第69話 お忍びの二人
「女将、聞いたぞ。昨日は随分と変わった客たちが来たそうだな」
「あら、お爺さんは耳が早いんですね」
「引退しても職業病が出てしまう性分でな。しかししくじったの。昨日は、ワシのような商会のご隠居たちの会合でな。店は奮発してグリューネンだったんだが、あの店よりもワシはこの店かな」
「俺も仕事だったんでね」
「親分、面白い物を見損ねましたね」
「そうだな。随分と浮世離れした客だと聞いたから、少し興味があったんだが……」
「俺様も、ちょっと離れた町まで出張だったんだぜ」
「大口の予約が入ってな。今日もその客たちは来るのかね?」
次の日。
今日はいつもどおり、お爺さん、親分さん、テリー君、ミルコさん、アンソンさんがお店に姿を見せた。
みんな、前日お店に来た、面白いお客さんたちを見れなくて残念がっている。
そんなに娯楽に飢えているのかしら?
「ユキコ君、エールと串焼きの五本セットを。味はミソダレで」
「私は、同じものをショウユダレで」
「イワンさんもアンソニーさんも、いらっしゃい」
「ユキコ君、昨日は面白いお客さんが来たんだって?」
「常連の人たちから聞いたよ」
イワンさんもアンソニーさんも、昨日のお客さんたちに興味津々なようね。
「それがイワンさん、女将さんが串焼きを出したら、ナイフとフォークは? って聞いてきたんです」
「そうなのかい? 私たちでもそんなことは言わないよなぁ……あっ、ファリス君は……制服を着るようになったけど、上にローブも纏っているのか……脱いだ方がよくないかな?」
「イワンさん、ファリスはこれでも格段の進歩なんだぜ」
「でも、ミルコ兄様、今まで私の服装の変化に気がついていなかったのでは?」
「それはないんだぜ。ちょっと言いそびれただけなんだぜ」
さすがはイワンさん。
ファリスちゃんのメイド服姿に気がついたけど、上にローブを羽織っていることに違和感を覚えたみたい。
確かにちょっと変だけど、これでも格段の進歩なのは、幼い頃からの彼女を知るミルコさんにはよくわかっていた。
「最初のワインも凄かったけど」
「メニューにはあるが、頼む者はいないかのぉ……。ワシも、この店でワインを頼もうとは思わぬのぉ……」
私もあまり仕入れなくてよかったと安堵するくらい、このお店でワインは売れなかった。
昨日、一本でも売れてくれてよかった。
「デミアンさんという人、随分とグリューネンのレバーのパテを褒めていましたけどね。昨日行く予定だったのに、なぜかうちの店でワインと串焼きを頼んで。かなり身分が高い人なのでしょうか?」
「グリューネンに行く予定だったと?」
ララちゃんの発言を聞き、お爺さんが急に真面目な表情をになった。
もしかして、あの二人に心当たりがあるのかしら?
「(昨日か……あの方が急にキャンセルして、グリューネンの者たちが慌てておったの……)」
「お爺さん?」
「なんでもないぞ。ワシはギンナンを頼む。塩でな」
「はい、ギンナンですね」
この世界にもイチョウが生えていて、当然の如くギンナンも存在した。
なかなかいい調理方法がなく、煎って食べるのが主流なのだけど、うちのお店では串に刺して提供している。
食べ過ぎると中毒になると聞いたことがあるので、一人一本の制限をつけていたけど、念のためってやつね。
「俺も一本くれ。塩で」
お爺さんに釣られたのか、親分さんもギンナン串を一本頼んだ。
コフキを頼む人だから、ギンナンを頼んでも不思議ではない。
親分さんは、酸いも苦いも楽しむいい大人の男性なのよ。
「わかりました」
「俺様、ギンナンは苦手だなぁ……」
「ミルコは、味覚がお子様なんだ」
「アンソンも頼んでないじゃないか」
「俺は以前食べたけど、ちょっと苦手なんだ……」
「人のことは言えないだろう」
チラホラとギンナンを頼む人がいて、それを全員に提供し終わった時、そこにまたあの二人がやって来た。
昨日来たばかりなのに、もう来てしまうのか……。
思っていた以上に、このお店を気に入ったのかしら?
「……」
「へえ、これは木の実かな?」
「ギンナンです。庶民の食べ物ですな」
「へえ、よ……僕も一本貰おうかな? お勧めの味は?」
「塩が、一番ギンナン本来の味がわかりますな」
「わざわざすまないね、ご老人」
「いえ……」
お爺さん、珍しく緊張している?
あきらかに動揺しているわけではないけど、結構注意しながらお坊ちゃまイケメンと話しているように見える。
やっぱり、かなり偉い人なのね。
侯爵様くらいかしら?
「僕もデミアンも、このギンナンを一本ずつね」
「大丈夫ですか? これは?」
デミアンさんは不安なようだけど、ギンナンを高級レストランで出すところはないから当然か。
「軽い前菜みたいなものですよ」
「……食べてみよう……で……若が食べるからだ……毒見だ」
最初は否定的なのに、食材を説明すると、毒見だと言って必ず食べるデミアンさん。
お坊ちゃまイケメンよりも先に食べないと毒見の意味なんてないのに……まさにツンデレの鑑ね。
「ほんのり甘くて、少し苦みがある。確かに前菜にピッタリだ」
「昨日、若が頼んでいないものを中心に頼む」
なんだかんだ言って、すでに注文にも慣れているデミアンさん。
この人は、観察していると面白いわ。
「お酒はどうなされますか?」
「で……若にはワインを……」
「僕もエールにして。飲んだことないから、飲んでみたくなった。このお店のはよく冷えているんでしょう?」
私も魔法で氷を出せるし……食べ物に連動した魔法だから……ファリスさんもいるからだ。
うちのエールは他のお店とそんなに価格も変わらず、いつも冷えているから大人気だった。
火魔法も使えるから、寒くなったらお酒を温めることもできるしね。
「魔法が使えるんだ。凄いね」
「使用用途が、食べ物関係のみですけどね」
「でも、一芸に秀でているのはいいことだよ。お店も繁盛してるみたいだしね」
ララちゃんがお坊ちゃまイケメンに冷えたエールを出すと、彼はチビチビと飲み始めた。
それにしてもエールが初めてなんて、本当に偉い人なのね。
本人がなにも言わないから聞かないけど。
「私は水を」
「果汁水にしませんか? 炭酸水もありますよ」
デミアンさんは、お坊ちゃまイケメンを護衛しなければいけないのでお酒を飲めない。
前回は氷水だけを飲んでいたけど、うちはジュースとまではいかないけど、果汁水とそれの炭酸水バージョンもあるので、それをお勧めしてみた。
果汁は青果店から仕入れたり、外で採取することもある。
たまに限定販売されるフレーバーは、そうやって集めたものであった。
炭酸水は、いつの間にか作れるようになった。
私が飲みたかったのよね。
風と水の魔法の混合みたいだけど、ファリスさんは『私には作れません!』って言っていたけど。
炭酸水を作る魔法……攻撃魔法には転用できないか……。
「ほう、水の中で泡がシュワシュワいっているな。この刺激とのど越しが最高……まあまあだな」
思わず褒めてしまったので、そのあと慌ててまあままだと言い直すデミアンさん。
この人は本当に面白い。
「へえ、こんな水があるんだ。昼間に飲めていいね」
真昼間からお酒を飲むわけにもいかず、確かに刺激のある炭酸水の需要はあるのかもしれない。
私しか作れないから、大量販売はできないけど。
「(なんか、みんな静かね……)」
この二人とお知り合いなのかしら?
お爺さんは間違いなくそうで、親分さんも、ミルコさんも、アンソンさんも、イワンさんも、アンソニーさんも。
あれ?
ファリスさんもかしら?
まるで仏像のように動かないけど。
「今日はナイフとフォークはいいのか?」
「「「「「「「っ!」」」」」」」
昨日もいた常連のおじさんが二人をからかうと、お爺さんたちは『ビクッ!』と反応した。
ちょっとした冗談なのに、そんなに驚くことかしら?
「さあ、昨日頼んでいない串や味をどうぞ」
「これも美味そうだね」
もう慣れたもので、二人は出された串を楽しみながら、エールと炭酸水を飲んでいた。
暫く食べることに夢中になっていたけど、すべて食べ終わると、咄嗟に私に聞いてきた。
「女将は、僕の正体が気にならないのかい?」
「で……若!」
「まあまあ。で、どうなのかな?」
「気にならないと言えば嘘ですね。ですが、私はこのお店のオーナーなので、ルールに従ってお代を支払えるお客さんは差別しない主義なので」
「なるほど」
「どんなお仕事をされていても、みんなストレスはあると思います。仕事終わりにここで料理とお酒を楽しんで明日の活力に繋げてもらう。だからあえて聞くことはしません」
「なるほど。よく理解できた。このお店はいいお店だね。これからもちょくちょく利用させてもらうよ。デミアン」
「はい」
またもデミアンさんは、私に金貨をお代として支払ってくれた。
多すぎ……でもよくよく考えてみたら、デミアンさんって金貨しか持っていないとか?
それはないか……。
「じゃあ、また」
「若がまた来たいというから、私もつき合うしかないのだ。悪い店ではないがな……」
お坊ちゃまイケメンはいつもどおり颯爽とお店を出て行ったけど、デミアンさんの最後のセリフはまたも秀逸だった。
まさに、ツンデレの鑑ね。
「デミアンさん、面白い」
「だよね」
私とアイリスちゃんの意見は一致した。
イケメンのツンデレ。
破壊力があるわ。
「女将?」
「どうかしましたか? お爺さん」
「あのお方の正体を知っているのかな?」
「いかにも高貴な身分の人っぽいですよね。侯爵……公爵様とか?」
「あのお方は、この王国の第一王子、リカルド王太子殿下なのだ。知らなかったのか?」
偉い人だとは思っていたけど、まさか本物の王子様とはね。
「ご隠居、女将はやっぱり凄いな」
「そうですか?」
お忍びで来たんだから、いつもどおりの対応をした方が殿下も喜ぶと思うけど……。
彼の目的は、庶民的なお店の味を味わうことなのだから。
「それは理解できても、なかなかできることではないな。昨日のグリューネンの連中。殿下が来店すると聞いたので、気合を入れて歓迎の準備をしていた。あのグリューネンがだ」
それは、さぞや殿下も嫌だったでしょうね。
せっかくの外食なのに、あれやこれや構われ過ぎてたら、王城にいる時と同じになってしまうのだから。
「女将さん、殿下のお隣にいたデミアン様ですけど、殿下の幼馴染にして、親衛隊の隊長であり、剣の師匠であって、自らも子爵様という凄い方なのです」
へえ、あのツンデレイケメンさんも偉い人なんだ。
「ユキコ女将、たまげたなぁ……」
「俺もそう思う」
ミルコさんはお爺さんの孫で、アンソンさんは王城の料理人だったから知っていたのね。
イワンさんとアンソニーさんは、知らないわけがないという。
「ユキコ君にはよく驚かされるな」
「私も殿下が入ってきた瞬間、心臓が止まるかと思ったよ」
「気持ちはわかりますけど、あの二人はお忍びでこのお店を楽しむためだけに来ているのです。あえて詮索せず、静かに飲ませてあげるのが私の方針ですから」
「さすがは女将さんです」
「姐さん以外でそれができる人は少なそうだな」
「とにかく、ボンタ君もテリー君もあの二人が入ってきても動揺しないようにね。度胸をつける訓練だと思えば」
「「厳しいなぁ……」」
以後、週に一度くらいだけど、大衆居酒屋ニホンに少し浮世離れした若い二人の常連客が姿を見せるようになった。
最初はみんな動揺していたけど、すぐに慣れてしまったみたい。
人間は環境の生物だから、案外早く慣れるものよ。
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