厨房パニック

 朝10時半ごろ。旦那様を見送り、お嬢様とリーリアが学園に向かわ漸く屋敷が落ち着いた頃。私は別館の厨房におりました。


 すこし前までは使用人たちが朝食をとってきたため、慌ただしかったものの現在厨房には殆ど人がおりません。


「…これはいったい、何があったのかしら。」


 銀に輝いた厨房にて、私の前には本来食べ物だったであろう、現状よくわからない物体が三つ並んでおりました。


 一つ目は黒ずみとなっているにも関わらず、なぜか塵とならずぶよぶよとした平たいなにか。二つ目はマフィンカップに入っているおりますが、膨らまず底の方でビスケットのように固まっているピンクの物体。三つ目は液状で…紫色です。固形と言うには緩く、しかし液体にしては固すぎる微妙なものです。


 厨房のテーブルを挟みサーニャとシルファがおりますが、サーニャは申し訳なさそうに肩を落とし、シルファは疲れきった顔を向けておりました。


「ふたりとも…これはなんですか?」


 並べられた三つの物体を指差したところ、気まずい空気が二人の間に流れました。落ち着いた頃合いにパンケーキ作りに挑戦していたはずなのに、どうみてもそれらしきものがありません。


 パンケーキに失敗したからと言ってこんな物質は作れないでしょうから。


「パンケーキ…で、す…。」


 しかし予想と反して口にされた言葉に、もう一度謎の物体へと目を向けてしまいました。少なくとも、私が知り得るなかでの失敗をして作られた産物とは、明らかに違います。


 何かの冗談…かと思いましたが、シルファの疲れきった顔が本当だと語っております。


 これは…想定よりも苦戦しそうな気配を感じます。


「えっと、まず説明をしてもらえないかしらシルファ。どうしてこうなったの?」


「一つ目は単に焼きすぎです。厨房が故障した訳じゃないんですが、何故かサーニャちゃんが触ると火が吹き出してしまって。炭になるかと思ったら…何故かこんなことに。」


 コンロに近づけるのは危ないと言うことで、フライパンを使わないようにカップケーキで焼いたのが二つ目だそうです。


「ふぇえ…砂糖と塩を入れ間違えました…。」


 他にも色々と入れ間違いを起こしていそうですが、どうやら二つ目は計量ミスで出来上がった代物のようです。ピンク色になっているのは、ストロベリーを入れたから、だそう。


 そして三つ目は…。


「ブルーベリー味にしようとしてたくさん入れて…えっと…」


 これに関しては本人もわからずじまい。ブルーベリーを入れてしまったことで水分量は狂ったでしょうが、だからといって熱しても液体のまま…というのはどう考えてもおかしい。


 想定を大幅に越えた失敗の数々に、額に手を当ててしまいました。お嬢様の願いを叶えるためには、この壊滅的な料理下手のサーニャが簡単に作れるほどの改良を施さないといけません。


 先は長そうです。しかし、時間はありません。


「サーニャ、まず何が難しかったか教えてちょうだい。」


「はいっ!計量です!」


 ピシッと元気よく挙手をしたサーニャはその理由も話してくれました。なんでも、最初の計量段階で躓いたのだとか。


「小麦粉とお砂糖とふくらし粉に卵に牛乳…すべて一つ一つ容器にいれて図るので、洗い物も多いですし…とるときに倒したりしちゃいました…」


 現在厨房はピカピカなのですが、これはシルファが掃除をしてくれていたからでしょう。目の前にある失敗作3つの他にも、きっとたくさんの失敗作が生まれたようです。料理長をしているシルファが目を丸くするレベルのものだそう。


「いやぁ…あれはちょっと、レイさんには見せられないなぁ。」


 どんなものか訊ねてもはぐらかされてばかりで…仕方がないので現状あるもので判断することにいたします。


「あとそうだなぁ。僕が思ったのはやっぱりフライパンを使うのはよくないかな。普通に難しいだろうし、それならすこし分量を変えてマフィンにしたほうがいいよ。どの家にもいまはオーブンがあるしさ。」


 最近は庶民の生活水準が上がったため、一家に一台キッチンやオーブンが備え付けられています。魔力を溜めた石によって作動しますが、火力は皆一定に保たれ、誰でも自炊ができるようになったのです。


「あと…私はやっていて…これあってるのかなって、不安になりました。作り方は昨日レイさんからもらっていたのでわかりましたが…経過をみてもそれが正解かわからなくて…。」


 作り方が書かれた報告書を握っていたサーニャの言葉は最もでした。作り方と分量は記載しておりましたが、途中経過は全く記されていません。間違っていてもそれに気づけないのも、また難しさの一つですね。


「ありがとうサーニャ。疲れたでしょうから少し食堂で休憩してらっしゃい。」


「はいっ」


 サーニャが厨房を離れたことにより、シルファが深い息を吐き出しました。張り詰めていた気力が途切れたのでしょう。目を離せば厨房を壊しかねませんからね、あの子は。


 …さて、サーニャのお陰でいくつか情報は得られました。


 結論から言うとパンケーキ自体を流行させるのは不可能です。フライパンで焼くということは、誰かが付きっきりで見ていないといけませんので、そもそも学園祭には不向きです。


 となるとやはり、流行らせるのはパンケーキではなくその派生のマフィンとなります。とりあえずオーブンにいれれば焼けてしまいますから。


「シルファ、パンケーキとマフィンの違いは分量だけかしら?」


「まぁ、そうだね。一応バターが入るけど、最悪なくてもいいよ。ちょっと味は素っ気なくなるから、上にクリームを絞るとかした方がいいだろうけど。」


 ホットケーキの成り損ないたちをゴミ箱へ片付け、シルファは新しく小麦粉を取り出しておりました。バターの入った棚を指差しましたが、指すだけで取り出しはいたしません。


 クリームですか…ちょうどいい情報をいただけました。


 計量、オーブン…クリーム…メロドラマ、創作意欲…誰でも簡単に…。学園祭…流行り…一般人…あらかじめ準備をして…。


 すべてのピースがはまるように組み立てられ、昨日たてた策が完成致します。


「あー…レイさん。もしかして完成した感じかい?」


 無意識に笑みを浮かべていた姿を見たシルファが、肩をすくめました。いけません、つい顔に出てしまいました。


「えぇ、いまさっき。シルファ、悪いのだけど少し用意をしてくれない?」


「はいはい、なんなりと。」


 彼に耳打ちをすると、両手を叩き、あぁ!と納得してくれました。この策は、やはりサーニャがいなかったらなし得なかったでしょう。私やシルファでは気づきませんでしたから。


「ならすぐに準備するから、サーニャちゃんを呼んで大丈夫だよ。」


「お願いね。」


 準備を任せて私は厨房を後にしました。食堂と厨房は扉一つで繋がっておりますから、すぐに戻ることができます。


 丸いテーブルがいくつも並び、食事以外の時間は休憩室に早変わりする食堂で、サーニャは座ってコーヒーを飲んでいました。


「あ、レイさん!私まだできますよ!やらせてください!」


「大丈夫よ。貴女のお陰で策が完成したから。」


 私を見つけた途端立ち上がった彼女を一度制して笑いかけます。策が完成したことに、彼女の目が輝きだしました。


「本当ですか!?」


「えぇ、その検証をしたいからもう一度作ってくれないかしら?」


「勿論です!」


 いまにも走り出しそうだったので歩くように注意をしながら二人揃って厨房へ戻ります。


 そして“ある秘策”により…


「わぁああ!」


「はは…こらゃ驚いた…。」


 全く完成形にも到達できていなかったサーニャが、なんとマフィンを作ってしまったのです。


 その完成形をみてサーニャとシルファは手を叩いて喜んでおりました。毒味は私がしましたが、素朴な味で食べることはできます。バターがないので、少しパサパサしておりますね。


「トッピングは必要ですが、合格ラインです。」


「やったー!」


 決して不味くはない出来ですし、問題はありません。この策、必ず成功します。そう確信しました。


 さて、“第一段階”はクリアいたしましたし…。


「それじゃサーニャ、お嬢様にお出しできるように作ってちょうだい」


「…え?」


「…は?」


 お嬢様にお出しすると言うことは、すなわち完成品しか認められないことを意味します。


 それがどれ程難しいことか…二人はよく知っているでしょう。


 私の一言に、たちまち二人が凍りついてしまいました。まだ終わりだとは、一言もいっていませんから。ふふ。

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