第16話 お爺さんの真意  

「結局庶民も貴族も王族も、同じ品質の肉を食べているに等しいわ」

 精々、なるべく早く肉を届けるくらいの差しかないはず。

 倒した時に傷が大きく、多めに血が流れて結果的に獣臭さが少ない肉や内臓があるかもしれないけど、それはあくまでも偶然で、私のように作業が標準化されているわけではない。

 肉や内臓の品質に差が出てしまい、お金持ちが雇っている料理人は、上手くハーブ類や料理法で獣臭さ、腐敗臭を消すことに全力を傾てしまうのだ。

「ハーブ類を使わなくても、お肉や内臓本来の味や食感をの楽しめるお肉。ハーブを多用してしまうとできない料理にも使える。下処理や保存に手間暇コストをかけているため、とても高額ですが、それに見合う美味しさのお肉です。そういう『付加価値』をつけて売るって方法はあるのかもね」

「付加価値?」

「同じ品でも、他の価値をつけて高級品として販売し、利益率を上げていく。そうすれば、プロのハンターや猟師みたいに沢山狩る必要はないわ」

 ただ狩猟して、その辺に放置して、下手をすると腐敗臭がするから安くなったお肉や内臓と。

 野獣を生かしたまま捕らえ、丁寧に血抜きをし、内臓も外して部位ごとにこれも丁寧に処理する。

 暖かさで肉と内臓が悪くならないよう、運搬と保存にも気を使う。

 すると、まったく獣臭さがなくなった美味しいお肉や内臓になりますけど、手間がかかるので高価です。

 さて、貴族様はどちらを選ぶでしょうか?

「あの串焼きの肉や内臓か……下処理に手間をかけた高価な方かな?」

「そもそも、あなたってそんなにハンターや猟師として優れているのかしら?」

「いや、そこまでではないな。さすがの俺様も、一流どころには負ける」

「それに、いくら凄腕のハンターや猟師でも、魔獣狩りは危険で命がけよ。数を狩れば狩るほど、負傷や死亡のリスクからは逃れられないわ」

 それに、歳を取ったら若い時のように沢山魔獣を狩れなくなる。

 少ない数の獲物を、危険ではない手間を用いて付加価値をつけ、高く売る。

 商売としては、こちらの方が長くできる可能性が高かった。

 体は大切にってやつね。

「若い猟師なりハンターを雇って、生け捕りを任せるって方法もあるわね。ますます仕事は効率化して、稼げるようになるかもしれないわ」

 とはいえ、現時点でそれをやってくれる人はいないからなぁ……。

 今度、お爺さんに相談してみようかしら?

 質のいい肉や内臓を安定して仕入れられるのなら、私たちはもっと沢山料理を仕込めるからだ。

「お祖父様に相談するのか?」

「そうしてもいいかなって。お爺さんは商売の天才だから、すぐに理解してくれると思うのよ」

「……そうか」

 そんな話をしている間に昼食の時間は終わり、川の水につけていたワイルドボアを川から上げることにした。

「その前にボンタ君。踏んで押して」

「こうですか? あっ、まだ血が出てくる」

「もうひと手間ね」

 次は、血抜きを終えたワイルドボアに、火魔法で七十度くらいまで熱したお湯をかける。

 お湯の温度を計れる温度計はないけど、お祖父ちゃんがよくやっていたので、感覚で覚えていたのだ。

「こうすると、毛が簡単に抜けるのよ」

 皮も残した方が、バラ肉が美味しいからね。

 煮込み料理に最適なのだ。

「さらに、取り残した毛がないか、火魔法をバーナー状にして皮をあぶり、残った毛を焼いていく。魔法で水気をよく切り、これからようやく解体ね」

「任せてください」

 解体は、練習したいと言ってボンタ君が全部やってくれた。

 さすがは経験者というべきか、ワイルドボアは次々と部位ごとに切り分けられていく。

 最後に、これを綺麗な煮沸消毒した布に包んでこの箱に仕舞う。

 ちゃんと氷も入れ、肉を温めないようにしなければ。

「死んだワイルドボアの肉はすぐに硬直化しますが、丸一日ほどでまたお肉が柔らなくなります。ここからが食べ時ですが、温度管理を忘れずに」

 せっかく処理したのに、肉や内臓が腐敗して悪くなったら勿体ないからだ。

「こうして下処理した肉や内臓が、私の店で出されるわけです」

「ユキコ女将、随分とお人好しだな。そんな大切な技術を俺様に漏らしてしまって」

「ああ、心配ないんじゃない?」

 技術漏洩の件について心配するのはスターブラッド家の人間らしいけど、この件についてはその心配はないと思う。

 特にミルコ青年相手なら。

 それに、別に漏れても全然構わないしね。

 むしろ普及して質のいい肉や内臓が安くなれば、私は仕入れるだけで済むから楽だし。

 そうなったら、昼の営業でランチを出すとか、営業時間も拡大できるもの。

「心配ない?」

「だって、たとえこの方法を知ったとしても、それをずっと続けるのは難しいから」

 なぜなら、この方法は基本的に修練すれば誰にでも出来るようになるが、ではこれを毎日ずっと続けられるかどうかは、その人次第だ。

 特に、ミルコ青年は根気がなさそうだからなぁ……。

「ちょっとでも手を抜けば、肉は獣臭くなり、腐ってしまうわ。一回でもそれをやったら、すぐに評判が落ちて肉が高く売れなくなる。老舗が百年かけて築き上げた評判も、一回の悪評で地に落ちてしまうものよ。お祖父さんの名に縋り、格好よかったり、楽に上に立てる商売ばかり探しているあなたには無理よ。だから、私はお爺さんに相談しようとしているのよ」

 先ほど狩ったワイルドボアを放置したままのミルコ青年に、魔獣の下処理や解体なんて仕事は無理だろう。

 彼は、スターブラッド家の人間だからという理由だけでプライドも高いのだから。

 解体は、毛に大豆大のダニが大量がついていたり、血が服につくし、下処理する前の内臓は臭い。

 腸の部分には、大量のウンコだって詰まっているのだから。

 やり方によっては十分に商売になるけど、多分、親分さんに人を集めてもらった方が成功しやすいであろう。

「俺様では無理だと?」

「無理よ。だって、起業した最初の頃は、社長だって全部の仕事をしなければいけない。人手や資金の問題もあるし、将来事業が拡大して使っている人たちのマネジメントが必要になった時、すべての仕事内容を理解できていない人が、どうやって新しく入った従業員たちに適切な指示を出せるというの? 例えば人員に穴が出た場合、新しい人を入れるまで、自分が穴埋めをするという選択肢だってとらなければいけない。それが嫌なら、事前に他の従業員に複数の仕事を教え込むとか。それにしたって、自分がすべての業務を理解できていなければ無理よ。だから私は、あなたには無理だと言ったの」

 無理に無駄な苦労をしろとは言っていない。

 どんな大商人でもステップアップの過程で、それこそ泥に塗れて働かなければならないケースも多いのだ。

 でも、ミルコ青年にそれができるとは、私は到底思えないのだ。

「ユキコ女将は、お祖父様と同じようなことを言うんだな」

「あなたの持つスターブラッド家の人間であるというプライドが、最初の意味不明な私への求婚でしょうから。よさげな事業を、スターブラッド家の金で買収して起業終了。そんな考えからでしょう? だからお爺さんは、あなたを私の店に押し込んで雑用をさせた。でも、お祖父さん命令を聞かなければ勘当されるから、あなたは雑用やお運びを半ば義務として、仕方なしにやっている。私の店で働く期間が終われば、また元の木阿弥。またよさげなお店なり事業を、スターブラッド家の金で買い取ると言いに行く生活に戻ってしまう。違うかしら?」

「俺様は、スターブラッド家の人間だからな。他の零細商人とは違う」

「そうかしら? お爺さんの話を聞いていた?」

 スターブラッド商会は、先代で成り上がった商会なので、別に老舗ではない。

 お爺さんが、散々苦労して大きくしたものだ。

 それなのに、その孫がスターブラッド商会の名に胡坐をかいているので、お爺さんは心配で堪らないのであろう。

 だから、私に頼んでお店で働かせているのだ。

「お爺さんは、どんな小さな仕事でもいいから、自分がこれだと思ったことを自分でやってみてほしいんじゃないかしら? たとえ失敗してもいい。それが次の成功の糧になるのであれば。大体、あなたはもしもの時にはお爺さんのフォローがあるから、圧倒的に有利で楽なのよ。私が商売に失敗したら、最悪借金を抱えてそれを返すところから始めないといけないもの」

 この世界に株式会社で有限責任とか、そんな甘えはない。

 若い女性が商売に失敗したら、最悪色街行きよね。

 だから、この世界で女性がオーナーの商会や店舗はほとんど存在しないのだから。

 男性の場合は、間違いなく鉱山送りとかよね。

 少なくともミルコ青年がそうなる危険はなく、お爺さんからすればとにかく頑張ってくれなのだから、私からすれば羨ましい限りであった。

「ユキコ女将、言いたい放題だな」

「あなたは別に頭が悪いわけでも、不器用でなにを覚えるのにも時間がかかるわけでもないじゃない。でも、お兄さんたちのように新しい事業を立ち上げられないのは、どうせ失敗してもスターブラッド商会が補填してくれるのだから、お兄さんたちを見返せるような、派手に儲かりそうな事業はないかな、なんて、そういう風に思っているからでしょう。自分はなにもしないで」

「……」

「沈黙したということは、それが事実だと認めるのかしら?」

 言いすぎな気もしなくはないけど、お爺さんはミルコ青年に真面目に働いてもらいたい。

 だから私の店に預けたはず。

 それに、お爺さんが私のお店の常連になって、見えないところでかなり得しているはず。

 情けは人のためならずよね。

「ユキコ女将、俺様を舐めるなよ! あの店の新鮮で臭くない肉の秘密。俺様がいただいた! 俺様はハンターとしても強いから、自分で狩った獲物を上手に処理して、スターブラッド商会のコネで金持ちに高く売りつける。これで、俺様は大成功だ! 無料働きはこれで終わりだぜ! あばよ!」

 そう言い残すと、ミルコ青年はその場から走り去ってしまった。

 自分が狩ったワイルドボアを残して……。

「これ、賄に使えるかな?」

「なんとかやってみます」

 私たちは、ミルコ青年が残したワイルドボアも血抜きと解体を行い、肉と内臓をさらに獲得したが、残念ながらお店で出す品質には及ばず、試作料理の材料や賄に回されたのであった。

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