第2話(2)
いつもより賑やかで華やかな一場面があった昼食を終え、学食からの帰り道。
「なぁ、真壁はどう思う?」
廊下を歩きながら直井が話を振ってきた。
「蓮見先輩か瀧浪先輩かって話?」
「そうそう」
この学校では男が数人集まれば、定期的にこの話題になる。まぁ、このグループはそれが多いような気もするけど。
「僕は――」
さてさて、僕はどちらの立場につくべきか。
このグループは確か蓮見先輩派がやや優勢だったはずだ。だが、ひとりつい先ほど瀧浪先輩と話す機会を得たことで、そちら側に転向するようなことを言っていた。それでも蓮見先輩を推す声のほうが多いか。
「僕は瀧浪先輩だね」
このせまい社会の情勢を分析してから、僕はそう答えた。きっとこちらのほうが盛り上がる。
「ほら見ろ。真壁だって」
「おいおい、どうしてだよ。いいだろ、蓮見先輩。スタイルいいし」
抗議の声を上げたのは直井だ。
確かに。蓮見家に厄介になるようになって、蓮見先輩の露出度の高い普段着を見る機会が増えたので、そこは同意する。
「直井、言い方を間違えるときらわれるよ」
「おっと、そういうつもりじゃなかったんだけどな。気をつけるよ……」
僕に指摘され、彼は取り繕うように苦笑する。
「僕もいいと思うよ、蓮見先輩。ただ、あのノリはちょっと合わないかな」
別に僕が彼女からきらわれているからそう言っているわけではなく、蓮見氏が現れる前、僕が蓮見先輩を遠くから見ているだけだったころから思っていたことだ。あのフレンドリーな態度がいいと思う生徒が多いのもよくわかることではあるのだが。
「それよりも僕は、三年の先輩はちょっと話しかけにくいくらいであってほしいと思うな。それでこそ上級生って感じだ」
まぁ、尤も、瀧浪泪華にかぎっては、本当はそれとは真逆の人間であるのだが。
そんな僕の意見に「あー、わかるわー」「三年のお姉様はやっぱそうだよな」と「そうかぁ?」「今の流行は話しかけられる先輩だろ」という意見が半々といったところ。狙い通り、話題はさらに盛り上がっていく。
「で、その瀧浪さんと真壁は顔見知りなんだって?」
「まぁね」
直井ではない別のクラスメイトが聞いてくるが、そこを誤魔化すのはむりがあるので素直に肯定しておく。
「じゃあ、瀧浪先輩ともよく話すんじゃないのか?」
「それほどでもない。カウンターにきたときに少し話すくらいだよ。それこそ顔見知り程度だ」
本当はそれどころではない。
でも、そうであったならよかったのにと思う。そうであってくれたなら――あの日、僕という人間を見抜かれさえしなければ、今でも瀧浪先輩は僕が理想とする上級生であり、その彼女と時々カウンター越しに話せる――そんな小さな幸せを感じる関係だったかもしれない。
そんなことを考えているうちに教室へと辿り着いた。ちょうど会話も切れたタイミングだったので、「じゃあ、僕はこれで」と彼らと別れる。
そもそも僕は普段からこのグループとべったりというわけではなく、学食で昼食をとらなくてはいけなくなってから昼食の間だけ行動をともにしているだけ。このあたりで離れるのが常だ。
「なぁ、真壁」
が、今日にかぎっては呼び止められる。
直井恭兵だった。
「お前さ、こっちにこいよ」
彼の言うこっちとは、このグループのことだろう。
直井恭兵率いるこのグループは、文句なく学内カーストトップ。主要メンバーは直井には及ばないものの、彼と釣り合うだけのステータスを持った連中ばかりだ。
僕は直井に気づかれないよう、彼の後ろに目をやった。
メンバーの何人かは女子のグループに当たり前のように声をかけている。だが、こちらの様子を遠目に窺っているやつもいる。垣間見えるのは警戒と敵意、だろうか。
直井に意識を戻す。
「僕が? お誘いは嬉しいけど、むりだよ」
「真壁がいるとさ、何となく話が弾むんだよな」
「たまたまじゃない?」
もちろん、僕が意図的にやっていることだ。少し考えて話せば、場を盛り上げることなんて簡単なものだ。
「かもな。最初、学食に一緒に行きたいなんて言ってきたときはびっくりしたけど――お前、なかなかいいよ。そもそもうちに入団試験や資格があるわけじゃないんだからさ」
そう言って直井は笑った。
その通り。彼はきっと誰でも受け入れるのだろう。それは僕の件でもよくわかる。彼はメンバー以外を排する壁は設けていないし、それだけの度量の持ち主だ。
「あったら書類審査で落とされてるよ」
僕も苦笑する。
「ま、無理強いはしないけどな。……じゃあ、また」
そうして直井恭兵は僕に背を向けた。自分のグループと女子のグループが合流して大所帯となったそちらへ歩いていく。
「さて、と――」
と、僕は意識的にそう声に出して教室内を見回してみれば、実にサイレントな空間があった。
男女一名ずつの二人組。
眼鏡をかけた女子生徒は本を読み、その前の席の男子生徒は横向きに座っている。ぽつぽつと何か話しているようだが、特に笑顔はない。
何というか、名前に共通項の多いふたりだ。みっつくらいある。
僕は彼らのほうへと近づいていった。お邪魔と言うことなかれ。このふたりは別につき合っているわけではないらしいし、もし僕に所属グループというものがあるなら、むしろそれはここなのだから。
刈部の隣の席の机に軽く尻を乗せるようにして立つと、ふたりは顔を上げてちらと僕を見た。
どちらも意外と整った面立ちをしている。
だけど、そろいもそろって性格で損をしていた。
辺志切さんは、ひとりで本を読んでいることからわかる通り、実に内向的。一方、刈部はその省エネな性格により、あまり積極的に人と関わろうとしないのだ。
「昼メシ、すんだのか?」
「ああ、いま帰ってきたところ」
見たところ、刈部も辺志切さんも弁当を食べ終えたようだ。こちらはグループでわいわいやりながら食べていた上、瀧浪先輩のグループとの一件もあって、知らぬ間にけっこう時間がたっていたらしい。ゆっくり食べる辺志切さんの弁当箱ももうない。
「よくあんな連中と一緒に食べる気になるな」
教室内で楽しそうに盛り上がっている直井たちを、刈部は冷めた目で見やった。
「悪いやつらじゃないよ」
先にも述べたように、彼らは周りが思っているほど排他的でもなければ、選民思想の持ち主でもないのだ。
「事実は正確に述べるべきだな。……直井は、だろ」
「まぁね」
僕はひとまず曖昧に苦笑いしておく。
「食堂のごはん、美味しい? わたし、行ったことないから」
と、そこで辺志切さんがボリュームの小さな声で聞いてくる。
「それは聞かないでほしいね。どうしても母親と比べてしまう」
「あ、ご、ごめんなさい……」
彼女は申し訳なさに声をさらに小さくし、身も小さくした。
「いいよ。気にしてないから」
「う、うん……。でも、大丈夫なの? 真壁くん、今ひとりでしょう?」
「まぁ、どうにでもなるよ」
母子家庭の母親が亡くなり、残されたのは高校生ひとり。心配するのもむりはない。優しい性格だ。
「近くに親戚もいるしね」
概ね嘘はないだろう。
親戚が父親で、いることを知ったのはつい最近だけど。
「真壁、『蓮見先輩と姉弟になった』って言ったらしいな」
そこで刈部が再度切り出してきた。
「冗談だよ、冗談。まいったな、刈部の耳にまで入ったのか。面白くない冗談は言うものじゃないね」
僕は笑って誤魔化す。
「言ったのは直井のところのやつだ。わざわざ周りに聞こえるように言ってた」
刈部は吐き捨てるように言った。
そうか。いよいよ敵視されているらしい。先ほどの睨みつけるような目と、『直井は』という刈部の言葉が思い出される。
「……その冗談、本当だろ」
不意に、刈部は特に口調を変えず、言葉を重ねてきた。
「……どうしてそう思うんだ?」
「自分で言ってる。面白くない冗談だって。真壁は空気の読めない冗談を言わない。冗談でないなら、それは本当のことだ」
「そ、そうなの……?」
横では辺志切さんも目を丸くしている。
僕は押し黙る。
幸いにして、僕たちの話なんか誰も聞いていない。もとより会話に耳を欹てられるような、注目に値するグループではないのだ。
「それにあそこが父子家庭で、父親が医者なのはそこそこ有名な話だ」
そうなのか。僕は知らなかったが。
しかし、それがダメ押しとなった。朝、蓮見先輩に言われているが、このふたりなら大丈夫だろう。
「お察しの通り、本当。……誰にも言うなよ。僕が蓮見先輩に怒られる」
「そんな暇なこと、誰がするか」
忙しくもなさそうだけどな。この省エネ男は。
横で、うんうん、とうなずいている辺志切さんは……申し訳ないが、念を押すまでもなく話す相手がいなさそうではある。
「でも、どういうこと?」
その彼女が首を傾げる。
結論に驚いたものの、どうしてそうなったかの過程が想像できなかったらしい。まぁ、突拍子もない話だしな。
「つまり、ずっと伏せられていた僕の父とは、蓮見先輩のお父さんでもあったわけだ」
ここにきて決定的な固有名詞が出るため、僕は周囲を警戒しつつ声のトーンを落としながら話す。
「人には言えないただならぬ関係にあったふたりの間に生まれたのが、この僕ってことだね」
「……」
ぽかーんとする辺志切さん。
「あ、あるんだね、そういうこと……」
そうしてようやく出た声がこれ。どことなく眼鏡もずれている気がする。
「らしいね」
実際に我が身に起こっていることなので、苦笑しながらそう答えるしかない。
「なるほど。確かにどうにでもなりそうだな」
「そういうこと」
刈部の曖昧な言い方に、僕は相づちを打つ。
たぶん彼は、僕が蓮見の家に引き取られたことを察したのだろう。だが、あえてそれを明確に言語化しなかったのだ。おかげで辺志切さんは何となく僕たちの会話を理解した気になって、流した。
そうしてどうでもいい話をしているうちに昼休みが終わった。
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