第3話 魔術と魔法

『人の身で我に傷などつけられると思うなよ』


少年が剣で突き刺したつもりの龍の足には傷一つ付いていなかった。それとは逆に少年が突き刺した剣にはあちらこちらにヒビが入り今にも壊れてしまいそうである。


「そ、そんな.........」


エルが剣を下ろすのとその手に持つ剣が崩れ落ちるのは同時だった。ただ残るのは握られている剣の柄だけ。


『さあ、言え』


龍の力が更に強くなる。抗えきれない。そう直感した直後、肩が外れるほどの痛みがエルを襲う。

痛みに叫びを上げるエルを無視するように龍の力がますます大きくなる。


『言わねば、貴様を握り潰すまで』


赤く燃えるその吐息といきの激しさが龍の怒りを如実に表している。

腕は限界なのか嫌な音を鮮明に耳に残し、エルの意識は朦朧としていく。







「いいかい、エル。よくお聴きなさい」


まただ、またこの夢を見ている。エルの目に映るのは小さな椅子に腰掛けた長髪の美しい女性。どこか物腰が柔らかく、全てを包み込むような安心感を与えてくれる。


「貴方はいずれこれから先の世できっと多くの苦難、困難に襲われるわ。その中には私達と深く関わっているものが大半でしょう。........本当に後悔しているわ。」


夢の中の女性が優しく微笑む。泣きそうなその顔を見ていつものように理由もなく目の奥が疼きはじめる。


「そんな事ないよ。僕はきっと凄い大人になって皆に恩返しするんだ!だからね!お願い.......」


知らずにその女性に言葉を返している自分。エイチェルティーの記憶の片隅に存在する何度も目にするこの光景。どれだけ大人に近づいてもそれを無理矢理子供に戻すかのように何度も夢に見る。


「..........」


夢の中の女性はそれ以上何も、一言も喋らない。

何故ならエイチェルティーという一人の人間の記憶は限られているから。


「お願いだよ!行かないで!」


「何で行っちゃうんだよ!」


夢の中の自分が何度も叫ぶ。女性はどんどんと色がかすれていき静かに消える。







『ほう、これが貴様の記憶か』


悪寒、背筋から心の臓まで一瞬で握り潰されたかのような恐怖。


「な、何をした!今のは何だ!」


自分の心、身体の奥底から全てを支配されたような感覚。エルの頭の中では思考が激しく動き回り収拾がつかないほどグチャグチャになる。


『ふん、人の子にはきつかろう』


龍は嘲笑うようにエルに語りかける。人ごときが龍を上回る事など出来ないと、身の程を弁えろと。


『だが、貴様のおかげで卵のおおよその位置は理解した。もう、貴様に用はない。せいぜい生き足掻け』


そういうとエルの肩をつかんでいた龍は静かにその巨大な鉤爪を離した。


龍から解き放たれたエルの身体は再び重力に縛られ地面に引き寄せられていく。後、数刻もすれば彼の身体は地面に衝突してしまうだろう。



「《空術》浮け!」


少年の身体を優しく包み込むように風が集まり落下速度を落とす。少し離れた位置にはロッド

を手にしたラミー。


「ふうー、間に合って良かった........」


正直、様々な要素を組み合わせた術でもある《空術》は単純明快を好むラミーにとって苦手なものだった。ただ風を起こすだけの《空術》ならむしろ得意と言ってもいいが今回のような落ちてくる人間一人を下から救い上げるような複雑な《空術》はそうそう簡単に出来るものではない。


「た、助かった?」


少年の安全を確認したラミーが即座に翻訳の術を発動する。


「はあ、君も災難だったね。まさかあんな所で龍に連れてかれるなんて」


「何で言葉が通じたり通じなかったりするんだ?」


先程と同じように言葉が一瞬で通じるようになる奇妙な術に不信感を抱きつつもエルはラミーをまじまじと眺める。


「それは君が僕からしたら異国の人間だからだよ」


ラミーが住んでいる精霊の拠り所フェアリーハウスは下界とは完全に隔離されている。そんな中で外の情報を得るのは至難の技だ。

領域が近くとも完全に異国のようなものなのである。


「ただ僕、言葉話すのにだけは自信があるんだよ!お喋りは大好き!だから君とも話せるんだ!」


フフン♪と自慢気で嬉しそうに自分の特技を話し始めるラミー。


「私は大体20以上の言語を理解出来るんだ!分からなくても《翻訳》ていう術が使えるから問題なく理解出来るの!凄いでしょ?」


全体的に赤よりの色を基調とした無駄に幅の広いローブのような服を着たラミーはエルにとっては完全に物語に出てくる魔法使いそのものに見えた。

呆然とラミーを眺めるだけで動こうとしない。


「ねえ?僕の話聞いてる?」


苛立ったラミーがエルの肩をいきなり掴む。


「え?あ、ごめん」


ここ周辺はなぜか木がほとんど生えておらず日差しのよく当たる平原となっていた。丁度そのど真ん中に二人でラミーとエルはいた。

エルは今気づいたとばかりにラミーを見て差し出された手を取り起き上がる。


「で?どこなのか教えてくれない?でなきゃとんでもない大事になっちゃうんだよ」


腰に手を当て肩をすくめるラミー。その身体に不釣合な赤いローブが大きく揺れる。今まで着たことが無かったのだからしょうがないとは言え、あまりにも選択を間違えたと取れるラミーの服装。

だが、今重要なのは何よりも先に卵の場所である。龍の卵一つで世界の流れが変わるなどと、とんだ冗談だが事実そうなっている。冷静さをを欠いたラミーが少年に詰め寄り、ことの重大さを無言で表現。


「俺も知らない」


して、返ってきた言葉がこれである。


「はい?そこまでして隠す必要のあるものなの?」


本人が当然知っているものだと思っていたラミーはまだ隠すのかと少々強気な少年に僅かばかりの呆れと苛立ちがつのる。


「誰かとの約束とか?悪い事は言わないけどあまり隠さない方が君にとっても世界にとっても最善だと思うよ。あれは人が......」


「俺も知らないのは本当だ。けど、知っている人なら知ってる。俺の尊敬する騎士様さ!」


言葉を被せるように知らないのは本当だと告げ、矢継ぎ早に卵の居場所を知っている人物について語り始める。まるで憧れの人物を語るように瞳を輝かせたエルにラミーは一瞬たじろぐ。


「その人本当に騎士様?普通、騎士って王家の護りをするものじゃないの?」


これはラミーの純粋な疑問である。俗世の事を詳しく知らない代わりに本に記されていた記録や歴史をくまなく知る彼女は騎士が貴族でもない一般の人と接する事は滅多にないと考えていた。

なぜなら、騎士はそもそも名目上貴族を護るための鍛錬に励み己を鍛えた屈強な兵士とされているが記録や歴史書を鑑みれば事実は異なり、その正体は厳しい世襲制により脱落した貴族の次男、三男坊が仕事に困らないように用意された名誉だけの飾りとラミーは解釈していたからである。何より騎士は王の命令無くして動く事は出来ない。

勿論、騎士が弱いと言っているわけではない。むしろ、一般より強い人間はいくらでもいるだろう。しかし、元貴族である騎士たちがそう簡単に平民と打ち解けるなど裏があるのではと疑ってしまうものだ。あくまでラミーの主観だが。


「疑うっていうのか!ラスクラートは騎士の中の騎士、本物の騎士なんだぞ!」


「へぇ......ラスクラートって名前なんだ、その騎士さん。まあ、会えば分かるでしょ。行こ?えーとエル君?」


エルの手を引きラミーはそのラスクラートという名の騎士の元へ行くよう促す。名前で呼ばれたことが照れ臭かったのかエル、エイチェルティーは鼻をふんっと鳴らしてそそくさと小走りでラミーの少し先まで行く。


「ラスクラートに何か変な事しても無駄だからな!」


ラスクラートという騎士を心から心酔してはいるがそれでも不安なのか忠言を大胆に入れてくる。

最初からそんな事を思っていないラミーは軽く流すがそれを気に入らなく思うエルは歩いている途中何度もラミーを振り返る。


「龍を食らう猫じゃ無いなら、あんた何者なんだ?あんな綺麗な魔法見たことねー」


「綺麗?」


エルのその言葉に反応するラミー。元々、魔術というものは魔力を使ってあらゆる事象を引き起こすものだ。なので魔術を使わない常人やあるいは魔術を一切使えない者などは起こされた事象のみしか見えないのだ。そして、術の発動から事象の発生までの一部始終全てを見るにはそれこそちょっとした魔術を使える者でも見る事は困難だ。有名な例は騎士や狩人、戦士などだろう。彼らは術の発動は分かるがそれ以上の事は分からない。言い換えればそれだけでも事足りるということだが、魔力の流れの良し悪しはとてもではないが分かるものではないのだ。


「やっぱりきみ魔術使えるでしょ?魔力の流れが見えなきゃ術を感じるなんて普通の子には無理だもの。それと、さっき龍に少しだけど術を使ったでしょ?君を追いかけてる時にちゃんと遠くから見てたんだから!」


「魔術ってなんだよ?魔法だろう?」


エルの言葉でおおかたを悟ったラミーはため息をつき宙に指を走らせた。指の軌跡が光り直後彼女の指先で小さな爆発が起きる。


「これが魔術って言うんだよ。魔法っていうのはそんな生優しいものじゃないんだよ?魔法は何の代価も支払わずに意思のみで今みたいな術とは比較にならない程の超常の現象を起こす世界の理に背いたとんでもないものを言うんだから」


「んー、よく分かんねーや。でも、俺の周りじゃそれを魔法て呼んでたから魔法って言っただけだし大した違いもないし問題ないでしょ」


そこが一番の問題であるのは間違いないのだが全く気にした様子のないエイチェルティー少年。


「よくないよ!魔法と魔術では全く別物なんだって!」


魔法は魔術を専門とするラミーの対極、つまり真っ向から敵対行動を取られているようなものだ。

だからと言って魔法の理論を批判しているわけでもないのだがラミーはこの「魔法」という技術にあまり良い考えを持っていない。エルの軽はずみな魔術と魔法の同一視は看過できないものなのだ。


「それにしても.......歩いても歩いても林と野原しかないね」


ラミーがそう言うとエルの肩が僅かに跳ねる。それを見逃すようなラミーではなく、思わず口から再び大きな溜め息。どうやら迷ったのだろう。


「場所は分かってるんだ!道が分からないだけなんだ!」


そんな事はこっちも分かってる、と心底思っているラミー。

変わらずに降り注ぐラミーのジト目に耐えきれなくなったのかエルはなかば逆ギレのように叫んだ。

よく叫ぶ少年である。


「じゃあ、お前は何かいい方法があるっていうのか?」


古びたローブを纏った赤髪に猫の耳が生えた女の子その手のひらが輝き始める。


「私は術使いだよ?そんなの朝飯前!」


少女、ラミーが自分の己に対する誇りと揺るぎない自信をもってさらに手に力を加える。溢れる光が爆発的に大きくなりやがて一箇所に収束する。


「はい!完成!私の帽子!」


彼女の手の上にはよく御伽に出てくるような魔女が持っている大きなとんがり帽。黒地に青と赤の装飾が施され、帽子の縁からは幾何学的なデザインの描かれた宝石のようなものを連ねた装飾がぶら下がり揺れている。


「なんだよそれ!ただの帽子じゃねーか!驚かせるなよ!」


それを聞いて間を切られたラミーは不服そうにしながらもその大きな尖り帽を頭に被せる。

不思議とその帽子は彼女によく似合い大きさも大きかったのが嘘のように彼女のサイズに縮んでしまう。


「いいから見てて!」


そう言って彼女は帽子を揺らす。縁から吊られている幾何学的な模様の入った装飾がチラリと光る。


「この帽子が本当に役に立つんだから!」


ラミーの自信あふれる言葉に無意識に飲まれたエルは彼女の尖り帽に視線が吸い込まれる。

彼女の言動に伴い祝福するかのように輝き始め、その光が帽子の装飾に渦を巻くように吸い込まれていく。


その場の空気が一変し、服を揺らす程の風がエルの頬を撫でる。


「見てて」


そう言ってラミーは帽子の縁を片手で持ち上げ自慢げに笑うのだった。

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龍を食らう猫 @twilight456

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