第2話 夏

 それは、若葉茂れる夏のある日のこと。


 トーマくんの小学校では、あと数日後に迫った夏休みに向けて生徒たちがみな浮き足立っていた。


 "お綺麗な"文章ばかりの退屈な国語の授業を終え、給食を急いで食べ終えて、テキトーに掃除を済ませると、子供たちは我先にと校庭へと急いだ。


 ✴︎


「トーマ、早く来いよ!」


 アカギくんに呼ばれたオレも、教室から飛び出した。クラスのリーダー格・アカギくんを先頭に、クラスのほとんどが一緒になって廊下を競歩で進んでいく。


 途中、教室の窓からオレらを見ていた隣のクラスの先生と目が合って、

「ふふふ、いつも元気ね」

 と微笑まれたので、へへへ、と少し照れ笑いを浮かべながらオレはみんなの後を追った。



 20分休みのドッヂボールはいつも白熱する。


 まずはアカギくんとオレでジャンケンをしてチーム分け。


「トーマのチームはハンデで3人減らせな!」


 望むところだ、とジャンケンの手に力が入る。オレが活躍してアカギくんに勝ち越している点差を広げてやる!


 ✴︎


 結局、その日の試合は1勝2敗でアカギくんチームの勝ちだった。


「いえ〜〜〜い!トーマに勝った〜!」とアカギくんはまるでアウステルリッツの戦いに勝って凱旋するナポレオンのようだった。


 更衣室で汚れた服から着替えた後は算数の授業。


 20分休みにたっぷり身体を動かしたので、まぶたが重い。


 眠っちゃいけない、とキンキンに冷えた水筒の麦茶を一口飲んで目を覚ます。


 うとうとと半分眠りかけていたアカギくんも、オレにつられて水筒の中身を飲んで少しだけシャキっとした。



 そんなこんなでなんとか算数の授業をやり過ごし、ホームルームを終え、放課後。


「トーマ!いまから隠れ鬼やろーぜ!」


 アカギくんは放課後になると決まってオレを遊びに誘ってくれる。


「オレもやりたいけど、やることがあるから、またな!」

「いっつもそれじゃんか!たまには遊んでよ!」

「オレは忙しいんだよ」

「へ!はいはいごくろうさま〜」


 アカギくんといつものやり取りをしてやり過ごし、オレは"やること"をするために校長室へと足を向けた。


 今日は最も面倒な校長の相手だ。


 ここで機嫌を損ねたら、今までの苦労が全て水の泡になり、大切なものも失ってしまう。


 オレはぐっと拳を握りしめると、校長室のドアをノックした。


 ✴︎


 "やること"を終え、時刻は夜。


 正当な理由があるとはいえ、用務員さんを呼んで通用口を開けてもらうのも億劫だったので、裏門の近くにある金網の穴から外に出た。


 校長の相手は思っていたよりもはるかに長時間に及んで身も心も疲れ果てていたが、どうにかオレの望む結果になりそうなのが救いだった。大金の詰まったかばんが重い。


「ふぅ……」


 ため息と共に見上げた夜空のてっぺん付近には夏の大三角がきらめいていて、オレは久々に星というものをまともに見た気がした。


 ふと視線を正面に戻すと、赤信号で停まっているご主人の車がすぐ前にあった。

 その道は町の中心から周囲の山に向かってまっすぐ通った一本道で、その山の手前にはアカギくんの家がある。


 赤信号の間にご主人の車のすぐ横まで来た。スモークガラスで中は見えないが、ご主人が中にいるのだろう。


 でも、ご主人に声を掛けてはならない。


 ご主人と知り合いであるということは、赤の他人はもちろん、家族にすら言ってはならないというのがご主人との約束だ。


 オレは何食わぬ顔でご主人のから視線を外し、待つ人のいない、薄暗いマンションの一室、自分のねぐらへの帰路を急いだ。

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