第3話(1)

 本日の授業を終えて、放課後になると僕はいつも通りに図書室を開室した。


「さて、と――」


 今日は何からするかという思いを込めて、意識してそう発音したところで、僕の後ろを誰かが通り過ぎていった。――振り返る。


 奏多先輩だった。


 本日もいちばん乗り。彼女は長い漆黒の髪をなびかせて颯爽と歩き、いつもの席に腰を下ろした。


「……」


 少しくらい何か言ってもよさそうなものだが。普段からあまりに何も言わないので、慣れない人間なら彼女と己の関係が不安になるレベルだ。さすがは陰で女帝と称されているだけある。人間関係なんてどうでもいいのだろうな。


 改めてカウンターを見ると、少量の本が積まれていた。


 これは僕が前日に残した仕事ではなく、誰か先生が休み時間に自分の借りた本を置いていったのだろう。


 時々こういうことがあるのだ。そもそも図書委員はこの僕だけ。だから、正直たいしたことができない。本来なら昼休みと放課後に図書室を開けるべきなのだろうが、ひとりではそこまではむりだ。だから、放課後しか開放していないし、僕に何かしら用事があって「今日は開けません」と言えばそれまでとなる。


 そんな不規則な開室だからか、図書室の利用状況はよくない。僕としてもできるだけ開けるようにはしているのだが、もう少し人員が増えてほしいところだ。


 そんな感じで本日の仕事が幕を開ける。


 奏多先輩同様、十人もいない馴染みの顔が順に現れ、時々見たこともない生徒や調べものをしにきた先生が来室した。


 普段あまりこない生徒に利用の仕方を説明するような事態になることもなく、僕はカウンターに訪れる生徒や先生に貸出や返却の処理をしたり、図書の配架をするだけの機械と化した。


 ふと図書室の壁にかかっている時計に目をやると、もう閉室三十分前だった。


「ということは、そろそろかな?」


 そうつぶやいたところで、ちょうど入り口にひとりの女子生徒の姿が見えた。


 瀧浪泪華だ。

 彼女は僕の姿を認めると、にこっと笑った。


「こんにちは、真壁くん。……あら、どうかしたの? 浮かない顔をしてるわ。おうちのこと?」


 そうして僕のいるカウンターまでくると、心配げな顔を見せる。


 この時間でもまだ数人の生徒が残っているので、瀧浪先輩は表情も話し方も実に外面のよい、優等生ぶったものだった。


 ならば、僕もそのように対応する。


「いえ、そういうわけでは……」

「そう? ならいいけど」


 言葉を濁す僕に、彼女はまだ少しだけ釈然としない様子。


 僕の顔に何か出ていたのだとしたら、それはただ単に瀧浪先輩の行動の予想が完璧すぎて憂鬱になっただけのことだ。


「でも、実際、おうちのこと大変じゃないの?」

「大変なのは大変ですけどね」


 とは言え、それは主に突然できた人間関係に起因するものなので、母親を亡くした大変さとはまた別種のものだ。


「そうだ。今度、気晴らしにどこか行きましょうか」

「それもいいですね」


 瀧浪先輩がぱっと顔を明るくして提案してきて、僕もそれにつられるようにして笑顔を作りながら答えた。


「本当!? 嬉しい」

「何だか自分が楽しむ気満々ですね」

「あら、失礼ね。そんなことないわよ。ちゃんと日ごろがんばってくれてる図書委員さんに気晴らしをしてもらおうと思ってるわ」


 彼女は少しだけむっとして、それでいて愛嬌も含ませて言い返してくる。


「だといいですけどね」


 そんなやり取りをしているうちに、図書室内に残っていた生徒がひとり、またひとりと帰っていき、ついには最後のひとりが立ち上がった。……いや、正確にはまだ奏多先輩が残っているが、例の如くノーカウント。


「……」

「……」


 僕は瀧浪先輩と一緒に視界の端で捉えるようにして、その最後の生徒が帰るのを無言で見送ると――、


「よっ」


 瀧浪先輩は小さな掛け声とともに、あろうことかカウンターに尻を載せた。額と額が当たりそうなほど、ぐっと僕に顔を近づけてくる。




「……デートの話。本当でしょうね?」

「……気晴らしだったはずだけど?」




 僕たちの口調が一気に変わる。


 瀧浪先輩はお淑やかさがなくなり、僕からは上級生への敬意が吹き飛んだ。まぁ、それでも彼女に上品さが残るのは、やはり持って生まれたものだからか。


「というか、カウンターの上に座るんじゃない」

「あら、いいじゃない。色っぽいでしょ?」


 妖しく微笑みながら、瀧浪先輩はスカートの裾を引き上げてみせた。普段では絶対に見えないような太もものかなり上までが露わになる。


「あ、こんなところに結び目」

「ッ!?」


 危うく目がそちらにいきそうになったが、ぐっと堪える。……学校にどんなのを穿いてきているんだ。頼むから男の前で隙を見せないでもらいたい。


「あら、よく耐えたわね。じゃあ、こういうのはどうかしら?」


 今度は殊更大きな動きで足を組んだ。


「正面から見たかった?」


 からかうように笑う瀧浪先輩。


 確かに足がカウンターの向こう側にあるからいいようなものの、正面から見たら即死級の破壊力だろう。


 とは言え、だ。


「冗談が過ぎますよ、瀧浪先輩。カウンターから降りてください」


 僕はあえて丁寧に、きっぱりと告げる。

 すると、彼女は肩をすくめてから、言われた通りにカウンターを降りた。


「確かに冗談をするにしても行儀が悪かったわ。ごめんなさい」


 そうしてから素直に謝る。


「でも、もう少し何か反応をしてくれてもいいんじゃない? かわいらしいリアクションを期待してたのよ?」

「知らないよ、そんなこと」


 僕はキャスター付きチェアの背もたれに体重を預けながら答える。


 しかしながら瀧浪先輩は、悪ふざけが過ぎたことを謝りはしても、その部分に不満を持つこととはまた別問題のようだ。


「そのへんの男ならいくらでも喜んでくれるよ」

「そのへんの男になんかやっても面白くないし、やりたくもないわ。静流にやるのがいいんじゃない」


 実に迷惑な話だ。


「それで、デートのことだけど」

「さっきのは社交辞令でね。もちろん、遠慮しておくよ」


 もうこの際、単語がすり替わっていることは無視するとして。


 そもそも僕をつれ出して何が楽しいのだろうか。それこそ僕はそのへんにいる大勢の男のひとりであって、この学校の生徒なら誰も知っている瀧浪泪華とは釣り合うはずもない。一緒に歩いたところで、僕が気後れするだけだ。


 確かに僕と瀧浪先輩は、彼女が言うところの『同類』なのかもしれない。しかし、それにしても酔狂なことだと思う。


 僕がきっぱりと先のように答えると、瀧浪先輩はやれやれとばかりに肩をすくめた。僕が最終的にこういう返事に落ち着くことは、彼女にしても読めていたことだろう。


「ああ、そう言えば――意外だったわ。静流が直井君のグループにいたなんて。この前も一緒に歩いてたし。前から?」


 そうしてから、昼休みの一件を思い出してか、そう口にする。


「まさか。たまたまだよ。学食に行くのに混ぜてもらってるだけだ」

「そうだったのね」


 納得したようにうなずく瀧浪先輩。


「僕があのグループにいるのがそんなに意外か?」

「意外というのもあるけど……どちらかと言うと、似合わないといった表現のほうが正しいわね」


 彼女はきっぱりと言う。


「ここで初めて会ったときにも言ったと思うけど、静流は笑顔を振りまいてるより黙って冷静に場を見据えてるほうが恰好いいわ」

「それは口を開けば三枚目と言ってるようなものだな」


 勝手なことを言ってくれる。


 確かに彼女はそんなことを言っていた。周りからどう見えるかはさておき――僕もどちらかと言えば、直井のグループで賑やかにしているよりは、刈部や辺志切さんと静かにしているほうが性に合っている。だが、その一方で、己の振る舞いの最適解を弾き出して、ああいう連中とうまくやれる自分もきらいではない。


「ああ、でも、そうなるとわたし以外の女の子も静流のことを気にしはじめるわね」

「そんなバカな。僕がそんなタイプかよ」

「かと言って、誰彼かまわず愛想を振りまかれるのもね。悩ましいところだわ」

「……」


 人の話も聞かないで。勝手に悩んでろ。


 と、そこで午後六時五分前の予鈴が鳴った。


「さて、本日の業務も間もなく終わりだ」

「ねぇ、一緒に帰らない?」


 瀧浪先輩がタイミングよくそう提案してくる。


 僕は少しだけ考えてから答えた。


「別にいいけど」

「あら、珍しいこともあるものね。ダメもとで言ってみただけなのに」


 彼女は目を丸くする。


 誘っておいて首を縦に振ったら驚くとは、どういう了見か――と、文句を言いたいところだが、僕がこの手の誘いに乗ったことがほとんどないため、彼女が驚くのもむりはないのかもしれない。


 どうして僕は今日にかぎって瀧浪先輩と一緒に帰ろうと思ったのだろう?


 僕にとって瀧浪泪華という人間は、積極的に言い寄ってくることを別にすれば、話しやすい人物である。世間一般が知る瀧浪先輩であれば、僕はそのへんにいる男として憧れと上級生への敬意をもって、多少緊張しながら接していだろう。


 だが、彼女には裏表がある。……蓮見紫苑とちがって。


 瀧浪先輩の裏表のはっきりした在りようは、僕にとってはむしろ好ましく――接しやすい裏の顔を知った後は、彼女の表の顔とも実に気やすくつき合えるようになった。茶番も開き直ればそれはそれで楽しい、といったところか。


 正直、今の僕はあまり気の休まる環境にいるとは言いがたい。


 たったひとりの肉親であった母を亡くし、おそらく一生会うことはないだろうと思っていた父が現れ――そっちの家に厄介になってみれば、義理の姉には快く思われていないありさま。現状、僕の心が休まるときと場所のひとつは、この瀧浪先輩と過ごす時間なのかもしれない。


 だから、僕は彼女の誘いに乗ったのだろう。


「どういう風の吹き回し?」

「別に。たまにはいいと思っただけだよ」


 だからと言って、それをバカ正直に彼女に伝えるつもりはない。


「ようやくわたしの彼氏になってくれるのかと思ったわ」

「それはない」


 きっぱりと言っておく。


 確かに僕は瀧浪泪華に好意をもっている。だけど、今のところそのつもりは欠片もなかった。僕は恋愛に向いていないのだ。


「まったくもう」


 瀧浪先輩は腰に手を当て、呆れたようにため息を吐いた。


「あ、この本、棚に戻す分よね?」

「うん? ああ、そうだね」


 彼女が指し示したのは、今日返却された数冊の図書。当然、返却処理は終わっているし、中を見て傷みや書き込みがないことも確認した。後は書架に戻すだけだ。


「じゃあ、わたしが戻しておくわ」


 そう言うと瀧浪先輩は、図書を抱えて書架のほうへ歩いていってしまった。


 要するに、作業効率の問題。早く帰るため、自分が配架をするので、お前はほかのことをやれ、というわけだ。


「じゃあ僕は、と――」


 あえて発音し、僕は残っている生徒を追い出すべく最後のひとり――即ち、奏多先輩のところへと向かった。


 彼女は、図書室の本を利用している形跡はなく、あいかわらず手紙でも書くような調子でノートにシャープペンシルを滑らせていた。そんなアナログなことをせずに、ノートパソコンでも持ってくれば楽だろうに。どうせ後で清書するのだから。


「奏多先輩、時間ですよ」

「ああ、静流」


 奏多先輩の無機質なまでに端正な顔がこちらを向く。


「もうそんな時間なのね」


 一心不乱に書いていたから閉室時間間際になっていることに気づかなかったようだ。


 と、思いきや。


「見てたわ」

「はい?」

「お前、瀧浪の挑発にまったく動じる様子がなかったわね」

「そのことですか」


 ちゃんと周りのことも見ていたらしい。


「ああいうのはこちらがリアクションをすれば調子に乗りますからね。無反応がいちばんなんですよ」

「それにしても、よ。……女の体はもう見飽きて?」

「ぐふっ」


 思わぬ不意打ちに、僕は喉を詰まらせた。


「ひとりの女で飽きるなんて、お前も案外欲がないわね」

「はて、何のことやら。……ほら、出てください。もう閉めますよ」


 我ながら下手な誤魔化し方だと思うが、それでもシラを切り通し、麗しき上級生を追い立てる。


「横暴な図書委員もいたものだわ」

「正規の業務ですよ、残っている利用者に退室を促すのは」


 僕はまだどこか笑みを含ませている奏多先輩を残し、踵を返す。


 カウンターでは瀧浪先輩が待っていた。図書はもう配架し終えたようだ。それぞれの所在があまり散っていなくて、時間がかからなかったのだろう。


「ずいぶんと話し込んでたわね。……もしかして仲がいいの?」


 訝しむような視線を僕に向け、彼女は聞いてくる。


「さて、どうだろうね?」

「え? なに、その言い方。本当にそうなの?」

「仮にそうだとしても、瀧浪先輩には関係のないことだ」


 しかし、どうやらこの返しはまずかったようで、瀧浪先輩はさらに僕を問い質そうとする。


「ちょっと、静――」

「さようなら、ふたりとも」


 と、そこにタイミングよく奏多先輩が通りかかった。


 彼女は美しいガラスような硬質で澄んだ声音で挨拶を投げかけ、通り過ぎていく。


「え、ええ、さようなら。壬生さん」


 普段めったに耳にすることのない彼女の声を聞いたせいか、瀧浪先輩は呆気にとられたように言葉を返すのだった。

 

 

 

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【お知らせ】

瀧浪先輩のサイドストーリィを、拙作『佐伯さんと、ひとつ屋根の下 I'll have Sherbet!』内で公開中です。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054880240118

ぜひともそちらも併せてお読みください。

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