3. 新人天使



静寂も過ぎると耳をつく。

「BGMとかないの」

ミキはひとりごちた。


ここ天使部に足を踏み入れたのは二度目。

一度目は現世から天国に異動になった時。

簡単な手続きのあと一般居住区へ送られた。

天国は平和だ。

みんな天国へ来たがる。

かつて親しかった者との再会もある。

でもここに来てから現世の記憶はどんどん抜け落ち

だれが自分の身内だったかはっきりと覚えていない。

そうこうしているうち再び現世へ送られることになるのだ。

ミキは自分もいつかそういう道を辿るのだと思っていた。

そんなとき突然の天使部からの呼び出し。

そして落ち着きなく今ここに座っている。



広い部屋の片側の壁がすっと開く。


「ミキさん、天使職に就く気はあるかい?」

入ってくるなりそう言う白髪、長いヒゲをたくわえた白装束の老人が言う。

見るからに"天使"然としたその姿にミキは口をあんぐりとあけて見とれた。

平民は滅多に会うことにできない上級天使であることは明らかだった。


「え?」


平民のミキといえども天国のシステムは知っている。

自分が天使になれるはずはない。


「詳しい経緯は言えないが、今回君を暫定的に研修生として採用することになった」

「どうかこの話をうけてもらいたい」

断らないでくれ、面倒だから、とは言わず

精一杯にこやかな顔を向ける。

実はもう3人に断られている。

天使職といえば永世職だ。尊敬もされる。しかも下級天使は大した仕事もないのだ。なぜ断るのだ。

上級天使は戸惑っていた。


「あの…よくわからないのですが…天使っていったい何をするんです?」


「うむ。そうだろう。…たいしたことはないのだ。簡単に言えば死者の案内人なのだ」

「君もここに来た時に会ったと思うが」


そういえばそうだった。

ある事情でここに来ることになったとき子供の姿をした天使に会った。

子供だったかどうか今は定かではない。

現世での記憶と天国での記憶の境界線が今ではあいまいだ。

案内されてここへ来て天国について説明されて…

そもそもどうしてここに来たのかそれすら今では覚えていないのだ。

現世の記憶はここ天国でクリーニングされて再び現世に戻っていく。

普通はそうなるはすだ。


「あの、それでは天使になったらもう人間に生まれないんでしょうか?」


「そうだ。また生まれたいのかね?今の君ではなくなるのだよ。何も持ち越せないのだ。基本的には」


そう、基本的には。

ただたまにクリーニングがうまくいかないこともある。

天国のシステムも完璧ではない。


ミキは特に生まれ直したいとは思っていなかった。

ここは暖かいし(寒いのは苦手だ)楽しく過ごしている。

友達もいる。

でただひとつ存在する喪失感

それは自分に"家族"がいないということだった。

現世で生きていた時からのまだ失われていない感覚なんだろうか。

だから日頃より皆が言う『お父さん』と言う存在に強い憧れを持っていた。

平民がお父さんに直接会えることはほとんどない。

ミキはおそるおそる言った


「もし私が天使になったら…お父さんに会えますか?あの…神様に?』


上級天使は深くうなづいた。

「もちろん会えるとも」


ミキは身を乗り出し明るい顔で言った。

「やります私。天使になります」


そうして異例中の異例、平民から天使への転職がなされ

上級天使は心から安堵し

新人天使ミキが誕生した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転職天使 CHATO @chatoloud

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る