第85話 不成立
「ユキコ。俺の妻になってくれるよな?」
「それは難しいですねぇ……」
どう誤魔化しようもないし、オブラートに包んだ言い方はルドルフ皇子を余計に勘違いさせてしまうかもしれない。
私は、今夜も目の前の席に座り、串焼きを食べるルドルフ皇子のプロポーズを断った。
「いきなりか!」
「うるさい!」
「ひゃい!」
近くの席に座る大奥さんが、またも余計なことを口走ったミルコさんに拳骨を落とした。
実はミルコさん、その気になればいくらでも大奥さんの拳骨を避けられるはずなのに、あえて食らっているような……。
彼女に頭が上がらない証拠よね。
「理由を聞こうか?」
私の予想どおり、ルドルフ皇子は私がプロポーズを断っても激高しなかった。
あの殿下が、友人づき合いをしている人なのだ。
一角の人物のはずだから、理不尽に怒ったりしないはずだと思っていたわ。
「私は、このお店と隣のジャパンに責任がありますので。大奥さんとも商売をしていますし……それに私は平民なので……」
「確かにそのことでうるさい連中も沢山いると思う。だが、俺は必ずユキコを守るぞ!」
その辺のところは想定済みというわけね……。
でも守るって……夫が皇太子の場合、そう常に一緒にいられるわけがない。
彼がいない時間に、女官とかからネチネチ嫌がらせを受けたら堪らないわね。
そんな風に考える私って、若いのに結婚に夢を見なさすぎかしら?
いやいやいや、必ずしも皇太子殿下と結婚することだけが幸せではないでしょう。
平凡な人でもいいから、一緒にお店をやれたら……ボンタ君?
それはないわね。
彼は弟みたいなものだし、なぜか失礼なことに、向こうは私をお母さん扱いだから。
もしくは、もっとこじんまりしたお店をやりながら、旦那様の帰りを待つ。
『あなた、今日も自警団のお仕事大変でしたか?』みたいな。
やっぱり、親分さん一択だわ。
「私は、ルドルフ様に……」
「ここでは、様はいらない。そういうルールなんだろう?」
別に明確に決めたわけでもないけど、このお店で不用意に身分をひけらかして威張る人は追い出しの対象になる。
それが理解できるルドルフさんは、悪い人ではないのよね……多分。
「では、ルドルフさん。最初にこうおっしゃっていましたよね? 私が作ったボルシチが、亡くなられたお母さまの味とまったく同じであった。だから私と結婚したいと」
「そうだ。あの味は昔の温かい時間を思い出させてくれる素晴らしい味であった。そんなボルシチが作れる女性は素晴らしい」
「ふと思ったのですが、私がそのレシピを王城の料理人に渡せば同じものを作れますよ」
私が、飲食店をやっているからかしら?
いわゆる『お袋の味』に夢を見すぎている男性って意外と多いと思う。
でも、大半は食べ慣れた素人料理なのよね。
作り方さえわかれば、プロの料理人なら簡単に作れてしまうのよ。
「私、いりますか? このビーツを使わないボルシチって、私の故郷だと結構メジャーな料理ですよ」
ネットの料理サイトに作り方が載っていたから、私にでも作れたのだし。
そんな理由で、皇太子殿下の奥さんを決めるのはどうかと思う。
もし私がすべてを捨ててルドルフさんに嫁いだとしても、すぐに飽きられてしまったら、ララちゃんたちやニホン、ジャパン、商売のすべてを捨てて他国に嫁いだ意味がないのだから。
ルドルフさんは飼い殺しにすればいいと思うだろうけど、私にはいい迷惑よ。
私の背負っているものを、彼は軽く見過ぎているのだと思う。
「失礼ながら、ルドルフさんにはお覚悟が足りないと思います」
「わお、言い切ったね」
「殿下……そこで喜ばないでください」
私とルドルフさんとのやり取りを楽しんでいる殿下に、デミアンさんが注意をしていた。
呼び方が殿下になっていたけど、この状況なので誰もそれを気にしていないという。
「覚悟が足りない? 俺が?」
「はい。ルドルフさんは将来の皇帝陛下です。なにをするにも大きな責任が伴います。お妃を決めることだって同じです。どんなに高貴な人が嫁いできても、それに反発する人は多いはず」
陰口に、嫌がらせ。
側室を送り込んで先に子供を産ませ、跡継ぎにしようと画策したり。
後宮ならではのドロドロがあるはずで、決して綺麗事では済まないはずだ。
そこに、なんの後ろ盾もない他国の平民である私が嫁いだら……。
死ぬまでそこで暮らす覚悟なんて、私の方にもないわね。
ルドルフさんは男性なので、そこまで深く考えていない節がある。
シンデレラストーリーには、ちゃんと続きがあるのだから。
それもかなり現実的な。
「失礼ですが、ルドルフさんのお母様も、身分の低い方だったとか。それでもルドルフさんは皇太子になった」
想像を絶する軋轢とトラブルがあったはずだ。
現に、ビーツを使わないボルシチだって、アースガルド帝国ではよく獲れるビーツを隠されて使えなかったからこそ完成したものであり、自分の子供に料理を作ろうとしただけでこの様なのだ。
ルドルフさんのお母様は病で亡くなられたと聞いたが、ストレスが多かったのだと思う。
「私には無理ですよ。それに今の仕事が好きというのもありますし、お妃にも公務はあると思いますが、私では成立しません。よって、私はルドルフさんの奥さんにはなれません」
正直に言ってしまった。
でも、言わなければ話が進まない。
もしこれで王国にも睨まれたら、南方の国にでも行こうかな。
海を越えた南方の国々なら、もっとお米も手に入りやすいはず。
そう思ったら、気が楽になってきた。
「……」
「ルドルフ、女将の言うことが正論だと思うよ。君が一時の感情で女将を妻にしようとしても、アースガルド帝国の皇宮がどう思うか。女将が不幸な目に遭いかねないのだから」
楽しんで見ているばかりでなく、殿下もちゃんとフォローはしてくれるようだ。
デミアンさんに注意されたからかしら?
「なるほど。これは大した女性だ。この俺にここまで堂々と自分の意見を言うなんてな。ユキコの言ったことが正論なのは事実だ。今、一時の感情でユキコを連れ帰っても、双方が不幸になるだけ。プロポーズは撤回しよう」
「よかったぁ……」
「ボクもほっとした」
「ヒヤヒヤしましたよ」
「僕もです。ニホンはどうなってしまうのかと」
ララちゃんたちの安堵した表情を見ていると、正直にプロポーズを断ってよかったわ。
「その話はもう終わりで、今日も美味しいものを食べさせてくれ」
「わかりました。今日は、ウォーターカウの筋煮込みの串がありますよ」
「聞いたことがないので食べたいな。エールは木イチゴのフレーバーで。キンキンに冷やしてくれ」
「はい、少々お待ちください」
ルドルフさんは、そのあとはプロポーズのことなど噯にも出さず、殿下と共にニホンの料理やお酒を楽しんでいた。
どこの国でもフルコースだったので、もういい加減飽きていたみたい。
貪るように串焼きを食べ、その日の夜を楽しんでいたのであった。
これでよかったのよね。
「ようやく帰国できるな。最後の訪問先で美味しいものが食べられてよかった」
「紹介した僕も、ルドルフが気に入ってくれてよかったよ」
予定の滞在期間が終わり、ルドルフは長かった外遊を終え、アースガルド帝国に戻ることになった。
僕はこの国の王子として、彼を見送っているわけだ。
「ルドルフも、帰国したらお妃候補の話が出るだろうね」
「だから、俺を外遊で外に出したわけだ。俺の妻の話なのに、俺は蚊帳の外なのさ。他国の王族にするか、有力貴族の娘にするか、遠戚の皇族にするか。それが一番都合がいいと思っている連中が、毎日ピーチクパーチク言い争っているはずだ」
「それは僕も同じだけどね」
王太子や皇太子に、自分で妻を選ぶ権利なんてないしね。
だからルドルフもつい、女将にプロポーズしてしまったのだと思う。
そして見事なまでに、女将にそれを見透かされてしまったと。
「俺が思うに、ユキコなら後宮でも上手くやれそうだがな」
「やれるかもだけど、性分じゃないんだろうね。彼女、自立しているから」
いかにいい条件の男性に嫁ぐか。
大半の女性はそういう風に考えるのだけど、彼女にはそれが当てはまらない。
自分一人で生活する力があって、自分の気に入った男性を探し、その人なら多少収入が低くても食わせてやる的な?
たまにいるけどね、そういう人。
たとえば、スターブラッド商会のミランダ夫人とかね。
あの夫婦は、どちらもやり手の大商人だけど。
「女将を後宮に入れて、家柄自慢の意地悪女官たちや、考えが根本から違う妃たちと争わせるのも可哀想さ」
それがなければねぇ……。
僕も、女将を妻にしたいと思うわけで。
多分今も、ルドルフはそう思っているはずだ。
「またおいでよ」
「そうだな、この国に来る楽しみができた」
「失礼だな。我が国に他に名物がないとでも?」
「俺やリカルドが、今さら観光地でも回れってか? 公務以外で」
「それは言えているかも。じゃあ、また会おう」
「ああ、また会おう」
ルドルフの顔を見るに、再会の約束は容易に果たされそうだな。
堅苦しい晩餐パーティーではなく、またあのお店でエールを酌み交わすことにしよう。
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