第2話終わらなかった関係
翌朝になり、孝太郎はまだ寝ている香澄をそのままに管理人室へと向かった。
事情を話すとすぐにでも開けてもらえることになり、眠っていた香澄を起こすと香澄はやっと自室へ戻ることが出来た。
「本当にありがとうございました」
香澄の自室の玄関で、恥ずかしそうな顔をしながら頭を下げる。
「いえいえ。困ったときはお互い様です。それじゃぁ」
「あ、あの!」
逃げるように立ち去ろうとする孝太郎に、香澄は少し大きな声を張り上げる。
「あの……お洋服洗濯したらお返ししますね」
「あぁ、いつでもいいので」
「あと……」
顔を赤らめながらちょっぴりもじもじする香澄。
「あの……私酔うとすぐ記憶をなくしちゃって……私変なこと言っていませんでしたか?」
脳裏には――気になりすぎるワードがいくつも浮かぶ。
忘れようとしてもすぐには忘れられないワードたちに、孝太郎は脳内で蓋を締めた。
「何もなかったですよ。お仕事の愚痴を聞いていただけで。心配しないでください」
「そ、そうですか……良かった」
「何も気にしないでください。昨日のは仕方のなかったことですから」
「ですよね……はは……ご迷惑をおかけしました」
「では、失礼しますね」
◇
正直これ以上関わりたくないと孝太郎は思う。
何故なら孝太郎はもう生涯恋愛はしないと誓っている。
それなのに、お隣さんの地味子さん――香澄は孝太郎のストライクゾーンど真ん中をいく存在である。
服装は地味。
今時の女の子っぽくないおさげ髪。
オシャレとはいえない黒ぶち眼鏡。
なのにスタイルはよくて、酔うと甘えん坊で面倒くさくて。
どれもが孝太郎の好みだった。
これほど自分の理想が重なる人物がいるのかと思えるほどに、香澄は輝かしい存在であった。
(でも――)
それでも、恋愛はしないと誓っていた。
もう二度と恋愛なんかするものかと固く決意していた。
昨晩のことはもう忘れようと孝太郎は意識を逸らそうと家事をしはじめる。
空き缶を袋に詰め、食べかけのつまみを片付け、溜まっていた洗濯物を――。
「あ……」
そう洗濯物。
脱いだ洗濯物を入れてあるカゴには、まだ香澄の下着が置いてあった。
見た目は地味なのに、派手すぎる赤い下着。
「ど、どうしよう……」
洗っていいものか迷う。
しかし、洗わずに返すのもおかしいと考える。
もしくは今すぐ返しにいくべきか、いや、しかし、しかし、しかし。
とりあえずそのままにしておくことも出来ず、洗濯ネットに下着をいれると洗濯機を回す。
忘れようとしたのに、とんだ置き土産を香澄は残している。
ネットに入れようとしたときにブラのタグまで見えてしまった。タグにはFと書いてあった。
忘れようとしたのに、とんだ爪痕を残され孝太郎の頭にはまた昨晩のことが浮かんでしまう。
『孝太郎さんが助けれくれたから嬉しいんですぅ~』
あれはどういった意味だったのだろうか。
(いや、あれは――)
また香澄のことを考えてしまい、孝太郎は頭を振る。
あれはただのお隣さん。それ以上でも以下でもない関係。
昨日はたまたま。本当にたまたま家に入れただけ。鍵をなくしたと言われたから仕方なく入れただけ。
管理人室がやっていなかったから、他に選択肢なんてなかったから。
「はー、ダメだダメだ」
とりあえず洗濯が終わったら、もうひと眠りしよう。
そう考えながら孝太郎はまだ残っていたビールを開ける。
昨日も同じものを呑んだはずなのに、今飲むビールは昨日ほどの美味しさを感じられなかった。
◇
時刻が18時を回ったころに、孝太郎の部屋のインターホンがなった。
誰が訪れたのだろうと画面を見てみれば、昨晩の地味子が自室の前に立っている。
「今開けます」
扉を開けると、そこには女の子らしいワンピース姿の香澄がいた。
相変わらず茶色と地味な色をしているが、ワンピースというだけで随分女の子らしく感じてしまう。
ほんのりと施されたメイクも、ちょっとドキッとしてしまう。
「あの、昨日はご迷惑をおかけしました」
「いえ、お気になさらないでください」
「お借りした衣類持ってきたました。あと、その、これ良かったら食べてください」
衣類と一緒に持ってきていたのは鍋だった。
蓋を開けてみると、そこには大きな肉がゴロゴロと入ったカレーが入っている。
スパイシーな匂いが食欲をそそる。
そして料理上手という点も孝太郎の好みすぎて、心がモヤモヤしてしまう。
「あ、そうだ。僕も返すものだあるんです」
「え?」
「えっと……そのなんといいますか」
乾燥の終わった下着。
見えないように紙袋にいれていたのを香澄に渡すと、香澄は中身を確認して顔が燃え上がるように真っ赤になってしまっている。
「あ、あ、あ! あの!」
「むしろこちらこそごめんなさい、どうしたらいいか迷ったんですけど……一応洗濯しちゃいました……」
「うぅ……こ、こちらこそ……ごめんなさい」
もう何ていっていいのか分からなくて沈黙してしまう二人。
香澄は両手で顔を覆ってしまっているし、孝太郎も頭を掻くばかりで次に出す言葉を思いつけない。
「あの」
「あの」
二人の言葉がぶつかりあう。
ぶつかりあった言葉は相殺されると、また沈黙が訪れる。
「今度……」
今度は香澄が言葉を投げる。
「何かお礼させてください……須賀さん何かお好きな食べ物とかありますか?」
「いえ、本当にお気遣いしないでください。本当に……」
「でも、私の気が治まらないんです。どうかお礼させてください」
出来ればこれ以上関係を持ちたくないと思う孝太郎なのに、香澄はまた次会う約束をしようと前に出る。
でも――、これ以上関われば香澄のことを好きになってしまいそうで、孝太郎は顔を横に振る。
恋愛は二度としない。その誓いを護るためにも、これ以上のやりとりは避けなければならないだろう。
「このカレーで十分です。ありがとうございます」
「……でも」
「本当に大丈夫です。お気持ちだけで嬉しいんです。本当に……気持ちだけで」
「気持ち……ですか。あ、あの……もしかして」
「はい?」
「私、やっぱり昨日変なこと言ってませんでした?」
赤い顔がこちらを見る。
その上目遣いも、ちょっぴり潤んだ瞳も――その地味さとはかけ離れて可愛い。
必死で可愛いと思う気持ちを押し殺すと、孝太郎は深呼吸して口を開く。
「本当に仕事の愚痴だけですよ。それ以上の事はなにも……」
「そう、ですか……。ですか……」
また、沈黙しそうで孝太郎は早く香澄を返したい思いで言葉を紡いだ。
「カレー嬉しいです。こちらこそありがとうございました」
「いえ、味にそこまで自信があるわけじゃないので……お口にあったら嬉しいな、なんて」
えへへと笑う顔。可愛い。
なんとか香澄を帰すと、さっそく今頂いたカレーを頂くことにした。
大きなお肉がゴロゴロと入ったカレー。ちょっぴり辛みがあって、とても男子好みな味である。
今まで色々なカレーを食べてきたが、これほどうまいカレーはないんじゃないかと思えるほどうまい。
そして、そんなうまい料理が作れるなんていうのも――孝太郎好みだった。
あまりの美味しさに3杯もカレーをお替りしてしまう。
それでも足りないくらいだったが、もう鍋にカレーは残っていない。
「あ……」
なくなったカレーを見て、孝太郎は思う。
そこにあるカレーが入っていた鍋。
その鍋は誰のものか――答えは勿論香澄の鍋である。
つまりは、この鍋は洗って返さなければならないだろう。
ということは香澄とまた顔を合わせなければならないだろう。
もうこれ以上の接点はもちたくないと思っているのに、また会う理由が一つできてしまった。
さすがに洗った鍋を玄関先に置くのも無礼であるし、ちゃんと届けなければならないだろう。
「はぁ……」
これ以上会っていてはただのお隣さんから、親しいお隣さんになってしまう。
どうしたらいいものかと思いながら、孝太郎はカレー鍋を丁寧に丁寧に洗い始めた。
満たされたいふたり 山本輔広 @sukehiro-y
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