第59話 命綱

「いらっしゃい、丼五つね! ユキコ店長、丼五つ」

「はーーーい」

「(女将さん、イワン様はなんでもできるんですね。伯爵家の次男なのに……)」

「(ボンタ君、『イワン様』は禁止よ)」

「そうでした。イワンさんですね」

 早速、アンソニー様が手配してくれた兵士四名とイワン様も応援に入って、お店を開いた。

 魔物肉とモツを味噌で煮込み、ご飯の上に載せた丼しかメニューはないけど。

 あとは、ファリスさんが魔法で作った氷を入れてくれるジュースしかない。

 いよいよ町の食料備蓄が尽きつつあり、ほぼ全員が私のお店を利用しているという状態になっていた。

 もう食べる場所がないので、自宅に持ち帰って食べ終わったら器を戻すか、私たちのお店の近所の店を開いてもらって、そこを飲食場所にするかになっている。

 私たちは、ただひたすら料理を作っていくだけだ。

 調理の補助や食器洗いをしている店員に化けた兵士たちと、私のすぐ前で注文を取っているイワン様が、私をガッチリと護衛していた。

 ボンタ君は、無難に仕事をこなすイワン様に驚いていたけど、確かに飲食店員の仕事に慣れた伯爵家の次男というのは予想外だったわね。

 巡検使という仕事柄なのかしら?

 でも、巡検使は王都から視察にやって来たことをアピールし、貴族たちにプレッシャーを与えるのも仕事のうちだ。

 となると、イワン様には巡検使以外にも色々と別の仕事をこなして経験があるんだと見るべきね。

「イワンさ……さん。そろそろ休憩の時間ですよ」

「ユキコ店長、間違いそうになったかな? 駄目だよ」

 店長が店員を『様』づけで呼ぶのはおかしいし、私を狙うであろう犯人たちにイワン様の正体を気がつかれたら色々とやりにくくなってしまう。

 理解はしているのだけど、さっきのボンタ君みたいについ『イワン様』と呼びそうになってしまうのだ。

 それを笑いながら窘めるイワン様……やっぱり格好いいわねぇ……。

「あらユキコちゃん。随分といい男の店員さんじゃないの。どこでスカウトしたの?」

 お店を開いてからずっと常連になってくれているおばちゃんたちが、イワン様を見て色めき立っていた。

 お腹も満たせて、イケメンも見れて得した気分なんだと思う。

 気持ちはよくわかるわ。

「私は旅人なのですが、この町に閉じ込められてしまったので暇を持て余しておりまして。ここで働けば、臨時収入と賄(まかない)が得られますからね」

「大変ねぇ、旅人さんも」

 おばちゃんたちは、イワン様の作り話を信じたようだ。

 彼が旅人なのは事実だけど、職業柄かこの手の作り話が上手よね。

 潜入なども経験ありというのは本当なのであろう。

「ユキコちゃんとお似合いだから、そのまま夫婦になってお店でも持てば?」

「それ、いいわね」

「この町でやってくれたら、私たちもいい男を定期的に拝めるしね」

 私とイワン様が結婚?

 いやいやいや、いくらイワン様の正体を知らないとはいえ。

 伯爵家の次男ともなれば、婚約者とか許嫁くらいはいるはずよ。

「それもいいかもしれませんね」

「えっーーー!」

 イワン様、それはおばちゃんたちを和ませるための冗談ですよね?

「ユキコちゃん、そんなに驚いて」

「顔も赤いわよ」

「もしかして、図星だったのかしら?」

「私とイワンさんは、そんな関係じゃないですから!」

「今はそうでなくても、そのうちね」

「イワンさん、休憩の時間ですよ」

「はい。丼五つね。では、休憩に入ります」

 ううっ……。

 イワン様がおばちゃんたちの冗談に乗ってしまうから、私は暫く恥ずかしくて、なにを作業しているのかよくわからないまま働き続ける羽目になってしまうのであった。



「もう、酷いですよ。イワンさん」

「すまないね、ユキコ店長。でも、私としてはそれもアリだと思っていたりしていてね」

「そうやって旅先で女性を口説いているんですか? ご実家がご実家なので、婚約者くらいいるでしょうに……」

「いなくはないけど、私は兄とは違って家に縛られる生き方は嫌なんだよ。だから、巡検使なんてやっているとも言えるね」


 イワン様はあまり貴族に拘りがない、というのはよくわかった。

 でも、そう簡単に逃れられる業ではないと思うけど。


 短い休憩が終わり、またお客さんの相手をしていると、そこにやはり毎日お店を利用している商人のおじさんが姿を見せた。

「おや、随分と人が増えたね」

「ええ、このくらい人がいないと、もう回せないので」

「若い男性が多いのは、そんな理由かな?」

 商人のおじさんは、イワン様や兵士たちを見ながら自分の考えを語った。

「ええ、鍋も大鍋にしましたしね」

 肉を焼いたり、モツを煮込んだり、ご飯を炊いたり。

 全部大きな鍋や釜に変えていた。

 私が持っていないものは、閉店したお店から借りているくらいなのだ。

 アンソニー様の口利きがあったので、すんなりと貸してくれたのはよかった。

 その代わり、自分の店は閉めていて暇なのでと、アルバイトで鍋の管理をしているけど。

「さながら、野戦陣地のようだ」

 商人のおじさんの言うとおり、このお店が町の人たちの命綱になってしまったので、野戦陣地という言い方はシックリくるわね。

「おじさんは、商売の方は?」

「お嬢さんに、いくつかの薬草やハーブ類を売ったくらいだね。他の人たちはまったく買ってくれないのさ。まあ、他の町に行けば売れるものばかりだけど、こればかりはアリがいなくならないとどうにもならない」

 多少料理で使うハーブや薬草類をおじさんから購入したのだけど、あとはまったく商売にならないみたい。

 みんな、まずは食べることが最優先だから。

「体を動かすとお腹が減るから、なるべく動こうとしない。すると、怪我をする可能性が減ってしまう。傷薬やその原料も売れないね」

「それはありますね」

 アリたちに包囲されているせいで、仕事にならない人たちは、極力動かないようにしているみたい。

 工事とかも、城壁の補修などの緊急を要する件以外では禁止されていて、みんな極力食べないで済むようにしていた。

 活気がなくなって当然ね。

「私もこれを食べて宿に戻るよ。お嬢さんはどこの宿だったかな? 私はイドルクの宿でね」

「私たちは、少し離れたダスティンの宿ですよ」

 今は忙しいので、本当に寝るためだけに戻っているけど。

 私、ララちゃん、ファリスさんで一部屋。

 ボンタ君は、別の階に一人部屋を取っていた。

 予定よりも大分長い滞在になってしまったけど、宿代はアンソニー様が出してくれたから、費用はかかっていない。

「あそこかぁ……本当なら、多少大雑把だが美味しい飯が出る宿なんだがね。私は、在庫の整理でもして寝るかな。そのくらいしかやることはないけどね」

 ここ数日間恒例となっていた世間話をしてから、商人のおじさんは一人前の食事を購入してから立ち去った。

「あのおじさんも、商売あがったりで大変ですね」

「そうね」

 ララちゃんの言うとおりで、アリのせいでまったく商売にならないのだから。

 大商いをしているようには見えないので、ダメージは大きいと思う。

「彼は、魔法薬を商う商人か……」

「魔法薬の原料も扱っているそうですよ」

「なるほどね」

 イワン様、あの商人のおじさんが気になるのかしら?

 でも彼は、アリのせいで商売に支障が出ているし、食料倉庫火災で食事にも苦労している。

 そしてなにより、先祖が元貴族には見えない……わよねぇ……。

 悪いけど。

「気のせいかもね。さあ、まだまだお客さんは沢山いるよ」

「そうですね、頑張りましょう」

 この日も日が暮れるまで商売を続けたけど、毎日売り上げが最高記録を更新し続けていた。

 商売人としては嬉しいのだけど、それはつまりこのお店で食事をとるしかお腹を満たす方法がないわけで……。

 私は、一日でも早くアリたちがいなくなることを心から願うのであった。

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