第7話 過去の古傷

 遅めの夕飯を食べ終わった俺達は、センタービルを出て西側に行った先、学校方面に在る優里が監督している研究所へと足を運んだ。


「相変わらずでかいな」


 闇夜の中でライトに照らされながら見えてくるのは、高さ15mを超える巨大建造物――まぁ大きさで言えばセンタービルとは比べるべくも無いが、セキュリティレベルだけで言えばセンタービルと同等の強度を誇っている。国内屈指の最先端魔法器技術を誇る場所であり、優里を筆頭に数多くの優秀な研究員たちが日夜研究にいそしんでいるのだから当然と言えば、当然の事であるが。


「さ、付いて来てください」


 生体認証を終えた優里が俺達を中に引き入れると、目も眩むほどに一面真っ白な部屋が来客を待ち受ける。


 数十と並んだ机で作業していた研究員の一部が一瞬振り返ってくるが、優里の顔を見て納得したのか、再度各々の作業へと戻っていった。


「そう言えば、ここは何人位研究員が居るんだ?」


 そう聞くと優里は口元に指を当てて考えた後、苦笑した。


「大体300人位だと思いますけど、時期や状況によって大きく変わるので何とも言えないですね。海外から研修に来られる方もいますし」


「その局長ですから、優里先輩は凄いです」


 尊敬の眼差しを向ける由夢と、妹分に褒められ嬉しそうに微笑む優里……だが、兄としては思いの外この義妹が抜けているのを知っているので、ちゃんとやれているか不安になる。


「今空いてる整備室は――204号室ですね」


 優里は前方に在る大型スクリーンに映し出された各部屋の使用状況を確認し、大量の机群を抜けた先に在る螺旋階段を上っていく。


「……この階段、下から覗けそうだよな」


 ナニを、とは言わないまま、ボソッとそう呟くと、前方を歩いていた優里がスカートを押さえ、振り返りながらキッと睨みつけて来たので合わせて俺も振り返ると、何人かの研究員が同時に視線を反らしたのが視界に入った……おいお前ら、後で覚えてろよ。


「兄さんっ、下らないこと言ってないで、キリキリ歩いて下さい……やっぱり制服で来るんじゃなかった」


 ブツブツと懊悩している義妹を置いて、後ろを歩く由夢を見るが、彼女は気にしていないのか首を傾げてくる。


「どうかしましたか、教官?」


「……いや、何でもない」


 今度長官に、この螺旋階段に仕切りでも付けられないか相談してみよう。……研究員の何人かの首が物理的に飛びそうで怖いが。


 2階への階段を登り終えると、ずらりと並んだ個室が視界に入る。そこに下げられたプレートを順番に確認していき、204号室の扉を発見すると、優里がIDカードをかざして扉を開く。


 室内には中央に1台の作業台が置かれ、奥の壁面には開閉可能な青い透明なガラスと、その先に左右の部屋を貫通して伸びているレールが在るのが見て取れる。部屋の中には他にも、点検用の最新器材が並べられ、端に置かれたケースの中には魔法器用の高級な最新部品が並べられている。


「この部屋から物盗むだけで、暫く遊んで暮らせるな」


『マスター、長い間お世話になりました……』


「いや、冗談だっつの」


 下らない事を言っている間にも優里はテキパキと点検の準備を進め、由夢はその邪魔にならない様に端に座って見守っている。


「はぁ……兄さん、準備出来たのでSevenさんを渡して貰っていいですか?」


「あいよ」


 ため息を吐いて呆れられながらも、首から下げていた相棒を外すと、点検用のゴーグルを頭に付けた優里に手渡す。


「Sevenさん、最近の調子はどうですか?」


 両手に分解用の器具を持ちながら、気軽に世間話を始める優里。幾ら整備用の機器が優秀になったとは言え、ミクロ以下の単位で部品が敷き詰められた魔法器相手にそんな事できるのはこの研究施設でも優里だけだろう。


……俺も曲がりなりにもマイスターの資格を持って居るからこそ、その異常性が良く理解できる。


『特に問題ありません。それと何度も言いますが、さん付けは不要ですよ。私はあくまで魔法器ですから』


「いいえ、これは私の癖みたいなものなので、気にしないで下さい」


 手に持った器材のアタッチメントを流れる様な動きで変更している優里の様子は、まるで舞を舞う踊り手の様で、現に鑑賞に徹している由夢は食い入るように見ているが、俺は背筋が寒くなるのを感じる。


 義兄として優里のことを大切には思っているし、普段の優里に関しては抜けている所も含め可愛げがあると思うが、こと魔法器に限れば異世界のどんな生物――それこそ竜族よりも理解の及ばない存在だ。


「んー、特に異常は無いみたいですね。一応兄さんが曲がりなりにもメンテナンスしていますしね」


「お前に見られると、テストを採点される生徒の気分になるな」


「点数で言えば55点……頑張りましょうって所ですけどね」


 点検用のゴーグルを外してニカっと笑う義妹に、俺は思わず苦笑する。……これでも一応週末には1日がかりでメンテナンスしてるんだが、優里にかかれば形無しである。


「今回の任務で他に使用したい器材とかあれば、合わせて点検しちゃいますけどどうします?」


「お前らの魔法器はいいのか?」


 優里が1から設計した相棒程では無いが、2人が使っている物もかなり特殊な部類に入る魔法器だ。優里が今回使うことはほぼ無いだろうが、由夢は今回の任務で要となるため確認するが、優里は首を横に振る。


「私たちの分は既に兄さんに会う前に済ませておきました」


 そう言って優里は髪飾り型の自身のデバイスを指差し、由夢も両手の指に嵌った6個の指輪を見せてくる。


「そうか……なら、俺の右腕を見てもらってもいいか?」


 俺が言うと同時、優里の肩がビクリと跳ね、鋭い瞳で睨みつけてきた。


「まさか、使う気何ですか?ソレを」


 忌々し気に俺の腕を見る優里に、思わず苦笑する。そんなに怖い顔しなくても良いだろうに。


「そんな訳ないだろ、念のためだ念のため。そもそも使用するには何個も制限がかかってるのを、お前は知ってるだろ?」


 肩を竦めて笑いかける俺に対し、優里は険しい視線を緩める事は無かったが、一つ大きなため息を吐くと、奥の透明なガラスの前に据え付けられたタッチパネルを操作し始める。


「私は外に出ていた方が良いでしょうか?」


「別に良いだろ。まぁ見てて気持ちいい物じゃないから、どっちでも良いが」


「そうですか……。なら、ここに居ます」


 先ほどまでよりも更に背筋を伸ばして座る由夢と、黙々とタッチパネルを操作する優里を見ながら、右腕を作業台の上に置きパイプ椅子に座る。


――ガーッ


 暫くすると透明なガラスの向こうのレールに乗って、幾つもの器材が運び込まれて来て停止する。


「これ、先に打っておいてください」


 そう言って投げ渡されたのは、シリンダーに入った強力な筋弛緩剤と、腕を締め上げるためのゴム状のロープだった。


「投げんなよ」


 比較的高価な薬剤を適当に放る優里に呆れながら、左手と口を使ってローブで右腕を絞め上げようとした所、由夢が制止する。


「私がやります」


「……わるい、頼むわ」


 立ち上がった由夢にロープを手渡すと、慣れない手つきで俺の腕を締め上げていく。――ロープを持った両手が震えているのは、気づかなかった事にしよう。


 締め上げられた右腕の具合を確かめながら問題ない事を確認すると、自身の右肩辺りに弛緩剤を注入する。同時に、右肩を中心に徐々に感覚が無くなっていく。


「由夢ちゃん、ちょっと離れてて」


 そう言ったのは、先ほどまでよりも遥かにゴツイマスクを着け、検体搾取用の器材と相棒を手に持った優里だった。


「分かりました」


 大人しく元居た位置に戻る由夢を見送りながら、優里から差し出された相棒を左手で受け取る。


「制限時間5分のみで限定解除を許可しますから、くれぐれも何もしないで下さいね?」


「この状態で何か出来るかよ」


 今では完全に反応しなくなっている右腕を指して俺は笑うが、由夢は黙々と限定解除用のタッチパネルを開き……僅かに躊躇しながら、許可のボタンを押した。


――ドクン


 急速に血液が、神経が……そして、体内の魔力が循環するのを感じる。


『第一段階、限定解除されました』


 普段とはまるで違う、機械そのものの声を上げる相棒に苦い物を感じながら、俺は言霊を紡ぐ。


点火イグニッションドライブ


『Ignition Driveの発動を受領しました、一部装甲をパージします」


 機械的な音声が耳に入ると同時、手首から下の前腕に擬態していた装甲が、一部剥がれ落ちる。同時に、言い様の無い情動が体内を焦がすが、ソレを力の限り押さえつけた。


「相変わらず、酷い見た目をしていますね」


 苦々し気に言った優里の視線の先には俺の前腕部――赤黒く変色し、有機的に脈動する、人とは思えない物があった。我が腕ながら、気色悪いことこの上ない。……ほら、由夢が痛ましい物を見るような眼をしている。やっぱ外に追い出すべきだったか?


「さっさと検体の採取と、チェックを済ませてしまいましょう」


 どこか焦った様子の優里が先ほどの数倍の速度で、手を動かしていくその様を見ながら、俺は自身がこうなった当時の事を思い返す。


 それまで戦争を繰り返していた地球と異世界の人間の一部が、共同戦線を張る切っ掛けになった事件――第13特殊実験小隊が歴史から消える事になった事件の最中にそれは起こった。……とは言え、俺自身はその現場の記憶は朧げにしかないが、俺の右腕は異世界のナニカに取り込まれたのだと言う。瓦礫の山となった戦場で目を覚ました俺はそう告げられ、同時に家族同然だった戦友達が死亡した事を人伝に告げられた。


 余りにも忌々しいその右腕……ありとあらゆる手を尽くして破壊しても、再生しくるソレは、憎しみの象徴で有ると同時に、俺に超常の力を与えた。


 ――限定的とは言え、地球人が本来使えない魔法の直接行使権限と、魔法器への常軌を逸した同調率向上。


 それは、俺を真の意味で人外――英雄に変えたが、多大な精神不可と肉体への浸食が後に判明し、封印を施される事になった。結果俺は、人並よりやや優れた程度の常人に落ち着いたが、ソレもコレもこの義妹と義父など、様々な人々の力添えが在っての話だ。数多の目論見が在れど、未だ人間もどきで居られている事には、感謝している。


「はい、調査終わりましたので戻してください、兄さん」


 マスクを取り外した優里がそう言って、自身の額に浮かんだ汗を拭う。


「Seven、モードリリース」


『了解しました、Mode:Release』


 相棒が機械的な声で言うと、体内をかき回していた情動が徐々に引いていくのを感じる。同時に、右腕の感覚が戻りつつあるのを感じた。……自分の作業時間を把握した上で、薬物の効果時間を調整しているのだから、本当に頭が下がる。


「兄さんは疲れたでしょうから、もうセンタービルに戻っていいですよ。由夢ちゃんは悪いけど、後片づけするの手伝ってくれる?」


「わかりました、由夢先輩」


 シッシと俺を追い出す様に手を振る優里に思わず苦笑いするが、今日の所はお言葉に甘えさせてもらおう。なんだかんだで、しんどい一日だったし、明日からはもっと忙しくなる。


「悪いがそうさせて貰う。お前らも気をつけて帰れよ」


「ここからはセンタービルより学校の寮の方が近いんですから、気にしないでください。……おやすみなさい、兄さん」


「おやすみなさい、教官」


「おう、2人ともお休み」


 小さく手を振ってくる二人に軽く手を上げながら、俺は整備室を後にした。


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