第2話(1)
午前の授業が終了して、昼休み。
僕は先日同様、クラスのとあるグループに入れてもらうかたちで学食を訪れていた。
(弁当箱か……)
ランチのトレイを持ってテーブルに着くと、それを見ながら僕は今朝の蓮見先輩との会話を思い出していた。
あのとき答えたように、家に帰れば弁当箱はある。
だけど、本当に蓮見先輩の言葉に甘えていいものだろうか? ただでさえ僕のことをよく思っていなくて不機嫌なのに、言葉を真に受けて弁当箱を差し出したらさらに不機嫌に、なんて――。
(いや、ないな)
僕はすぐに思い直す。
蓮見先輩自身、言ったではないか。やりたくないことは最初からやらない、と。だから、言外に断れと無言の圧力をもって提案したりはしない。やるといった以上、責任をもってやるはずだ。
蓮見紫苑は裏表がない。
しかし、これは決して誰とでも親しく接することとイコールではない。好きになれない人間がいれば、終始一貫、そのように振る舞うだろう。尤も、彼女のあの性格だ。そういう相手は少ないにちがいない。強いて言うなら、僕か。
僕が相手だと、いつもむすっとしている。それだけ快く思っていないということで、学校で顔を合わせてもこうだと蓮見先輩の評判に関わる。かと言って、学校でだけほかの生徒と同じように僕と接するなんて器用なこと、彼女には性格的にできないだろう。学校では可能なかぎり遭遇しないように気をつけたほうがよさそうだ。
と、そう決めたとき、僕の目が学食の入口へと向いた。
なぜだろうかと考えて――理由はすぐにわかった。入ってきたのは女子生徒数人のグループで、その先頭に瀧浪先輩がいたのだ。視界の隅で捉えた見覚えのある顔に、意識するよりも先に目がそちらに向いたのだろう。
瀧浪先輩の登場に、少しだけ学食の空気が変わった。僕のクラスメイトたちも彼女に気づき、何ごとかを囁き合っている。これが我が茜台高校が誇る双璧のひとり、瀧浪泪華の力か。
ぼんやりと瀧浪先輩を見ていると、彼女もまた僕を認めた。
こんなところで会うと思っていなかったのか、驚いたような表情を見せる瀧浪先輩。それから彼女は一緒にいた友人たちにひと言、ふた言断りを入れると、こちらに早足で寄ってきた。
「こんにちは、真壁くん」
微笑みとともに挨拶。
「珍しい。今日はここでお昼なのね」
「まぁ、今はこれしか選択肢がありませんから」
僕が苦笑しながら答えると、途端、瀧浪先輩は掌を口にもっていき、「あ……」と小さく発音した。
「ごめんなさい。わたしったら……」
瀧浪先輩は申し訳なさそうに言い、表情を曇らせる。
しまったな。本当のことを言いすぎたか。もう少し言い方を考えるべきだった。そうすれば彼女にこんな表情をさせることもなかったのに。
そう自分の迂闊さを呪っていると、
「ね、瀧浪さん、こちらは?」
追いついてきた瀧浪先輩の友人たちだった。
尋ねたのはその中のひとり。ややタレ気味の目とおっとりした雰囲気のせいで、本人にはそのつもりはないのだろうが、妙な色気があった。
「ああ、鷹匠さん。彼は図書委員の真壁くん」
「こんにちは、先輩方」
僕は瀧浪先輩の紹介に合わせ、
「おい、真壁。瀧浪先輩と知り合いなのか?」
「あっ、直井君だ!」
「え、嘘!?」
瞬時にして実に混沌とした状況になった。
テーブルの対角線上から声をかけてきたのは、
そして、その彼を見て、なぜ先輩たちが驚いたかというと――要するに直井というのは瀧浪泪華や蓮見紫苑に相当する男子生徒なのだ。
ルックスがよくて、勉強もそこそこできる。ハンドボール部のエースで次期主将と目されていることとあわせれば、文武両道のイケメンという評価が十分にあてはまる。他学年にまで名を知られるのも当然というものだ。
「まさか先輩たちに名前を知られてるなんて。光栄です」
直井が恥ずかしそうに、でも、どこか誇らしげに苦笑する。
「当たり前じゃない。ねぇ?」
「ええ」
「そうそう!」
三年の先輩たちは口々に同意した。
そして、これまた当然のことだが、その直井恭兵率いるこのグループは校内でも有名なのである。
結果、やにわにスクールカーストのトップグループ同士の交流がはじまった。
もちろん中心は瀧浪先輩と直井だ。
互いに直井組、瀧浪グループとして存在は認識しているものの接触するきっかけがなかったせいか、ここぞとばかりに盛り上がっている。もともとそのつもりでここにきたのであろう瀧浪先輩のグループは、それぞれタイミングを見て自販機で飲みものを買いにいき、またここに戻ってきておしゃべりを続けた。立ったままだったり、近くの席からイスを引っ張ってきたり。
そんな中、一歩引いてニコニコ微笑みながら皆を見守るようにしていた鷹匠先輩が、おもむろに僕と瀧浪先輩のブラウスの袖を引っ張った。話題の中心と皆の目が直井に向かっているこのタイミングを狙っていたのか、振り返ったのは僕と瀧浪先輩のふたりだけだった。
「瀧浪さんがよくひとりで図書室に行くのって、真壁クンが目当てだったんだ」
鷹匠先輩は内緒話でもするように、口もとを掌で隠しながら囁いてくる。
「もぅ、そんなのじゃないわ」
「ちがいますよ、僕たちは」
ふたりで同時に否定。
「ほら、仲よし」
鷹匠先輩はタレ気味の目尻をさらに下げて、嬉しそうに破顔する。
僕がちゃんと言ってやってくれと瀧浪先輩に視線を送れば、彼女はほら見ろとばかりにウィンクで返す。口ではああ言っていても、本心は別のところにあったらしい。やはり敵だったか。
「でも、真壁クンって直井クンのお友達だけあって、ちょっと恰好いいかも」
「だそうよ。よかったわね、真壁くん」
鷹匠先輩が僕の顔を眺めてそんなことを言い、瀧浪先輩がすぐさま乗っかる。
「お世辞を言っても何も出ませんよ。下級生をからかって楽しいですか?」
「あら、けっこう楽しいわよ」
「そうよねぇ」
ふたりの上級生は勝手なことを言って笑う。
「せっかくだからもう少しからかってみようかな」
そう言うと鷹匠先輩は座っている僕の真後ろに立ち、その腕を首に巻きつけてきた。後ろから抱き着いてきたのだ。
「瀧浪さんとそんなのじゃないんなら、わたしなんかどうですか?」
そうしならが耳もとで囁いてくる。
「ど、どうって、何がですか……?」
「もぅ、わかってるくせに。わたしとそんなのになって、そんなのでしかできないことをしてみません?」
「っ!?」
本人は笑いながら言っているのでふざけているつもりなのだろう。実際、先ほどもからかってみると言っていた。だけど、例の妙な色気のせいで、やたらと甘ったるかった。抱き着かれているせいで、香水かシャンプーか、はたまた単なる気のせいか、甘い香りが漂ってくるようだ。
「はいはい、そこまでよ。真壁くんが困っているわ」
しかし、すぐに瀧浪先輩によって鷹匠先輩は引き離されてしまった。
「あら、大物が釣れた。ほら、やっぱり」
「ち、ちがいますっ」
鷹匠先輩の焦点を曖昧にしたままの指摘に、瀧浪先輩は顔を赤くして否定する。
が、それは逆効果ではないだろうか。それではバレバレの好意を必死になって隠そうとしているようにしか見えない。……尤も、相手が気心の知れた鷹匠先輩だから、わざと本心が伝わってしまう演技をしているのだろう。瀧浪先輩が本気になれば、しれっと真顔で嘘を吐くはずだ。
「よかったらアドレス交換しません?」
鷹匠先輩はスマートフォン片手に聞いてくる。
「それともえっちな自撮りを載せてるSNSのアカウントのほうがいいですか?」
「は?」
僕は思わず間の抜けた声を上げる。
「じょ、冗談ですよね?」
「さぁ? どうでしょう?」
問いかけるも、しかし、彼女は意味深な笑みを浮かべるだけ。
まさか本当じゃないだろうな。どう反応するのが正解なのわからず、僕は凍りつく。
「おい、真壁、そっちで何を盛り上がってるんだよ。俺にも聞かせろよ」
瀧浪先輩に助けを求めようとした矢先、テーブルの向こうのほうから直井の声が飛んできた。
「うるさいな。こっちも取り込み中なんだよ」
しかも、シャレになってないレベルの。
僕がこちらから言い返すと、場が笑いに包まれた。
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