翌日、カタリードが審査員となった知らせを受け、私はまたクラリの姿をしてとある場所へとやって来ました。今回はベールはなしで、軽装での出で立ちです。


 建物内はとてもシンプルな作りで、受付嬢が微笑みながら出迎えてくれます 。


「本日はどのようなご用件でしょうか。」


「スチュワートに会いに来たのですが、本日はいるかしら。」


「申し訳ございません。アポイントメントのない方のご面会はお断りさせていただいております。」


 受付嬢は静かに頭を下げ、予想通りの言葉を投げ掛けました。アポはとっていませんから、当たり前のことです。


「クラリが会いたいと言えば伝わりますから、お手数なのだけど伝えてくれないかしら。」


「かしこまりました。」


 伝言だけならば受け付けてくれるようですので、受付嬢はそのまま、電話をかけ始める。しばらくすれば受付嬢がこちらに来て


「スチュワートがお会いしたいそうですので、こちらにどうぞ」


 と、建物の3階にある奥の部屋へ通されました。

 受付嬢が数回ノックをし、扉が開かれます。普段自分がしている仕事ですので、だれかに扉を開けてもらうと言うのは、少し歯がゆいものです。


 受付嬢はこちらに会釈をすると去っていきました。通された部屋には、シンプルなデザインですがどこか上品な長テーブルとソファ、そしてさらに奥には仕事用のデスクが置かれています。そのテーブルの前に、一人の人物がコーヒーを片手に立っておりました。


「やぁ、君が訪ねてくるなんて珍しいね、レイ」


「この姿でその名前を呼ばないでもらえないかしら。」


 スーツシャツに濃い緑のベストチョッキを着た男は肩をすくめてコーヒーカップを奥のデスクへと置き、掌でソファを示しました。ソファへの着席を促しているのでしょう。厚意に甘えて、座らせてもらいます。


 この男は、スチュワート。ダンス協会に所属している私の古い知り合いです。金がかった細いフレームのメガネをかけ、エメラルドのような透き通る碧の視線が私へと投げ掛けられました。


「えっと、その姿の時は何て言うんだっけ?君、名前も顔もいくつもあるから覚えられないよ。」


「今はレイとクラリしかないわよストゥー。」


 ストゥーとは、スチュワートの愛称です。切れ長の目に儚げなホワイトブロンドの癖毛ショートの彼はどこか可愛らしくもインテリのような知的な雰囲気を漂わせ、小さく笑いました。


「あれ、ずいぶん減ったね。」


「今は代わりに動いてくれる子がいますから。本題に入ってもいい? 」


「せっかちだなぁ。せっかく来てくれたのに。」


 彼の軽口には反応せず、用意したカタリードの不正審査代役の証拠資料を鞄から取り出して差し出しました。首をかしげたストゥーは資料を見て、怪訝そうな顔をしております。


「これ、事実かい?」


「私が嘘の書類を持ってくることなんて、ないでしょう。記録石での映像記録もあるけど、見る?」


「いや、いいよ。時間の無駄だ。」


 見なくても結果は変わらないと判断した彼は、メガネをあげ目元を押さえました。はぁ、と深くため息をついた。


「全ての競技は平等でなければならない……それが協会の信念であり、存在理由だ。だからこそ、審査員は毎回、ランダムで選ばれている。それを人為的に変えていたなんて、協会の根幹を揺るがす事態だぞ……。」


「でしょうね。それに加え、審査にも個人の意思が反映されてしまっているわ。私がこれを、しかるべき機関に届ければ、どうなるかしら。」


 街の自警団や新聞記者……ありとあらゆる機関へこの資料を渡せば、大騒ぎとなるでしょう。そんなこと、彼はよくわかっているはずです。また深く、ため息をつかれてしまいました。


「もうしかるべき機関に持ってきてるだろうが……どの口がそんなこと言っているんだ。」


「どの、と言われても私の口はひとつしかないわよ。それに私は今、古い友人に会いに来ただけ。」


「ゆすりに来たの間違いだろう……。」


 彼はレンズ越しにじと目を私に向けてきましたが、私は微笑むのみです。ゆすりだなんて、そんな物騒なことはいたしませんよ。ただ、彼が動かなければ他を当たるだけです。


そうですね……次は新聞記者にでも情報を売りましょうか。きっと素敵な騒ぎになりますね。


 にこにこ微笑んでいると彼も意図を察したのか、何度目かわからぬ深い深い息をこぼしました。そんなにため息ばかりこぼしていると、幸せが逃げてしまうと言うのに。


「レイは会うたびに腹黒さを増しているような気がするんだが。」


「気がするだけよ。では、頼んでいいかしら?」


「内部告発しろ、だろ。大方君のことだ、大好きなお嬢様が絡んでいるんだろう。断ったら今度は新聞記者にでも情報を売られそうだ。」


 参ったというように両手を上げたストゥーは、半分あきれたように笑っておりました。あらあら、新聞記者に情報を売ることを予測されてしまいました。


「内部告発すれば、少なくともカタリードが審査した競技の見直しは免れない。近日行われた大会は開き直しになるだろう。主催費は協会が負担するように仕向けるが、全く同じように大会は開けないぞ?」


 大会とは、場所や人がいてはじめて成り立つもの。すぐにここでやる!といってやれるものではありません。恐らく会場などは変更になるでしょう。それでも、再戦には変わりありません。


近日……少なくとも、お嬢様の出場なされた大会は必ず開き直しになるはずです。他の大会も、可能ならば開き直しか、大会そのものを取り消しにする可能性もあります。


「構わないわ。」


 公平な再戦ができれば、それでいいのです。お嬢様は、なにもしなくても勝てますから。


 話し合いに区切りがついたところで、ストゥーは立ち上がりデスクへ向かいました。メモを書き、これからの段取りを決めているのでしょう。しばらくしてからまた立ち上がりました。


「君は人使いが荒いね。……僕はそこまでお人好しじゃないんだけど。」


 メガネを外した彼は、それを胸元へしまい私の元へと歩み寄りました。見上げると、その細い瞳が鈍く光を宿しています。


「少しくらい、お礼をしてくれてもいいんじゃないかい?」


 瞬間、彼の右手が私の真横を掠めてソファの縁を掴みました。ぐっと体を近づけ、私はすっぽりと、彼の影に収まってしまいます。彼の綺麗な顔がすぐそこにありますが、私はただ、彼を見上げるのみです。


「本当にレイ……君はいつになったら、僕を見てくれるんだい?」


 左手が、くいっと私の顎を掴み固定いたします。見下ろしているエメラルドグリーンは、どこか悲しそうな色をしています。しかし、それと同時に男の欲も瞳の奥に宿らせていました。


 少しの間が、辺りを沈黙へと誘います。窓の外から聞こえる活気のある声が、どこか遠くから聞こえてくるようで不思議な感覚です。彼は動かぬまま、私も動きません。


 時間にして、10秒程度でしょうか。変化のない時間が過ぎました。長いようで短い沈黙を破ったのは、私の方。


「では、昔のように呼ぼうかしら。」


 ーー……兄さん。


 今はもう、呼ぶことを許されていないそれを、口の形のみで伝えます。


 それと同時に、彼の唇が、私へと寄せられました……。

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