第8話 微睡からの目覚め

――声が聞こえて来る。


――酷く懐かしくて、愛おしい声だ。


――聞いているだけで、万力の様に心を締め上げていく……そんな何よりも愛おしい人の声。


――あぁ、何で忘れていたんだろうか。


――いや、自分から忘れていたんだろう。


――彼女の……彼女の最後の顔を、思い出してしまうから。




『…スター、マスター』


 声が耳に入ってくるのを認識し、徐々に瞼を開いていくと、ソコには見慣れぬ天井が在った。


「あぁ、そう言えばセンタービルで寝たんだったか」


 周囲を見回してみれば、クロークと机、洗面所位しかない殺風景な部屋が広がっている。


『やっと起きましたか、マスター。おはようございます』


 机の上に置いといた相棒からそんな憎まれ口が聞こえ時計を見てみれば、時間は5:40。

 普段起きる時間よりも10分も遅くに起きた事に自身で驚きつつ、ベッドから体を起こして相棒を首から下げると、洗面所へ歯を磨きに行く。


「おはよう相棒、昨日の疲れでも残ってたんかね?」


『……何やらうなされて寝言まで言ってましたから、そのせいだったかも知れませんね』


「まじで?なんつってた?」


 直前に見ていた夢が何だったかサッパリ思い出せず、口をゆすいだ後に、思わず相棒に問いかける。


「Sevenちゃんスキスキ大好き、結婚して……と」


「さて、ランニングでも行くか」


 相棒の戯言は捨て置いて、寝巻代わりに売店で購入したジャージのまま部屋を出ると、未だ廊下を歩いている隊員は疎らだった。


「一般隊員の隊舎じゃないから、自主トレの為に起きてる人間も少ないな」


『此処にいる方々はエリートか来賓の方だけですから、そんなものでしょう』


 体を解しながら階段を使って1Fまで駆け降りると、裏口から外へ出て南方向へ走りだす。


 徐々に明るくなり始めた空模様と、爽やかな朝の空気を感じながらランニングを始めると、様々な物が視界に入ってくる。頻繁に見かけるのは24時間動いている警備や掃除用のロボットで、続いて食料等の物資を搬入する車両等。偶に手を振ってくれるドライバーに手を振り返していくと、丁度正隊員達が隊舎の前で準備運動しているのが見えた。


「お疲れさまです」


「「「お疲れ様ですっ」」」


 軽く頭を下げながら声をかけると、隊員たちが一斉に挨拶を返してくれる。基地内でこの時間にジャージで走ってるのなんて外様だけだから、彼らも心なしかハキハキと声を出している気がした。そうして、何事も無く通り過ぎようとした所で、背後から声をかけられる。……東側の方が緑も多いからと選んだが、完全にルートをミスったかもしれん。


「おい、待て」


 聞きたくない声に思わず一瞬逃げ出そうかと本気で考えるが、それはそれで面倒だと、ギギギと音を立てそうな程ぎごちなく振り返りながら、敬礼する。


「はっ、何でありましょうか、堀渕ほりぶち大尉!」


『はぁ……』


 振り返った先には案の定、2mを超える巨漢のハゲが立っていた。相棒がため息をついたのが、妙に腹立たしい。


「よう赤羽、お前今元上官を見たにも拘わらず、慌てて目を反らしたよな?」


「そ、そんな、そんな訳ないじゃないですか」


 あははと空笑いしていると、問答無用で首根っこを捕まれて若手の隊員達の前に引きずり出される……いや、俺もまだ28だから若いんだが、優里たちと一緒にいると感覚鈍るんだよなぁ。


「ようお前ら、今日は運がいいぞ。ここにいる俺の元部下――赤羽 瞬元中尉が手本を見せてくれるらしいぞ」


「いや、そんな事一言も……」


「あっ?なんか言ったか?」


「いえ、何も言ってないで有ります、大尉」


 糞、小声で言っただけなのにどんな地獄耳だよ。てか俺は現役の隊員じゃねぇんだぞ、日夜ガチガチに鍛えてる奴らと、日々軽く筋トレをこなしてるだけの俺を一緒にするんじゃねぇ。


「じゃあそうだな……朝飯――07:00までに取り敢えず15km走って此処へ帰ってこい、10kgの背嚢背負った上で。なお、この元中尉殿より遅れた奴と、7:00過ぎた

奴は、遅れた秒数分腕立てだからな?」


 そう言われた瞬間、隊員たちの顔が二種類に分かれた。一つは絶望の表情をするもの……そしてもう一つは、俺に憎悪の目を向けるものだ。


 いや、俺も被害者だからな?


「おい、そんなトロトロしてていいのか?もう残り1時間10分しかねぇぞ」


 ハゲが激を飛ばすと、目の色を変えて隊員たちが背嚢を取りに走る。いや、だから俺をそんな睨むなって。


「ちなみに、俺が遅れた場合はどうなるんです?」


 恐る恐るハゲ大尉にお伺いを立てると、満面の笑みを返されホッとする。まぁ、俺は今は一般人だから――。


「お前が遅れた場合は、他の奴の2倍な?」


 ……。


「ちくしょー、やったらぁぼけぇ」


 そうして、俺と隊員達の盛大な足の引っ張り合いが幕を開けた。


~~~~~~~~~~~~


「で?兄さんは何でそんなボロボロなんですか?」


「聞かないでくれ、義妹よ」


 文字通り足を引っ張られながらも、命からがら7:00までにハゲ大尉の元へ戻り、相棒がきっかり10km走っていたことを証明して初めて開放された。その後は軽くシャワーだけ浴びると、朝食の誘いを寄こした優里と共に、センタービルの食堂に来て今に至る。


『堀渕大尉に朝から絞られてたんですよ』


「あー……兄さん、気に入られてるもんね」


「ふざけんな、嫌われてるって言え。てか、俺から奴への好感度は今マリアナ海溝以下だわ」


 目の前に在る特盛カレーにスプーンをぶっ刺しながらそう言うと、優里は苦笑いする。


「でも兄さんは本当に嫌ってたら無視するじゃない?」


「お前もそれ言うのか……てか、今回の場合は無視する事さえ出来なかったけどな」


 スプーンを咥えながらそう言うと、優里からスプーンを抜き取られてしまう。ヤメロ、お前は俺のオカンか。


「そう言えば兄さんは、着替えとかの準備は出来てるの?」


「は?そんなもん要らんだろ。今日パッと行って、夜には帰ってくるんだから」


 意味の分からない事をのたまい始めた義妹にそう言うと、義妹様は気まずそうに視線を反らす。その視線の先には鼻の下を伸ばし、とても見てられない顔をした長官と、黙々と食事する由夢の姿が在った。


「兄さんは聞いて無いかも知れないけど、今回の任務のために私たちは一週間分出席免除されてるよ?」


「は?」


 今日泊まる事になった件についてもそうだが、任務が一週間になるなんて聞いてないぞ、あの娘コンプレックス親父。


「ちょっと、文句言ってくるわ」


「ちょっと、兄さん!」


 慌てて優里が止めようとしてくるが、それを振り払って俺は長官の元へ歩いてくると、バンとその肩を叩いた。


「おい、俺と娘の憩いの時間を邪魔する奴はだ…れだ?」


「よう、長官。俺は今回の任務が一週間にもなるなんて、まるで聞いてないんだが?」


 長官に高圧的な態度を取ってるせいか、何やら周囲が騒がしくなっている気がするが、知ったこっちゃない。こっちはいきなり仕事を押し付けられただけでも、頭きてんだ。


「あー、まぁ、その、なんだ。実は赤羽中将から任務の期間教えたら引き受けないかも知れないから、準備だけ進めておいて、直前まで知らせるなって言われててな」


 ……あの糞義父が。まぁ確かに最初から任務が1週間にもなるって聞いてたら、昨日基地に出向いて無いだろう。……でもそれにしても、酷すぎる。


「店はどうしろってんだ?一週間も休業しろってのか?」


『どの道お客さんなんて来ませんけどね』


「ちょっと黙ってろ、相棒」


「その件については安心してくれていい、七海中尉がお前の居ない1週間、テレワークしながら店番はやってくれるってよ」


 そう言われて、俺は頭を抱えたくなる。最初っから逃げ場なしかよ……。別にここで断ることもできなくは無いが、マイクの娘を助け出したいのも事実だ。


「はぁ……貸しにしとくからな?」


「恩に着る」


 盛大なため息とともに全てを飲み込むと、長官に店とレジのカギを渡す。


「そう言えば、由夢も1週間俺達と行くんだよな?」


「はい、その予定ですが……」


 質問の意図が分からなかったのか、由夢が小首を傾げた後頷いた。うん、そうだよな、そうだよな……。


「由夢は……長官と一週間会えなくて寂しいか?」


 そう聞いた瞬間、辺りが静まり返った様に感じた――。

 同時に察しが良いものはトレイ片手にヒッソリと席を離れ、在るものは食堂自体から去っていく……。


「?別に寂しくありませんが」


 そう由夢が言った瞬間、嘆きの絶叫が何処かから上がり、食堂は阿鼻叫喚の地獄絵図になったとさ。


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