第3話(2)
瀧浪先輩と、学園都市駅から地下鉄に乗る。
尤も、市営地下鉄西神・山手線は、地下鉄を名乗りつつもこのあたりでは地上を走っているので、まったく地下鉄らしくない。車窓の外を見れば眼下には谷が広がっていて、そこにある道路をミニカーのような車が走っている。ついでに言うと、隣の駅である総合運動公園などは、数年前まで地下鉄の駅としては日本一の標高を誇っていた。
車内はさほど混んでいなかったが、隣同士で座れるほど空いてもいなくて――僕たちは吊り革に掴まりながら並んで立った。
ぱっと見た感じ、同じ制服を着ている生徒はいないようだ。
「このわたしがデートに誘っても乗ってこないなんて、これは厄介だわ」
「まだ言ってるのか」
隣で真剣に考え込んでいる瀧浪先輩にちらと目をやり、僕は呆れる。
実際、由々しき事態なのだろう。瀧浪泪華に誘われて(過去彼女がどれだけの男に声をかけたかはさておくとして)、それを取りつく島もなく断ったやつはきっと僕くらいのものにちがいない。
「いいことを思いついたわ。わたしが静流の家にいけばいいのよ」
「おい、バカなことはやめろ」
何をとんでもないことを口走っているのだろうか。
「だってそうじゃない? 外に誘っても出てこないなら、わたしが行くしかないわ」
「……絶対に僕は家に入れないからな」
今の僕は蓮見家に厄介になっている身だし、本来の我が家に戻るにしてもそこには僕しかいない。それ以前に瀧浪泪華を部屋に上げるなんて、いったい何の冗談か。
「でも、」
不意に彼女は真面目な調子で切り出してくる。
「本当におうちのこと、ちゃんとやれてるの?」
「ま、どうにかね」
心配げに聞いてくる彼女に、僕は殊更軽い口調で答えた。が、それが逆に自己嫌悪に陥らせる。
(なんだかいろいろ誤魔化してばかりだな……)
言えないことが多いくせに嘘も言いたくないから、真剣に心配してくれている瀧浪先輩にも毎度毎度はぐらかして、惚けて、誤魔化しばかりになる。
それならせめて今できるだけの誠意ある回答をするべきか。
「正直、今はちょっとバタバタしてる。でも、落ち着いたら話せることは話すよ」
「そう。わかったわ」
瀧浪先輩は安心したように、そして、どこか嬉しそうにそううなずいた。
「じゃあ、僕は次だから」
気がつけば耳に入ってきた車内アナウンスは、次が僕の降りるべき名谷駅であることを示すものだった。
「え? 静流、新長田よね?」
「……」
これは迂闊だった。蓮見家から学校に通うようになって、当然、僕の乗降駅も変わったのだった。うっかりしていた。彼女に不審に思われないためにも、一度新長田まで行ってから戻ってくるべきだったか。
「ちょっと寄るところがあってね」
「そうなの?」
名谷には須磨パティオというショッピングセンターがあるが、その名前を出すのはやめておいた。変に興味を引いて、ついてこられたらさらに面倒になる。
その曖昧な返事のせいで、やはりまたどこか釈然としない様子の瀧浪先輩。
僕はまたひとつ、彼女への誤魔化しを増やしてしまったようだ。
「……じゃあ、また明日」
程なくして名谷に着くと、僕は後味の悪い思いのまま別れの言葉を口にし、電車を降りた。
「静流」
名を呼ばれ、振り返る。
と、さっきまで車両の中ほどで吊り革を持って立っていたはずの瀧浪先輩が、ドアの付近まできていた。
だが、何も言わない。
ただ観察するように、じっとこちらを見つめるだけ。心を見透かされそうで、少しだけ怖い。
『扉が閉まります。ご注意ください』
やがてアナウンスが聞こえ、ドアが閉まろうとしたときだった。
「よっ、と」
瀧浪先輩が跳ねるようにして電車から飛び出した。
「おい、危な――。ッ!?」
さらにもうワンステップして僕の目の前までくると、自分の両手を僕の首の後ろに回し、顔を近づけてきた。
僕はぎょっとして顔を引こうとする。が、当然、逃げられない。それどころか、ぐっと引き寄せられる。
しかし、瀧浪先輩はぴたりと動きを止めた。
「……キスされると思った?」
互いの鼻の頭が触れそうな距離。
彼女はしてやったりとばかりに意地の悪そうな笑みを浮かべる。その向こうでドアを閉ざした電車が走り出していた。
「安心して。そんなはしたない真似しないわ。キスは静流からしてもらうつもりだもの」
「……はしたないなんて感覚、ちゃんとあったのか」
僕はやっとのことでそれだけを言い、瀧浪先輩はその指摘を見事に流して無邪気な笑顔を見せる。
「ね、次の電車がくるまで缶コーヒー一杯つき合って」
そうして僕の首に回した手を解くと、一歩下がり、聞いてくる。
「何でまた」
「気晴らしよ」
「前に言ったでしょ? わたしの『自分』は静流のそばにあるって」
加速度運動をする電車を背に、彼女はそう言う。
かつて瀧浪泪華は僕に問いかけた。
『あなた、ちゃんと「自分」はある?』と――。
それは己にも向けたものでもあった。
周囲からの期待という名の空気を読み、それに応えて理想の瀧浪泪華になり続けてきた彼女は、自身には『自分』というものがなく、『空っぽ』なのではないかと悩みを抱いていたのだ。
だが、僕と出会った彼女はひとつの結論を出すに至る。
同類である僕の前なら理想を演じなくていい。
それが、『自分』。
即ち、瀧浪泪華の『自分』は真壁静流のそばにある――。
僕とて瀧浪先輩には美しくて優しくて、いつも穏やかな笑みを浮かべている人であってほしいという理想をもっている。にも拘らず、勝手に僕のそばにきて、そうではない裏の顔を見せるなんて、実に迷惑な話で――少しだけ嬉しくもあった。
「……別にいいけど」
電車が走り去り、静けさが戻ったプラットホームで僕は答える。
「でも、これは誰のための気晴らしだ? どうも僕ではなさそうなんだが」
「どちらでもいいじゃない」
あっけらかんとして言う瀧浪先輩。
どうせそんなことだろうと思ったので、僕はとっとと自販機へと向かった。
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