第7話 流れは変わる

 人質というのは、相手にとって命に価値があるから取り引きとして成立するものだ。だが、この場合はどうだろう。帝国近衛兵団長・ギルにとって、ひいては帝国にとって、俺たち2人にその価値はあるのだろうか。


 レジスタンスの赤い髪の男は、その価値を見出したからこそ、こんな作戦に打って出たのかもしれない。そして、レジスタンスにとって、俺たち2人はすでに価値あるものとして確定しているらしい。2……なぜか、さっきからずっとそう呼ばれているからだ。


「さあ、剣を捨ててもらおうかぁ?2人の英雄様は、あんたらにとっても大事なんだろぉ?」


 歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべるギル。


 そのとき、俺たちに刃物を突き付けるブロンドヘアーの女が誰にも聞こえないように小声で囁いた。


「大丈夫です。リーダーはああ言ってますが、私はあなたたち2人を傷付けるようなことはしません。だから今は静かにしていてください。どうか私たちを信じてください。お願いします……」


 丁寧な弁明。この状況には似つかわしくない、落ち着いた雰囲気を醸し出す。


「……わかった、剣を捨てる」


 ギルは刀剣を手放し、地面に投げた。カランと、アスファルトに金属が当たる音。


「まさか、までこちらの世界に来ておられるとは……」


 ギルはこちらを……正確にはブロンドヘアーの女を見て一言漏らした。


「わかってくれてありがとう、


 まるで2人は、古くからの知り合いであるかのように会話する。敵対する組織の間で芽生える、ただならぬ関係……というわけでもなさそうだ。


「さぁてと……」


 赤い髪の男が語り出す。


「帝国の秘密裏の計画を阻止できなかったことに関しちゃぁ、俺たちゃ負けを認めざるを得ねぇ。だがまだ終わっちゃいねぇ。なぜなら、お前らの計画は完全じゃなかったからだ」


 ギルは何か言いたそうにしているが、唇を噛みしめて堪えている。


「希望が完全になくならない限り、俺たちゃ帝国に歯向かい続ける。それにもう、俺たちの世界だけの話でもなくなっちまったしなぁ」


 眼鏡っ子は黙って赤い髪の男に寄り添っている。その言葉に耳を傾け、時折頷きながら。次に口を開いたのは、意外にも、すぐ側に立っているブロンドヘアーの女だった。


「私は、帝国の行いを許しません。貴方たちが掲げる平和は、平和ではなく支配による独裁です。結果的に争いの火種を世界に撒き散らし、武力で他国を従わさせる。挙句、私たちの世界だけではその欲を満たせず、ついにはこちらの世界まで手に掛けようとしている。帝国の……皇帝の行いを、断じて許しません」


 優しい口調が徐々に強い語気へと変わっていく中、再び、赤い髪の男が喋り出す。


「俺たちの今日の目的は、果たせたっちゃぁ果たせた。だから、今日のところはこのまま黙って引き下がってもらいてぇんだが?」


 喋ることを許された空気に、ギルが応える。


「2人を連れて行ってどうする気だね?貴様らに、その意味がわかるとは思えんが?」

「へっ!そんなもん知らねぇ。ただ貴様らの計画を邪魔できりゃそれでいいんだよ。意味なんざぁ、あとからいくらでも付けてやるさぁ」

「ふっ……そうか。ならば今日のところは退くとしよう。いま帝国が事を荒立てるのは賢明ではない。しかし、このままでは終わらんぞ。我々は、その2人の力をなんとしても手に入れなければならんからな……」

「覚悟の上だってぇの」


 ギルは振り返り、馬車へ向かい歩き始める。


「行くぞ」

「はっ」


 キャビンに乗り込むと、すでに準備を整えていた御者が馬に鞭を打ち、ゆっくりと馬車が走り出した。赤い髪の男は、遠く離れて行く馬車を見つめながら、溜め息混じりに言葉を漏らす。


「……とは言ったものの、これからどうすっかねぇ」


 ずっと張り詰めた空気が緩んだのを感じ取り、ブロンドヘアーの女も両手の刃物を腰の鞘に納めた。


「手荒な真似をしてごめんなさい。でも、今はこんな手段しか取れなかったのです」


 優しい口調で俺たち2人に頭を下げる。


「いや、別に俺たちは平気ですよ。どうか気になさらないでください。何か事情があることは察しましたし」


 そこに啄木鳥きつつきさんが口を挟んで来る。


「……ワタル先輩って女の子なら誰でも優しいんですか?私たち、結構面倒なトラブルに巻き込まれてると思うんですけど?」

「あ、いや、そんなつもりじゃ……!」


 毅然とした態度を貫くうもりが、鋭い指摘でお約束のようにドギマギしてしまった。優柔不断な性格が裏目に出る。ブロンドヘアーの女は、その光景に少し微笑んだ。そうこうしているうちに、赤い髪の男と眼鏡っ子もこちらに集まってきていた。


「変なことに付き合わせちまって悪ぃなぁ。本当は俺たちだけで片付けなきゃならねぇ問題なのによぉ」


 頭をかきながら申し訳なさそうな赤い髪の男。筋肉質な体つきや、最初の襲撃のイメージのせいもあるが、もっと強行的な態度を取るタイプかと思い込んでいた。


「俺はレイジ。反帝国組織のリーダーをやってる。一応な。そんで、コイツがぁ……」

「……フウです」


 眼鏡っ子がまともに口を開いたのは、魔法を放って以来だろうか。どうやらとても無口な子のようだ。


「で、姫?自己紹介ぐらいしてやったらぁどうだ?」


 姫と呼ばれたのはブロンドヘアーの女だ。俺たちに刃物を突き付けても、どこか雰囲気は優しい。綺麗で長い髪に、上品な言葉遣い。なるほど、言われてみればなんとなく、を醸し出している気がする。


「申し遅れました。私はアステラと言います」


 一礼する立ち振る舞いもまた、現実世界に生きる俺たちが見たことがないしなやかさだ。「姫」というあだ名に1人で納得した。


 正直、レジスタンスを名乗るこの3人のやり方に、思うところがないわけではない。俺たち2人はこの3人によって、帝国から誘拐されたことになってしまったからだ。ギルは、いずれ俺たちを取り返しに来るようなことも言っていた。


 しかし……現時点での双方の情報が正しければ、帝国よりもレジスタンスの彼らの方が信頼に値すると、少なくとも俺は考えた。啄木鳥さんはどうだろうかと、アイコンタクトを試みようとしたのだが……


「私はミヤコ!啄木鳥都って言います。よろしくね」


 心開くの早っ!もう自己紹介してるし!


 そんな簡単に彼らを信頼して良いものかとも思ったが、当初帝国で行う予定だったミッションは彼らでも達成できそうだと、考え方を多少修正する。


「俺はワタル。瀬戸渉です」


 啄木鳥さんと違って、俺はまだ気軽に「よろしく」とまでは言えない。しかし、やるべきことをやらなければ、今日ここに俺がいる意味がない。


「皆さんは、今この世界に起こっていることについて、いろいろ知見を持っているものと見受けました。そのあたりを詳しくうかがえないでしょうか?」




 で、どうしてこうなったのだろうか。俺たち5人は、先程の現場からほど近い喫茶店の個室に押し込められていた。啄木鳥さんが不満そうに、大きな小声を浴びせてくる。


「ちょっとワタル先輩?どうしてもう少し、気の利いたところにしなかったんですか?」

「いや、だって重要な話をこそこそ話し合うって言ったら、こういうソファのある喫茶店の個室じゃない……?」

「いつの、どこの業界人なんですか!?」

「そう言われても、近くに良さそうなお店もなかったし……」


 そんな俺たちの聞こえる内緒話は、レジスタンスの3人には全く届いていない。


「へぇ、これがこっちの世界の酒場かぁ!」

「……お酒、ないよ」

「レイジさん、ちょっと落ち着きませんか?」


 3人はどうやらこの世界でこういった店に入るのが初めてらしく、テンションが妙に高い。とりあえずウェイトレスを呼び、無難そうな紅茶を人数分手早く注文し、店内に余計な混乱が起きないように配慮する。


「こいつは砂糖かぁ?こっちの世界の砂糖はえらく純度が高いんだなぁ。真っ白だぁ」

「……椅子がフカフカ」

「ちょっとリーダー、ワタルさんとミヤコさんが困ってますから……それに私たちに聞きたいことがあると……」

「あ、悪ぃ悪ぃ。で、俺たちに聞きたいことがあるんだったっけなぁ?」


 話し合いの空気に持っていこうとしてくれるアステラさんに心から感謝。


「えーと……じゃあ早速なんですけど……」


 注文が届く前から、質疑応答は始まる。


「さっきからって言ってますけど、それってどういうことなんです?」


 初手で話の核心に迫ってみた。想像はしているが、その想像が正しいのか、1番気になっていた部分だ。ある意味では答え合わせとも言える。


「そりゃぁあれだよ。俺たちゃあっちの世界の人間で、こっちの世界の人間じゃなくてだなぁ……えーと……まぁそんな感じだなぁ!」

「……ざっくりすぎるよ」


 どうやらリーダーのレイジは、こういうタイプらしい。いや、察してはいたけれども。眼鏡っ子のフウは、そもそも喋ることが得意そうではない。


「うまく伝わるかわかりませんが、私が代わりに説明しますね」


 もはやアステラさんが実質リーダーなのではないだろうか。何にしても毎度ありがたいフォローで助かる。


「信じられないかもしれませんが、ワタルさんやミヤコさんが住むこの世界とは別に、私たちが住むもうひとつの世界が存在します。2つの世界は非常に遠い存在でありながら、表裏一体で最も近しい存在でもあります。直接交差することはありませんが、互いの世界は強く惹かれ合い、常に影響を与え合っています」


 本来ならおとぎ話でも聞かされているかのような内容のはずだが、昨日からの実体験のせいで、疑問など何も浮かばず、話に耳を傾けている自分がいた。ここまでは、概ね想像通りだった。


「私たちの住む世界は、グラディアナ帝国にほぼ支配されていると言って差し支えないでしょう。一部の国を除いて、世界のほとんどが帝国の支配下にあります。皇帝は幾度もの戦で国土を広げ続けたために、多くの民が疲弊し、困窮しました。今や豊かな暮らしを送っているのは、ほんの一握りの貴族階級、あるいはそれと同等の身分を持った者たちだけです」


 中世ヨーロッパのような話だとも思ったが規模感がまるで違う。実際に世界のほぼ全てを手中に収めた歴史は、には存在しない。


「私たちの世界には、野性のモンスターが生息していることもあり、街の外、国同士の交易が消極的なのです。これは独裁的な帝国に対抗する体制が作れなかった原因と言えます。モンスターは確かに危険な存在ですが、帝国からして見れば、他国同士の繋がりを断つ抑止力という政治的な利用価値があるということです。だから、モンスターを生かさず殺さず、上辺では民を守っているように振る舞いながら、生煮えのような状態をあえて作り出し、緊張状態を維持しています」


 ファンタジー世界のモンスターと言えば「勇者」のような力ある者が討ち滅ぼし、平和を勝ち取るというのがよくある物語のテンプレートだ。だが実際は、モンスターの存在ひとつとって見ても、国、街、人……それぞれにさまざまな思惑があるのが実情か。想像よりも面倒な話があるらしいことを悟った。


「じゃあ、アステラさんたちは、そういう世の中を作った帝国が許せなくて、レジスタンスをしてるんですか?」


 意外にも啄木鳥さんが質問する。


「そう……ですね。それも理由のひとつではあります。でも一番大きな理由は別にあります」


 俺は唾をごくりと飲んだ。おそらく、ここからが本題。


「帝国は、自分たちの世界征服だけでは飽き足らず、私たちにとっての異世界、つまりこの世界までも、手中に治めようと画策し始めました」


 ここで基本的な矛盾に気が付く。


「でも、俺たちの世界と、アステラさんたちの世界って、直接交差することはないんですよね?」


 アステラさんは、息を整え、再び話し始める。


「世界中で、多くの力ある魔道士たちが、帝国の手によって秘密裏に拉致されました。魔道士たちが、非人道的にどこかの施設に監禁され、異世界転移魔法の研究をさせられているという話も聞いています。帝国は2つの世界を、魔法の力によって繋ごうとしているのです。そして、もっと恐ろしいことも……」

「そんで、いよいよ俺たちも黙っていられなくなったってぇわけだなぁ」


 突然レイジが割って入ってくる。


「2つの世界は決して交わっちゃならねぇ。2なんて迷信もあってなぁ、そんなこたぁこっちの世界じゃガキでも知ってることだ。それを無視して、しかも関係ねぇ魔道士たちを集めてコキ使って、無理矢理2つの世界を繋ごうってんだ。これで誰も声をあげねぇ世の中なんざぁ、どうかしてると思うぜ」


 この正義感が、レイジをレジスタンスたらしめるものなんだと、少し納得した。しかし、気になる部分はまだ残る。


「レジスタンスであるあなたたちが、帝国の秘密の情報をそこまで知っているのはなぜです?つかんだ情報自体がブラフかもしれないってリスクもあるのに……敵組織同士なのに、伝え聞いた情報を真実であると確信して動いている理由が、俺にはいまいちわかりません」


 レイジは少し驚いた表情で俺を見た。


「ワタルっつったかぁ。お前、なかなか鋭いねぇ」


 ため息混じりにアステラに話を振る。


「……だとさ、?」


 少しだけ、空気が張り詰めるのを感じた。そしてアステラは凛とした表情で、目を閉じ、ゆっくりと、優しく、強い口調で、確かにこう言った。


「私の名前は、アステラ・プランツェ・グラディアナ。にして、13です」


 ……は?


「ご注文、お持ちしましたー」


 固まっている俺たち2人と、レジスタンスの3人の前に、ウェイトレスは手際良く紅茶を配膳していく。


「ごゆっくりどうぞー」


 ウェイトレスが立ち去っても尚、この硬直状態と沈黙は崩れない。アステラさんが本物の皇女様……?


「まぁ驚くのも無理ねぇか」


 沈黙を破ったのはやはりレイジだった。


「皇帝は、要するに俺たちの敵の親玉だなぁ。その娘がレジスタンスにいるってのは普通じゃねぇ。ひょっとしたら、ちょっと遅めの、ただの反抗期かもしれねぇよなぁ?」

「そんなことありません!私は本気でお父様を……皇帝を許せないと思っています」


 ワハハと冗談めいたレイジの言い方に対して、アステラは強く否定の態度を見せる。


「姫が本気なのは俺が1番わかってるつもりだ。そんなわけで、お2人さん。俺たちが帝国の内情に詳しい理由、納得してもらえたかねぇ?」


 俺はダブルスパイである可能性も考えた。しかし、それなら今回の俺たち2人の誘拐という事態にはならなかったはずだ。しかし……


「なぜアステラさんは、家族や国と敵対してまで、レジスタンスに参加しようと思ったのですか?」


 完全には晴れない疑問を、言葉のままアステラさんにぶつけた。そんな簡単に、親や国を捨てられるわけがない。ましてや一国の皇女だ。国の象徴であり、皇帝の娘という立場の彼女が、その国自体と敵対する意味は、とてつもなく重い。


 アステラさんは、少し遠くの、何もない空中を見る。誰にも見えない記憶という名の幻影を見つめながら、ゆっくりと、噛み締めるように語り始めた。

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異世界は向こうからやって来る サンサンカイオー @SunsunKaioh

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