たびとつき
巴乃 清
たびとつき
黒い猫が一匹、歩いて来る。大手門横の美しい石垣をなぞるように、時折体を擦り付ける。じっと見ていると、ふと石垣から体を離して軽い足運びでこちらへやってきた。
「懐っこいなぁ。飼われている猫なのかな」
訊いてみるとにゃと短く鳴くが、僕には生憎と猫の言葉がわからない。足元へ来てすりすりと体をこすりつけてくるので、しゃがみこんで顎や頭を撫でてみる。黒猫だと思ったが、足先が白い。所謂足袋猫とか、靴下猫と呼ばれるやつだ。前足はほぼ黒いのに、後ろ足の先が白いのが目立つ。
「白い足袋か。お城に出入りするから正装かい。君は礼儀正しいね」
今度は何も返ってこないが、ひょいと右前足を僕の膝の上に載せた。お、と思っているとぴょんと飛び乗り、香箱座りをする。まいったな。
「タビさん、君は武士っていうよりお殿様なのかな」
頭を撫でながら言ってみると、くいっとこっちを見てうにゃああと長く鳴いた。まるで、そうだと言っているようにしか聞こえない。僕はちょっと愉快な気持ちになった。
「ええと、丸亀城の城主と言ったら生駒氏だっけ。最後は京極氏だったかな」
タビ猫はふんと鼻を鳴らすと膝から降りた。もう僕には飽きてしまったかと思ったが、すたすたと門の方へ戻り、振り返って尻尾をくねらせる。僕を待っているのだろうか。
一人旅で時間にも追われていない身。しかも、これから丸亀城内を歩こうと思っていたところだ。タビの後を追うことにした。周りの人の目が少し気になるが、てててっと進んでは立ち止まることを繰り返すタビを、追うこと自体は簡単だった。猫が本気になって駆けて行ってしまえばすぐに見失ってしまうだろうに、これは本気で案内をしてくれているつもりなのだろう。
タビは勝手知ったるという感じで、迷わず見返り坂を進んで行く。
「ちょっと待ってタビさん。結構しんどいんだけど」
坂は思っていた以上に急だ。それに身軽な猫に合わせて速歩きをしていたので、随分堪える。
「ちょっと休ませてよ」
先を歩いていたタビは立ち止まって振り返り、にゃあああああと低い声で鳴いた。座って石像のようにこっちを見ている。尻尾の先だけが不機嫌に動いている。心なしかさっきより眼光が鋭いようだ。逆光だからかもしれないが。
「すみません、軟弱者で」
僕が歩き出すのを見計らって、タビはまた先を行く。坂の勾配はきつかったが、周りは緑が多くて気持ちが良い。辺りの景色を時々見て楽しみつつ、タビを追った。
十分も歩いただろうか。タビが先導するのをやめて、僕が追いつくのを待って足元の近くを歩く。
「もしかしてここが目的地なのか、タビさん」
辿り着いた場所には、月見櫓跡という立て札が立っていた。櫓が建っていた場所だけあって、見晴らしがいい。山と川と、町が見渡せる。
「ああ、気持ち良いな」
なんとなく、うんと背伸びをしながら深呼吸をする。ああ、良い町並みだ。
タビは据え付けてある手摺の上にぴょんと飛び乗った。猫だからそれは身軽なのだろうが、わざわざそんなところに乗るのかいと僕は少し驚く。
と、タビの背後に白々と月が昇っていた。
青い空の中に浮かぶ白い月は、タビの丸い足先のようにふっくらと丸かった。夜の神々しさとはまた違った美しさがある。
「綺麗な月だね」
とタビに話しかけたつもりが、いつの間にかいなくなっている。さっきまでここにいたのに。いつの間にか手摺から飛び降りたかと思ったが、辺りを見回してもまるで最初からいなかったように気配がなかった。でも僕は、辺りに向かって声を投げかける。
「ありがとう、タビさん」
きっとどこかで、聞いてくれているような気がして。
たびとつき 巴乃 清 @sakuyuki
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