第22話 女主人と忍び ①



 「旦那様は、またお手柄だとか」


 侍女に扮した忍びのお春こと九助は、ひょっこりと部屋に現れ、垂れ目を細めてそう告げた。


 夏の気配を感じさせるさわやかな風が九助の出現と共にどこからか忍び行ってくるが、深まりつつある新緑の季節の移ろいにうっとりとする暇は今の朝子にはなかった。


「九助、ありがとうございます。九州への遠征はうまく行ったのですね。」


「はい。名門島津も、豊臣家の隆盛には敵わなかったようですね」


 この、どちらの味方とも言えない物言いが朝子の信頼を不思議と深める。

伊賀の生まれゆえに、情報を取ってきたり、人の輪に入って行くのが非常にうまく、

インターネットで情報を簡単に会得して生きてきてすっかり鈍っている朝子の脳漿の代わりのような存在になっていた。


 「それにしても、高虎様の手柄って…」


 朝子は、忙しなく動かしていた手をふと止めた。

粉河城に戻り、今まで乳母の幸手局任せだった城中の奥向きの仕事に取り掛かっていた。

 使用人たちの雇い入れ、高虎の姉の子への袴着のお祝い、戦死した家臣の妻子への見舞金、節句の準備など……

雑事も山ほどあった。


 地方豪族の妻であったときも根をあげそうだったのに、

中納言秀長様の家老の妻となれば、目が回るほどの忙しさで根をあげる暇もなかった。


(ああ…メールや電話が欲しい…)


 パソコンがない環境で仕事をしたことがない朝子にとって、紙に書いて、人に渡し、数日待って、決定していく鈍重さに頭が痛くなるのだ。

 そもそも、GPSもない時代に知らない土地で戦争をしたり、身分証や個人番号も無いのに使者として来た人間を信用したりするのにも根本的に抵抗があった。

…まぁ、だからこそ、私のような存在が、身代わりとして高虎様の妻になっているのだが…。

 

 

 「なんでも少しの手勢で敵勢に突っ込んで、切った張ったの大立ち回り」


 九助は得意の身軽さで、戦場の真似なのか、見えない槍を振り回す舞のような動きを見せた。


 「…どうしていつもそんな無茶をするんでしょう。」


 「それが侍というものでしょう。」


 どうと言う事もない、と言い捨てる九助は今年で二十歳になっていた。買った時はまだ十五だったという。思い出すと人を金で買ったという悍ましさが、「人道」という倫理観を持つ朝子の肩にのしかかる。


 「そういえば、九助も元服などしなくてはいけませんね」


 「奥方様、忍びに元服なんてありません」


 背も伸びて、すっかり青年という姿になった九助はこのところ朝子の前では小袖に袴姿の男性としての服装をする。線が細いから未だ稀に侍女姿をするが、年々性別を隠し通すのは難しくなっていくだろう。


 「でも…ずっとこのような事では」


 「給金と、寝る場所があれば、忍びは生きていけますよ。お武家様が心を砕くことではありません」


 九助は、そう笑っている。上手な笑顔のせいで、それが本心なのか、雇用主である私への気遣いなのか、掴みきれない。


「それはそうと、侍女どもが揉めておりますよ。」

 

「…さと様の件ですね」


「はい。一色家からついてきた侍女が、厄介者なんですよ」


 子がない高虎と朝子に、養女が迎えられた。一色家の縁者で、六歳のと言う娘だった。

 一色家とやりとりが生じれば、身代わりがバレないかヒヤヒヤしたが夕子様は庶子であり、本家筋の方と付き合いがないので、それは杞憂だった。


だが、全く違う問題が発生しているらしい。



 「お秀…と申しましたか」


 「ええ。」


 お秀は、通称『秀宰相ひでのさいしょう』と東百官で呼ばれる三十そこそこの女性で、いわゆる管理職にあたる。


「庶流の貴女様の養女に姫を貰われたのも気に食わぬようで、姫様を他の使用人から隠すようにいつも取り巻いております。

それに、奥には粉河で雇った地元の豪族の娘たちも多く、そもそもの統制が取れていないようですね」


 さと様に帯同した侍女たちは、元からいる使用人たちを下に見て、雑事を押し付けて、彼女と遊んでばかりだと言う。

一度噂を聞いてはいたが、その時は多忙を理由にとりあえず様子を見ようと見過ごした。

それが悪かったらしく、今では、この小さな城の中で派閥が生まれてしまっているらしい。


「私も大阪や安土によく行っていたし、腰を据えて使用人たちと向き合ってこなかったのもありますが…」


 (…でも、仕事でしょう?)

と朝子は内心ため息を吐いた。



「仕方ありません…いちど侍女たちと会っておかないと…」


「あ、お待ちください。きちんと“正妻“のお衣装を着ましょう。

ああいう手合いはに弱いのです。」


 それは楽しそうにニヤリと笑った九助。

…嫌な予感がする。




 「お方様と会うのははじめてやね」


 「別嬪さんでいらっしゃるそうよ。」


 「お子がいないけど、妾もいれない悋気の強いお方だとか。」


 「天下様の御台様や公家の皆様と懇意だから、殿様が遠慮なさっているんやろ?」


 奥の広間に呼ばれた侍女たちは、こそこそと噂をしている。

粉河の土着の豪族の娘たちはあの侍女の懐胎を知っているし、

一色家より養女と共に帯同してきた侍女は庶流の女と侮っている。


ずっと朝子を支えてきた幸手局は年波に勝てず、このところ臥せっていて、

城館に居着かずに外で働くことの多い城主夫妻への尊敬の念が薄いのも仕方のないことだった。



 「お方様のおなりです。」


 女のなりをした九助が、襖を開ける。

二十畳ほどの広間には、色とりどりの小袖を纏った女たちが並んでいる。そこは春の花園のような華やかさがあったが、礼を取った女たちの眼差しは好奇心に満ちていた。



 絹ずれが板の間に響く。

掻取の金繍が、日差しに輝いている。


 「表をあげよ」


 喉に力の入った声に、侍女たちは顔をあげた。


 そこには、絽を二枚重ねて縫い合わせた無双むそう…絽の袷の打掛を細長い体に腰巻姿に着付けた夫人が立っていた。



 「そなたたちの女主おんなあるじである。」


 庶流の、浮ついた、嫉妬深い「お方様」はいなかった。

変わりに、大豊臣の家臣の妻としての、侮り難い威圧感がある。

 当世風に白粉を厚く塗り、唐渡りの鮮やかな紅に覆われた整った唇からは鋭い剣のような声が発せられ、

花園のような侍女たちの小袖の裾を、突き立てるような強さがあった。





《※》


袴着…着袴(ちゃっこ)とも。古くは男女の別なく3 〜 7歳の間に行い、江戸時代以降5歳男児のみの風習となり、次第に11月15日に定着し七五三の風習の一環となりました。


前回、重い話になった(当社比)ので、大奥的な女の園の話を始めます。

朝子が「正室」として、使用人たちに対峙するのは、思えば初めてだと思います。

当時、女性の使用人たちの中には、教養があり家柄容姿ともに優れた人材が多くいて、

豊臣家に仕えた孝蔵主や、阿古上臈などは、朝廷への出仕経歴を持って武家に採用されたりしています。

今で言う一流ホテルやフルサービスの航空会社で接遇をしていた経験のようなものかもしれません。

子供のいない正妻や、貫禄のない妻たちは、才のない武将が家臣に舐められたように、

苦労したのかもしれない、と書き進めています。


レビューや応援にとても励まされています。

これからも読んでいただけると幸いです。

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