第10話 変なイケメン
「えーーー、開店までの作業は昨日までと特に変わらずです。ただ、一つ」
私のお店では、昼食後から仕込みが始まる。
日本の居酒屋みたいに、昼営業はしていなかった。
仕事量が増える割に儲からないし、利益率も落ちるし、とにかく人手が足りないからだ。
今のところは店の経営も順調なので、でももし悪化したら考えるかもしれないけど。
私の店では、仕込みの前に朝礼というか、軽いミーティングのようなものを行っている。
『衛生管理に気をつけて』とか、『今日はこの料理を大量に仕込んで』とか、数分で終わる程度のものだけど、今日は言わずにいられない大切なことがあった。
たとえそれが、実は調理経験者で手先も器用であり、即戦力であったボンタ君だとしても、看板娘としてよく働いてくれる、ピンク色のボブカットと私よりも低い身長、でも胸は意外とある可愛らしい妹分のララちゃんだとしても、言わずにいられないことであったのだ。
私はこの店のオーナーとして、従業員たちを管理する立場の人間として、心を鬼にして言わなければいけないのだ。
「えーーー、ボンタ君も、ララちゃんも、私をお母さん的なイメージで捉えるケースが散見されますが、私はまだ十八歳なので、『それは間違っている!』と、声を大にして言います! せめて、お姉さんではないかと!」
「女将さん、僕のお母さんは、十八歳の頃にはお母さんでしたよ」
「でもね、ボンタ君。十八歳だった頃のボンタ君のお母さんには、ボンタ君のような大きい息子はいなかったはずよ」
さすがは異世界。
十八歳のお母さんなんて珍しくもないわけか。
でも私は、晩婚化が進む日本の女性。
だから、私が十八歳で結婚していなくても別に変じゃない。
なんでもこの世界の常識に合わせるからよくないわけで、私はあくまでも日本の常識に合わせる方向で行くわよ。
そう、私はただ周囲の空気に流される女ではないのだ!
「女性に母性がある。褒め言葉だと思うんですけどね……」
色々と話してみたんだけど、ボンタ君って思っていたよりも育ちがいいみたい。
私の発言に、こうも上手く言い返してくるのだから。
ある程度の教育を受けていたとか……実際、帳簿とかもつけられるから。
「私が結婚したら、そういうのも悪くないわね。あくまでも、結婚したらだけど」
しかし、その相手も予定もないという。
自分で言っていて悲しくなってきた。
「とにかく、私はお母さんじゃないので。では、いつもどおり作業を始めてください」
「「はい(わかりました)」」
長々と朝礼なんてしても時間の無駄なので、早速仕込みの作業に入ることにした。
大鍋で味噌味のモツ煮込みを作りつつ、切り分けた肉や内臓を串に刺していく。
「ボンタさんが来て仕込む量が大幅に増えたのに、まだ不足気味ってのが凄いですね」
「だって、ボンタ君みたいに信用できる逸材なんて、そう簡単に来ないもの」
ボンタ君を紹介してくれた親分さんには、本当に感謝しないと。
でも、仕込む量が増えたのが周囲に知れ渡り、さらにお客さんが増えて売り切れる時間が少し伸びただけという結果に落ち着いてしまったのは、ある意味予想外だったけど。
「親分さんは、人を見る目があるわよね」
「僕も親分には感謝しかないですけど、実は僕を推薦したのには他の理由もありまして……。前に、夜遅くにこの店に来たらなにも食べるものがなくて、あとでもの凄く不機嫌だったんですよ」
そういえば、前にあったな。
夜遅くにお店に来たら、もうモロキュウしか残っていなくて、親分さんが無表情でモロキュウを食べながらエールをチビチビと飲んでいたっけ。
無表情だったのは、あからさまに不機嫌になると他のお客さんが怖がるからであろう。
親分さんは、そういう配慮ができる大人の男性なのよね。
「『ボンタ、お前がいれば沢山仕込めるよな?』って、聞かれました」
それは正解だったのだけど、すぐにお客さんが増えて、親分さんが思っていたほどの効果がなかったという。
「だからでしょうね。最近、親分がこの店に来るの早いじゃないですか」
「そう言われるとそうね」
ほとんど遅い時間に来なくなったから、親分さんも自分で対策したのであろう。
親分さんが特に大好きな、レバータレと、塩タンは売り切れるのが早いから。
「さて、こんなものね。開店前の一休み」
仕込みがひと段落し、開店後は忙しくなるので、うちの店では開店前に長めに休憩を取ることにしている。
「スジ煮込みも美味しいですね」
「ショウユ仕立てでも美味しいです」
まだお店では出していない、魔獣のスジ肉を醤油仕立てで長時間煮込んだものを賄で二人に出したのだけど、とても好評であった。
すぐに商品化してもいいのだけど、やはりここで問題になるのは人手よね。
モツの味噌煮込みを大鍋で作るようにしたら、スジ煮込みを作る人手と時間がない。
火の管理の問題もあるし、このお店、賃料は安いけど調理場がかなり狭いからね。
「女将さん、そのうちもうちょっと広い店舗に移るっていう選択肢も出てきますね」
「そうね」
「移転した方が、ギリギリまで営業できるからいいですよ」
ボンタ君、やっぱり飲食店で働いていた経験があるみたい。
調理のみならず、お店の運営にも詳しいから。
「もう少し資金を貯めてからよね」
「人手の問題もありますよ」
「むしろ、そっちの問題の方が大きいわね」
今の倍の広さの店に移転したとして、新しい人が最低あと三人は必要になるか。
いまだにうちの店の味を盗もうとする同業者には事欠かないから、下手な人は採れないってのもある。
そんな話をしながら休憩していると、突然店内に一人の男性が入ってきた。
『仕度中』の札を下げているんだけどなぁ……。
「お客さん、まだ開店時間じゃないですよ」
「俺様、客じゃないから! 俺様は、この店の主であるユキコに用事があって来たんだよ」
突然なに?
この人。
いきなり、初対面の私の名前を呼び捨てにするなんて……。
しかも一人称が『俺様』って、随分と偉そう。
見た感じは線の細いイケメンで、着ている服も大変高価なようだけど、貴族には見えない。
お金持ちのボンボン。
この世界だと、大商会の跡取りとか当主一族の子弟だと思う。
見た目は上品なイケメンなのに、その言動のせいで世間知らずのバカにしか見えなかった。
親分さんの十分の一でも、落ち着きを持った方がいいと思う。
「この店の店主は私ですけど……」
「お前か! この店の女将は。ようし、俺様が嫁に貰ってやる! 一緒に店を盛り立てようぜ! すぐに沢山支店を出して、忙しくなるぞ!」
「はあ?」
この人なんなの?
いきなり人に求婚してきて。
しかも、無駄に偉そうで腹が立つ。
この根拠のない自信家ぶりと、無礼な態度で、知り合いになるもの嫌なタイプにしか見えないというのに……。
どうして私がこの人と……コイツでいいか……コイツと結婚なんてしなければいけないわけ?
「誰かと間違っているようですね。お引き取りを」
「おいおい、つれないな。今から俺様とユキコのサクセスストーリーが始まるんだぜ」
いや、コイツと組んだら、人生をずっと転落して行きそうな予感しかないんだけど……。
「あんたなんていなくても、むしろいない方がユキコさんは成功しそうだけど」
「ララさんの言うとおりだな。たまにいるよなぁ……こういう根拠のない自信に満ち溢れているバカって。それに気がつかないからバカなんだけど」
ララちゃんも、ボンタ君も……特にボンタ君は結構辛辣だな。
きっと、親分さんという本物の男を見ているから、彼が軽薄な、口だけ男に見えてしまうんだろうな。
テリー君なら、そこまで悪く言われないと思うのだけど。
「お前たちは邪魔だ! 俺様を誰だと思ってるんだ!」
「誰ですか?」
「誰?」
「あがっ」
「はははっ、二人とも最高!」
わざとではないと思うけど、ララちゃんとボンタ君の切り返しのタイミングが的確で、私はつい笑ってしまった。
貴族の子弟ならこの二人も弁えるのだろうけど、彼は貴族ではないから。
そもそもちゃんとした貴族が、高価なだけの服なんて着ないしね。
「無知とは怖いものだな。聞いて驚くがいい! 俺様は、あのスターブラッド商会現当主の四男である……「ミルコ、なにをしておる?」」
「えっ? お祖父様?」
変なお兄さんとやり取りをしている間に、開店時間になってしまったようだ。
来店する時には必ず開店直後に入って来る、お爺さんが姿を見せた。
そして、私たちと言い争っている軽薄そうな青年に声をかける。
どうやら、二人は知り合いのようだ。
「『お祖父様』ですか?」
「ワシの孫のミルコだ」
そういえば、最初はいきなり私の名前を呼び捨てにしたり、一人称が俺様で偉そうだったけど、お爺さんを見た途端『お祖父様』だからなぁ……。
実の祖父とはいえ、スターブラッド商会先代当主の凄みにビビったわけね。
そしてなにより、育ちがお坊ちゃまなのは理解できたわ。
「ミルコ、お前はなにをしているのだ?」
「いえね、そのぉ……友達と待ち合わせをしていたんだけど、店を間違えたかな? では、お祖父様。僕はこれで!」
「僕って……俺様、どこですか?」
ララちゃん、それは私も思った。
お爺さんに問い詰められると、入る店を間違えたと言って、脱兎の如く逃げ去ってしまう軽薄そうなミルコという青年。
そんな彼の後姿を見送りながら、お爺さんは盛大にため息をついたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます