第24話 時のさざなみ
「母上さま、お花を摘んでまいりました。」
「まぁ、ありがとうございます。」
養女の“さと“が、朝子の部屋を訪れ、庭に咲いていた花を彼女にささげた。ふくふくとした頬や小さな手が可愛らしい、そばに座ったさとを眺めていると、どんなことがあっても守ってあげたいと思う。自分にも母性のようなものがあるのだなと不思議な感慨を覚えながら、六歳の彼女としばし他愛のない話をした。
「母上様のように格好良く座るのや」
と、正座をして背筋を伸ばして見せる子供と、ほほえましく見守る朝子、それを取り巻く車座に座った侍女たちの様子は理想的な城主夫人そのものだった。
この子が男の子であれば、
朝子の腹から出てきたのであれば…
それでも、無言の哀れみが彼女には聞こえてくる気がした。
いつか、おね様が子飼の若者を見て
「あの子らが、私の腹から生まれたのであれば」
とこぼされた事が思い出された。
▽
「殿様のご帰城です」
南国九州の風に当てられたのか、高虎の頬は出征前より焼けていた。
掻取を翻して、養女と共に迎え出た妻を見て、その鋭角的な頬が少し緩むのに、近習さえも気付かなかった。
「
妻とは似ても似つかない下膨れの頬に子供らしい丸い瞳の養女。
末っ子だった高虎にとって、小さな子供に親しく接するのははじめての事だった。
従兄弟で共に育った新七郎良勝は昔からしっかり者だったし、父虎高が後妻に産ませた腹違いの弟や妹たちはやはり少しの距離を感じるが、
「父」と呼び親しんでくれる子供は嬉しいものだった。
「さと様は本当によい姫で…」
妻の笑顔は柔らかい。
二人の間にこのくらいの子供がいてもおかしくはなかったな、と空想しながらも…
「婚約者殿は中納言さまの小姓をされておる小堀作助殿だ。将来は立派な花嫁御寮になられるだろう」
高虎は平常心で言った。
その言葉に少し驚きながらも、朝子はその場は黙って済ませた。
▽
「高虎様、相談が一つございます。」
帰参を祝う膳部が下げられ、酒を嗜まない夫の盃に少しだけ清酒を注ぎながら、朝子が口を開いた。
「家中で過ごしておりましたお
折良く北政所様が大阪城によい侍女をと申しておりましたので、ご紹介しようと思いますが…
どう思われますか?」
お辰は、明智光秀の四女で、織田信長の甥津田信澄の妻だった。
信澄は、高虎が豊臣秀長に仕える前の四番目の主人だ。
一般に、高虎の功績を適正に評価せず、母衣衆に加えても加増しなかった主君として伝わるが、
高虎は本能寺の変以降、複雑な立場だった妻子を庇護していた。
変事から五年経ち、世の中も変わりつつある、お辰は朝子に展望を打ち明けたらしい。
「それが良いだろう。」
高虎は短く頷く、
朝子はその穏やかな様子に、疑問を投げかけてみた。
「さと様にもう婚約者がおありになるのですか…?中納言様のお小姓様がお相手なんて…」
「ああ。だからこそ、一色よりもらったのだ。」
なんともないように夫が言うので、妻は黙るしか無かった。しかし、これが普通なんだろうか…なんとなく、持つことができない「家庭」ごっこがずっと続くと思っていた朝子は小さな穴が胸に空くような思いがした。
「あと…中納言様ではなくなるぞ。」
低く囁く高虎の目には、見たこともない輝きがあって、朝子は会社の重役と接している時のような緊張感を覚えた。
「…?」
「小一郎様の九州征伐の功を関白殿下に認められたそうだ。」
高虎は我が事のように幸せそうだ。
「…おめでとうございます。お祝いに参じなければなりませんね。」
高虎は朝子にふと向き直って、正座した太ももに置かれた手をとった。
「その時はお前もいっしょだ。しばらく戦もないだろう」
と大きな手のひらで掴んだ白い手を引いた。
小さな悲鳴のような声を出したが、構わずに体ごとあぐらの中に仕舞い込んだ。
相変わらず、加減を誤ったら、引っこ抜けて壊れそうな体つきだった。久しぶりに近くで感じるその柔らかさを味わっていると
「…ご苦労様でした。下がっていいですよ」
と、恥ずかしげに朝子は声を発した。
衣摺れが慌てたように遠さがかる。
そういえば、夫婦の居室にも使用人が居たんだな…と高虎は小さく眉を顰めた。
「出世をすると言うのも煩わしいものだ。常に周りに人がおる」
朝子が高虎の足と腕の間で身を捩りながら、困ったような顔をする。
「しかし、城の女房や使用人どもがずいぶん行儀がよくなったようだが。」
藤堂家の縁戚の地侍の子女や子弟が多い高虎の配下は、お世辞にも行儀作法が行き届いているとは言えなかった。
女でさえもあぐらをかくし、化粧をするより武芸をして、より集まっては賭け事をし酒を飲んでいた。
それが、今は襖を閉めるにも流麗な動作で立ち回り、妻の朝子の振る舞いに似てきている。
「…私もできることをしようと思いまして、やる気のあるものには、手習や行儀作法を教えております。」
妙にいじらしく感じて、腕の中の妻の小さな口に盃を吸わせて残った酒を流し込む。
苦しそうに顰んだ柳眉を見下ろしながら、白い肌がどんなに酒を飲んでも赤くならないのが不思議だなとどうでも良いことを考える。
「なるほど。天下も収まりつつあるし、良いことかもしれん。」
そのうち、上流武家で流行っている茶道や和歌などが武士にも必須になるだろうと、高虎も豊臣政権の“付き合い“をするうち感じていた。
だが、幼い頃からじっと座っているのが大の苦手だった高虎にとってはうんざりしてしまう。
「…高虎様、九州はどんなところでしたか?」
「ああ…長崎奉行を任じられた折、オランダの商人どもと関わることもあったのだが…
外の国は石積みで曲線の門を作ったりできるらしい。あれはまことに驚いた。
並べられた品物の質も、それを運ぶ船の大きさも、日の本とは比べ物にならなかった。」
長崎駐留で、いろんなものを見たのだろう。語る夫の高い鼻すじで張り詰めた横顔を眺める。
(さと様は、まだ、“小学生“ですよ。子供同士が、結婚するなんて)
どうせ口には出せないけど、心の中で、投げかける。酔っているのか、そばにいると彼の言葉だけを聞いていたい気持ちになって、そんな自分が嫌だった。
朝子も、“記憶“の中の九州や海外の輪郭をなぞりながら、高虎の話に耳を傾けた。
「高虎様、南蛮へ渡る空飛ぶ船も、あるかもしれませんよ」
酔っているのか、朝子がいたずらっぽく首を伸ばして囁いて来た。こんな戯言を言うのは珍しいなと、妻の栗色の瞳を見下ろす。
「なに?」
「それに乗って数刻で日本中を移動できますし、海を越えて、雲の間を星を頼りに飛ぶのです。
そして、海の間には日付が一日戻る分け目があるのですよ」
不思議な確信がある言葉は、子供の頃に聞かされた英雄譚のように心地いい。
「空から見たら、俺が作る城や石垣などちっぽけだな」
「はい、空の上から攻められるかもしれませんね」
妻の小さな頭には、見知らぬ世界がありありと広がっているようだ。
二人は少しの間、ただの若い夫婦のように笑い合って過ごした。深まりつつある夜のように、思考はお互いの姿だけを捉えて見えなくなっていく。
この年、「朝敵」を討った九州征伐での戦功により、藤堂高虎は佐渡守を叙任する。
《※》
なんだか戦が終わるといちゃつく?夫婦が定番になっているような気が…飽きてきますよね、すみません。
近づいても、背中合わせのような二人っていうのが高虎と朝子の夫婦のイメージです。
養女の名前はフェイクですが、茶人小堀遠州に嫁いだ高虎の娘は本物です。
いつも読んで頂きありがとうございます。
次の章からは、豊臣家の更なる栄華と、斜陽の気配がはじまります。
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