第15話 下処理
「ボンタ君、手伝ってちょうだい」
「わかりました」
「ララちゃんは、桶の用意ね」
「はい。準備万端ですよ」
私たちは、眠ったままのワイルドボアの後ろ脚をロープで括ってから木に吊るす。
そして、ワイルドボアの心臓がまだ動いていることを確認すると、一気に心臓近くの動脈を切り割いて血抜きを始めた。
その下では、流れ落ちる血を受け止めるために、ララちゃんが桶を置いて待ち構えていた。
「随分と手間をかけて血を抜くんだな。そのまま放置して、血が流れなくなるまで待てばいいんじゃないか?」
普通のハンターや猟師は、トドメを刺した獲物をひとまとめに置いておいて、狩猟が終わると持ち帰って肉屋に卸す。
そのため、血抜きが不十分で肉が獣臭い、生臭い、もうそろそろ暖かい季節になりつつあるので、ほぼ丸一日常温下で放置された獲物は、内臓から悪くなっていく。
内臓はもっと生臭く、肉質も悪くなるし、食べるとお腹を壊すこともあった。
魔獣の内臓がとても安く、庶民の味扱いされるのは、処理や保存が不十分で決して美味しいものではなく、ほぼ捨て値で販売されるからだ。
臭い内臓はハーブなどで臭みを消すという調理方法が取られるが、貧しい人たちはそんなに沢山のハーブが使えない。
金持ちもたまに内臓料理を食べるとけど、匂い消しのハーブ類を使いすぎて、内臓料理なのかハーブ料理なのかわからない状態になるそうで、そんなに人気がないと聞いていた。
私の場合、完璧に獲物の血抜きを行い、すぐに内臓を取り出し、内臓自体の血抜きや、肉質を悪くする部分の除去をすぐに行って、評判のいい内臓の串焼きを提供しているわけだ。
「小娘、ワイルドボアの血なんて使い道あるのか? あと、なぜかき混ぜ続ける?」
「血だって、美味しい食材になるってユキコさんから教わったんですよ。かき混ぜているのは、血が固まらないようにです」
血も、血を材料に使うブラッドソーセージ、塩と血を混ぜてから蒸して作る猪血湯、沖永良部島にも血汁という似た料理ががある。
手間と人手の関係でまだお店メニューにはしていないけど、試作して賄で食べれば食費も節約できるし、ララちゃんやボンタ君に新しい料理を教えられるからね。
「ユキコさん、血が出なくなりました」
「もう血抜きは終わりか?」
「血抜きはね。ボンタ君」
「はい」
次は、すぐにワイルドボアの内臓を抜いていく。
これも急ぎやらなければ、肉も内臓も悪くなってしまうからだ。
「ララちゃん、お願い」
「わかりました」
抜いた内臓をララちゃんに渡すと、彼女はそれを川の水で洗ってさらに血を抜き、余分な脂肪や、状態が悪くて食べられない部分を切り落としていく。
駄目な部分は勿体ないけど、容赦なく除去することで肉や内臓の質を保てるからだ。
「内臓なんて臭くて不味いじゃないか」
「あなたは、昨日なにを見ていたの? お爺さんも美味しそうに食べていたでしょう? ようは下処理の仕方よ。大変だけど上手に処理すれば臭くないし、独特の味や食感で美味しいのよ」
まずは、胸と腹の間にある膜のような部位。
これは横隔膜で、いわゆる『ハラミ』ね。
焼肉で人気があり、うちの店でも串焼きで人気があるわ。
背骨にぶら下がっている筋肉も、『サガリ』として焼肉屋などで出回っているわね。
続けて、のどを切り割いて食道と気管支を取り出す。
ナンコツで、『ウルテ』と呼ばれており、コリコリとした食感で酒のおつまみとして人気ね。
肺は『フワ』と呼ばれ、マシュマロみたいな食感でマニアに人気がある。
私の店でも、たまに煮込み料理で出しているわ。
心臓は『ハツ』。
有名なので説明は省略。
串焼きで出しているわ。
心臓に繋がる太い血管も、これはこれで美味しいわね。
肺と心臓に囲まれた脂肪の塊は、いわゆる胸腺で『シビレ』と呼ばれている。
味が濃厚で、串焼きと焼き料理でたまに出してるけど、すぐに売り切れてしまうわ。
内臓を覆う脂肪の網は、『アミアブラ』。
今のところは、賄のハンバーグを包むのに使っている。
胃は『ガツ』。
モツ煮の材料や、茹でてガツ刺しとしてメニューに載せている。
お爺さんが好きなメニューね。
肝臓は『レバー』。
ララちゃんが熱心に血を抜いていた。
血抜きが十分でないと、早く悪くなってしまうし、美味しくなくなってしまうからだ。
レバーに付属している緑色の袋は、胆のう。
熊の胆のうは、この世界でも熊の胆として重宝されており、ワイルドボアの胆のうも、薬としてそこそこの値段で売れた。
私には効能がよくわからないのだけど、これだけは売ってしまう。
胃の傍にある脾臓。
『チレ』という名で、レバーに似た味がする。
腎臓は『マメ』で、炒め物などに使われることが多いかな。
膀胱は、ソーセージの皮にしたり、肉や野菜を詰めてボイルすると美味しいわね。
お店では出さないかな。
小腸、大腸、直腸は、『テッチャン』とか『マルチョウ』とか、地方によって言い方が違う。
モツ煮やモツ焼きの材料になる。
消化物やフンの処理が大変だけど、美味しいのでこれも人気ね。
脳味噌もクリーミーで美味しいんだけど、これも賄で使ってしまう。
舌は知らぬ人はいない『タン』なので、これも大人気だ。
大きなワイルドボアの舌は大きいので、これは嬉しいわね。
焼いて塩を振って食べると美味しい。
キンタマとペニスは……世界が変わっても、男性の特に年配の方々に人気ね。
精力アップに効果があると言われているわ。
本当に効果があるのか、私にはわからないけどね。
「細かいな」
「細かくて、下処理が大変でも、これがうちのお店の売りだからね」
内臓を取り除いたワイルドボアは、川の水につけてさらに血を抜いていく。
ワイルドボアの体内に残る血が少なければ少ないほど、癖のない美味しいお肉になるので、ここで手を抜いてはいけない。
「その間に、昼食にしましょう」
血抜きには時間がかかるので、その間に昼食をとることにした。
メニューは、野菜と各種モツを味噌ベースのソースで焼いたものをパンではさんだものだ。
あとは、ワイルドボアの骨で出汁を取り、肉も入った野菜スープと、飲み物は私が魔法で作った氷を入れて出した。
「氷とは贅沢だな。俺様でも驚きだ」
「氷の矢を飛ばすような攻撃魔法は使えないけど、氷の塊なら出せるのよ」
この世界には冷蔵庫がないので、お店や金持ちは地下室で食料を保存することが多く、私のお店の地下にも食料を保存するための地下貯蔵庫があった。
ただ、体感で通年二十度前後に保つのが精一杯なので、当然肉や魚はすぐに悪くなってしまう。
そこで私は、魔法で氷を出して『氷室』状態にしていた。
下処理した肉や内臓は、『食料保存庫』か、地下室の氷室で保存されるのだ。
そして、なるべく早く使い切ってしまう。
時間が経てば経つほど、肉や内臓の状態が悪くなり美味しくなくなるからだ。
「大した金にもならないのに、面倒なことをしているんだな」
「しょうがないじゃない。王都にある肉屋すべてが、私が合格点を出す肉や内臓を扱っていないのだから」
品質のいい肉や内臓があれば、わざわざ自分で狩猟して下処理をしなくても、それを扱ってるところから仕入れればいい。
ところが、私のお店のオープン前、ララちゃんと二人で色々と見て回ったけど、ろくに血抜きもせず獣臭いままの肉や、温度管理がいい加減で半ば腐った肉しか扱っていなかったのだから。
材料がこんな有様では、いくら頑張って調理しても、美味しいものは出来ない。
余所者で女性が経営するお店なので、美味しくなければお客さんは来ないので、私はお店の営業を週に五回にし、狩猟や解体を行っているわけだ。
ボンタ君は将来のれん分けをするので私のやり方を覚えてもらうため、ララちゃんは私について来ちゃうのよね……。
将来、ララちゃんも独立させていいかも……するかしら?
「もっとも、今の世界の現状では仕方がない面もあるわね」
「質よりも量だからな」
この世界は、魔獣が跳梁跋扈しているので、畜産業がほとんど存在しない。
多くの人々に肉を提供するためには、ハンターや猟師たちに頑張って野獣を狩ってもらわないといけないからだ。
私たちのように丁寧に下処理や解体をしていたら、必要量に達しないという側面もあったのだ。
「でも、ユキコさん。品質のいいお肉や内臓なら、たとえ高額でも買ってくれるお金持ちや貴族はいそうですね」
「小娘、同じワイルドボアや他の魔獣の肉だろう? そんなに高く売れるか?」
ミルコ青年は、私流の特別な処理と保存をした肉や内臓が、商売になるとは思っていないようね。
私は商売になると思うけど、大量に販売するために大量の獲物を下処理したくないというか面倒だし、料理人の方が向いていると思うから。
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