第23話 女主人と忍び ②

 


 「挨拶が遅れましたが、

 私が藤堂家の正室の朝子です。」


 そこには、侍女たちが想像する


 庶流の、浮ついた、嫉妬深い女は居なかった。


 しっとりとした緋縮緬の小袖の肩口から水を含んだような豊かな垂髪が流れ落ちる裾に、びっしりと乱菊が刺繍された無双絽の袷の掻取を腰巻に着付け、

細身で富貴さには欠けるがそのすらりとした姿は大和中納言家の家老の妻としての貫禄に満ちていた。


「そなたたちの仕事ぶりについてですが…」


 当世風に白粉を厚く塗り、唐渡りの鮮やかな紅に覆われた整った唇からは鋭い剣のような声が飛び出て、

花園のような侍女たちの小袖の裾を突き立てる。


 シンと張り詰めた広間に、艶やかな無双の腰巻きの衣ずれだけが響く。集まった20人ばかりの女ども一人一人の顔を見据えるように歩を進めている。


中央で立ち止まった正室は、すっと息を吸い込み、声を発する準備をした。


今まで仕事を他の侍女に押し付けていた一色の者らは、どんな仕置きがあるのかと怯え、

粉河の娘たちは、気に入られなければあの侍女のように外へ追いやられるのかと恐々とした。



 「…そなたたちには私が留守がちなばかりに、大変苦労をかけましたね。」


 しかし、正室の氷のような貌から溢れた言葉は穏やかな暖かさに満ちていた。

 


 「秀宰相ひでのさいしょう


 「はい」


 上臈のお秀は、さすがに怯える侍女どもとは違い堂々した様子で正室に返事をした。

所詮は白拍子にでも産ませた娘よと侮っていたが、彼女の目つきや振る舞いにはたしかな高貴さが漂っていた。



 「……よくぞ姫様をお守りし粉河まで連れてきてくれました。」


 「お褒めに預かり恐悦にございます。奥方様」


 「そなたにはこれよりも幸手局と共に女どもを導いてもらいたい。

ただし、何かあればすぐに私に報告するように。」



「はい。まずは、すぐに姫様をお連れして、様の朝子様のご機嫌伺いに参りまする。」


 秀宰相が、それは美しい所作で礼を取ると、他の侍女たちも続々と従った。




 朝子は、女たちが勢揃いする空間に心臓が爆発しそうだったが、

塗られた分厚い白粉のせいか、緊張は悟られなかったようだ。






 「九助、ありがとうございました。あなたの言った通りでした。」


「でしょう?俺は、“奥“のことはよく知っているんですよ」


 はじめ、朝子は真っ正面から叱りつけて、一人一人仕事のオペレーションを教え込もうと計画していた。

それを止めて、ただ鷹揚と振る舞えとアドバイスしてくれたのは他ならぬ九助だった。


 使用人たちは、主人を信じて働くしかない。

 使用人や農民は、ひとたび国が滅びれば戦火や乱取りの中を逃げ惑い、乱暴狼藉に怯え、運が悪ければ真っ先に死んでいく。

そして、ここの女たちは最終的に誰かの妻になるので、

大学教育を受け、社会人として本気で働いていた朝子には「甘く」映っても仕方のない事だった。


 論語や漢文を誦じられるよりも、

 子供を多く産むほうが「立派な女」なのだ。


 中には早くに夫と死に別れた幸手局や、才能で世を渡るお通のように、ずっと上臈や文人として生きる道もあるのだが、

やはり、それは異例中の異例だった。


 だからこそ、叱るよりも、

威儀を正して不変の安心感を与えた方がいいと九助は朝子を諭したのだ。


(私はまだまだ上手くできないな…)


 反省してお歯黒をとりながら、朝子は九助の過去を知らない事に気がついた。


「九助は、どんな家で育ったのですか?」


 真っ直ぐな瞳に、九助は一瞬迷ったが、ぽつりぽつりと語り出した。


 「伊賀は、昔から“大名“がいなくて、地侍たちがそれぞれの小さな領地を守って暮らしていたんです。

“しのび“は飛鳥の御世からいたそうですが、今のようになったのは、荘園制度が壊れた鎌倉の頃だったそうです。」


 こんな詳らかに語れと、奥方様は命じた訳では無いのだが…と理解しつつも、九助は順を追って伊賀の歴史を語った。


「乱世の気風はその地侍共にも吹きましてね、伊賀の地侍たちは数十に別れて戦うようになっちまったそうです。

その中で各家の野戦や隠遁の流派が別れ、侍ではなく「忍び」という生き物に近づいていった…

だから、小さな事でいつも争って、子供らも功名のために技を磨いておるような村でした。

俺はある家の嫡男だったんですが、忍びの両親は、それは殺伐とした人たちで…」


 朝子は、「忍者」を身軽なヒーローのように思っていた。小さな頃から親しんできた漫画やアニメの中の忍者は、それはカッコいい、侍とは違う明るい存在だったから。


 「九助…」


 「だから、伊賀は織田に攻め込まれても、結束して立ち向かうことができなかった。

でも、散り散りになった忍びどもは、芸人になるやつもいれば、俺のように拾われて働くものもいますから、逞しいもんですよ」


 差し込む光の影で、九助が一瞬目を伏せ、そのあとにっこり笑った。


 「…九助は、私に雇われていて幸せですか?」


 「え?」


 そんなことを問われたのは初めてで、九助は思わず素っ頓狂な声をあげた。

 生きるために働く、その中で幸せのようなものを拾えたら、上々の人生だろうと思っていた。


幸せのための生き方など、考えたことも無かった。


 目の前の上等な小袖に包まれた女は、五年前、自分の手を引いて人買いの市から救い出してくれた日と全く同じ“清潔“さに包まれている。


 苦しみや悲しみを知らないような透き通った瞳は、いつも輝いて真っ直ぐだ。

(なんて美しいのだろう)

と眩しくて目を細めたあの日、そして、その人が自分の心を慮ってくれている。


 心の中がじんわりと暖かくなっていく。


 そうか、と九助はひとり納得した。



 「はい。俺は、幸せ者でございますよ。」






《※》


正室は、夫の不在時は主人の代理を勤めます。

中には、八戸南部の清心尼、北条の赤井輝子、井伊直虎のように後継のいない家で城主や大将として立派に家を守った女たちの記録も多く残っています。

有事の際には使用人たちを束ね、籠城戦などに備えて武芸の稽古や銃弾作りの訓練などを欠かさなかった夫人もいたそうです。

戦国女性は、江戸時代以降の「大和撫子」が良しとされた価値観とは異なった存在であったようですね。


⬛︎レビューや応援、閲覧本当に嬉しいです。

私事ながら新型肺炎で大打撃を受けた業界に勤めておりますので、執筆活動が心の救いです。

今回、朝子にはじめて、立場を求めない味方を作ってみました。

忍者は、やっぱりロマンですよね笑

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