第36話 毒殺

「ふう、ギリギリだったな。あと数時間で、王都を出陣した本軍がここを通る予定だからな」

「お爺さん、私たちはギリギリでしたけど、本軍は動きが遅いような気がしますね」

「ふんっ、ブリマス公爵も本心では不安でしょうがないのだ。よほどのバカでなければ、竜に勝てるわけがないことくらい、すぐにわかるのでな」

「なら、やめればいいのに。変な人ですね」

「高貴な方々のプライドというのは、特に非常に厄介なものでな。ここで退いたら、先遣隊全滅の責任を取らされてブリマス公爵は王国軍最高司令官の地位を追われる。公的には引退という扱いになるであろうが、実質他の将軍たちから敗戦の責任を問われ、引責辞任させられたに等しい。もし本軍が竜に勝てれば、彼の地位は暫く安泰であろう。もし失敗して討死しても、彼の名誉は守られる」

「そんなしょうもない彼の考えに巻き込まれる、兵士たちが可哀想ですね」

「だからだよ。王族や貴族には見栄と矜持があり、それも少しはないと困ったことになってしまうからすべてを否定できない。だからこそ、ワシが密かに暗躍して決戦をなくしてしまえばいいと思った。他の偉い方々は、ブリマス公爵のプライドを傷つけてしまうからという理由でこういうことはできないのでな」



 完成した料理は大皿に、酒は巨大な杯に注がれ、あとは竜の到着を待つのみとなった。

 私たちは、陰からその様子を見守っている。

 他の魔獣が寄ってきて、ようやく完成した料理を食べられてしまうと困るので、私たちが見守るしかないわけだ。

 もっとも、竜が料理とお酒に気がついてくれれば、私たちなんてあまり気にしなさそうだけど。

 実際に、竜の進路上で料理や食材を出した村人や町民たちに被害は出ていないそうだ。

「素直に料理を出しておけば、被害はないんだろうけどなぁ。偉い人たちの考えはオイラには理解できないっすよ」

「とはいえ、それでは己のプライドや矜持が許さない者もいるのだ。立場というものもある。自警団の親分も、時には痩せ我慢して見栄を張るであろう?」

「そんな親分さんたちもいますね。そう言われると確かに、王族や貴族と自警団の親分衆って似ているところはありますよ。弱気だと、下に舐められますしね」

 ここで竜と戦わずに退けば軍内のライバルたちから舐められ、あとでその地位から引きずり降ろされるかもしれない。

 自警団にも王族や貴族と似た部分があると、テリー君が教えてくれた。

 逆に言うと、王族や貴族は任侠組織と似た部分があるとも言えるのだけど。

「ゆえに、その前に竜の毒殺を終えてしまうのが一番いいというわけだ」

「ブリマス公爵にありがたがられますね」

「ボンタ君、そんなわけがなかろう」

「彼の立場から言えば、手柄を横取りした私たちを恨まないと、派閥が立ちゆかなくなるかもしれませんね」

 ブリマス公爵本人は竜との決戦を回避できて安心したとしても、彼の下についている人たちが私たちを大いに逆恨みするはず。

 彼らは竜討伐が必ず成功すると思っているのだから、私たちを手柄泥棒としか思えないのだから。

 その辺の対策も、お爺さんは打っていると思うのだけど……。

「まずは、竜を殺してからというわけだ。ここに接近してくれば周辺の魔獣たちは逃げ出すであろうが、もう少し料理の番を頼むぞ」

「わかりました」

 そして二時間後。

 ついに竜が、私たちが用意した料理と酒に接近してきた。

 巨体ゆえに、歩く度に『ドスン!』『ドスン!』と地震のような足音を響かせながら、こちらに近寄ってくる。

「予定よりも少し早いですね」

「料理に釣られたかな? さすがは、女将の料理」

「そうなんですか?」

 私たちは、息を殺して様子を見守る。

 最悪、竜に食い殺されるかもしれないと思うと、心臓がバクバクしてきた。

 でも、他の村や町は料理戦法で犠牲を避けてきたのだから、私たちも大丈夫はなず。

 などと思っていたら、ついに竜が姿を見せた。

「(デカッ!)」

 みんな大声を出したいであろう気持ちを抑え、木の陰から巨大な竜を見上げていた。

 色は緑色で、その大きさは軽く高さ三十メートルはあると思う。

「(多分、三千年は生きているはずです。こうやって世界中を歩き回っているのです)」

 さすがというか、学院で資料を調べたのであろう。

 ファリスさんが、知りうる限りの竜の情報を教えてくれた。

 確かにこれは、料理で進路を変えてもらいたくなるほどの大きさだ。

 小さな村なんて、あっという間に潰されてしまうであろう。

「(ユキコさん、食べますかね?)」

「(見て、ララちゃん)」

 大量の料理と酒が置かれた森の中の開けた場所に到着した竜は、慎重な態度を崩さないまま料理と酒の匂いを嗅ぎ始めた。

 竜には苦草以外の毒が一切通用しないそうで、唯一それのみを警戒しているそうだ。

「(他の毒はいくら食べても効果がないんです。苦草は唯一の弱点ですね)」

「(なるほど。苦草は、軍人将棋でいうと『大将』を倒せる『スパイ』みたいだね)」

「(それって、東方のゲームですか?)」

 いわゆる軍人将棋のルールなのだけど、実は亡くなったお祖父ちゃんが好きだったのよね。

 三人でないと出来ないゲームなので、遊ぶ時に、もう一人審判役を探すので苦労していたけど。

「(面白そうですね)」

 今度、自作してみようかな。

 ファリスさんと休憩時間に遊べるかもしれないから。

「(ユキコ! 食べたぞ!)」

 古い書物に記載された料理とまったく同じではなく、基本は押さえてあるけど、それよりさらに美味しくなるように改良した、私流のアレンジメニューだ。

 素材も新鮮、調理方法も昔より進歩していて、規定量の苦草を竜に気がつかれず食べてもらえるよう、努力した甲斐があったというもの。

 一度警戒感が薄れてしまえば、あとはその巨体に相応しく大量の料理を貪り食うだけ。

 実際に、竜が一度料理を食べ始めると、その勢いはまったく衰えなかった。

 一頭分のワイルドボーンの丸焼きをひと口で食べきり、小さな池ほどの大きさの杯に注がれたエールをガブ飲みし、巨大な鍋に入った味噌煮込みも数十秒で空にされてしまった。

 もの凄い食欲だと感心してしまうのと同時に、童話や昔話のようだなとも思ってしまった。

 竜が、すべての料理を食べきるのにかかった時間は十分ほど。

 まさに恐ろしいまでの食欲であった。

「(あっ、女将さん!)」

「(寝た?)」

「(お腹が一杯になったのだろう)」

 お爺さんの言うとおりだったようで、竜はその場で横になると、スヤスヤと意外にも静かな寝息を立て始めた。

 私は、竜ってもの凄いイビキをかくのだと思っていたのだ。

「普段はもの凄いイビキをかくそうです。静かな寝息は、苦草が効き始めた証拠です」

「寝たまま、あの世行きかぁ……」

「毒で苦しんで暴れた場合、あの巨体ですからね。都合がいいと思いますよ」

 確かに、あの巨体に大暴れされ、下敷きにでもされたたらペシャンコだから、これでいいのかも。

 暫く竜の寝息を聞き続けた私たちであったが、数分でその回数が徐々に減っていき、最後には一分で数回というレベルまで落ち込んでしまう。

 そしてついに竜から寝息が聞こえなくなり、それが、竜が生命活動を終えたことの証拠となったのであった。

「倒したわよ!」

「「「「「「「「「「やったぁーーー!」」」」」」」」」」

 竜の生命活動が完全に停止したことを確認してから、私が作戦に参加したみんなに成功を伝えると、全員から一斉に歓声があがった。

「俺様たちで竜を倒せるとはな」

「料理は偉大だ!」

「さすがは女将さん」

「ユキコさん、やりましたよ」

「まさか本当に、書物どおり竜を倒してしまうなんて。女将さんは凄いですよ。魔法学院にこんなことができる人はいませんから!」

「みんなが手伝ってくれたおかげよ」

「期待したとおりであったな。これで無用な犠牲を出さずに済む」

「アニキも喜ぶだろうな」

 お爺さんに頼まれてなし崩し的に始めた作戦だったけど、私たちは無事、竜を料理で毒殺することに成功したのであった。

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