟いた。

「京は副使様の船は唐に辿り着いたやもしれぬと期待しておったようですな」

篁に届いた勅符は期待を裏切られたという思いが滲んでいる。忠貞ちゅうていの心があれば必ず無事に行く事ができるものだが、という文句がそれを表していた。遣唐使船が四隻で出立するのはある意味、どの一隻でもいいから辿りついてほしいという思いがあるからである。

「あの舶では嵐を二つ乗り切る事は無理だ」

篁はそっけなく応じた。篁の船は最初の嵐はなんとか乗り切ったが次の嵐に耐えきることが出来ず、艀を失い船に水が大量に入り込んだため引き返したのであった。

「それより、参舶はまだ見つかりませんか」

沈痛な表情で問い掛けた篁に広敏は首を横に振った。

「まだです。懸命に捜索を続けているのでございますが」

「大弐様の怖れた通りになってしまいましたな。申し訳ない」

篁は頭を下げた。

「いえ、御無事に戻られただけでも幸いでございます」

そう答えた広敏の言葉も心底からのものである。篁は目の前の男の誠実な言葉に頷くと、

「大宰府だけでは手に負えないと奏上なされるがよい」

と呟いた。

旱魃と疫病で鎮西全体が苦しんでいる。そこに五百人を超える数の遣唐使が居つくのではたまらないであろう。

「そうするつもりです。ただ参舶の消息がわからぬことには」

篁は頷いた。参舶が見つからぬうちにそのような事を言い出せば、見つけられないことの言い訳・手抜きととらえられかねない。

「しかし・・・参舶は・・・難しゅうございましょうな」

広敏は呟いた。篁の話では嵐は二度襲ったようである。一つ目の嵐を乗り切ったとしても二つ目で破船したことは十分ありえる。

参舶の最初の消息が伝えられたのはその日の午後であった。対馬から水手ら十六名が船の残骸を以って拵えたいかだに乗って漂着したとの知らせが届いたのである。舶は嵐でばらばらに壊れ、判官を初めその他の者たちの消息については全く分からないと言う事であった。

 その三日後、肥前に九人が乗った別の筏が漂着した事が伝えられる。対馬と肥前という遠く離れた地で見つかったことによって捜索の範囲を限定することは難しくなった。対馬で見つかった十六名のうち、請学僧真済と留学僧真然しんぜんは別の十四人と違う筏に乗っていたことが分かり、彼らの説明で難破の様子が多少はっきりした。船の舵が折れ、船内が浸水した後航行不能のまま漂っていたが飲み水が無くなり判官丹墀文雄の提言で船を壊し筏を組んで海へ乗り出したという。その後、再び訪れた嵐に巻き込まれ、取り残された二人の僧は瀕死の状況で対馬に流れ着いた。見つかった時は意識さえなかったそうである。

「僧が乗った船が難破しその僧は助かる。仏のご加護は果たしてあるのやらないのやら」

広敏は胸の内で呟いた。参舶の最初の漂着者が見つかったという報せと共に大宰府の窮状を訴えた事で大使の許へ勅が下っている。取り敢えず大使、副使はしばらく大宰府に留まり知乗船事以下については京と故郷へそれぞれ帰す事にし既にその作業が始まっていた。

そんな中、不思議な命が遣新羅使の紀三津に届いた。そこには遣唐使の遭難にも拘わらずそのまま新羅へ発つようにとあり、それを受けて紀三津は新羅へと向かい旅立ったのでる。

「どういうわけでございましょうな。遣唐使の船は暫く出航はなるまいに」

篁や高名と酒を酌み交わしながら広敏が言うと篁は暫く考え、

「いずれ遣唐使を送る事は決まっているからでしょう」

と応えた。高名は背を窮屈そうに丸め篁を見遣ると、

「何があろうと唐に行けと仰っているのですな。しかし出発して間もないというのにあのようなひどい目に遭うとは・・・。果たして行きつけるか不安ですな。」

と呟いた。

よくぞ持ちこたえたと篁も考えている。船体の隅角を留めてある平金ひらがねが弾け飛ぶかと何度思ったであろう。結局、参舶で生き残ったのは既に見つかっていた二十五人に加え、残骸と化した船に留まって対馬に流れ着いた二人だけであった。判官以下、録事、知乗船事は全て海の藻屑と消えたのである。大使と副使が重い腰を上げ節刀を返還するために京に戻ったのは九月の半ばであった。


紀三津は怯えていた。慶州に着いたのは九月朔日ながつきついたちである。執事省に辿り着いて、大切に抱えて来た牒状を渡した時までは何も問題がなかった。取り扱いは丁寧で、よくぞ遠路はるばると参られたと鄭重な挨拶まで受けたのである。ところが、翌日召喚されて再び赴いた時雰囲気は一変していた。

「こちらへ来た目的は何だ」

尋ねる口調はまるで審問である。通詞が訳すと三津は

「ですから牒状に書いてある通り、遣唐使の・・・」

通詞が三津の言葉を新羅語に訳して伝えたようだが、先方は激しい口調で何かを通詞に詰問している。

「これはどうしたことだ?」

三津は戸惑った。何が起こっているのだ?そしてこの通詞はなにを言ったのだ?最初京から付いて来た通詞は気の合う男だった。新羅から貿易の為に渡って来て何となく日本に住みついたと男は言っていた。だがその通詞が遣唐使が出発した日に俄かに病に罹った。どういう手回しかその日新しい通詞が万一の時の為と京から送られてきた。焦っていた三津はその時はほっと安心したのだが、どうやらとんだ間違えだったようだ。

 最初の応対から既に十日が過ぎている。宿泊しているのは牢獄ではないが似たようなもので二人の見張りが張り付いていた。通詞は最初の一日は起居を共にしたが、今は別の所にいる。最初の夜、寝る間もなく問い詰めたが通詞はのらりくらりと躱すだけであった。翌日から通詞は別の部屋に移された。一日に一回審問を受ける時は一緒になるが通詞は決して三津と目を見合わせなかった。もはやこの通詞は信用するに足らぬ、と三津は考えている。三津が審問で喋る事はほとんどなかった。事情は全て通詞が話し、執事省の役人はそれを信じているかのようだった。

 もしやと、三津は考えている。眠れぬ夜に思いついた事であった。奏状がすり替えられたのではないだろうか。牒状と一緒に執事省に提出した奏状は通詞に預けてあった。まさかこんな事が起こるとは思わなかったのだ。確かに牒状が正式の通知だがそれを補足する奏状と牒状に齟齬があるのではないのか。しかしそれをこの場で問い質す事はできない。絶望的な状況であった。だがいったいなぜ?三津の顔は絶望に歪んだ。自分はこのまま新羅に捕えられ留め置かれるのであろうか?それとも・・・

だが天はこの不幸な男の命を見捨てまではしなかった。翌日執事省に召喚された三津は執事省の役人から通牒を渡されたのである。

「それを持って日本に帰れと言っている」

通詞の日本語は粗暴であった。解放されて日本に帰れると言う喜びと、目の眩むような屈辱の狭間で三津は通牒の内容は何なのかと尋ねた。通詞は新羅の役人にそれを尋ねた。

「持って帰ればわかると言っている。早く去ね、と」

恥辱にまみれ三津は返された新羅への贈呈品とともに金海へと向かっていた。金海に留め置かれている他の者たちに何と説明をすればいいのだと思いつつも、辿り着いたら同行している通詞を捕縛して吐かせればいいのだと考えていた。その三津の一行を突然一群の盗賊たちが襲った。日本からの贈呈品を奪いに来たのだ、と咄嗟に三津は考えた。だが盗賊たちはそれらと共に通詞を奪い去って行った。三津は同行していた他の新羅人と共に呆然と盗賊の後姿を見送るばかりであった。

尾羽打ち枯らした紀三津一行が大宰府へ戻ってきたのは出発してから二か月後、冬十月の末であった。三津から話を聞いた広敏は黙ったまま聞き終えると僅かに首を振った。この男の話を疑ったわけではない。何かがおかしいと感じたのだ。だが大宰府も自分も、この間の抜けた、不運な遣いにしてやれる事は何もない。

「京で今の話をなされるしかございませぬな」

紀三津はがっくりとうなだれた。

京に戻った紀三津は同じ話を太政官の前でするしかなかった。新羅からの通牒を読み終えた太政官たちの眼は広敏のそれより遥かに冷たかった。紀三津の名前はこの一事だけで歴史に刻まれている。その後彼がどのような運命を辿ったかを語る資料は何もない。

だが一つだけ確かな事がある。太政官たちは改めて遣新羅使を送る事をしなかった。遣唐使が万一新羅に流されても運に託すしかなくなったのである。


京に戻った遣唐使一行に対する目もまた微妙なものであった。労わる者たちもいたが冬冷えを思わせるような冷たい空気も漂っていた。そんな中、篁は嵯峨帝から呼び出しを受けた。嵯峨院を訪れるのは初めてである。

「ご苦労であったの」

労りのような言葉ではあったが、 嵯峨帝の声に温かみはない。篁は黙って頭を下げた。

「残念であった。ま、頭を上げよ」

頭を上げた篁の視線の先に自分を見据えているぎょろりとした目があった。

「篁、遣唐使はどうしても成功させねばならぬ。分かっておろうの。今上帝の渾身こんしんの大事業じゃ」

は、と篁は短く答えた。

「御前の舶は他の舶と別れ、暫く海の上にあったと聞いておる」

「その通りでございます」

「そのまま唐に行き着くことはできなかったのか?」

篁は耳を疑った。

「なぜでございます?」

「新羅からの奏上文の中にな、お前の名があったのだ。小野篁は唐に向け揚々と出帆しておると」

小野篁船帆飛已遠おののたかむらのせんぱんすでにとおくへとび・・・。嵯峨帝の差し出した新羅の牒状を見て篁は首を傾げた。

「なぜ・・・?遣新羅使が出立した時に私の乗った舶はもう泊に戻っておりました」

「うむ、確かにそう聞いておる。しかし・・・」

前太上天皇はさすがに言い難そうに目を逸らした。

「実はその文言はお主の舶が唐に向けて到達可能なほどに進んでいたことを指し示しているのではないかと申す者が居っての」

「どなたがさような邪推を・・・?」

「いや、それは・・・そう申している者もおると言う事じゃ」

前太上天皇は曖昧に首を振って見せた。

「ならば、同乗の者たちにお尋ねください」

「既に聴取をしておる。さような事はないと皆が答えておる」

「であれば・・・」

「口裏を合わせたかもしれぬ、と思う者がいる」

篁は沈黙した。この京で底知れぬ悪意がうごめいている。脳裏に浮かんだのは一つの色白の貌だった。怜悧な眼の底にある冷たさ。帝に遣唐使を送る事を唆した男。かといってその男を何の証左もなく謗ることはできない、その事を十分弁えた男の貌である。

「疑いを身に受けるような真似はするな」

最後に吐き出すようにそう言った嵯峨帝の声が耳に残っている。篁は京三条西にある家の前を通り過ぎて三守の邸へと足を向けた。三守は在宅していた。気の置けない舅は篁の問いに、

「太上帝がお話になられたのだな。それにしても・・・牒状まで取り寄せておられたとはな」

と苦笑いを浮かべた。

「太上帝に話をしたのはわしだ。本来太政官の論についてはその中味を外に漏らすのは固く禁じておる。だが右大臣が太上帝は外であらせられるわけはないと仰ってな」

そこから先は微笑を浮かべるだけだった。三守ほどの人でも相当神経質になっているということだ。暫くしてから三守がぼそりとつぶやいた。

「憎まれる・・・心当たりはあるのか?」

「いえ、・・・」

「厄介だの」

三守は口髭を撫でた。

「とにかく、気を付けよ」

そう注意するのが三守にできる最大の好意のようであった。だとすれば・・・この半年余り、篁たちが大宰府に留まっていた間に良房の力は以前より遥かに強大なものになっている。公卿の力は地位だけに留まらない。時の帝との関係によって左右される。緒継・夏野・三守は二人の太上帝に仕えて位を上げてきた。しかし今の帝にとって最も信頼できる忠臣はなんといっても良房なのであろう。

篁は自邸に戻ると暫く考えに耽っていた。破船した三舶を除いた船の傷みはそれほどでもなく修理は順調に進んでいると聞いている。何をするにしても時間はそれほど残されていない。二日後、篁は秘かに常嗣の邸を訪れた。

「なんと」

 常嗣は篁の提案に絶句した。

「しかし、そのような意見が果たして通るものか?」

「賭ける価値はございましょう」

「しかし・・・」

口籠った常嗣に、

「あのような眼にもう一度遭いたいのでございますか?」

篁は尋ねた。渡航に失敗した時、常嗣の船は第三舶と同じように転覆しかかった。その時、常嗣はただ手を合わせて祈っていただけだったと聞いている。

 命を軽んじられているのは自分だけではない。大使も同じだ。

「丹墀様以下百四十名余の方々も無駄死にでございます」

「それはそうであるが・・・」

篁の提案とは遣唐使船を変える事であった。あの舶では外海を乗り切る事は出来ない。例え唐に行き着いたとしても帰路に同じ僥倖に恵まれるかどうかは分からぬ。

 篁の頭の中には天平宝亀八年、唐から帰還する途中に行方知れずになった遣唐副使小野石根のことがあった。大使佐伯今毛人が病気と称し渡海を忌避し、対立した副使が免じられたため代りに遣唐副使として唐に赴いたのが石根であった。本来送る側であった石根を襲った悲劇は小野一族の間で語り継がれてきたのである。

「新羅船八隻に四百余人に編成し直して発てばよい。船足も早く行き着ける可能性は格段に高くございます。例えどれかの船が難に遭おうと八隻のうちどれかの船が行き着きましょう」

「しかし・・・船があるまい」

常嗣は弱弱しく抗った。

「大宰府には新羅の船を真似て作った船が三隻ございます。それと新羅から渡ってきた船を捕獲したものが数隻、これは太宰府大弐から聞いてございます。今修理している舶は内海で使えば良い。大宰府と難波津の間の往来に使えば無駄になりますまい。水主たちには多少訓練させねばなりませぬが、それとて二月もあれば済みましょう」

「だが・・・」

再びあの舶で海に乗り出す事への恐怖と、篁の提案に乗った時の帝や太政官たちの拒絶反応の不安の狭間で常嗣は迷った。

「では、その話をすぐに?」

「漏れ聞こえては話が潰されてしまう恐れがございます」

そう言うと篁はあたりを憚るように常嗣の耳元で何事かを囁いた。常嗣の細い目が丸く見開かれた。

「そのような・・・」

「いえ、帝の前で帝に決めて頂きましょう。少なくとも帝の耳に我らの思いを直に」

篁には勝算があった。帝は暗愚な方ではない。臣下の命が救えると思えば体面を気にする御方ではない。だが、取り巻きの者が先にいろいろ言えば・・・

「常嗣様は副使から一つお願いがございますと仰るだけで宜しいのです。後はわたくしが・・・」

常嗣は怯えに似た色を眼に浮かべて篁を見詰めた。

「しかし、節刀の儀の折とは」

篁は強い眼で常嗣を見返した。

「帝に直に訴えねばなりませぬ。なに、唐への遣いは参るのです。それがすべてでございます」

年が明けてからも舶の修理は順調に進んでいた。二月朔日には山城愛宕やましろおたぎ郡家ぐうけの前で天神地祇を奉る事になった。小野の領ずる愛宕で行ったのは疑いを持たれている篁に心理的な圧が加わるようにしたのかもしれない。その月常嗣には太宰権帥の官位が加わる。これは単にその料を与えると言うだけではなく、大宰府そのものを意のままに使ってよいと言う意味があった。

三月甲戌きのえいぬ、遣唐使にはなむけの儀があり「晩春、入唐使への餞別の宴に陪臣する」という題で帝が五位以上の陪臣に詩を賦さしめた。篁は何食わぬ顔で詩を献じた。しかし常嗣は宴席が始まるとすぐ、酔った、とだけ言うと青褪めた顔で退席をしたのである。その後ろ姿に篁はふと胸騒ぎを覚えた。常嗣の気弱さを垣間見た思いがしたのである。

しかし、節刀の日は三日後である。いくらなんでも大丈夫であろう、と思い直すと篁は宴に気持ちを向けたのである。

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