第37話 大衆酒場『ニホン』

「はあ? 竜が進路を大幅に変えただと?」

「はい。実際に竜は忽然と姿を消しておりまして……。自警団有志による偵察では、無人地帯及び『死の森に』に逃げたのではないかと」

「本当に竜はいないのか?」

「はい。どこにもその姿が確認できません」

「ううむ……」



 本軍を率いて決戦を行おうと思っていたブリマス公爵は、突然竜が姿を消したという報告を聞き、安堵と怒りが混じったような複雑な顔をしていた。

 陛下の従弟であるブリマス公爵としては、いかに竜が相手だとしても、戦わず逃げるのは王族と貴族としてのプライドが許さないが、竜と戦わずに済んでよかったという気持ちがあるのも事実なのであろう。

 どうやら、ご隠居が上手くやったようだな。

 それにしても助かった。

 ブリマス公爵め。

 竜との決戦に挑む戦力に自信が持てなくなり……配下に唆されたのであろうが、俺たち警備隊まで本軍に編入しよう、と言い始めていたからだ。

 そんなことをしたら警備隊不在の王都の治安はどうなるのだと、他の自警団の親分たちと一緒に陳情していたのだが、彼はその席で竜が消滅した報告を聞くことになった。

 手品でもあるまいし、まさか竜がいきなり消えるわけもなく、ご隠居が女将に依頼した作戦が成功したのであろう。

 テリーを助っ人に出しておいて大正解だった。

「(しかし、竜は毒殺するという話だったのだが、その死体はどこに消えた? なにか女将がやったのであろうが、それはあとでお店で聞けばいいか)」

 それに、竜が消えたのはこちらとしても都合がいい。

 下手に女将たちが竜を倒した証拠が残ると、ブリマス公爵がいらぬ逆恨みをするかもしれないからだ。

 死体が残るのもよくない。

 ブリマス公爵たちが女将たちを脅し、その死体を奪うかもしれないからだ。

 女将たちは素直に渡すしかないだろうが、それではこの国に未練はなくなってしまい、他の国に移住してしまうであろう。

 俺は自警団の親分なので、この国を離れられない。

 お気に入りのお店がなくなるのは勘弁してほしいからだ。

 それに、あの女将は面白いからな。

 王城にいるただ綺麗に着飾った人形たちよりも、強く、綺麗で、内より輝いている。

 俺は、あのお店で美味しい串焼きを食べながら女将と話をしているだけで楽しいのだ。

 だから、竜の死体を巡って争いにならなくてよかった。

「ブリマス公爵閣下、竜を倒せなかったのは惜しかったですな」

「左様、竜の肉は美味で、素材は高品質な魔法薬や武具、魔法道具の素材になると聞きますからな」

「今回の戦費の補填ができたはず」

 ブリマス公爵の腰ぎんちゃくどもめ。

 先遣隊壊滅の損失を、竜の死体で補う算段もあったのだな。

 だが、もし竜に勝てても、本軍の犠牲を考えたら決してプラスにはならないだろうに。

「無念だが、いないものは仕方がない。このまま王都に侵攻してくれば、この私の剣の錆にしてくれるところを!」

 まあ、猪武者扱いされて当然だよな。

 これをお芝居で言って兵士たちの戦意高揚を達成できる知恵があればいいのだが、本気でそう言っているからこの人は困るのだ。

 バカだから、変な連中が腰ぎんちゃくとして集まってくるというのもある。

 これで王国軍のトップなのだから、笑うしかない。

 王の従弟なのに、将軍たちがその地位から引きずり下ろそうとしている時点で、彼の能力はお察しなわけだが。

「ブリマス公爵閣下、竜はいなくなった以上、一刻も早く動員を解きませんと。その予算が……」

 軍勢は、動員しているだけで金が飛んでいくものだ。

 一秒でも早く大規模な動員を解きたいのであろう。

 腰ぎんちゃくながら、財務に詳しい貴族が自分の考えを述べた。

 はたしてそれを、ブリマス公爵が理解しているかどうかだが……。

「そうだな、もう竜はいないのだからな」

「はい。まずは警備隊を王都の治安維持活動に戻し、自警団の動員も解除すべきかと」

 うちに支払う報酬も、安くはないからな。

 俺たちは王国によって正規に雇われているわけではないので、戦死、戦傷時の補償などはないが、動員時の日当は高めだ。

 戦争とは、とにかく金がかかるものというわけだ。

「陛下へ、とりあえず安全になったことを報告しませんと」

「そうだな。陛下に報告に参らねば」

 とにかくも、竜が出現したのに先遣隊のみ犠牲程度で済んで御の字か。

 暫くは後始末で忙しいだろうが、それが終わったら竜のことを聞いてみたくなった。

 あの女将なら、俺が予想もできないなにかで竜を消したに決まっているのだから。

 そしてなにより、早く仕事が終わったら女将のミソニコミと、串焼きが食べたい気持ちで一杯だ。

 一秒でも早く、気風のいい女将の声を聞き、顔を見て話をしたいものだ。




「では、竜討伐……じゃなかった! 逃亡を祝して完敗!」

「「「「「「「「「「乾杯!」」」」」」」」」」


 無事に竜の毒殺に成功してから三日後、本日の大衆酒場『ニホン』は完全貸し切りとなっていた。

 あの作戦に参加した人たちのみが参加する、秘密の祝勝会が開かれていたからだ。

 大量のエールと料理が提供されたのだが、これらの材料のうち肉は、すべてあの竜のお肉であった。

 あのあと竜を倒すと、ブリマス公爵が指揮する本軍が到着する前に『食料保存庫』に仕舞い込み、その日の夜にララちゃん、ボンタ君、ミルコさん、アンソンさんの協力を得て竜を解体。

 魔法薬の材料となる眼球、骨、牙、外皮などはスターブラッド商会へ。

 なぜなら、あそこの倉庫なら安心して保管できるからだ。

 お爺さんが、責任を持って預かってくれると言ったのもある。

 作戦に参加した人たちへの報酬だけど、これもお爺さんが立て替えてくれた。

 あとで、料理に使ったものの経費と合わせて王国に請求するらしいけど、どこの世界でもお上は支払いが遅いという法則があり、先にお爺さんが立て替えてくれたというわけだ。

 お肉、内臓、血などは食材なので、ちゃんと下処理したものを私が引き続き預かることになった。

 あと、竜の糞も大量にあって、これはいい肥料兼土壌改良剤だそうで、これもスターブラッド商会が引き取っていたわね。

 私は、料理に使えないからいらないけど。

 無事証拠隠滅も済んだというわけで、今日は竜の肉を使った料理をアンソンさんにも手伝ってもらって大量に出しているわけだ。

 乾杯を終えると、みんな思い思いに料理を食べ、お酒を飲んでいる。

 みんな楽しそうだ。

 お高く止まっていけ好かない王族や貴族たちを出し抜いたので、清々したというのもあるのだと思う。

 親分さんが選んだ口の堅い自警団員たちに、お爺さんが選んだスターブラッド商会の従業員たちなので、実は竜は倒されていたという秘密はそう簡単に漏れないはず。

 素材をスターブラッド商会が預かるのも、実はスターブラッド商会は竜の素材を在庫として持っていたからだ。

 この世界では、年に数回は竜が討伐されるらしい。

 今回のような大型の竜は珍しく、大半が中型以下らしいけど、素材にしてしまえばわかりにくいと、お爺さんは言ってた。

 一旦魔法具に使われた竜の骨や牙もリサイクル可能だそうで、スターブラッド商会の倉庫に大型竜の骨や外皮があっても、別におかしくないというわけだ。

 まさに、木を隠すには森の中というわけね。

「親分さんはお忙しいのでは?」

「俺も最初はそう思ったんだが、今はそうでもないかな。竜がいなくなった途端、財務系の貴族たちが『早く戦時動員を解け!』と大騒ぎなのさ。一日動員日数が長いと、経費がまったく違うのでな」

「戦争って、お金がかかるんですね」

「そういうことだな。おっ、これは美味しいな」

「竜の皮の串焼きですよ」

 素材として使う外皮ではなく、その下の肉との間の部分だが皮と言っている。

 この部分が、鳥皮なんて目じゃないほどに美味しいのだ。

 外側をパリっと焼いて、塩をつけて食べると最高なのよね。

 親分さんも気に入ってくれたようだし。

「ささっ、竜のタン、ハツ、レバーも沢山ありますよ」

「贅沢だな。アンソンも奮闘したようだな。あの料理とか」

「竜タンシチューだそうです。美味しいですよ」

 日本でも普通にタンシチューがあったけど、それの竜の舌バージョンってわけね。

 アンソンさんが丹念に竜タンを煮込んだシチューは絶品で、うちのメニューに……は難しいわね。

 最近アンソンさんのお店では、ワイルドボア、ウォーターカウのタンシチューが人気だから、そう簡単には真似できないわ。

「実は、俺も前に食べに行ってな。確かに、あのタンシチューは絶品だな」

 さすがというか、親分さんは情報を掴むのは早いわね。

「親分さんは、一人でアンソンさんのお店に行かれたのですか?」

「まさかな。ただ、同行者はテリーなので寂しい限りだが……」

「あら、親分さんは女性にモテそうなのに」

「どうかな? こんな仕事なので俺は独り者だからな」

 やったぁーーー!

 有力な情報をゲットよ!

 親分さんには、奥さんやお子さんはいなかった。

 これが聞けただけでも、今日は勝ったも同然ね。

「そういえば。親分さんは大好きな甘い物を食べる時は、やっぱりテリーさんを連れてですか?」

「ははっ、さすがにテリーからも『アニキと二人だけで、女性客しかいないお店は勘弁してください!』って言われてしまってな。残念ながら、そういうお店には行ったことがないんだ」

「そうなんですか。じゃあ、女性の同行者がいた方がいいですよね?」

 頑張れ、私。

 ここで自分をアピールして、親分さんと一緒にそういうお店に行く……つまり、デート!

 私、日本で男性とデートなんてしたことない……お祖父ちゃんと甘味処に行くのはデートじゃないからなぁ……。

 孫娘が、お祖父ちゃんと甘い物を食べに行っただけで。

「女将の誘いなら、飛んでくるさ」

「本当ですか?」

 やったぁーーー!

 これで親分さんとデートができると思ったら……。

「ユキコ女将、そういうお店なら、俺様大得意だから。毎日連れて行ってやるぜ」

「ミルコは相変わらずデリカシーの欠片もないな。俺に任せれば、ユキコ好みのデザートを毎日作ってあげられるぜ」

 おいっ! 

 この一番大切なところで邪魔するなんて、ミルコさんもアンソンさんもぉーーー!

「おや、女将はモテモテだな。需要があれば、ワシもたまにはそういうお店に案内するぞ。ちなみに、どこぞの二人のように野心はないからな」

 お爺さん、その二人の中に自分の孫も混じっているんですけど。

 あと、親分さんは私に野心がないの?

 いやいやいや、それはないでしょう!

 ないよね?

「みなさん、ユキコさんを誘惑しないように。甘い物は女性たちの特権! 私がいつも付き合っていますから!」

 そういえばそうだった。

 この世界に飛ばされてからというもの。

 私が一番デートしたのって、実はララちゃんだった。

 性別不問で、二人きりで出かけるのをデートだと規定すればだけどね。

「オイラは緊張してしまうと思うので、姉御と二人で出かけるのは勘弁してほしいっすね」

「ここでそれを言うか! まるで私が怖い人みたいじゃないの!」

 まったく、テリー君のせいで親分さんとのデートの約束が曖昧になってしまったじゃない。

 でも、チャンスはあるのよ。

 きっと。


 一人でこの世界に飛ばされて来た私だけど、ララちゃん、ボンタ君、ファリスさん、お爺さん、ミルコさん、アンソンさん、そして親分さんと。

 色々な人たちの助けでお店を経営して、どうにか暮らせている。

 今は毎日の生活が楽しく、親分さんとの関係もいずれね。

 私はそんなことを思いながら、みんなとの祝勝会を楽しんだのであった。



「ララちゃん、タン塩串十本あがったわよ」

「はい、タン塩串十本。お待ちどうさまです」

「ファリスさん、エール五杯ね。常連さんだから大丈夫よね?」

「はい、大丈夫です」

「ボンタ君、熟成肉のステーキが入りました」

「任せてください」



 まるで竜の騒動などなかったかのように、王都では多くの人たちが毎日の生活に追われていた。

 そんな人たちが仕事を終えたあと、わざわざ目立たない裏通りの、さらに奥の店へと足を運ぶ。

 そのお店は『大衆酒場』を名乗っており、新鮮な魔獣の肉や内臓の串焼きや煮込み、酒に合うツマミなどが美味しいと、非常に評判のお店であった。


 ダブル看板娘の二人がお客さんを出迎え、若く体の大きな男性店員がテキパキと調理を行い、そんな三人を纏めるのは、艶やかな黒い髪と瞳が特徴の、小柄ながらもその迫力から『女将』と呼ばれている、まだ十八歳の女性店主兼オーナーであった。


「お客さんは初めて? うちはルールさえ守ってくれたら大歓迎ですよ」


 そのお店は大衆酒場『ニホン』。

 別の世界から飛ばされてきた逞しい女子高生オーナーが取り仕切る、ちょっと不思議で活気のあるお店であった。

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