{養子をもらい、秀長と三成の忠義を垣間見る}

第25話 任官




 「正五位下しょうごいげ佐渡守さどのかみに叙する」




 束帯そくたい姿の高虎に、関白秀吉が告げた。


 「このたびはからずも叙位の栄に浴しましたこと、身に余る感激でございます。

これもひとえに殿下のご指導の賜物と深く感謝申し上げます。

…今後ともこの…」


 「朝臣あそん、藤堂」と続けようとして高虎はやめた。

 藤堂家の始祖は三河守景盛という名前が伝わっている、父母は「朝廷側近く仕えたこともあった家なのだから、誇りを忘れるな」と幼い頃に言い聞かせてきたものだ。

 高虎は、血筋や家柄など、どうでもいいと思っているが、自分の働きに有利になるならそれらを利用していこうとこの時噛み締めた。


このような身分になったからには、真実でなくても、権威づけは必要だろう…

 

「…藤堂佐渡守、この栄誉に恥じることのないように、一層精進し、些かなりともご芳情に報いたいと存じます。」


 数秒の逡巡を悟られずに言い切って、高虎は深々と頭を下げた。

大木を彫って作ったような身体や、彫刻のような鋭角的な顔立ちに、威厳が備わり、関白秀吉もそれは満足そうだった。


 『藤堂佐渡守高虎』

 これはいわゆる「武家官位」と呼ばれるもので、本当に佐渡国の領主になったわけではない。

 高虎の場合は正式に叙位されたが、上﨟が〜宰相、〜蔵主と宮廷風に名乗ったように、大名でも自称するものも多かった。

織田信長の「上総介」などがそれにあたる。

なぜなら、大名たちは領国支配の大義名分を得られるからだ。


 そして、多くの武将は自称せずとも朝廷に金を送って官位を得た。


朝廷は献金によって潤うので、戦国期になると官位奏上が盛んになり、同じ官位に複数が任じられることも多々あった。


 今度の高虎への叙位も、純粋にこれまでの多大な功績を讃えるものであったが

関白秀吉の意向は無視できない。

秀吉は高虎だけでなく、多くの目をつけた武将たちに官位を授け、関白の力を世に示すとともに、己の「下」に取り込んでいった。


 皮肉なことに、武家への叙位が増したことで、彼が死去したとき、公家衆の昇進形態は崩壊寸前で、ある「大名」の内大臣が最高位となってしまい、

自分の残した御家を滅ぼす事になる巨大な権力作りに一役買ってしまうのだが、それはまだ先の話。





 高虎の昇進を祝って、旧知の近衛信輔から祝いの品が届けられた。

藤堂家は藤原氏に由来すると自称しているので、藤原氏を祖とする近衛家とは、少なからず縁があると言っていい。

 それに、近衛信輔と朝子は安土のころ、織田信長に預けられている時に知り合い、時折文を交わす交流を続けていた。


(信輔様、やっぱりおしゃれね…)

 

 添えられた書は相変わらずの豪胆さと端正さが両立した筆致で惚れ惚れとするし、

祝いの品の対の扇も非常に美しい。


 末広りの扇の形に白地に藤花が筆致も艶やかに描かれたもので、

“藤“堂の家の繁栄を祈るものに他ならない。


 白は、万事のはじまりを意味し、美麗彩色を求めず、物飾らざる本意を示すことから

婚姻や出産、栄典の折に好まれた。


 朝子はその扇を広げ、今日までのことをふと思い出した。

綿帽子を取り払って、「とこしえに」と私に囁いてきた夫の背中を追いかけていたら、

 こんな事になっていた。


 深い思考の淵に立たされそうになったが、大阪城にての祝宴に使う道中であり、色々な人への挨拶のために歩き回っていると深淵は遠ざかっていってしまった。

 



 祝宴の最中、涼みに庭へ出ると見知った姿が庭石に腰掛け、ひとり盃を傾けていた。


 「大納言様…」


 去ろうと思ったが、目が合ってしまったので近づいてみると


 「おお、与右衛門の北の方か、来や来や」


 と招かれた。


 山里を模して作られた庭の一角は、天然林を思わせる庭木に囲まれた小さな茶室がぽつんと置かれ、まるで鄙びた森の庵にいるようだった。


「大納言様、夫がいつもお世話になっております。」


「なんの、お世辞抜きに、与右衛門に助けられた事の方が多いで」


 朗らかに笑いながら盃を渡され、酒を注がれる。

 大納言秀長は、顔貌は関白秀吉とよく似ているものの

以前お会いした時は長身の夫と比べていて気付かなかったが上背があり、体格も良く、風格のあるお人だった。


 それでも、兄秀吉様をいつも立てて、秀吉様も秀長様をそれは深く信頼されていて、位人身を極めた今でも仲睦まじい兄弟に変わりは無いという。


 兄秀吉様の影に隠れて、未来では大衆に知られていない人物だったが、話していて兄秀吉様に劣らない傑物であることが窺える。


 秀長は、空を見上げ輝く月に郷愁を誘われたのかずっと昔の「農民」だった頃のことを話しだした。


 「村社会も、侍のように、縦社会なのだ。

一揆もな、ただの烏合の衆ではならんし、時には領主を相手取って交渉をせねばならん。」


 戦国時代の農民で、槍や刀の持ち方がわからないという人は、およそいなかった。


ひとたび戦が起これば、雑兵は農民から駆り出されるのが一般的だったし、乱取りから身を守るために、鍛錬して結束して立ち向かった。


明智光秀などの生粋の武士も農民に殺されたのも、それ故だ。


 農民をただ一方的な被害者とするのは、戦国時代には当てはまらない。


 だから、兄の秀吉に引っ張られて武士の世界に押し込まれた秀長も、

村社会という狭いようで広い見識の中で育ったので行政職の経験がないとは言えなかった。

 彼ら兄弟が政治の世界に打って出られたのは、生来の賢さと不断の努力も無視できないが、

当時の農民、侍社会を紐解いていくと絶対にあり得ない事ではなかった。



 朝子は興味深く秀長の話を聞いていた、この臣下の嫁は、不思議なところがあって、人形のような見た目にそぐわない“目つき“をする時がある。

 でも決して出しゃばらず、ただ静かに何かを見透かしたような視線を送ってくる。


 まるで、ずっと先のことが見えているかのようだ。

これに似た目を、秀長は知っていた。


「そなたが与右衛門と添う前に、竹中半兵衛重治ちゅうどえりゃあ賢い士が兄者とわしらを助けてくれたんだわ」


 半兵衛も、いつも達観したような目をしていた。今思えば、病に侵され、己の余命を知っていたからこそ諦念のような感情が彼をそうさせていたのかもしれない。


 若くして出世を果たした夫に愛され、目にも綾な掻取を纏っているこの貴婦人は…何ゆえにそんな余命幾ばくもない男と似た眼差しを持つのだろう?



 「さようですか…」


 竹中半兵衛、は歴史を教科書程度しか知らない朝子でも知ってる名前だった。


「…兄者は才智にあふれ、人を寄せるが、心が弱いところがあってなあ。

そんな弱さを、

わしが支えろと言い残して、死んでしまったんじゃ。」


「…。」


「そうして着いてきたら、こんな事になっとったが」


 カラカラと笑う大納言秀長様の大きな目には秀吉様の目にあった様な、強く輝くが吹けば消える炎は無かった。


 大納言様が、世間の言うようにただ優しいだけの温厚篤実の人ではないと朝子は話していて思う。


 だが、その瞳や声には、彼の本質的な「あたたかさ」が滲んでいて、高虎が心服するのも納得できる気がした。




 「そなた、但馬でただの商人や、豪農と結ばれたほうがおっとりと過ごせたかもしれんなあ」


 秀長は、ふとこの一色の姫と臣下の与右衛門を添わせた時のことを思い出して、そう詮無き事をこぼした。


朝子も、ずいぶん酒を飲んでいた。


だから、心から


「いいえ、大納言様。そんな事はございません。」


「ほう」


「失ったものも、もう帰れない家も、恋しくないと言えば嘘になりますが…

最近は、高虎様を知らない人生の方が、不幸だったと思います。」


 空に輝く月を見上げて、朝子は泣くように言った。

その姿は月を輝かせる太陽のような、夜を払う暁のような、悲しい光に満ちていた。



 『家を持てば、あの与右衛門も変わるかもしれん』


 そう設けたこの縁は、与右衛門を変えたが、

朝子も変えてしまったらしい。



 —知らない方が不幸…


 (あの日、兄者が村から自分を引き連れてくれたのは、夕焼けやったなあ)


 自分も、思いがけない人生に迷い込んだ。辛いことも、苦しい事もあったが…



 秀長は、酒を一口進めて、

 また同じ選択肢があっても、


自分は兄についていくだろうなと静かに頷いた。



《※》


叙位…鎌倉時代以降、官位は形骸化していきます。

ほとんど、戦国大名の大義名分に使われ、遊女や芸人、地侍たちも自称し出しました。


ちなみに、高虎も他の佐渡守と区別するために「藤佐」と呼ばれたそうです。


⬛︎レビュー、応援、閲覧本当に励みになってます。

今月はいつも不定期更新だったのを、出来るだけ書いてみようと更新してみています。

とりあえず目標だった藤堂高虎の昇進までを書けて、満足です。

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