第26話 養子、仙丸


 


 「朝子殿、知っておるかえ?

小一郎殿の…大納言の家中のことじゃ」


 叙位の挨拶に大阪に留まっている間、北政所さまのご機嫌伺いに参じると、

おね様は花のような頬を翳らせつぶやいた。


「いえ…」


 主君大納言様の家で何かが起こっているのだろうか。


豊臣秀吉は本能寺の変後、地盤作りのため、織田の双璧として名高かった丹羽長秀の三男仙丸を弟秀長の嗣子として迎えていたが、


二年前、病に苦しんでいた長秀の死により、

その子供の“意義“がなくなってしまった。


(仙丸様が大納言様のもとへ迎えられたのは、

まだ三つくらいだっただろうか?)


「仙丸」の存在を、もちろん朝子も知っていた。

養子に迎えられて、わずか六年ほど…


(九歳の子供が、また大人のやりとりで行き場を失う…)


…養女となったが嫁入り先がもう決まっている様の顔がちらつき、仙丸様の事も、まだ『小学生』の彼等の行く末が胸に支えるようだった。



 「殿下も無体をなさる。

幼い仙丸の行き場がないのえ…

私や、治部少輔なども案じてはおるが、殿下は近頃お疲れの時は話を聞き入れてくださらぬ…」


 おね様は心底悲しそうだった。


あれほど、お二人は信頼し合い、二人三脚でこの戦国乱世を歩いていらっしゃったのに…


「おね様…おね様が気に病まれては、私も心配です」


「朝子さん…うちはいいのや、何があろうと、夫婦は離れぬ。

それより、小一郎殿と秀吉殿の仲がひんやりとしていて…案じられるのや…」


 おねは小さな手で額を抑えた。



 退室する折、廊下で思いがけない人と会った。


 「治部少輔様…ご機嫌よう」


 「…ああ貴女は、藤堂夫人。」


 一度、この方の結婚祝いを送ったくらいなのによく覚えているな…さすが関白殿下が信頼されるはず…と感心しながら、

ここで会ったのも何かの思し召しかもしれない…とすっかり「科学的ではないものを信じる昔の人」となった朝子は、彼を呼び止めた。






 「治部少輔様、お時間をいただきありがとうございます。」


 廊下で話すわけにもいかないので、茶室に入る。


「いえ。」


 自分より身丈のある体に乗っかる小さな顔を、三成は無感動に見つめた。

 石田治部少輔三成いしだじぶしょうゆうみつなりは、二十七歳と若いが、豊臣秀吉の股肱の臣と評されている。

彼は多くの政策、交渉に関わる一方で

遠方に赴いて検知などを行う実務型の官僚であり、

先の九州征伐でも、彼の輜重補給輸送管理は目を見張るものがあったと言う。


 顔立ちは顎がほっそりとした、いかにも文官という風情だが、

切長のすずしげな二重瞼にはたしかな自信と知性が滲んでいた。


 「たいへん厚かましいお願いでございますが、関白殿下にお取りなし頂きたく存じます。


大納言様の嗣子、仙丸様を藤堂にくださいませんか」


 三成はかすかに目を見開いた。


仙丸のことは、最近の悩みの種であった。

殿下が甥君を大納言家の嗣子とせよと命じたことで、


 豊臣兄弟の間には波風が立っている。


 それはそうだ、と三成でさえも思う。

男児のいない大納言様は、仙丸様をそれは可愛がっていた。


 だが、

大和郡山百万石を血縁者へ継がせる意義の方が遥かに重い。


 それにしても、この夫人…。

 まつ毛に囲まれた目頭から肉ののぞく瞳は…

(貴婦人らしからぬ、二皮目ふたえだ)

…日差しを受けたら鳶色にさえ見える畜生のような色だからだろうか?


 懇意の北政所様より仙丸様の事を伺ったのだろうが…

 (主君の養子を貰って少しでも足場を固めたいのだろうか。)


 藤堂佐渡守と北の方は、己と同じ頃に婚儀を行ったので印象に残っている。

佐渡守は若い頃から武勇に優れ、秀吉の小姓だった三成にもその名は聞こえてきていた。自分にはない筋骨に優れた立派な体格を心中で羨ましく思ったりしたものだ…。


 (しかし…女の浅知恵…と侮るようなくだらん意思は見えぬ)


 三成は回転の速い頭で多角的に想像したが、

御家大事とその申し出を素直に受け止めてみる事にした。


 (…大納言様も、信頼する佐渡守にならば、溜飲を下げてくださるかもしれぬ)



 三成は、ゆっくりと頷いた。






 (……男児を、養子にとは)


  『与右衛門、後生だがや』


秀長がそれは苦しそうに高虎に打診してきた内容は、いつも上司の命を間髪入れずに是と言う高虎も


「……家のものに相談させて頂いてもよろしゅうございますか。」


と持ち帰ったほどだ。




 そろそろ大阪の屋敷が近い、妻と顔を合わせなければならない。

この話をするのを、高虎は迷っていた。敬愛する上司の秀長の役に立ちたい、義父同士と言う縁もできると、喜ぶ己がいるのも確かだが…。


たった一人の妻が、

血もつながらぬ男児を迎えるとなれば

それは悲しむことだろう。


 朝子は高虎と同い年で三十二になったばかり。

健康そのものであるし、嫁いできたころから一つも変わらぬ容姿は、夫の愛情を一身に受けて輝きを増しているようにさえ見える。


 それでも、この仲睦まじい二人に子宝はもたらされなかった。


 自分の不徳で、一人女を孕らせたことがあった。

だから、子が出来ぬのは、妻の体ということになる。

家中でも、

なぜ妾をとらないとかと、無遠慮に言ってくる親類もいる。

妻自身も、

側室をもてと言ってきたことがある。


 それでも、高虎は、そんな気にはならなかった。

男として、大名として、自分は間違っているのかもしれないが、その間違いを正したいと思ったことはなかった。





 夜、これほど二人きりになる閨の戸を重く思ったことは無い。


 妻は、いつものように姿勢良く正座をして俺を見上げて微笑んだ。


 「高虎様」


 穏やかな声、透き通った瞳


これを翳らせても、言わねばならない。


 「ああ、朝子殿…。」


 朝子の正面に長い体を畳むように座り、高虎は口を開いた。


 「小一郎様の嗣子、仙丸様が廃される事になった。

それで小一郎様は…藤堂で貰ってくれぬかとと申されておる。」


 朝子は、泣くと思っていた。


 では以前も泣かせてしまったからだ。



 「それは光栄でございます。

出来損ないの私が人の親になれるなんて、嬉しゅうございます。

至りませんが、立派な武士に育ててみます。」


 「朝子…」


 朝子は優しく目を細めている。

この妻には頭が上がらない、と高虎は思わず彼女を抱き締めた。



 「俺とお前は血が交わらないが、お前だけが俺の……

こうしてずっとそばにいてくれ」


 その言葉に、朝子は目頭をぎゅっと熱い何かでつねられた気がした。


 ああ、反芻するのもむなしい心がじわりと喉まで上がってくる。

胸のざわめきに押し出されそうな言葉を噛み殺し、朝子も遠慮がちに夫の厚い胸に抱きついた。




《※》


石田三成は、冷徹な官僚型の人物として描かれがちですが、同時代の武将には意外にも?好意的に見ている人も多く。


仙丸も、大人になって「私は治部少輔に恩を受けた」と語っています。


独断で決めれる?ように少し成長した朝子です。


《二皮目》…二重瞼は、室町時代の記録にも『色っぽい』とあり、男性ならば出世の相でした。ですが上流の理想は「一重瞼」なので、玄人じみたものだと近代までは考えられていたそうです。


いつも閲覧、レビュー、応援ありがとうございます。

カクヨムコン、部門別で30位以内に入って本当に驚いております。

100位以内ずっとキープ出来てるのも皆様のおかげです、頑張って書きますので、よろしくお願いします。

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