第86話 コピ・ルアク
「ここです。野生のコーヒーの木の群生地ですが、魔獣も多いので立ち入るハンターはとても少ない。野生種のコーヒーは、品質も栽培されているものに比べると劣りますし、実はすぐに魔獣に食べられてしまいますので。女将?」
「あった! 新鮮な魔獣の糞! ファリスさん」
「本当にやるんですか? これ、魔獣の糞ですよ?」
「魔法で洗い流して、未消化のコーヒーの種を回収するのよ」
とある定休日。
私たちとマクシミリアンさんは、魔獣が住む森の奥にいた。
ここは野生のコーヒーの木の群生地であり、コーヒーの木を栽培している農家は、ここから採取された木を品種改良して栽培している。
そのため、野生種のコーヒーの品質はイマイチであった。
ジャパンで出しているフレーバーコーヒーの豆よりも品質と買い取り値段が安く、ここで野生のコーヒー豆を採取しても、普通のハンターなら割に合わないはず。
大量のコーヒー豆を運ばなければいけないし、まさかここでコーヒー豆になる種だけ剥いて戻るというのも、時間と手間の問題で難しい。
果実ごと運ばなければならず、コーヒー豆の果実はお金にはならない。
それなら農家やお店から仕入れた方が安いわけで、実際この群生地でも真っ赤なコーヒー豆が沢山実っていた。
誰も採らないから、そして地面を見るとコーヒー豆を食べた魔獣の糞があるわけ。
私とファリスさんは、糞を魔法で洗い流し、未消化のコーヒー豆を集め始めた。
直接糞を触るのは嫌なので、すべて魔法でやっているけど。
魔法で糞を空中に浮かせ、やはり魔法で出した水で洗浄。
最後に、コーヒー豆のみを回収していく。
魔法のコントロールが重要なので、ファリスさんにはいい鍛練になると思う。
「確かにコーヒー豆だけど……これを飲むのかい?」
糞から採取した未消化のコーヒー豆なので、マクシミリアンさんが怪訝な顔をするのも無理はない。
ウンココーヒーだからね。
でも地球だと、このウンココーヒーが高級品だったりした。
コピ・ルアクと呼ばれ、インドネシアのコーヒー農園で栽培されているコーヒーの果実が、時おりジャコウネコに捕食され、種子である豆は未消化のまま体外に排出される。
その際、ジャコウネコの腸内細菌や消化酵素の影響でコーヒー豆の発酵が進み、独特の複雑な香味を持つようになる。
亡くなったお祖父ちゃんから飲ませてもらったことがあるけど、確かに独特の香りがして……美味しかったかはともかく、うちでは安いコーヒー豆しか使えないので、コピ・ルアクもアリだと思って採取に来たってわけ。
他にも、台湾ではサルに果実だけを食べさせてから種を吐き出させ、それを加工したコーヒーとか。
タイでは、ゾウにコーヒー豆を食べさせた糞から集めたコーヒー豆などもあるそうで、それらはコピ・ルアクよりも高価みたい。
というわけで、私たちは魔獣が糞として排出したコーヒー豆を集めているわけだ。
「意外と多いわね」
「飢えた魔獣は、ここに来れば餌があると理解しているからだ」
おかげで、糞から大量のコーヒー豆が集められたのでよしとしよう。
急ぎ、さらに水でよく洗浄して乾燥させ、これを焙煎してコーヒー豆に仕上げましょう。
さて、どんなお味かしら?
「いいわね、これ」
早速自家焙煎したコピ・ルアクを飲んでみると、低品質の野生種なのに香りとコクが豊かね。
これなら、そのまま飲んでも十分に美味しい。
ジャパンのコーヒーがフレーバーコーヒーメインなのは、低品質なコーヒー豆を有効利用するためだ。
でもこのコピ・ルアクなら、そのままでも十分に香りとコクが深いコーヒーが出せるのだから。
「とはいえ、魔獣の糞から採取したものだからなぁ……抵抗がある人もいるだろう」
「味と香りはいいんですよ。きっとわかってくれるお客さんはいるはずです」
とはいえ、製造由来を隠すのはよくないか……。
とういうわけで、私はコピ・ルアクの由来もちゃんとメニューに書いて提供してみることにした。
のだが……。
「誰も注文しないわね……」
魔獣の糞から採取したというのがよくないのかしら。
まさか、一杯も売れないとは……。
フレーバーコーヒーと紅茶は、いつもどおりよく出ているというのに……。
「大奥さん! いらっしゃいませ!」
そんな時に、救世主が現れた。
お爺さんの奥さんであるミランダさんは、ニホンに通う頻度は低いけど、ジャパンにはよく通ってくれている。
お酒よりも、軽食や甘い物、コーヒー、紅茶の方が好きなのは女性だからだと思う。
「珍しくユキコちゃんがいて、しかもえらく期待されてるけど……新メニュー?」
「はいっ! コピ・ルアク入荷しました」
「なにそれ?」
「こちらが説明です」
私は、大奥さんにコピ・ルアクの製造方法が書かれたメニューを渡した。
「うーーーん。このお店だと難しいわね。とりあえず一杯」
「えっ?」
ライアス店長が驚いているけど、試飲ではとても気に入っていたじゃない。
正体をあかしたら、『ウゲッ!』となったのはお約束として。
「独特の深い香りと、コクもあって美味しいわね」
「美味しいんですよ、製法は微妙ですけど」
魔獣の糞からコーヒー豆を採取するので、全然人気はないけど。
「こういうものには、売り方というものがあるのよ。どうせこのお店じゃ売れないから、スターブラッド商会で買い取るわ。このくらいでどう?」
「高っ!」
これだけあれば、フレーバーコーヒーの原料であるコーヒー豆がどれだけ買えるか……。
「ジャパンでは、素直にフレーバーコーヒーを売ればいいのよ。見ていてごらんなさい」
大奥さんは、私からほぼすべてのコピ・ルアクを買い取った。
しかもかなり高額で。
すべて売れる自信があるのだろうけど、どうやって販売するのかしら?
とても興味あるわ。
「えっーーー! 全部全部売れたんですか?」
「当然」
「しかも高額でですよね?」
「もの凄く儲かったわね。そのうちまた売ってね」
「はぁ……」
それから数日後。
またもジャパンにやって来た大奥さんは、もうコピ・ルアクは売り切れたと報告してきた。
ジャパンのお客さんたちは、誰も注文しなかったというのに……。
「どうやって売れるようにしたのですか?」
「コピ・ルアクは、独特の深い香りとコクがあって美味しいのは確かよ。でも、魔獣の糞から採取したというマイナス要素がある。ユキコちゃんは、それを正直にお店のお客さんたちに事前に伝えてしまった。これでは売れないわ」
「でも、黙っているのもどうかと思います……」
コンプライアンスとまでは言わないけど、飲食店は食材の情報をちゃんと伝えるべきで……。
「別に害があるものでないのだから、あとでいいのよ。私の取った方法わね……」
大奥さんは、まず大貴族の奥さんたちを自宅に招待し、非常に珍しくて美味しいコーヒーが手に入った。
是非試飲を。
特別にあなたたちにだけにです、と言って飲ませた。
「香りとコクが違うから、すぐに彼女たちが普段飲んでいる高品質なコーヒーとも別物だとわかるわ。みんな、美味しい、美味しいと絶賛する。私も美味しいからよく飲んでいますと続ける」
そして飲み終わってから、魔獣の糞から採取したものだと告げた。
「みんな、美味しいって先に言っているでしょう? 大貴族の奥様方はプライドが高いし、私や他の招待者たちの目がある。怒れないのよ」
そうなると、彼女たちはコピ・ルアクをとにかく正統化する。
確かに魔獣の糞から採取しているけど、これは美容にいいとか、健康にもいいとか。
勝手に言い出し。
褒め称え。
ついには、高額で購入してくれた。
「実際に美味しいわけだし、なにが害があるわけでもないでしょう?」
コピ・ルアクは、魔獣の体内で発酵する時にカフェインの含有量が下がると聞いたことがあった。
カフェインの摂取し過ぎは色々と問題なので、健康にはいいのかな?
私は大奥さんに、コーヒーを飲むと目が覚める覚醒しやすい成分があり、過剰摂取は毒なので、その含有量が下がっているコピ・ルアクは、健康にはいいと言っておいた。
「それはいいことを聞いたわ。最初に購入した大貴族の奥さんたちは、早速お友達や、寄子や家臣の妻たちに飲ませたりする。貴族は高価なものを購入して、それを見せびらかしたり、味あわせ、それが手に入れられる自分たちという体で、自分たちの存在を誇示するの」
「目上の人にいいものだと勧められたコーヒーが魔獣の糞から採取されたものでも、それに異議は唱えませんか」
むしろ、宣伝に回ってしまうわけね。
「こうして、あっという間に上流階級に広がるというわけ」
凄いわね、大奥さんは……。
宣伝と販売の方法が巧みだわ。
あのお爺さんの奥さんなだけはあるのか。
商売の才能では、私は逆立ちしても勝てないわね。
「とはいえ、結局いい品がないと勧めようもないから。ユキコちゃんもなかなかだと思うわ」
「それほどでも」
「うちのミルコのお嫁さんには……難しいわねぇ……もっと頑張らないとねぇ……」
「あはは……」
別にミルコさんが悪いわけではないし、むしろ最近は頑張っていると思うけど、やっぱり親分さんに比べるとかしら?
「あっでも、親分さんはあまり結婚願望がないみたいよ。ユキコちゃんも大変ねぇ」
「……」
この人、本当に油断ならないわね。
私が、『親分さんがいいなぁ……』って思っているのに気がつくなんて。
「親分さんが駄目そうなら、ミルコも考えておいてね」
「ええまあ……」
なんだかんだ言っても、大奥さんも孫が可愛いお祖母ちゃんなのね。
結婚かぁ……。
私はもうすぐ十九歳になってしまうけど、この世界だと二十歳を過ぎたら結婚して当然とか、そういうことってあるのかしら?
元現代日本人としては、まだ結婚なんて早いと思うのだけど……。
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