第12話 力比べ
「ユキコ、俺様の妻になり、この店を多角展開する覚悟ができたようだな」
「残念ですが、そういうつもりは、将来はともかく、現時点ではありません。私は、地に足がついた商売をしているので」
「商売はスピードだぜ」
「それも理解はしているわ」
確かに、商売においてスピードが大きな武器になるケースが多い。
でも私は、この世界でスターブラッド商会のように大きな人脈やコネを持っているわけではない。
規模拡張は慎重に。
ここは、日本とは違う世界なのだから。
銀行がお金を貸してくれるわけないしね。
その前に、この世界に銀行はないけど。
それに、飲食店は人材が命。
ポンポンと新しいお店を増やしたところで、サービスの質が悪ければすぐにお客さんが来なくなって潰れてしまう。
私にしかないアドバンテージを最大限利用し、暫くは地力を蓄えなければ。
そういうことがまったくわからないから、お爺さんはミルコ青年に呆れていたのだと思う。
「これを見て」
「愛のラブレターかな?」
「なわけないでしょう。愛の手紙なのは事実ね。お祖父さんからだけどね」
いきなりこの店で一店員として働けと言っても、ミルコ青年が反抗するかもしれないので、事前にお爺さんから『ここで働け! 拒否は許さない! もし拒否すれば勘当する!』という手紙を貰っていたのだ。
お爺さんは隠居したとはいえ、いまだスターブラッド商会において大きな力を持っている。
ミルコ青年が逆らえる相手ではなかった。
「俺様が、この店で店員として働く? スターブラッド家の俺様が?」
「ああ、ここではスターブラッドの名を名乗るのは禁止ね。手紙に書いてあるから」
「本当に? 本当に書いてあるよ!」
「別に拒否してもいいけど、あなた、本当に今日からスターブラッド家の人間じゃなくなってしまうわよ。それでいいのなら、私は止めないけどね」
「そんなぁ……あっ!」
「なにかよからぬことを思いついたようだけど、それはやめた方が賢明ね」
そう言うと、私は持っていたぶ厚いまな板を、軽い膝蹴りで真っ二つにした。
続けて、空中に放り投げた、二つになったまな板を包丁で細かく切り刻んでいく。
その光景を見たミルコ青年は唖然としていた。
貞操の危機を感じるほどミルコ青年の方が強かったら、私もこんな依頼は引き受けないわよ。
お爺さんも頼まなかったはず。
「ボンタ君も、見た目どおりかなり強いからね。変なことして怪我しないでね」
親分さんが見込んで面倒見ていたくらいだし、ボンタ君は人を傷つけるのは嫌な性分だけど、ハンターや猟師としても結構やるのよね。
おかしな客が来ると、見た目どおりの迫力と、ひと睨みで追い出してしまうくらいだし。
親分さんの下にいた頃、よく狩猟をしていて、かなりの戦力になったとも聞いていた。
今度のお休みに、ボンタ君も狩猟に誘おうかな?
「ララちゃんにも手を出さないでね。お爺さんから殺さなければいいって言われているから、それ相応の覚悟があるのならいいけど」
それは嘘だけどね。
言うことを聞かなかったら、少しくらいなら痛めつけてもいいとは言われていたけど。
「ははっ! ユキコはこの身寄りのない王都で、暴力的で程度の低い酔客の相手をしているから、自分の身を守るため強気な態度を崩さないんだね。でも安心してくれ。俺様がいるから」
ある意味、ちょっと笑えるくらいのバカなのかな?
この人は。
さっき私が見せつけた強さをもう忘れている。
それに、この店はおかしな客は私たちと常連客たちで強制排除なので、店がある場所にしては品のいい店として有名になりつつあるのだけど。
そもそも、あなたのお祖父さんも常連じゃないの。
「こう見えて、俺様も子供の頃から結構鍛えているから。なにしろ俺様は、スターブラッド家の人間だから」
この世界、魔獣を倒すと強くなるので、金持ちや上流階級に属する人たちの中には、有名なハンターを家庭教師役にして魔獣を狩らせる家も多かった。
特に、代々軍人家系である貴族や王族などは、物心つく頃から魔獣狩りをして体を鍛えている。
私も狩猟場でそういう光景を見たことがあるし。
ミルコ青年もスターブラッド家の人間なので、それなりに鍛えているというわけか。
見た感じは、非常に軽薄そうで弱そうだけどね。
「さっきユキコがやったようなことは俺様にもできるんだけど、それでは俺様とユキコとの強さの差がわからない。他になにかで俺様の強さを、ユキコの夫に相応しい男である証拠を見せよう」
「本当に?」
「小娘、いきなり無礼だな」
ミルコ青年の大言壮語に対し、一番最初に反応したのはララちゃんであった。
『あんた、本当に強いの? すげえ弱そうなんですけど』といったニュアンスを含む言葉を投げかけていた。
そして、それにすかさず反応するミルコ青年。
この人、ララちゃんを完全に子供扱いして興味ないみたい。
それを確認できたのは幸いかな。
「うちの店で働くのに、力はそこまで必要ないんだけど……働いてもらう以上、店主に反抗的なままってのも困るから、いいわ。腕相撲でもしましょうか」
「『ウデズモウ』? なんだそれは?」
「私の故郷で、力比べをする時によくやる競技よ」
私は、ミルコ青年に腕相撲のルールを説明した。
「ふっ、俺様と手を握りたいのに、恥ずかしいから力比べだと言ってしまうユキコは可愛いな」
「(ここまでの勘違いバカだと、逆に面白くなってきたなぁ……)」
彼はいわゆるウザキャラだと思うのだけど、生まれのよさからくる嫌味のなさと、見た目は整っているので、そこまで不快に感じないのだ。
この店の客層が悪いと言い放ったのも、自分が思ったことを素直に述べたに過ぎない。
実際、この近辺には客層が悪い店も多いのは事実なのだから。
「じゃあ、勝負しましょうか?」
「ああっ、ユキコはいい匂いがするね」
「変態ですね」
「俺様は、真実で女性を褒めるんだ! 乳臭い小娘は黙ってろ!」
「私、これでも十四歳なんですけど!」
「十歳くらいだと思ってた」
さすがに十歳はないと思う。
ララちゃん、私よりも胸があるから。
「そんなわけあるか! ユキコさん、この人、本当にあのお爺さんのお孫さんなんですか?」
「それが事実なのよ」
「手も、スベスベしているね」
こういう仕事だけど、ちゃんと肌荒れしないように自作のクリームや化粧水を使っているからね。
材料であるハニービーの蜜蝋は狩猟の時に手に入れていて、同じものを使っているララちゃんにも好評だった。
この世界ではこの手の品は非常に高価なので、経費節約のためと、私は別に女を捨てていないから努力を惜しまないのだ。
「では、勝負を始めます」
特になにも言わなくても、ボンタ君がレフリー役を務めてくれた。
以前、彼と腕相撲で勝負したことがあるから、ちゃんとルールを知っていたのだ。
「では、レディーゴー!」
「はうっ」
「私の勝ち!」
こんなことに時間をかけても無駄だから、勝負は一瞬でついた。
コンマ一秒で、ミルコ青年の利き腕の手の甲はテーブルに叩きつけられ、あっという間に勝負は決したというわけだ。
「こんなものよ」
「女将さん、相変わらず強いですね。僕も勝てませんでしたから」
「お前、それは最初に言えよ!」
「聞かれなかったので……それに年下でも、僕は一応この店だと先輩ですよ」
「私もです! 無駄な時間を使ったんだから、働けこのチャラ男! 仕込みが間に合わなくてお爺さんが好きなメニューが準備できなかったら、チャラ男はお爺さんから勘当されるんじゃないの?」
「ギクッ!」
ララちゃんからの指摘で、ミルコ青年の顔色がわかりやすいほど青くなっていた。
引退しても、お爺さんのスターブラッド家における力は絶大というわけね。
普段は口を出さないけど、たまに言ったことを一族の人たちは必ず順守するほどの力はある。
だからミルコ青年は、この店で働く羽目になったのだろうけど。
「じゃあ、まずは肉を串に刺す作業から。手を抜かないでね」
「はい……」
お爺さんの命令というのもあり、ミルコ青年はボンタ君に指導を受けながら黙々と切り分けた肉を串に刺し始める。
その手際は意外と悪くなく、最初は時間をロスしてしまったけど、開店時間までに余裕をもって仕込みを完了させることができたのであった。
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