おまけ:最下僧

「でもさ。磯田君って、ホント、お坊さんらしくなったわよね」

「何だよ、突然」


 仕事は僧侶。

 だが、お坊さんらしい、という自覚はない。

 ただお経を読む。

 法要の前後は、檀家や参列者にお話し……いわゆる法話をする。

 その法話だって、宗教、仏教、宗派の教義を述べるようなことはほとんどしない。

 これから始める、あるいは今しがた終えた法要の、意義や意味合いなどを簡単に理解してもらえるようにしなきゃいけないからな。

 分かってもらった上で読経するのと、何も説明なしにするのとじゃ、檀家からの反応が違う。

 俺やうちの寺の評判なんかどうでもいい。

 分かってもらえてさえくれりゃそれでいい。

 檀家から喜んでくれりゃそれでいい。

 俺が生活しやすくなればそれでいい。

 僧侶としては、志は低い方だと思う。

 学生時代は成績が悪い。

 社会人としては志が低い。

 それのどこが僧侶らしいのか。


「だって、磯田君って……あんまり誰かの悪口とか言わないから。っていうか、言わなくなった? ……あんまり、じゃないね。全然言わないもんね」


 俺は何も返事ができなくなった。

 人の悪口を言わないのではなく、言えないから。

 あれは……中学時代の頃だったか。


 ※※※※※ ※※※※※


「にしてもよぉ、島本ってホントとろいよな」

「ほんとだよな。体育の陸上も鉄棒も何もできなくてさあ」

「テストの点数も低かったよな?」


 給食が終わって昼休みの時間。

 学校の生徒が思い思いの行動をとれる時間帯。

 昼休みの時間は、教室に残る生徒はほとんどいない。

 図書室で自習か読書。

 体育館で遊ぶ。

 大概はその二択。

 それ以外は、教室か図書室で仮眠もしくは爆睡。

 俺はそれ以外を教室で選択。

 が、席を一つ空けて五人くらいで雑談しているグループがいた。

 クラスの中心的な立場に立つ連中だ。

 当然クラスの人気者。

 中には、学年の人気者もいる。

 昼休みだって、そいつらと一緒に過ごしたいっていう女子も大勢いたが、あまり人が多く集まってくるといろいろ面倒事も多くなる。

 彼らもそれを分かってて、教室に籠ってるらしい。

 他のクラスの連中は出入りしづらいから。

 で、その連中はそんな会話をしていた。

 人の悪口や陰口を叩くような奴らじゃない。

 と思われてる。

 というか、そんなことをする発想自体なさそうな連中だ。

 そんな連中が、俺と他数人が仮眠をとる教室の中でそんな話をしていた。

 それを俺は聞くともなしに聞いてしまった。

 とはいっても、それを聞いて賛同することも反対することもなく、ただ眠りに落ちるのを待っていた。

 その島本っていうクラスメイトとは、特別仲がいいわけじゃなかった。

 テストの成績はそんなに低くもなく、人より特別に優れてる程でもなかったはずだ。

 とはいっても、この連中は成績がいい集団でもある。

 が、わざわざ名前をあげてまでそんなことを言う必要もないだろうに、とも思ってた。

 大体俺も、島本とほぼ同じ成績だから、人のことは言える立場じゃない。

 確かに体育は、みんなに後れを取る程度には動作は遅い。

 が、クラス全体の足を引っ張るようなレベルでもない。

 体育祭、文化祭でも同様。

 結局のところ、俺からもだがクラスメイト全員からも、むしろ良くも悪くも目立たない存在の一人という評価を得るに違いない。

 が、そいつらは目の仇のように陰口を連発する。

 特にそいつをいじめの対象にしてるという感じでもないが……。


「なぁ、磯田ぁ、お前もそう思うだろお?」


 俺は仮眠を取ろうと思って机に突っ伏していたが、そいつらの一人が俺に話しかけてきた。

 お近づきになりたい、とも思ってなかったが、火の粉が飛んできた。

 いや、火の粉をこっちに飛ばしてきた。


「おい。起きてんだろお? そう思うかどうか聞いてんだがよお」


 俺との間にある机の上を叩いたらしい。

 威嚇するように、でかい音を出した。


「んぁ?」


 それでも眠り続けるってのは難しい。

 というか、その音に驚かない方がおかしい。

 だが、触らぬ神に祟りなし。

 机に突っ伏して寝てた他の連中同様、寝ぼけた振りして起きてみる。

 こんな短時間で爆睡してんのか? とか言われて呆れられるかもしれない。

 期待している返事を諦めてくれたら、とは思ったが……。


「島本の奴がどんくせぇ。お前もそう思うだろって聞いてんだよ」


 こいつらとは、そんな話をされるほど仲がいいつもりはない。

 もちろん島本にも、そんな意識を持ってはいない。

 が、話しかけられりゃ反応するし、まぁごく普通。

 その島本は……どこかに行ってるようだ。


「あぁ? うん……まぁ……」


 言葉を濁す。

 俺に話し相手として固執しなきゃならない理由がどこにある?

 どこにもないはずだ。

 適当に会話をやり過ごして、また寝りゃそれで終わる、はずだった。


「だよなぁ。やっぱりお前もそう思うよな? 磯田」

「……悪い。眠いからちと寝るわ」


 再び両腕を机の上に乗せてから上体をそれに預ける。

 教室に居残る連中は既に再び寝る体勢になってた。

 寝れる、と思ってた。

 が、二、三分してから、外にいたクラスメイト達が教室に入ってくる。

 寝損ねた。

 俺の頭の中はそれだけが渦巻いてた。


「お、おう、島本」


 その入ってきた一人目のクラスメイトが島本だった。


「今磯田の奴がな、お前のこと、どんくさいっつってたぜ? いない方がいいのによ、とも言ってたぞ?」


 え?

 何を言ってんだこいつ?

 と思って、そいつらの方を見る。

 みんな、俺の方を見てにやにや笑ってた。

 慌てて島本を見る。


「……そうかよ」


 軽蔑する眼差しを一瞬向けて、それからは俺のことをいない者のように無視し続けられた。

 島本の後に続いて入ってきたクラスメイトの中で、そいつらの言うことを聞いた奴らも同様。

 その放課後、そいつらに問い詰めた。


「何であんな事言ったんだよ!」

「あ? 退屈だったし、面白くなりそうだったから。それ以外意味ないよ。気にするな」

「気にするなって、お前ら……」

「ま、面白かったんだからいいじゃないか。感謝しろよな?」


 そいつらはケラケラと笑い、彼らと一緒に下校する奴らと合流するために教室を去った。

 そして俺だけが教室に取り残された。

 要するに、こいつらの娯楽として扱われてたってことだ。

 それに、何に感謝しろと言ってるのか意味不明。

 人間を相手にしてるようには思えなかった。

 が、クラスメイト達からの信頼度は、俺よりもこいつらの方がはるかに上だ。

 クラスの中での俺の立場は、一時期相当悪くなってた。


 ※※※※※ ※※※※※


 不悪口、という戒めがある。

 ふあっく、と読む。

 人の悪口を言うなってことだ。

 その戒めを守ってるんじゃなく、こんな梯子の外され方をされた者にとっては、二度と同じ失敗は繰り返すもんかってなことで、事実であったとしても悪口や陰口になりそうなことは言わないことにしてる。

 我が身可愛さ故に自分の身を守るため、だな。

 それを池田は、僧侶らしい、と評価した。

 本当に親しい中なら、悪口を言わない理由はそんな戒があるからじゃない、と説明するところだろう。

 だが、そこまで親しいつもりはない。

 ましてや今更こんなことを言ってもしょうがないし、そいつらと池田は確か面識があったはず。

 そいつらとの記憶をここで喋ったところで、過去は変えられないし、今ここでの話題がそれで盛り上がることもないだろうし。

 それこそ、そいつらの陰口を叩くことにもなる。

 改めて考えると、僧侶としては相当不真面目な方だな。

 もう一度確認してみようか。

 成績は悪かった。

 僧侶になる志も低い。

 悪口を言わないという善行も、戒めを守るのではなく、保身のみが動機。

 我ながら、よく僧侶が務まるもんだと思う。

 そして美香の件がなければ、池田は俺の存在を再認識しなかったろう。


「……ひょっとして……」

「何? 磯田君」

「……我が身可愛さの気持ちがあったから、美香の会話に付き合ってたのかもな」


 悪口を言われることは、普通の人なら誰でもそれは求めない。

 同様に、話しかけてくる奴は普通、無視されることは求めない。

 相手が、してほしくない、ということは極力しない。

 できる範囲で相手が求めることをしてあげる。

 俺が美香にしたことは、多分それだけの事。


「……人間って、面白いよね」

「何だよいきなり」

「こっちがしたことは、ただそれをしたかっただけなのよ。積極性がなかったとしてもね? なのに、してもらった側は、相手は自分のためにしてくれた、って思うことがあるのよね」


 まさにそれ。

 礼なんか言われる筋はない。

 なのに、涙を流してまで礼を言ってくる。

 顔中笑顔にして礼を言ってくる。

 お人好しかお前ら。

 そう言いたくなるくらいに。


「あたしもそんな風にお礼を言われたことは何度もあった。でも、まさか、あたしがそんな人達と同じ立場になるなんて夢にも思わなかった」


 僧侶としてのレベルは最下層、いや、最下僧か。

 そんな俺に頭を下げるなんて、今回きりだ。

 そんな一時の現象に、いつまでも頭を下げられてもな。


「……そろそろ電車の時間じゃねぇのか? 幽霊を見れて会話までできた相手は美香だけだし、今後お前の助けになるようなことは絶対ない。お前の人生と交差するのは今回きりなんじゃね?」

「……いきなりとんでもないことを言うわね。まるで今生の別れみたいな」

「……里帰りで帰ってくることがあったら、ひょっとしたら会うことはあるかもしれんが、それに合わせて時間の都合を作る気までは起きないな。ま、また会える日があるとするなら、それまでは達者でな」


 捻くれた言葉だろうか。

 でも、幽霊を見ることができる奴自体異常だ。

 接点がないなら、会うだけ時間の無駄な相手だ。

 相手の時間を奪うのも心苦しいし。


「……でも、ちょっとは好意は持てたかも。愛想のいい、都合のいいことを言わないところもあたしの好みかな」

「残念ながら、お前の日常の中には俺よりもいい相手がうじゃうじゃいると思うぜ? そっちに傾くことをお勧めするよ」


 自己保身の結果が、こいつが俺にみる立派そうな僧というなら、間違いなく目が節穴だしな。

 人を見る目を養うことができたなら、俺にもっと好意を持つなら間違いなく後悔するだろう。

 いずれ、俺の日常に池田が、池田の日常に俺が登場することは二度とあるまい。

 言えることはただ一つ。


「ま……お互いお疲れさまでした」

「うん、お疲れ様。またね」


 また、はねぇよ。

 苦笑いしか出てこねぇや。しょうがねぇな。

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その日、友達と言えない同期が死んだ。その日以来、そいつと距離が縮まった。 網野 ホウ @HOU_AMINO

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