第93話 看病

「姐さん、なにか料理作ってくれ」

「テリー君のためになら嫌よ。もし食べたければ、開店後に来てお代を払って食べてね」

「なっ! そんな意味じゃないっすよ! 兄貴が風邪を引いて寝込んでいるんです」

「それを先に言いなさいよ」

「もし俺が寝込んでも、姐さん助けてくれなさそう……」

「それは条件によるわね」


 とある日のお昼時。

 仕込み前の昼食をみんなでとっていたら、そこにテリー君が顔を出した。

 いきなり私に『俺のために飯を作ってくれ』的なことを言うものだから、つい強く否定してしまったわよ。

 テリー君はちょっとねぇ……。

 と思ったら、親分さんが風邪を引いて寝込んでいるのだという。

 これは、急ぎ看病してあげなければ!

 私がやらずに誰がやると言うの!

「女将さん、じゃあ今日は僕が仕込みの指揮をとります。お店の方も、もうそろそろ女将さんがいなくても回せるか試したいんです」

「ボンタ君、ありがとう」

 ボンタ君が気を利かせてくれて、今日は親分さんの看病に集中できるようになった。

 このところ、かなりの仕事を彼に任せているから、私がいなくても問題はないはず。

 私も、従業員たちも、これから怪我や病気で休むなんてことがあるかもしれないので、一人・二人いなくてもお店を回せるようにしておかないとね。

「なにかあったら戻るわね」

「一人足りない分は、臨時でジャパンの従業員に頼むのはどうですか?」

「それはいいわね」

 リニューアルオープンしたニホンだけど、店の外にテーブルを置いて立ち飲みエリアを作ったから、ちょっと人手不足気味なのよね。

 だから、マクシミリアンさんに新人さんの補充を頼んでいたところだったのよ。

 人件費的には全然問題ないから、もしもの時はその手でいきましょう。

「様子見で、二~三人呼んでも構わないわよ」

「二人くらいでいいでしょう。僕も面倒見きれないですし」

 ボンタ君、しっかりしているわね。

 実は私よりも、お店の経営者に向いているていうかも。

「今日は、ボンタ君を代理店長に任じます!」

「わかりました。しっかりやりますよ」

 ボンタ君が臨時店長をしてくれるということで、私は料理などを持って親分さんの元へ行けることになった。

 さあて、しっかり親分さんを看病してあげないと。



「……あれ? 女将がいるな」

「ええ、今日は看病に来ましたよ」

「それは悪いだろう。お店のこともあるのだから」

「親分さんが推薦してくれたボンタ君。今日は代理店長デビューなんです。それを温かく見守るのも、彼を推薦した親分さんの大切な仕事ですよ」

「あいつ、気を使いやがったな」


 テリー君の案内で自警団の本部に向かうと、奥の寝室のベッドで親分さんが横になっていた。

 目は醒めていたようで、すぐに私に気がついていた。

 親分さんはいつも本部の寝室で寝泊まりしているってテリー君から聞いたから、これからはちょくちょく差し入れを持って行きましょう。

「でも、起きていたんですね、親分さん」

「さっきまでずっと寝ていたんだが、人間はそんなに長時間寝られないさ」

 親分さん、なんとなくだけどショートスリーパーな印象があるからなぁ……。

 私は、毎日ちゃんと寝ないと駄目なんだけど。

「ボンタはいい奴だが、やっぱりこの仕事に向いていない。そちらに転職させてよかった」

「そうですね。さあ、寝ていたのならお腹が空いたでしょうから……ちょっと台所を借りますよ」

「それはいいんだが……」

「はいはい。大体想像していましたから。ボンタ君がいなくなればねぇ……」

「面目ないな」

 持参した料理の最後の仕上げをしようと台所に入ったら、まあ汚いことといったら……。

 洗っていない食器が山のように積まれていた。

「テリー君、使った食器くらい洗いなさいよ」

「やろうとは思うんすよ。昔はボンタがみんなやってくれたんで……」

 ボンタ君は自警団に向かないけど、その調理、家事スキルは非常に重宝されていたわけね。

「でも、自炊なんてするのね」

「いえ、近くの食堂から大鍋で料理を買ってきて、小さな器に分けているだけですよ」

 それなら、せめて食器くらい洗えばいいのに……。

 食器棚に、綺麗な食器がほとんどないじゃない。

「まさに男所帯ね」

「自警団に入る女性はいませんから。うちは、兄貴が独身なんで……他の組織だと、そういうのは親分の奥さんの仕事っすね」

 自警団の妻及び妻たちは、若い団員たちのお母さん代わりになり、食事や洗濯などの面倒を見るのが習わしだそうだ。

「飯は近くの店で買って、洗濯や掃除も定期的にやってくれる婆さんがいるんですよ。兄貴が雇いまして」

 親分さんには奥さんがいないから、そこは外食と人を雇うことで解決しているのね。

「親分さんって結婚願望ないのね」

「他の親分さんたちが、お見合い話を持ってくることもあるんですよ。でもみんな断ってしまって……どうせ自分の子供を後継者にしないのだから、自分が独り者でもなんの問題もないって。兄貴、この件ではとにかく意固地で」

 親分さん、なにもしなくても女性にモテそうな気がするけどなぁ……。

 押しかける女性とかいないのかしら?

「たまに変なのが押しかけることもありますよ。兄貴、とってもモテるので」

 でしょうねぇ……。

 親分さんがモテないなんてあり得ないから。

「この時ばかりは、みんなで説得して帰ってもらうんです。最近は減ったけど、数年前とかは大変でしたよ」

 なるほどねぇ……。

 もの凄くよくわかるわ、それ。

「じゃあ、片づけますか」

「お願いします、姐さん」

「テリー君も手伝うんだけど」

「俺もっすか?」

「当たり前じゃないの! 文句ある? こういうことはちゃんと覚えた方がいいと思うけど、私の意見は間違っているかしら?」

「ないです! お手伝いさせていただきます!」

 その後、テリー君の家事スキルが意外と高いことが判明し、台所の掃除は短時間で終了した。

 やればできるじゃないの。

「姐さん、それが病人向けの料理っすか?」

「作っておいたから、あとは温めるだけね」

 私は急ぎ作ってきた料理を温め、親分さんの元に持っていくのであった。



「お待たせしました」

「いい匂いだな」

「そう感じられたということは、回復に向かっている証拠ですよ。さすがは親分さん。体が頑丈ですね 」

「姐さんも、同じくらい頑丈そうっすけどね」

「……テリー君?」

「……どんな料理か気になるっすね。あっ、でも自分、用事があったのを思い出したので!」

「(逃げた……)」

「久々に風邪を引いたから、俺ももう年かなと思ったがな」

「まだ十分お若いですよ。はい、どうぞ」

「飲み物か」

「温かい、ショウガハチミツ湯ですよ」


 まず最初に親分さんに差し出したのは、温かいジンジャーエールであった。

 ショウガが体を温めるし、ハチミツはエネルギーになるから。

「これはいいな。お酒ではないんだな」

 風邪にはホットワインも効果があるとは聞くけど、私は実際に飲んでみたことがないから。

 それにこの世界って、ワインはとても高価なお酒ってのもある。

 それに、親分さんは甘い物が好きだから。

 ここは親分さんの私室だそうで、他人の目もないわけだし。

「次は、おかゆですよ。消化にいいものにしました」

 ショウガハチミツ湯で体を温めたら、次は風邪を引いた人への定番食おかゆを鍋からよそって出した。

 おかゆだけだと寂しいから、キルチキンの玉子も一緒に煮てある。

 タンパク質も取らないとね。

 それと、キルチキンの挽き肉で佃煮も作って添えておいた。

 それがあれば、食も進むはずよ。

「美味しいし、落ち着くな」

「お代わりはいかがですか?」

「もらおうかな」

 これだけ食欲があれば大丈夫そうね。

 大分体調もよくなったみたいだし、これならすぐに回復するでしょう。

 こんなにも回復が早いなんて、親分さんは体がとても丈夫みたい。

 どこの世界でも、どんな職種でも、健康な人の方が成果を出しやすいというわけね。

「デザートもありますよ。風邪を引いた時には、冷たいジェラートが一番です」

 バニラとコーヒー味のジェラートを容器に盛って出すと、親分さんはとても嬉しそうに食べている。

 親分さんは、本当に甘い物が好きなのね。

「ごちそうさま。久々に美味しい物を食べたような気がする」

「そうですか?」

「この様なのでテリーに飯を買いにやらせたんだが、こいつは病人に出す食事のなんたるかが理解できていなくてな。それでも無理して食べたんだが、胃がしんどかったんだ」

 風邪で胃腸が弱っている病人に普通の食事を出せば、胃が重たくなって当然よね。

 テリー君だから仕方がないのか。

「夕食も出しますから、あとはゆっくり寝てくださいね」

「そうは言われてもなぁ……もう眠れんよ」

「それでも、横になっていてください。大分違うそうなので」

「女将は風邪の治し方にも詳しいんだな。施薬院が必要ない」

 風邪の場合、薬を飲んでも症状の緩和しかできず、完治はない。

 体を休めて自然完治を待つしかないのよね。

「女将は不思議な人だな」

「そうですか? どこにでもいる酒場の女将ですよ」

「それこそあり得ないさ。しかし女将は、俺の亡くなった母親とはまるで違うタイプだな」

 母親とはまったく違うタイプ?

 それは、俺の好みの女性ではないってことかしら?

 もしくは逆?

 どっちなのかしら?

「お袋はクソみたいな親父に苦労しつつも、自分でその境遇を変える力も気力もなかった。ただ、俺に謝りながら苦しい日々を過ごしていただけだ。女将は、自分の力で人生を切り開く力がある。女将の十分の一でいい。俺の母親にその力があればな……くだらない愚痴をすまないな」

「いえ……」

 風邪を引いて弱気になったからかしら?

 親分さんにとって、亡くなったお母様とは、その境遇に同情しつつも、ただ悲惨な境遇に耐えるしかできなかった、もどかしい存在だったのかも。

 複雑な感情を持っているみたい。

「女将のような人の方が、俺はいいと思うけどな。なんだろうな? 自立した女? 新しい時代の女性なのかもな」

 私のことをいいと思っている。

 これはチャンスなのかしら?

 せっかく今日は二人きりなわけだし、親分さんは亡くなったお母様の話なんてしてちょっとセンチメンタルな気分。

 ここで押せばいけるのかしら?

 どうやって押すのか、私には経験がないからよくわからないけど……とにかく押すのよ!

 ……って、思ったら……。

「兄貴、昔よく食べたクッキーを買って来ましたよ」

「……」

「姐さん、どうかしたんですか?」

「なんでもないけど、それ美味しいの?」

「素朴な味がするっす」

「素朴な味と素っ気ない味は、よく似ているのよ」

「姐さんもどうぞ」

 親分さんが好きだと言っていたクッキーは、ほのかで上品な甘みがして、確かに美味しかった。

 でも、テリー君はもっとこう空気を読むというか、気を使えるようにならないと、親分さんの跡は継げないわよ。


 珍しく風邪を引いた親分さんだけど、そのあとすぐに回復してまたニホンに通ってくれるようになった。

 次はもっと長期間寝込んでくれたら、もっと頑張ってお世話するのに……。

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